2009年2月
『下痢』  Feb. 28, 2009 ▲Top
 日頃衛生管理の行き届いている文明国に住んでいて、清潔は常識だと思い込んでいるが、 東南アジア方面に出かけると、つい油断して体調を崩す場合が多い。今回私達後期高齢者 が13名でインドネシアへ出かけた。出かける前から衛生問題は十分気をつけるよう注意した。 しかし、残念ながら1名が3日目下痢症状を訴え、持参の薬を飲用したが、水溶便は中々 治まらなかった。当然食事は控えたが、脱水症状を避けるため、水分補給は続けていた。 旅行の目的はゴルフだったが、いつお呼びがくるか判らない状態では、出掛ける事も控え 留守番するしかなかった。数日に亘り一切固形物を摂取していないにも関わらず、丸3日も トイレは水様便しか出ない日が続いたらしい。薬も、念の為、現地製の薬を購入し対応した。 ホテルで留守番をするのも辛いのか、無理してゴルフに参加したが、コース内のトイレを 見つける度に、足を運んでいた様だ。それでも薬が効いたのか、最終日は皆と一緒にゴルフ と食事にも参加していた。後で聞くと、日本を離れる前に、風邪を引いてお腹の調子も悪かった らしい。結局は現地の食べ物の所為よりも、自らの体調不良からの下痢だったかも知れない。 折角の海外旅行なのに、3日間食事も出来ず辛い思いをしたのは、さぞ無念だっただろう。

『帰国』  Feb. 27, 2009 ▲Top
21indonesia.jpg  今年も10日間のインドネシアゴルフツアーが無事終わった。昭和32年明治大学工学部卒業の 同級生及び、その友人達13名がゴルフと観光を兼ねて、寒い日本を離れ、南国で遊ぼうと言う 目的で有志を募って実施した。本来2月のこの時期は、インドネシアでは雨季にあたり、毎年雨は 覚悟の上で出かけてきた。出発前にwebで調査した週間天気予報では、雨は予告されていた。 予報通り毎日雨が降ったことは間違いないが、雨は夜か早朝だけで、ゴルフのプレイに雨は 全く差し支えなかった。プレイしたゴルフ場は何れも水捌けが良く、雨の後でも地面に水溜り 等の障害はなかった。参加者の年齢は全て75歳と言う後期高齢者ばかりだが、滞在中6回のプレイは 元気な証明だろう。途中下痢をした者も出たが、最後は全員元気に帰国出来た事は何よりだった。 参加者の皆さんお疲れ様でした。

『上京』  Feb. 13, 2009 ▲Top
 日頃、四国の地方都市に住んでいると、東京へ出かけることを上京すると言う。 今年初めての海外旅行に出掛ける事になり、久しぶりJR四国・山陽新幹線を使って 上京する事になった。以前からJRの宣伝に乗っかって、ジパング倶楽部の会員と なっているので、会員の特権で片道・往復、連続で201km以上利用すると乗車券類 は最大3割引で求める事が出来る。但し条件があって、グリーン車、及び新幹線 のぞみ号等は適用されない。近年JR四国から東京方面へ接続する新幹線は、のぞみ号 との連絡を最優先にダイヤを組んでいる。のぞみ号を使えない会員は仕方なくひかり号 を利用するしか無い。ところが、ひかり号との接続は非常に悪く、乗車には待ち時間 が長く不便なところが不満である。安いから仕方ないとは言うものの、JR四国の ダイヤ編成は時間を急ぐビジネスマンに優先しているのだろう。今日はこれから乗車 する事になっているが、接続の悪い事は我慢して、安い年金を有効に生かすことに 重点を置く事にしよう。

『空港宅配便』  Feb. 12, 2009 ▲Top
 いよいよ2日後に成田空港からガルーダ航空機で、インドネシアのジャカルタに行く日が来た。 携行するゴルフバッグと10日間の着替えを入れたスーツケースは、自宅から持ち運ぶのが大変で 空港宅配便に頼むと、自宅まで集荷に来てくれる。出発当日は成田の受付フロアで受け取れるし、 帰りも自宅まで配達してくれるのがとても便利だ。これまで何度かの海外旅行には、いつも同じ 所に申し込みしてきたので、住所氏名等の必要データは残されていて、申し込みも簡単だ。依頼は 出発日と便名をメールして置けば、必要な荷札書類は、宅配会社が往復分プリントして持って来て くれるのも手間が省けて嬉しいサービスだ。本来なら関西空港から出発すれば、近くて費用も安く 済む所だが、同行する仲間が関東を中心に集まる事から、毎回成田集合と決めている。これまで 15年間毎年インドネシアへのゴルフツアーを続けてきたが、参加メンバーの年齢も後期高齢者の 仲間入りし、今後の健康に不安もあり、今回が一応最後の締め括りの予定だ。今後、もし続ける としたら、まだ元気が残っている少数精鋭で行く事になるだろう。

『新車販売世界一』  Feb. 11, 2009 ▲Top
 長い歴史の中で、新車販売世界一を誇ってきたアメリカを抜いた国がある。10日中国自動車 工業協会は1月の新車販売台数は前年比14・4%減の73万5000台だったと発表した。しかし 米国の1月の販売台数は約65万7000台であって、中国が米国を7万台を上回り、初めて月間 ベースで世界最大の販売市場となったことになる。ケ小平時代の中華人民共和国の政治体制 は中国共産党による一党独裁体制を護りつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、 中国の近代化を進めてきた。その結果、経済の改革開放が進み、「世界の工場」と言われる程 経済は急成長をした。一方では、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題と なっている。中国の業界関係者からは「米国市場の低迷がこのまま続けば、通年でも中国が 米国を上回って世界最大の市場となる可能性がある」との見通しを立てている。やっぱり中国は 名実ともに世界一の消費国家になる日が近づいてきたという事か。

『ふぐざく』  Feb. 10, 2009 ▲Top
  新居浜市には、瀬戸内で取れるふぐを、安く美味しく食べて貰えるように考案した 「ふぐざく」と言う名物料理がある。2月9日はふぐの日として新居浜市の料飲組合では ふぐ供養を行っている。「ふぐざく」の発明者は、今は亡き藤田浅次郎さんと言う、 新居浜市内の料亭・波満蝶の初代店主である。昔、ふぐを食べて中毒死する人が多く、 徳川幕府はふぐの禁食令を出し、それが明治時代まで続いていた。日清戦争のあと下関 を訪れた伊藤博文が、禁制のふぐ料理を食べてその美味しさに、下関と福岡県だけふぐ 料理が解禁された。更にその後、全国県条例でふぐ調理法が適用されて、免許者はふぐ 料理が許可されるようになった。昭和13年に割烹波満蝶が開店し、ふぐ料理で繁盛した。 その頃毎日通ってくるお客に、正式のふぐ料理の出来るのが待ちきれず、何でも良いから と催促されて、ふぐの切り屑や皮、肝などを切り刻んでお酢をかけて出したら美味しいと 喜ばれた。その料理の名前を聞かれ、ざくざくと刻んでかき混ぜたので、単純にザクザク と付け、後に略して「ざく」の由来となった。新居浜を訪れた人たちが地元に帰って新居浜 で食べて美味しかった料理名「ざく」と言っても通じないことから、藤田浅次郎は「ざく」の 製法を公開し、何処でも誰もが食べられるようにした。今では新居浜市の名物料理として 定着し瀬戸内一帯で、「ふぐざく」といえば新居浜のふぐ料理と言われるようになった。

『銃の暴発』  Feb. 9, 2009 ▲Top
 昨日のニュースに大分県竹田市でイノシシ猟をしていた男性の銃が暴発する事故があり、 仲間の男性がケガをしたと報道されていた。暴発の原因は、猟の終わった後、地面に置いた 銃を猟犬が踏んだ為らしい。銃の怖さは私も小学生の頃腰を抜かす程の体験をした事がある。 それは近くの山で雉猟を終えて帰ってきた父の銃が、家の門口に置いてあったのだ。目近で 見る猟銃に興味を持ち、何気なく触った途端銃は暴発した。壁に立てかけられていた銃には、 まだ散弾銃の弾が残っていたのを、父はうっかり抜くのを忘れていたと言う。暴発した銃は、 土壁を大きく抉り天井一面に散弾銃の穴を開けていた。幸い、私の背丈が立てかけいた銃口 より低かったので、弾は頭の上に発射された形だった。銃の発射音は私の耳の傍で猛烈な音 を発し、一瞬鼓膜が破れたかと思うほどしばらく何も聞こえなかった。家の戸口には近所の 子供達も何人か集まっていたが、小さい子は突然の轟音に、腰を抜かして泣き叫ぶ阿修羅の 状態だった。幸い誰も怪我が無かったのが何よりで、暴発させた私は叱られる事は無かった。 暴発事故を反省した父は、その後、銃を処分した様で、二度と目にしたことがなかった。

『旅行準備』  Feb. 8, 2009 ▲Top
 昨年の秋から本格的に計画していたインドネシア10日間のゴルフツアーも、出発日が今週 土曜日と迫ってきた。スーツケースは既に部屋に準備し、詰め合わせて持っていくものを、 考えながら揃えてきた。改めてチェックしてみると、実際の滞在期間内に使い切れない程、 いろいろ入っていた。ゴルフは毎日プレーするし、とても汗をかくので、必ず洗濯をする ことになる。移動を考え乾燥が万一間に合わないとしても、基本的には下着、シャツ、パンツが 3セットもあれば十分だ。しかしスーツケースの中には、パンツ、アンダーシャツが夫々5枚、 靴下は8枚、ゴルフシャツ長袖5枚、半そで4枚もあった。昨年も旅行が終わって家に帰って くるまで袖も通さなかったシャツが3枚もあったくらいで、どう考えても多く持ちすぎの傾向 があるようだ。今年は、その点良く考えて、着るチャンスも無い無駄なシャツを選別して減らす ことにした。万一足りない場合は、現地で買えば済むことなので、減らしたお陰で大きな スーツケースの中は随分空いて軽くなった。準備はこれで良しとしよう。

『北方領土』  Feb. 7, 2009 ▲Top
日本は江戸時代から択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島などの北方領土を支配し、 土地の開発や領土の経営をしていた。1855年2月7日日露和親条約締結で北方領土 が日本の領土であることが承認された。そして日露通好条約によってロシアとの 国境が択捉島とウルップ島との間であると確定された。1875年の樺太千島交換条約 によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905年の日露 戦争の勝利によるポーツマス条約で南樺太も日本領となっていた。しかし第2次大戦 で戦争に負けたため1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本が戦争で奪った土地 の権利・権限等の放棄を迫られ千島列島もその中に含まれた。但し北方領土は戦争で 奪った土地ではないにも関わらずロシアは千島列島の一部であるとして北方領土の 占領を不法に現在まで続けている。

『海苔の日』  Feb. 6, 2009 ▲Top
 昔は、国に納める年貢に、海苔も認められていて、大宝元年(702年)新暦の2月6日に大宝 律令として施行された。後にこの出来事を元にして、全国海苔貝類漁業協同組合連合会が、 1967年2月6日をあらためて海苔の日として記念日に制定した。海苔は日本独特の保存食品 で、江戸時代には東京湾の浅草近辺の海岸で取れたものを浅草海苔として販売されていた。 海苔には海水で出来る物と、淡水で取れるものとが有り、浅草海苔は海水産の代表である。 浅草海苔で巻いた「浅草海苔巻き」は当時の江戸のすし屋が考案したもので、江戸っ子の 人気が高かったと言われている。近年東京湾の海苔の生産量が減少し、最近は佐賀が最も 多く次いで兵庫、熊本といった順になっている。海苔のおいしさの秘密は植物と動物の両方の 旨み成分をもっているからだ。即ち昆布の旨みのグルタミン酸、椎茸の旨みのグアルニン酸、 かつお節の旨みのイノシン酸、貝の旨みのコハク酸等、その他数十種類のアミノ酸がミックス して 海苔独特のおいしさを作っている。また栄養価の面からも海苔は大変優れた健康食品である。

『アポロ14号』  Feb. 5, 2009 ▲Top
apollo14.jpg  38年前の1971年2月5日に、アメリカの人工衛星アポロ14号が3回目の有人月面着陸に成功 した日だ。宇宙開発競争は、ソ連とアメリカがしのぎを削り、1957年人類最初の人工衛星 打ち上げはソ連が成功させた。1961年ソ連が人類初の有人宇宙船ボストーク1号打ち上げ でガガーリンの乗った有人飛行で「地球は青かった」と宇宙からのレポートが有名な言葉 となった。1966年に月面軟着陸もソ連が世界最初に成功させている。アメリカのケネディ 大統領はアメリカの威信に賭けても1969年末までにアポロ計画を成功させると宣言していた。 NASAは約9兆円の予算を組み約17万5000人の人員を投入して計画を推進した。1969年7月 21日には念願の人類初の有人月面軟着陸にアームストロング船長らが成功した。以後、1972年 のアポロ17号までに7回の打上げと、6回の月面着陸が行なわれたが、13号だけは機械船の酸素 タンク爆発のため月面着陸を諦め、急遽月面着陸の予定を変更し、僅かに残った酸素と水、電力 を利用して辛くも地球に生還した。アポロ17号打上げでアメリカのアポロ計画は全て終了した。

『如月』  Feb. 4, 2009 ▲Top
 2月の別名は、きさらぎとも言う。寒さが残り、衣を重ね着することから衣更着という。 元は旧暦の2月のことなのだが、今は新暦にも如月を使っている。暦の上で立春を過ぎて いるのに寒さが続いているが、この頃から日脚は一日毎に長くなり、光の春という言葉が 使われる。他の呼び方には梅見月、雪消月などの異称もあり、立春、節分、豆まき、晩冬、 余寒、残寒、向春、東風などの季語も使われる。

『豆まき』  Feb. 3, 2009 ▲Top
 今日は2月3日節分であるが、また私の誕生日でもある。今日で満74歳になったが、 父親も、母親も、二人同じ73歳の時胃癌で亡くなっている。息子の私としては無事に 74歳になることが一つの節目だった。そして今日は何とか両親の寿命を超えた瞬間 でもある。今日は色々節分の行事が行われるが、節分とは立春、つまり季節の変わり 目のことで室町時代からいろいろな行事を行う風習が伝わっている。「鬼は外福は内」 と豆を撒いて疫鬼を追い払い、福の神を呼び込むのだ。今日はまさに福の神が我が家 に舞い込む日だ。節分の夜、ヒイラギの枝と大豆の枝に鰯の頭を門戸に飾ると悪鬼を 払うという慣わしがある。我が家では玄関の外や、家の周りの出口にヒイラギの棘を差し、 豆を撒いた後、幸せを願って自分の歳の数だけ豆を食べている。

『好きこそものの上手なれ』  Feb. 2, 2009 ▲Top
 スポーツや趣味、芸事等が巧くなると言う例で、その行為が本当に好きな場合 に「好きこそものの上手なれ」と言う言葉がある。好きなことなればこそ、巧くなる 為の練習や苦労、お金の掛け方などが違ってくる。努力することが苦にならない。 商売においても当て嵌まる。商売を成功させたいと思えば、まず商売に自ら興味 を持ち好きになることだ。好きになれば努力することが苦にならない。むしろ楽しく なる。そして、義理や生活の為に働くと言うのではなく、誠心誠意それに打ち込む ようになる。その結果、そこには成功への一つの道が開けてくるのだ。 よく成功の過程を評価して、適材適所ということを言うが、適材適所とはそうした 商売の好きな人が商売に当たるということであって、そうなれば誰でも望みを 達することが決して難しい事ではないのだ。

『テレビ時代』  Feb. 1, 2009 ▲Top
 テレビは、危険な麻薬のように中毒になると警告したのは、かってテレビがこの世に出現した 時にメディア学者のマクルーハンが予言した言葉だったが、現代はまさにその状態になっている。 この世にテレビの元を発明し生み出したのは、1897年にドイツのノーベル賞物理学者ブラウンが 始まりで、ロシアのロージングがブラウン管を用いたTVの送信実験を初めたのが14年後だった。 世界で初めてブラウン管に画像を映したのは、1926年12月浜松高等工業学校の高柳健次郎氏。 1933年に彼の機械的走査方式を改良し、現代と同じ電子式走査方式の送受信システムを発明 したのがアメリカ人のツヴォリキンであった。1936年イギリス国営放送のBBCが一般向けのTV 放送を開始。日本は1939年にビクターが日本橋高島屋で公開受像展覧会を開催した。この年 NHKが実験放送に成功している。太平洋戦争でテレビ研究が中止となっていたが、1946年に 解禁された。1953年2月1日午後2時、NHKテレビの本放送が始まり、8月28日 日本初の民放局・日本テレビも開局し、日本におけるテレビ時代が幕を開けた。 当時アメリカ製の17インチテレビが25万円。サラリーマンの給料が1万5000円位だから、 まさに高嶺の花だった。街には街頭テレビが出現し、プロレスの力道山ブーム等で一気に 大衆に広まっていった。

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