2010年1月
『衛星放送』  Jan. 31, 2010 ▲Top
 東南アジアを旅行すると、大きなホテル等では日本のNHKテレビ放送を生で見ることが出来る。 それは衛星放送のお陰だ。本来テレビ放送は、東京タワーの様な高いアンテナを建てそのアンテナ から直線で結べるエリアでのみ見ることが出来る仕組みだが、地形の悪い地域では、例え放送局が 近い場所でも、建物や山等で遮られると電波は届かないので、正常にTVを見ることが出来ないのだ。 所謂難視聴地域となる。NHKでは難視聴地域の解消の為に、衛星放送でカバーしているが、 この中継には赤道近くの上空に静止軌道衛星として上げてあり、そこから日本に向けて強力なビーム アンテナで送信している。これにより、日本側は全国何処からも赤道方面に受信アンテナを設置 すれば衛星放送を見ることが出来る。それを利用して東南アジア地域では、赤道上空へパラボラ アンテナを向けると、おこぼれでNHKが無料で見られる仕掛けなのだ。ありがたいことに、遠い 異国に居て、日本語の生のニュースやドラマがオンタイムで見られるのは、なんとも痛快である。

『酒席』  Jan. 30, 2010 ▲Top
 昨夜は現在住んでいるマンション自治会の総会があった。私自身今年の理事を仰せつかり 総会の開催側のメンバーなので、議事の進行に当たっては、理事長の議事進行の補佐役と して、慎重に議題を進めた。中でも建築以来22年目を迎える建物なので、至る所に不具合 箇所の多くなったことから、今年の執行予算案の承認には気を使った。無事所定の総会も 終わり、予算案も通り、後の懇親会が始まった。1年一回の全居住者との顔合わせでもあり、 日頃余り顔も合せる機会の少ない人達との交流に、酌み交わす酒の量も相当進んだ。 会場となった料亭も季節のふぐ料理を含め、元マンション住民だった板前さんの腕を振るった 美味しい食べ物は腹一杯のご馳走であった。久しぶり、ふぐの「ひれ酒」も大変満足した。

『南極の日』  Jan. 29, 2010 ▲Top
 今日1月29日は、日本の南極観測隊が1957年のこの日、南極・オングル島への上陸に成功し 昭和基地を開設したのを記念して「南極の日」とした。上陸後は、数百キロもの荷物を積んだ 橇をカラフト犬20頭が引くなど活躍。昭和基地には、西堀栄三郎隊長ら11人の第1次越冬隊 が残った。日本の観測隊は不十分な施設と物資の中で、厳しい気候に耐えながら観測をして いた。翌1958年2月に、分厚い氷の海と悪天候に祟られ、飛行機で脱出せざるを得なくなり、 カラフト犬15頭は置き去りにして無念の帰国をした。翌1959年、再び昭和基地に向かった 観測隊員は置き去りにした15頭の内、タロとジロと奇跡の再会をし感動的な映画にもなった。 日本の南極探検の先駆者として白瀬矗が、1911年南極を目指し1912年1月28日到達したのが 南緯80度05分西経156度37分の地点であった。ここに日章旗を立て、一帯を「大和雪原」と 命名した。しかし、その地は南極点ではなく、南極点までは100キロもある地点ではあったが、 当時世界4位の南進記録で南極探検史に残る堂々の内容だった。この成果により白瀬矗は 高く評価され、現在の南極大陸の地図には、白瀬海岸、白瀬氷河という地名が記載されている。

『衣食足りて礼節を知る』  Jan. 28, 2010 ▲Top
 古くから伝わる諺だが、意味は、米蔵が一杯になると人は初めて礼儀道徳に関心を持って、 わきまえる様になるし、衣食が十分に足りて生活が安定すれば、名誉とか恥辱というものを わきまえ重んずるようになると言うもの。人間の脳の働きから考えても、衣食が足りない内は、 まともな考え方は出来ないものである。ある程度の衣食が保障されるのが如何に大事な事か と言うのは、どんな社会でも当然である。カリブ海のハイチで13日、マグニチュード7.0の強い 地震が発生した。世界各国から被災者に支援の食料配布が実施されたが、食料を求めて先を 争う人達と警備隊が衝突し、負傷者が出る騒ぎとなっている。しかし被災から2週間経っても 復旧の見通しも侭ならず、市民は衣食を求めて争いが起こるのは、生活が掛かっているからで、 正常を求めるのは難しい。ハイチ市民に衣食が足りるまではこの混乱が続く事だろう。

『初夢』  Jan. 27, 2010 ▲Top
 初夢とは新年になって初めて見る夢のことを指すが、大晦日から元旦までに寝ない で夜を明かす場合もあるので、初夢は元旦の夜とも、二日の夜に見る夢と言う。 または全く夢を見ない場合も有り得るので年が明けてから初めて見る夢を初夢とも言う。 昔から、夢には神仏からの啓示と信じられてきたので、年の初めに見る夢には、 その年の幸先を占う意味がある。従って年の初めに縁起のいい夢を見たいと心から 願って来た。江戸時代には七福神の乗った「宝船」の絵を枕の下に入れて寝ると 良い夢をみるとか、「長き世のとおのねむりの皆めさめ、波のり舟の音のよきかな」と言う、 上から読んでも下から読んでも同じうたを三回称えてから寝ると良いとか言われていた。 初夢として縁起の良い夢は、一富士、二鷹、三茄子と言うが、私は生まれてこのかた そんな夢を見たことは無い。と言うか、正直なところ起きた時点で覚えていない。

『インフルエンザ』  Jan. 26, 2010 ▲Top
 来月に入るとタイ航空機で、フィリッピンへ出かける計画を進行させている。出発に対して色々な 準備作業を進めているが、身の回りの人達からインフルエンザに気をつけるようアドバイスしてきた。 大勢の人が集まる空港や、飛行機の中は、インフルエンザウイルスが満ち溢れているので、マスクの 準備は勿論、ワクチンの接種を勧められた。インフルエンザワクチンは身体の免疫機構を利用し接種 により仮にインフルエンザにかかったとしても軽症で済む事を狙いとするものだ。但し個人差や流行株 とワクチン株との抗原性の違いによっては必ずしも十分な効果がない場合もある。効果は免疫力に 比例するため若者には効果が高いが、幼児や高齢者は免疫力が低いので効果も弱い様だ。米国での 報告で、1976年に4300万人に予防接種を行ったところ、約400人がギラン・バレー症候群(GBS)となり、 25人が死亡した。インフルエンザによる死亡は0のため大問題になった例があると言う。安易な接種も 気をつけた方が良い例だが、私はこれまでも予防接種の体験がないので、今回も無策で行く事にしている。

『大相撲初場所』  Jan. 25, 2010 ▲Top
asashoryu.jpg  大相撲初場所は、13日目に白鵬が魁皇に敗れた時点で、千秋楽を待たずに朝青龍の優勝が決まった。 そして因縁の千秋楽の横綱同士の対戦は、朝青龍が立合先に上手を引いたが白鵬はすぐにその上手を 切り、自分が左上手を引いた。白鵬はそのまま上手から投げを打ちながら土俵際に寄つて行き、最後は 寄り倒し、白鵬が有終の美を飾り横綱の意地を見せた。初場所を終わって朝青龍の幕内通算成績596勝 、153敗。優勝25回、殊勲賞3回、敢闘賞3回、金星1個となっている。優勝25回は北の湖の24回を抜いて 単独3位で、大鵬32回、千代の富士31回に次いでの記録となる。現役力士で10回以上優勝しているのは 朝青龍と、12回の白鵬である。今年まだ29歳の朝青龍は、これらの記録を塗り替える可能性は十分ある。

『Vサイン』  Jan. 24, 2010 ▲Top
v-sign.jpg  指を2本立てて、少し開いて前に突き出すポーズをピースサインとも呼んでいる。即ち平和と 言う事になるが、実はこのVサインを広めたのはイギリスの首相をしていたチャーチルである。 チャーチルは英国名門の出で、若い頃新聞記者としてキューバ反乱鎮圧やスーダン遠征に 従軍参加したこともあった。1940年に首相となりナチスドイツ軍と戦って居る時、ヒットラーを 挑発するためVICTRY(勝利)のサインとして指を2本突き立てて国民を鼓舞しナチスを撃退した。 爾来勝利を意味するサインに2本の指を立てて前に突き出すようになり、勝利の後の平和を 意味するようにピースサインとも呼ぶようになった。実はチャーチルは当初、手の平を内側に して指を立てて居たそうだが、正式にVサインは手の平を外向けにするのが正しく、英国では 手の平を内側にする事は侮蔑の意味を表す場合があるので間違いだった。

『ふみの日』  Jan. 23, 2010 ▲Top
 今日は23日で語呂合わせから、ふみの日と言う。人類の歴史が始まって以来、文字や絵を描く事は 古くから行ってきたが、書き残した素材は自然の岩や、木片等が主だったもので、保存も自然の中で 放置された物が多かった。文明の進化で木の繊維を砕いて漉き上げた紙を発明して、文字や絵等を 描く事を始めた頃から色々な筆記用具が生まれ、東洋では筆、西洋でペンが発達してきた。 西洋で発達したペンは、鵞鳥の羽根などが使われたことから、ラテン語の「鳥の羽根(penna)」が語源 になっている。鵞鳥の羽根は18世紀頃まで続き、19世紀に金属製が生まれてペンの主流となった。 1809年にイギリスのジョセフ・ブラマーが万年筆の特許を取り、1884年にはアメリカのJ・ウォーターマン が実用的な万年筆を考案し万年筆の主流となった。書き味の安定しているボールペンは1888年、 アメリカのジョン・ラウドが特許を取り、後にアメリカのミルトン・レイノルズが量産したが不良が多く 大量の返品があったそうだ。しかし戦後改良されたボールペンはアメリカ経済に大きな足跡を残した。 東洋で発展した毛筆は主として獣毛が使われ、日本に現存している最古の筆は「天平筆(雀頭筆)」 であるとされていて、正倉院に残されている。

『新年会』  Jan. 22, 2010 ▲Top
 今夜は、今年2回目の新年会となる。毎年参加する新年会は平均2〜3回行われている。 新年会の名目は、大学時代の同窓生仲間の会、日頃定例で勉強会を行っている仲間の会、 同じ趣味を持って時に触れ集まって情報交換や憂さ晴らしの飲み会をしている仲間達等だ。 毎年行われる新年会なので、会場となる店は大体一定しているが、時に趣向を変えて会場 が変わっている場合がある。先週の新年会は、これまで一度も使ったことの無い場所で、 案内が来たとき、間違えないようにとカレンダーに当日の時間と場所を、メモしておいた。 当日カレンダーで確認して会場に向かった。しかしその会場には、何故か誰も居なかった。 慌てて携帯で事務局に確認したら、会場が違っていた。実はメモをしたカレンダーの日付を 見間違えて、翌週行われる別の会合の場所へ来ていた。昨年義兄の法事の時、会場を 思い違いして大遅刻した苦い経験があったが、今回も思い込みから確認を怠って、又も 遅刻寸前になって大汗をかいてしまった。幸い時間には間に合ったが、余裕は無かった。 今夜は大学時代の校友会で、会場は何時もの割烹店なので、間違える事は無い積りだ。

『後期高齢者医療制度』  Jan. 21, 2010 ▲Top
 2月3日の誕生日が来ると、いよいよ後期高齢者に分類される運命だ。昨年暮れ昔のサラリーマン 当時の企業の健康保険組合から特例退職被保険者としての22年度分の保険証が送られて来た。 これを受取った時は一瞬今迄通り企業の健康保険などの医療制度を利用し続けられると思っていた。 しかし本日市役所から送られてきたのは後期高齢者保険証で、本人の届けや手続きすること無く 自動的に、次の誕生日を以って保険制度が切り替わると言う物だった。この制度は、75歳以上の 高齢者を「後期高齢者」と呼び、一定の対象層として独立させ新しい保険システムに組み入れるもの。 国民の長寿化が進む中、高齢者の医療費は増すばかりで、新制度で独立する後期高齢者の負担増 を、保険料の増額で埋めるか、後期高齢者が受けられる医療の水準を下げる可能性が極めて大きい。 但し政権交代の時に長妻厚生労働相が「後期高齢者医療制度の廃止」を明言しており、2013年度を 目処に新しい制度への移行をはかる、としていたが今後どうなるのだろう。後期高齢者医療保険料は 年金から自動的に引き落とされる仕組み。今より更に手取り年金額が少なくなる。生活のピンチだ。

『旅行準備』  Jan. 20, 2010 ▲Top
 来月2月10日から約2週間フィリッピンへゴルフに行く事が決まった。10年ほど前からフィリッピンで 製缶、溶接、機械加工の会社を経営している弟からの誘いで決めたもの。2月と言えば、日本はまだ 寒さが残る季節で、好きなゴルフもつい足が遠のいている頃だ。しかし赤道に近いフィリッピンは真夏 の気候である。2週間近い滞在中に10箇所ほどでゴルフを計画していると言う弟のメールで、携行する 衣服等の準備を始めた。生憎、タンスの中身は今の気候に合せた冬物ばかりなので、家内に相談して、 夏物の詰まった衣装缶を出してもらった。現地での生活環境と、ゴルフプレーを考えて選択しているが、 缶に納められているシャツ類は、日本では適当でも外国での生活スタイルを考えると限られてくる。 一応デザインや色、素材などは無難な物を選んで、纏めて見たが、殆どは昨年まで毎年この季節に 出かけていたインドネシアで買ったものが多く、フィリピンの生活環境には何となくイメージが合わない。 仕方なく、必要最低限の物だけにして、現地で買い足す事にした。ゴルフボールは10回のプレーを 考えて、30個ほど持って行く事にした。出発までにまだ日数は有るが、毎日準備にウキウキしている。

『木魚』  Jan. 19, 2010 ▲Top
 お寺で、お坊さんがお経を唱える時、リズムを取るのに叩く物と言えば木魚だ。木魚の原型は禅寺で 使われていた「魚板」で有った。魚板は黄檗宗の本山である黄檗山萬福寺で今でも見る事が出来る。 魚板とはその名前の通り魚の形をした木板で、木槌で叩いて音を出す事で人を集める合図に使われ てきた。何故魚の形をしているかと言うと、魚はいつも目を閉じないことから、修行僧が精進することの 象徴であったこととされている。それは、あたかも魚のお腹を叩く事で、煩悩を吐き出させるという意味 が篭められていたとされ、禅宗や天台宗、浄土宗などで用いられている。浄土宗では木魚が一時期禁じ られた頃もあったが、その後念仏を唱えるときに使用されるようになった。木魚は自らの尾を食う魚や、 2匹の魚や龍が珠を争う姿等を形取った鈴のような形をしている。表面には魚の鱗が彫刻されている。 材料には楠などの木を使い内部は空洞になっている。木魚は小さな座布団の上に置き、先端を布で 巻いたバチで叩くと、「ぽくぽく」と乾いた感じの音が響く。木魚を叩く音はお坊さんが読経する時の眠気 覚ましの意味もあると言う。

『阪神淡路大震災』  Jan. 18, 2010 ▲Top
jishin.jpg  それは平成7年1月17日の未明、突然襲ってきた大地震だった。愛媛県のわが家も鉄骨マンションながら 大きく揺れて目覚めた。急いでテレビを付けたところ、淡路島北端辺りを震源とする深さ16kmで発生したM7.3と 報道されたが、まだ被害の状況は判らなかった。しかし時間の経過と共に被害の様子が判って来たが、一番 衝撃を受けたのは高速道路の橋脚が折れて倒れた映像を見た時だった。後に判明した人的被害は死者6,434名、 行方不明者3名、負傷者43,792名と発表された。死者の多くは倒れた木造建物に潰された圧死だった。鉄筋 コンクリートの建物の場合、大破しても構造的に生存空間が残るため圧死を避けられたケースが多かった。 神戸市では、木造住宅の密集地域を中心に火災が発生し近隣の建物に次々と延焼して6,000棟が焼失した。 消火活動は上水道が断水したため、貯水槽を探しているうちに炎が延焼して被害が大きくなった面もある。 また倒壊した建物で進路が塞がれ、瓦礫を除去しながら現場への到着が遅れた事により初期消火に失敗した。 更に各地の消防車が応援に来ても、消火栓とホースの規格が合わず消火出来なかった事も後に問題になった。 火災の原因には、一端止まった送電を直ぐに再開した事により、倒壊した家屋等で漏電、損壊した送電機器や 家電品が発火の原因になったと言う報告もあった。こうして戦後最大と言う大地震により、現代社会に多くの 教訓を残した。

『バンカーショット』  Jan. 17, 2010 ▲Top
 ゴルフ暦は50年になるが、これまで満足出来るバンカーショットは出来てなかった。 バンカーからの脱出法については、通常の練習場では設備が無かったりして殆ど出来ない まま、いつも本番に臨んでいたことになる。苦手なバンカーからの脱出にはいつも最大の 緊張感で力一杯砂に打ち込み過ぎてボールの下を掬い失敗だった。最近プロ選手のテレビを 見ていて、感じたのは砂を薄く取って思い通りの脱出をしていて、今までの私が間違っていた ことに気づいた。要するに私はどんな時もエクスプロジョンの感覚で砂を取りすぎていたのだ。 先日のプレーで思い切ってそれを真似して実行したらバンカーからの脱出が全て成功した。 実は、砂の中で足場をしっかり決めた後、通常のフェアウエーからのアプローチの感じで ボールの下を軽く掬うように打ったら、自分のイメージ通りに脱出し、しかもこの日4つ のバンカーショットは全てボールがピンに絡みパーが取れた。今まで苦手だと思い込んで いたのが一気に問題解消して、バンカーショットがとても楽しくなった。

『キーボード』  Jan. 16, 2010 ▲Top
 現在私の利用しているパソコンは、デスクトップが2台と、ノートパソコン1台を使っている。 いづれも、何年も使い込んだものなので、夫々機能的に問題が多くなってきてもおかしくない。 一番多い障害は、キーボードの接点の異常だ。2台のデスクトップは何れもキーボードは何度か 接点不良を起こして特定のキーが反応しなくなり、仕方なく汎用のキーボードに取り替えた。 また、取り替えたキーボードも、ある特定のボタンは、タッチ回数が多いのか、表面の文字が 薄れて来たものも出ている。ノートパソコンのキーボードは、本体に付属しているので、接点 不良のキーボードも交換する事が出来ず、仕方なくUSB接続で汎用の小型キーボードを 隣に置いて使っている。但し、その外付けのキーボードも最近Hのボタンが反応しなくなり、 思い切って、接点復活材の代わりに効き目があるかと、CRC5-56をそっと吹き付けてみた。 すると、今まで効かなかったキーが復活した。ボタンの隙間から吹き込んだ気体が接点を 復活させたようで、新しいキーボードを購入せずに済み大成功だった。

『成人式』  Jan. 15, 2010 ▲Top
 昔は、男の子が15歳になると元服と言って、一人前の大人になった証として儀式が行われていた。 今で言う成人式の原型だったと思われる。成人式は戦後の1948年に満20歳を一人前の大人と認定し、 本人の自覚を促す目的で1月15日に成人式を行うようになった。しかし2000年から祝日法の改正で、 ハッピーマンデー制度にもとずきき、1月第2月曜日を成人の日として祝日になった経緯がある。 元服式は、既に7世紀頃の天武天皇の時代からあったと記録されていて、主として皇族や貴族の子弟が 15歳前後になると、髪型を改めて烏帽子をかぶり、成人の仲間入りをする儀式が元服の式だった。 書物を見ると聖徳太子は19歳の時、崇峻天皇の元に冠を戴いたとあるが、『続日本紀』の元明天皇の 和銅7年に聖武天皇が皇太子の時元服をしたのが初めであると書かれている。古来は元服を行う年齢は、 一定していなかったが、天皇は11歳から15歳まで、皇太子は11歳から17歳までに行われたようだ。

『小正月』  Jan. 14, 2010 ▲Top
 小正月とは旧暦の正月のことで、1月14日から16日頃までのことを指している。そしてその 小正月に行われる行事のことを「小正月行事」と言っている。現在の新暦の元旦大正月に対して 女正月、15日正月等とも言うが、正月の間中、女性は何だかんだと忙しく、やっと一息ついて、 近隣への年始回りを始める事が出来る様になるのが、この頃だというのが上方の慣わしらしい。 昔は小正月が本来の年越しなので、色々な行事やしきたりがあり、どんどん焼きとか、どんど焼き、 と呼び、松の内が過ぎ不要になった門松や注連飾りなどを、氏神の境内で燃やす行事をしている。 農家等で一般によく行われているのが、小豆粥を炊くことで、粥の中に竹筒を入れて、筒の中に 入った粥の多少で、今年の米の出来を占ってきた。これら豊年を祈念する行事が非常に多いのが 小正月の行事の特徴である。

『タバコの日』  Jan. 13, 2010 ▲Top
 1946年4月に、箱の絵が鳩のデザインで売り出された10本入りタバコが両切りのピースで、 その発売日を記念してタバコの日とされた。発売当時のピースはとても高くて買えなかった。 他のタバコには、吸い口付の朝日とか両切りのひかり、20本入りの新生や少し細巻きの ゴールデンバット等があった。私の大学生時代は20本入りの安いゴールデンバットか新生を 吸っていた。月末頃に仕送りの金がなくなると、新生かゴールデンバットを2cm位に短く切り、 キセルにつめて吸っていた。昭和32年大学を卒業し就職した頃、日本初のフィルター付たばこ 「ホープ」が登場した。サラーリーマンになって、給料日に奮発して50本缶入りピースを買った 事があるが、あの缶を開けた瞬間の甘い香りは今でも忘れられない。結婚して妻が妊娠の時 生まれてくる子供の為に禁煙をして欲しいと言われて、以来タバコを止めた。止めた当時、 買ったばかりのピースの缶は、其の侭しばらく残っていたが、引越しを機にいつか家の中から タバコの姿はなくなっていた。考えてみると禁煙してから50年を過ぎた事になる。

『石川遼』  Jan. 12, 2010 ▲Top
 タイ・チョンブリのアマタ・スプリングCCで、アジア選抜と欧州選抜の団体対抗戦第4回ロイヤル・トロフィーは、 1月10日に最終戦が行われた。前日までの2戦は、アジア勢の頑張りも有って僅かながら1ポイント勝っていた。 石川遼は最終日のシングルスマッチでは欧州ツアー通算3勝のハンソンと対決。アジア勢V2のカギは石川遼 が握っていた。前日までペアを組んでいた小田孔明はスエーデンのノーレンと対戦、5アンド3で勝ってアジア勢 でこの日最初の勝利を挙げた。しかしこの日の石川はハンソンに5アンド4で敗れ、欧州勢に1勝を献上し、結局 アジア勢が負けてしまった。この日の石川遼は、2度の池ポチャとショットに精彩が無く、ナイスショットでバーディ チャンスのホールも、長く難しいパットを先にノーレンにバーディーを取られる流れで、1ホールも奪うことが 出来なかった。今年賞金王の石川遼も団体戦のマッチプレーはプロ入り以来3回目で、この日が通算10試合目。 ストロークプレーでは、不調のホールも何処かでバーディ、イーグルで取り返せるが、マッチプレーは失ったホール は取り返すことが出来ない。その戦い方を知らずに何時もの攻めるゴルフをした間違いが、結果的に完敗する 原因となった。世界ランクで30位の石川遼がランクでは50位とはるか下位ののハンセンに完膚なきまで叩き のめされた悔しさは計り知れない。石川遼の今後の課題はマッチプレイの戦い方はホール毎の勝ちを確実に 取ることを学ぶことだ。

『日本航空』  Jan. 11, 2010 ▲Top
 経営が行き詰まり再建のためには、多額の政府資金援助を受けなければやって行けない日航だが、 政府が支援する資金とは、国民の税金でもある。しかも日航には9000人を超えるOBが居て、彼らに 今後支払われる年金基金は、必要な積立額5330億円に対し、年金資産は2918億円と大幅に足りない 計算だ。今後日航の再建に多額の資金を導入すると、当然年金支給に足りない資金の穴埋めに利用 されることは明らかだ。それでは融資行為が国民の理解を得られない事になると、年金削減計画を立て、 現役社員で53%、OBで30%給付額を引き下げようとするもの。現役社員については3分の2の同意を 得たが、約9000人のOBからの同意は難航している。このまま企業年金の削減手続き同意に失敗 した場合、再建を主導している企業再生支援機構は、年金基金を解散する方針である。支援機構が 基金の解散という強硬姿勢をとる理由は、日航を法的整理で再建するのには、融資枠や政府保証 など一時的に1兆円を超える規模の公的資金が必要となる公算があるが、現役・OBの同意による 減額か基金解散で解決する見通しとなったことから、政府はこの先年金を強制的に減額できる特別 立法を見送る方向で調整に入ると言う。

『貴乃花光司』  Jan. 10, 2010 ▲Top
 日本相撲協会では10人の理事を決める理事選が2年に1度あり、親方なら誰でも立候補出来る。 かねてより、元横綱貴乃花は、最近問題の多い相撲部屋の暴力行為や、麻薬事件など不祥事の 多い相撲協会には年功序列、そして現役時代の番付によって有無を言わせなかったこれまでの 一門という派閥のあり方を、改善すべきとの立場で場所後にある日本相撲協会の理事選に立候補を 表明した。これまでの理事の改選には、五つの一門ごとに理事数が割り振られ、事前の調整により 無投票で決まることが慣例となっていた。貴乃花が所属する二所ノ関一門には近年3人の理事枠が 割り振られていた。しかし、貴乃花の出馬表明によって、一門の立候補予定者は放駒(元魁傑)、 二所ノ関(元金剛)、鳴戸(元隆の里)の各親方と合わせると4人に増えることになり、3人に絞り込む 話合いは不成立に終わった。どうしても立候補の意志の固い貴乃花は、二所ノ関一門から離脱し、 無所属として理事選挙に立候補する事を発表した。貴乃花の当選には10票前後の票が必要だ。 今の理事には年寄りが多く、今後の相撲界を改革するには若い理事が立つべきだとの意見もあり、 貴乃花の考え方に同調する親方衆も多いので、理事に選ばれる可能性はあるだろう。

『魚料理』  Jan. 9, 2010 ▲Top
 若い頃や子育て時代は、自分自身のスタミナをつける為や、子供達の健康な身体を作る 為にも食生活の主体は肉食が多かった。子供達の喜ぶすき焼やビフテキ、とんかつ等が 繰り返し食卓に上っていた。子育てが終わり、夫婦二人の生活になる頃は、年老いた身体は 固い肉を噛むよりも、歯に優しい魚類が食べ易くなった。魚にはドコサヘキサエン酸(DHA) が豊富で、特に脂の乗った旬の魚は、その量が倍増すると言われている。なかでもお奨めが イワシ、カツオ、マグロ、サンマ、ブリといった背の青い魚だ。年老いてボケる頭を良くする 効果を期待する場合の魚の摂取量は、DHA量にして毎日0.5〜1.0g程度が目安だと言う。 それにはイワシなら2尾、マグロのトロなら2切れ、ブリで1切れ、サバなら半身、サンマ1尾 に相当する。但し、同じ魚でも調理法でDHA含有量に差がでる。生で食べた場合のDHA量 を100%とすると、煮たり焼いたりすると80%、油で揚げると50%にまで減少してしまう。 DHAを無駄なく摂取するには刺身が最高ということになる。

『平成の元号』  Jan. 8, 2010 ▲Top
 21年前の昭和64年の新年に入ったばかりの1月7日朝、昭和天皇が崩御され午後の 臨時閣議で新しい元号を「平成」と決定し、当時官房長官で今は亡くなった小渕恵三氏 が記者会見で「新しい元号は「平成」であります」と平成を公表した。翌8日から新しい 元号が「平成」としてスタートした。「平成」は日本最初の「大化」の元号が始まってから 247番目で、初めて政令によって新元号が定められたもの。昭和天皇の崩御によりTVの お正月お笑い番組や各地で競馬、イベント、コンサート、演劇などが中止か延期されたり、 内容が変更されたり日本国内は大混乱した。また民間で結婚式を延期したカップル等も かなりあったようだ。しかし数日後には「自粛しすぎ」として一斉に復活したが、メディアに とっては初めての経験で対応の程度が分からなかった面もあった。

『七草』  Jan. 7, 2010 ▲Top
 今日は七草の日。お正月の間、お雑煮やおせち料理等のご馳走を食べて胃腸を始めとする 臓器も疲れてくる頃だ。この日に七草を入れたお粥を食べると1年病気をしないとされて来た。 日本では古くから、野草は万病に効き目があると信じられていたようで、お正月最初の子の日に、 生命力の強い野草を摘み、それを食べる「若菜摘み」といわれる風習があった。七草には胃腸を 整えたり、咽の炎症に働いたりという効能が認められている。七草は緑黄色野菜であり、薬効が ある。せりには便秘や風邪を予防し利尿作用がある。なずなには肝臓病や高血圧の予防の効果。 はこべは腫れや痛み止めに効き、母乳分泌促進作用がある。緑黄色野菜には体内でビタミンA として働くカロチン、ビタミンB1・B2・C、ニコチン酸、カルシウム、鉄などが含まれ、これら ビタミン、ミネラルが糖質、タンパク質、脂肪等の代謝をスムーズにする。食べ過ぎで疲れた 臓器を癒し、不足したミネラルを補ってくれのである。

『ダイエット』  Jan. 6, 2010 ▲Top
 お正月3が日の間に、飲んで食べて、テレビに噛り付いてぐうたらの生活が原因で 休み明け3日にプールへ行ったとき、体重測定して67kg超えの数値にショックを受けた。 何時もは、プールに入る前に少々体重が多くても泳いだ後は必ず65kgになっていた。 しかし、運動した後サウナで汗を流したにも拘らず、67kg以上の体重は最近に経験が なかったのだ。昨日は何とかこのメタボ傾向の身体を早く元に戻さなければと気合を 入れて、何時もは1000m泳ぐと止める所を、45分近く掛けて2500m泳いだ。その後 サウナで、何時もより長く30分ほど汗を流してから体重を計った。その効果は効いて、 一気に体重が減少して63.8kgと、泳ぐ前より3.6kgも激減していた。多分日頃鍛えて いる筋肉が効果的に脂肪を燃焼させることが出来たのだろう。しばらくはリバウンドに 気をつけて、フォローしたいと思っている。

『年賀状』  Jan. 5, 2010 ▲Top
 今年も年賀状が沢山届いた。75年の人生で同じ学校や職場が同じだった人、趣味の 世界で交流があった人達、仕事で得意先になったり、こちらがお世話した人、仕事で転勤 する度に新たなご近所付き合いしてきた人達など、数多くの友人知人が出来た。 主義として、これ迄付き合ってきた人達との交友関係をこちらから切ったことは無いので、 年賀状の宛先名簿は700人近く登録されている。しかし中には物故者となったり、いつか 宛先不在となり、連絡が取れなくなった人達も多く、今年は年賀状の送付対象者総数は 340軒程だった。新年4日までに受け取った年賀状と年末の喪中ハガキ合計は264枚だった。 数年前迄には、最大400枚の年賀状を発信していた事を考えると、随分減ってきた。 これから先、相手の高齢化もあり、更に年々名簿から消えて行く人が増えることは間違い ないだろう。寂しい事だがこれが現実だ。

『お正月と健康』  Jan. 4, 2010 ▲Top
 年末から年始にかけて、色々な行事や用事が重なり、更にフィットネスクラブの休み等 もあって、いつものスイミングは3日間泳ぐことが出来なかった。当然正月はお屠蘇酒を飲み、 お雑煮や美味しい料理等を食べてごろごろ寝そべってテレビ番組を見ていた。特に大学駅伝 は2日間に亘り、箱根を往復する長時間番組に夢中になった。今年は母校の優勝に期待が 膨らんだが、結果は10位で、かろうじて来年のシード権確保だけで終わった。昨日は3日ぶり スイミングプールに行き1000mを泳ぎ、その後サウナ風呂で、散々汗を流した。終わった後の 体重測定では67.5kgと、年末より2.5Kgも増えていた。お正月間の食べすぎと運動不足ですっかり 不健康なメタボ体型になっていた。明日から気合を入れて体重減少に努力しないといけない。

『大学駅伝往路編』  Jan. 3, 2010 ▲Top
 毎年お正月恒例の大学対抗箱根駅伝は楽しみなイベントである。特に今年は私の母校 明治大学が、61年ぶりの強豪チームとして有力な優勝候補と目されていたので見逃せない。 号砲と共に上位集団で走り始め、直ぐに抜け出し1区から1位独走となった。2区では日大 のダニエルが13位から抜け出して11人抜き2位に迫ったが、明大の石川は絶対に 寄せ付けなかった。その後、3区の山梨学院大のコスマスも、3位から日大を抜いて2位にと 迫ったが、ついに小田原中継所までは、明大が1位を守って、たすきを繋いだ。しかし5区は 昨年の実績で驚異的な登りのエース東洋大の柏原が控えていたので、4分26秒程度の 差では危ないと思っていたが、やはり東洋大柏原は7位でたすきを受けた後、次々追い抜き 上り坂になると一気に1位明大に追いつきあっという間に追い越して箱根に1位でゴールした。 その後、明大は山梨学院大、早稲田、日体大、日大にも追い越されて、往路は6位に終わった。 小田原までの平地ではとても力強い走りだったが、箱根の山は厳しかった。今日の復路は 何としても頑張って、61年ぶりの優勝を目指して欲しいものだがどうだろう・・・

『正月TV番組』  Jan. 2, 2010 ▲Top
 年末から、年始に掛けての生活パターンは普段とは全く異なっていた。TVの番組が 日常とは異なる長時間編成が多いので、一旦テレビの前に座ると数時間は動けなかった。 大晦日の番組は我が家では格闘技ダイナマイト2009に釘付けで、夕方6時から深夜 除夜の鐘近くまで見てしまった。私の好きな所英男が、韓国のキム・ジョンマンに3-0で 判定勝ち。また柔道をやめて格闘家宣言をした石井慧のデビュー戦は大先輩吉田秀彦に 完敗した。引退を宣言した魔裟斗は、今まで2敗しているアンディサワーを最終戦として 戦い、宣言どおり3-0の判定勝ち。一夜が明けた元旦の朝は、当然少し遅めの食卓で、 お雑煮を食べながらニューイヤー駅伝観賞だ。駅伝の面白さは、区間単位で走者が変わると、 ごぼう抜きで順位を上げる楽しみだ。日清食品グループは3区で新人の佐藤悠基がトップに。 一時はトップを譲ったが、5区で保科光作が首位を取り返し、最終7区小野裕幸が逃げ切り 優勝した。夜は肉体の限界に挑戦するSASUKE2010に夜中まで釘付けだった。昨年の失敗 に対しリベンジを目指した若者が、見事なファイナリストになった結果は感動的だった。

『謹賀新年』  Jan. 1, 2010 ▲Top
tiger.jpg 【謹賀新年】
 あけまして おめでとうございます。
 希望に満ちた新年をお迎えのことと存じます。
 皆様におかれまして幸多き年になりますよう心より祈念いたします。
 昨年同様に、本年もどうかよろしくお願いいたします。
                   平成22年1月元旦           - ZEN -

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