2009年10月
『眼鏡』  Oct. 31, 2009 ▲Top
 私の目は若い頃は遠視の傾向が強く、遠くは良く見えるのだが、近くを見続けると 頭痛が酷くなり頭痛薬を飲まないととても疲れた。あるとき医者にその話をしたら、 遠視のせいなのでメガネを掛ければ問題解決すると言われ、それ以来遠視のメガネを 常用でかける様になった。しかし元々遠くは見えるのだから、ゴルフ等のときはメガネは 不要だった。その内、遠視だけでなく、遠近を調整する筋肉が更に衰えてきて遠くを見る のもメガネが必要になり、60歳代半ばからは遠近両用メガネが必要になった。70歳を 過ぎる頃になると、更に目の衰えは酷くなり、パソコンなどするときは近く専用の眼鏡と、 外出時に便利な遠近両用が必要になってきた。更に最近では、眼鏡を作っても1年程で 作り直さないと、見え難くなるほど進行度が早くなってきた。プール等で泳ぐときは当然 眼鏡は外して泳ぐのだが、30分程眼鏡無しで過ごすと、自力でも見える様になる事が 分かってきた。眼鏡は便利だが頼りすぎるとどんどん度が強くなるし、眼鏡無しで過ごす 時間を長く取ると、自力で見ようとする力も働くようだ。でも眼鏡はとても便利な道具だ。

『リチュームイオン電池』  Oct. 30, 2009 ▲Top
 最近のデジカメやビデオカメラの電源には、充電式のリチュームイオン電池が用いられて いるが、長時間の機器使用の為には、必ずスペアの電池を購入するようにしてきた。 当初純正ながら中古をオークションで買って使ってきた。どの程度の中古か寿命の方は 分からないながらも、問題なく使えた。しかし長期の旅行に出かけるとき、更にスペアが 欲しいと思い、ヤフーオークションで調べると、純正の指定電池と互換と書いたものが、 新品と言う条件ながら安い価格で出品されていたので購入した。出発前に十分充電して 旅行に出たが、使ってみると意外に電池の消耗が早い気がした。取り説等の注意書きでは 未使用でも電池は自然放電すると書かれているのである程度は仕方ないと思っていた。 しかし、その後も、純正の電池は長く持つのに、新しいはずの互換電池はとても消耗が早い 事が分かった。外観は同じようでも電池の素材などに大きな問題があると思われ、安物買い の銭失いを又も体験してしまった。やはり電池は互換の言葉に惑わされず純正に限るようだ。

『ゴルフ』  Oct. 29, 2009 ▲Top
 毎年この時期、明大時代の同級生のゴルフ好き仲間のコンペが、茨城県水戸市で 行われるので、必ず出席して来たが、今年は参加を見合わせた。何時も地元水戸市で 世話役をして呉れるH君が、今年は土地の大事な役職を仰せつかり、自分自身はとても ゴルフ等をしていられないとの話だったのが気の毒で、私も参加を辞退した。代わりの 同級生が幹事役で、コンペは成立していると思うが、今回だけは四国から高見の見物だ。 このコンペも始まってから、20年を超える歴史があり、当初から比べて参加人数が 減っていくのは、物故者による自然減だが、互いに後期高齢者となっては仕方ない。 このコンペの優勝者には、持ち回りの優勝カップが引き継がれているが、最後まで 生き残ったものが、取りきりとなる約束だ。最後にカップを取る者はゴルフの上手い下手 ではなく、長生きした事へのご褒美だ。

『速記』  Oct. 28, 2009 ▲Top
sokki.jpg  昔、私の小学生時代、父方の叔母が我が家にしばらく滞在していたことがある。病名は忘れ たが、難病に罹っていて、お風呂にも入れないとかで、何時も部屋に閉じこもって身体を拭いたり、 静かに過ごしていた。その叔母の特技が速記で、人の話を聞きながら、ミミズの這った様な 字を書き綴り、後で正式の文字に書き直して文章を仕上げていた。私たちが人の話を聞いて 文字に書くと、とても全てを書き取ることが出来ないが、叔母は正確に話を文字に再現した。 聞くと、何か○○式速記法とか言っていた。速記とは、速記文字や速記符号とよばれる特殊な 記号を用いて、言葉を符号にして、人の発言等を書き記す方法を言う。主に議会や法廷の発言 を記録する分野や出版、ジャーナリズムなどで利用されていた。今なら録音機やビデオ等で、 全ての動作や発言を正確に残すことが出来るが、文明の機器が未発達の時代にはそんな 方法で記録していたのだ。速記の起源は古代ローマ以前に遡ることができ、紀元前400年代の 古代ギリシアで速記碑文が発見されている。日本に速記という概念が登場したのは江戸時代 と言われているが、西洋文明を積極的に導入した明治維新期、国会議事録記録の必要から 西洋の速記を日本語に導入する試みが数多く行われたと文献は伝えている。

『インスタントラーメン』  Oct. 27, 2009 ▲Top
 懐かしい言葉の響きだが、市民の食べ物として出現したのは今から50年ほど前だった。 私が大学を出てサラリーマンになった頃、会社の仕事も忙しかったが給料も安く、少しでも 収入を増やすためには残業をするのが一番だった。当時残業をすると当然お腹がすくので夕食は 近所の蕎麦屋に出前を頼むと盛り蕎麦が60円だった。会社では残業手当の他に7時過ぎまで仕事を した場合は夕食代補助として、60円分を出していたので、盛り蕎麦なら補助無しで食べられた。 夕食代を節約するなら、毎晩7時過ぎまで仕事をすれば最低限蕎麦は食べられた。数年経って 日清食品からチキンラーメンが売り出された。会社ではこの即席めんを大量に買い込み、残業の 夜食はこれで代用するようになり、蕎麦屋に発注することは無くなった懐かしい時代だった。 製法は麺を油で揚げて乾燥させる「瞬間油熱乾燥法」を用いて製造したのが最初である。今では 健康志向から、ノンフライ麺が増えてきて、油で揚げる代わりに、蒸したり、熱風乾燥する等で、 煮る必要がない製品も出てきた。1970年以降、麺を油で揚げず冷凍乾燥させるフリーズドライ 製法が普及し、スープもフリーズドライ等によって乾燥粉末化され、乾燥ネギなどのかやくを封入 したカップ入り製品が一般化している。

『折り畳み自転車』  Oct. 26, 2009 ▲Top
oritatami.jpg  今年のお祭りにも、目的の太鼓台が集まる会場へあちこちと出かけて行った。移動には 素早い行動の為、最低限車は必要だ。ただ会場に近づくと人混みと警察の交通規制とで、 500m以内には近づけない。従って少し離れた所で交通に支障のない場所に駐車する。 時には、ショッピングセンターやコンビニに駐車し、後で少し買い物をして罪滅ぼしをした。 そこから先の移動には、車に積んできた折り畳み自転車を出して組み立て乗って行くのだ。 折り畳み自転車の利点は、小さなスペースで車に積める事、軽くて取り扱いが簡単なこと。 後ろには小さいが荷台もあり、撮影時に必要不可欠の脚立も積めるのが大きなポイントだ。 お陰で、会場間の移動はとてもスムーズに動くことが出来、時間短縮に貢献した。但し、 祭り前日の夜、車に自転車を積み込んだ後不注意でハンドアにした為、翌朝の出動時に、 バッテリーが上がっていて、エンジンが掛からないトラブル発生。急遽友人のバイクを借りた 事があったが、バッテリー充電後は計画通り車と自転車の活躍があったことは間違いない。

『Youtube』  Oct. 25, 2009 ▲Top
 私のホームページでは、当初から動画を多用するページ作りを目指してきた。初期の 段階では、オペレーションシステムのスピードの関係から、今の様な本格的なビデオを 利用することは出来なかったので、gifを利用して写真を複数枚組み合わせて動画を作り 例えば太鼓台が動いているイメージを再現させた。その内OSのスピードも速くなり小画面 と言う制限はあったが本格的なビデオも送れる様になり、今では送受信の上では問題が 無くなった。但し、保存するサーバーの契約容量を食うことから、利用料金との兼ね合い を考える必要があった。最近AmebaerとかYoutubeのような無料で動画の利用が出来る サーバーが出現した。お陰で自らのサーバーの契約容量を考えることなくビデオ画像を 載せる事が出来るようになり、とても重宝している。早速これまで自前のサーバーで容量 を食っていた動画は次々Youtubeに移し替えて、サーバーの中を省メモリー化している。

『ボールマーク』  Oct. 24, 2009 ▲Top
bolmark.jpg  ゴルフのグリーン上で、プレー途中でボールを拾い上げる時にボールの位置を必ずマークしなければ なりません。そのマークの事をボールマークと言います。最近ゴルフのプレーをテレビ等で見ていると、 帽子の縁に、磁石の様にコイン状の物をつけていて、それを、ボールのところに置いてから、ボールを 取り上げているのを見かけると思います。その置き方はカップ(ホール)から見てボールの後側にボール マークを置いてから拾いあげています。以前はコイン等も置いていましたが、他にプラスチックの鋲の様な 物も一般的に使われていて、各ゴルフ場毎に特徴のあるデザインのものが提供されています。たまに趣味で 色々なデザインのボールマークを集めている人も見かけます。毎年、外国にゴルフに行く時、ゴルフ場で 予め余分に貰っておいて、異なる色やデザインの物を持って行きキャディさんにお土産として上げると 珍しがってとても喜ばれました。

『ゴルフ用手袋』  Oct. 23, 2009 ▲Top
 ゴルフをするときの必需品として、皮の手袋を忘れず準備する。通常右打ちの人は 左手用が主で、右手にも手袋をする人はごく少数だと思う。私はゴルフを始めた時に グリップが弱くて、それを補うため、両手袋を着用する癖が付いてしまった。その為、 今では左手だけではしっかりグリップ出来ない。男性としては手が小さくて、普通の 男性用の標準25cmだと、指先が余ってしまうので、ジャストフィットの21cmの物を 探すか、きつめだが女性用の19〜20cmを無理して使用する場合もある。最近は ネットで探すと、男性用21cmも売られているので、纏め買いをしている。その際、 両手用があれば購入するが、片手用の場合、左利き用の右手袋で、同じ色のもの を合わせて買うようにしている。材質では、本革だと雨などで濡れると、ずるずるすべり 乾くと硬くなったりするが、合成皮革だとそれがないので、本革と合成皮革と両方を 購入して時によって使い分けている。

『車の故障』  Oct. 22, 2009 ▲Top
 お祭りが終わり、予定した写真撮影も細かい点では失敗もあったが概ね満足できる 内容で終わった。祭りの間に各地で行われる、太鼓台のかき比べ会場を効率的に回る 為、移動のスケジュールを細かく決めておいた。目的場所近辺の交通規制を考慮して 自動車と折りたたみ自転車を併用する様に計画した。お祭り前日、折りたたみ自転車を 車の荷台に積み込み万全を期した積りだった。翌日出発の瞬間が来て、車に乗りキー を回したがエンジンが掛らない。スターターは元気なく回るのみで何とも反応がない。 そう言えば、先ほど車に乗るとき、何故かルームランプが付いていた様で気になった。 前日トランクルームに機材を積み込んだ時、半ドアになりランプが付きっ放しだった。 仕方なく全ての撮影現場に自転車で行く覚悟を決めた。偶然傍を通った同じマンションの 住人が、困っている私にバイクを貸してくれる事になり、幸い混み合う現場へも一番効率 良く移動できることが出来た。撮影終了後、修理屋に来てもらいブースターケーブルで エンジンを掛けて、充電をしたお陰で、翌日は支障なく自動車移動出来て問題なかった。

『トレーニング』  Oct. 21, 2009 ▲Top
 ほぼ20年ほど前から、運動不足をカバーする目的からフィットネスクラブに通うことを 生活の一部として取り組んで来た。当初はストレッチや自転車漕ぎ又はベルト歩行機、 ウエイトトレーニング、鉄棒など一連の筋トレをした後、プールで2000mを泳いで来た。 しかし、70歳を過ぎてからは、段々横着になり、好きな泳ぎだけで自己満足する様に なってしまった。水泳は水中で水の圧力を受けながら、全身運動を行うので、現実は 十分な筋肉運動をしていることになるので問題はないはずだが、自分では何時も怠けて いると言う負い目を感じてるのが問題だ。せっかく運動をして体に良い事をしているのに、 精神的な負担を感じては逆効果だと思っている。始めた当初は50歳代の若さがあったが 考えてみればもう20年を過ぎたのだから、昔のように厳しい筋トレの必要性はなく、単に 身体機能を継続維持させる程度の水泳で十分なのだと自らに言い聞かせて頑張っている。

『脚立』  Oct. 20, 2009 ▲Top
 新居浜市の太鼓祭りが終わり、撮った写真の整理もつき、ホームページへのアップも 一段落した。お祭りの間の写真撮影には、カメラは勿論撮影のための小道具として脚立 は必需品として大活躍した。撮影に際して、多くの観衆に遮られる視界を、脚立の高さで カバーする事が出来た。また早めに現場に行って、いい撮影場所を確保するのに、脚立 を置いて、ここが自分の占有スペースだと主張できる便利さも大きなポイントだった。 また撮影に行く殆どの現場では、自動車を乗り入れるには交通制限が多く不便なので、 自転車で移動する場合が多い。そんな時、脚立をどんな形で持ち運ぶかが課題だった。 昔乗っていたママちゃりの自転車には大きな荷台が付いていたので、紐で縛って取り付け られたが、今乗っているマウンテンバイクには荷台がない。仕方なく昨年までは脚立を そのまま肩に掛けるような形で持っていたが、途中で急ハンドルを切ったり、道路で弾んだり すると肩からズレ落ちそうな危険があった。今年は色々考えた末、一工夫してショルダー カバンを肩に掛ける要領で、脚立に補助ベルトを付けて肩に下げてみたら、とても具合 良かった。お陰で撮影現場では脚立が大活躍だった。

『祭りの後』  Oct. 19, 2009 ▲Top
 新居浜太鼓祭りの3日間が終わった。今年ばかりは終わった途端、なぜかどっと疲れた。 3日間撮った写真は、恐らく2000枚以上。更に同時にビデオ撮影も合計3時間近く撮った。 毎日撮影が終わると、パソコンに取り込んでいたが、取り込みは何時もよりはるかに時間が 掛かっていた。何しろこの3日間は、夜家に帰ってパソコンの前に座っても、疲れから虚脱感で、 作業が進まなかった。兎に角せっかく撮った写真をチェックして、使える写真を選択してトリミング や露出の補正などする元気がなく、ホームページには殆ど何もUP出来なかった。 実は今回、太鼓祭りの写真を撮っている時に、突然私の傍に近づき、ZENさんですかと聞かれ 驚いたが、初対面なのに何故私の顔が分かったのか不思議だった。そんな方々から何時も ZENさんのホームページ楽しみに見ていますと言われて、とても責任を感じていたのだ。 疲れていては何も仕事が始まらない。さすがに最終日は家に帰ると、まず横になって寝た。 疲れが溜まっていたのだろう、直ぐ寝てしまった。2時間ほどして目が覚めたが、頭はすっきり していた。やっとマイペースで仕事が出来る体制が整った今、こうして仕事を再開している。

『鉢合わせ』  Oct. 18, 2009 ▲Top
hachiawase.jpg  新居浜市の太鼓祭りも今日が最終日だ。初日からの2日間で、あちこちの太鼓台同士が 鉢合わせの喧嘩をしたと言う情報が入ってくる。私自身も、昨日は数箇所で鉢合わせの 現場に出くわした。市民にとって、デモンストレーションの鉢合わせは一つの楽しみだが、 人間同士が殴り合う本気の喧嘩や、道具を持ち出して、相手の太鼓台を傷つけ付け壊す ような喧嘩はとてもお祭りとは言えない。人が殴りあう喧嘩は昨日目の前で見たが、伝わって きた話では、川東地区の喧嘩にはチェンソーを持ち出して、相手太鼓台のかき棒を切り落とした という。止めに入ったかき夫が傷つき、血だらけになったと言うなんとも凄惨な話だった。 一昨年の喧嘩では、かき棒に鉄の棒を継ぎ足して、相手太鼓台を突き刺す喧嘩を見た。 毎年新しい喧嘩殺法が出てくるのにも驚くが、回転刃物はもうお祭りの喧嘩とは言えない。 警護に当たる警官隊も、観衆に怪我をさせないように当時者同士の喧嘩に、マイクで 注意はするが、本気で介入しないのは祭りの気分を壊さない気遣いなのか。

『バッテリー切れ』  Oct. 17, 2009 ▲Top
 一昨日から、新居浜市伝統の太鼓祭りが始まった。夫々の地域毎に早朝から夜遅くまで、 市内各地で太鼓台が出るので、その写真撮影に毎年忙しく取材して回るのが習慣だ。 今年も、初日の夜太鼓を撮影に出かけようとしたら、何故か愛車のエンジンが掛からない。 様子から見ると、バッテリーが弱っているらしい、しかし今更どうしようもない。困っていた所 同じマンションの知人が、困っているならと、バイクの鍵を貸して呉れた。無論以前はバイク に乗っていた経験はある。但し20年も乗っていないので自信がなかった。まず借りた鍵 を持って、バイクに跨り、エンジンを掛ける為、スターターボタンを探した。何処にも見あたら ないのは慌てて仕舞った。バイクに跨ってうろうろしていたら傍を通った小さな女の子が声を 掛けてきて、おじさん何してるの?って聞いてきたので、バイクのエンジンを掛けるのを苦労 していると答えたら、じゃあキックして掛けるのでは? あっ!そうだった、忘れていた・・・ エンジンは直ぐ掛かったが、運転は久しぶりなので、ブレーキには一番緊張した。 以前急ブレーキを掛けたとき、ロックされた車輪がスリップして横転した事を思い出したのだ。 でも過去の経験を思い出しながら、慎重に運転して無事用件は果たせた。

『新居浜秋祭り』  Oct. 16, 2009 ▲Top
 新居浜市の秋祭りとは、今では有名な太鼓祭りが代表的だ。昔は同じ市内でも地域ごとに 太鼓祭りはばらばらで運営されていたが、平成9年新居浜市制60周年記念 統一太鼓寄せ として、全市内の祭りが統一されるようになった。60周年記念の時は、市内の楠中央通りに 川東地区から8台、川東西部地区6台、上部地区16台、川西地区9台の合計39台が集結 した。午前9時の打ち上げ花火を合図に全地区から集まった太鼓台は壮観だった。その後 新居浜市の太鼓祭りは毎年10月16日〜18日に統一されて開催されるようになった。その後 西条の祭りに併せて開催されていた大生院地区の4台も新居浜市の祭りに統合された。更に その後新しく増えた太鼓台も合わせて、今年は合計51台が運行される事になっている。 ただ、これだけ多くなると、開催日は統一されても、全太鼓台を一箇所に集めることは難しい。 現在一番多くの太鼓台が集まるのは上部地区山根グランドの19台、次が八幡神社の17台 となっている。

『布団締め』  Oct. 15, 2009 ▲Top
taiko.jpg  太鼓台を下から見上げた時に、一番上の段に赤い布団を重ねた様な重と呼ばれる部分が 印象的だ。この赤い布団を重ねた重の上に、ひと際目立つ龍の飾りを布団締めと呼び、 4面に1対ずつ取り付けられている。布団締めの龍は、左右2体がペアで、互いに にらみ合った構成になっている。昔の布団締めは、もっと平面的な作りだったが、 最近の刺繍は大きくて、より立体的でお金の掛かった豪華な飾りにする傾向が増えてきた。 布団締め1対の龍が現しているのは、その姿から、阿龍・吽龍、雄龍・雌龍、昇龍・降龍の 他に降雨神として、龍は昇天して龍神となり、農業に必須である降雨をもたらすという 龍神信仰、龍神雨乞信仰によるもの等とされている。

『太鼓祭り2』  Oct. 14, 2009 ▲Top
taiko.jpg  いよいよ明日から、新居浜市の太鼓祭りが始まる。太鼓祭りの起源については、 いろいろな説があるが、平安時代または鎌倉時代と言う説が有力だった。しかし、 文献等に残された資料を調べた結果では、江戸時代後期の文政年間 (1818〜1830) の頃からの文献に太鼓台に関する資料が確認されている。その当時の文献では今の 太鼓台のようなものでなく、恐らく神輿のようなもので、今よりもっと粗末だった と思われる。太鼓台が今のように巨大化し、豪華になり祭りの主役になったのは 明治時代中期以降で、太鼓台の形状・寸法は地区毎の道路事情や、宮参りのルートに 対応したサイズに固まってきた。しかし今も特に決まった規格はない。新居浜市の 太鼓祭の日程が統一されたのは昭和41年のことで、それまでは地域ごとに異なる日程 で行われていたのを10月16日〜18日に統一し伝統文化行事となってきた。しかし最近、 新居浜太鼓祭りが全国に広く認められるようになり、より多くの観光客に来て貰える ようにと祭り期間を週末にするよう配慮している。

『新居浜太鼓祭り』  Oct. 13, 2009 ▲Top
taikodai.jpg  新居浜市民が、指折り数えて1年間待ち望んだ太鼓祭りがいよいよ今週から始まる。 本来は喧嘩のない平和運行が謳い文句だが、昔からの伝統で、太鼓台同士の喧嘩 が無いと、観客にとっては何か気の抜けたビールのようなもの。祭りの間の3日間は、 太鼓台の運行コースや、集まる場所の下見をして、どこで喧嘩が行われるかの予想で 多くの観衆が待ち構えている。テレビ局のカメラマンは、見通しの良い場所に陣取り、 電柱の中ほど等に足場を設置して、早い時間から喧嘩の様子を写す準備を怠らない。 多くの太鼓フアンは、朝から贔屓の太鼓台の運行について回るが、一度喧嘩が始まると いち早く、足場が良くて逃げ場の良い所を確保して写真を撮るのは素晴らしい特技だ。 例年行われる船御幸は、何故か今年のスケジュールには無い様で寂しい。 まあ、今年も市民の喜ぶ太鼓台同士の喧嘩は起きても仕方ないが、けが人の出ない 事だけは望みたい。

『ボケ』  Oct. 12, 2009 ▲Top
 最近、身の周りの知人・友人の本人や家族等に関してボケ又は痴呆症の話を聞く 事が多くなった。私の身内でも家内の兄は、24時間監視していないと何処へ出て しまうか分からないので、既に5年前から特別介護ホームにお世話になっている。 人の話だけでなく、自分自身についても時々、もしかするとボケたかなと考え込んで しまう事がある。70歳を過ぎてから物忘れが一段と激しくなり、余りにも簡単なメモ だと、日時は分かってもその目的が何だったか忘れている事もある。今は、毎日 座っている机の前に大きなカレンダーを貼り、長期の行動予定を詳しく書いている。 また、トイレの便座の前にも1年間一覧の大きなカレンダーを貼り、全ての予定と 行動の結果も書き込み、記憶し易いように脳の補助メモリーとして活用している。 このカレンダーのいい所は書いてある内容を、一緒に生活している家内も見ていて 私の行動を補助監視するのに役立っている。

『葬儀の記録』  Oct. 11, 2009 ▲Top
 昨日は義兄の葬儀の為に、殆ど一日葬儀場で過ごした事になる。最初身内だけの通夜、 一昨日の本通夜、そして昨日は告別式と初七日の行事と3日間葬斎場で仏様と過ごした。 幸い義兄は息子に会社を継がせ、自分は既に仕事は離れていて葬儀は社葬として息子の社長 と社員達が全てを取り仕切ってくれた。私達親族はその間、身内としての役割もあり私は 記録係として、写真撮影とビデオ撮りで協力した。葬儀の全てが終わり、ビデオカメラから 画像を編集しようと取り込んでみたら、露出の設定に失敗していた。画面がとてもハイキーに 白く色が飛んでいてその修正を試みたが、今更ながら取り返しがつかない。葬式の画面なので 普通は厳かで暗い感じなはずが、とても明るく仕上がっていて、どうも雰囲気と合わずに頭を 痛めてしまった。亡くなった義兄は、生前仕事以外にも酒にまつわる武勇伝も多い人なので、 まあ、これも供養かと割り切りそのまま仕上げることに決めた。

『ノーベル平和賞』  Oct. 10, 2009 ▲Top
obama.jpg  ノルウェーのノーベル賞委員会は昨日、「国際的な外交を強化し市民の間の協力を強めることに 非凡な努力を傾けた」として、バラク・オバマ米大統領にノーベル平和賞を授与すると発表した。 授賞の理由としてあげられたのは ●核兵器のない世界へ向けた理想と行動を重視した。 ●対話と交渉を重視する新たな流れを国際政治にもたらした。 ●米国が、気候変動問題でより建設的な役割を果たすようになった。 ●民主主義と人権が強化された。 ●オバマ米大統領の国際的政策、理想こそ、ノーベル賞委員会が108年間の歴史を通じて促進 しようとしてきたものだ。 現職の首脳への授与は2000年の金大中・韓国大統領以来9年ぶり。米国の現職大統領の受賞は 1906年のルーズベルト、1919年のウィルソン両大統領に続いて3人目。元職ではカーター 元大統領も2002年に受賞している。日本人では1974年佐藤栄作元首相が受賞している。 ノーベル賞の創設者ノーベルはスウェーデンとノルウェー両国の和解と平和を祈念してノーベル 平和賞のみがスウェーデンでなく、ノルウェーが授与国となっている。

『往生』  Oct. 9, 2009 ▲Top
 それは昨日突然の知らせだった。いつものように夕方、台所で夕食の準備をしていた 家内の携帯電話が鳴り、話しかけた途端、携帯の電池切れで会話の途中で不通に なったと騒ぎだした。電話の通話相手は家内の姉からで、義兄が亡くなったと言う 知らせだった。詳しい話が聞けぬまま、電源の切れた携帯を持って泣いていた。 急遽充電器のコードを接続したが、今度は姉が他に電話を始めたのか通じなかった。 そう言えば、以前から腎臓の悪い義兄は毎週2回透析のために病院通いをしていた。 一般的には元気だったのが、数日前肺炎を起こして入院したという話は聞いていた。 改めて電話で確認したところ。やはり今日亡くなって近くの葬祭場に運び、今夜は 親族だけの通夜と分かった。急いで葬祭場に駆けつけたがお坊さんの読経は始まっていた。 お経が終わった後、お坊さんの話があった。故人の肉体は限界が有って亡くなったが、 ご本人の霊はこれからも生き続ける。往生とはそのことを言い、肉体の死は悲しい事かも 知れないが、本人は今を持って成仏し、今後は仏となって生き続けるので悲しいこと ではないと説教。まだ寝ているような安らかな義兄の顔を見て納得した。いい話だった。 合掌。

『感謝の気持ち』  Oct. 8, 2009 ▲Top
 我々がこの世で生きて行く上で、どんなに頑張っても一人きりで存在することは出来ない。 いつも自分の身の回りにいる人達の、支えがあってこそ生きていられると言って過言ではない。 また、精神的な部分では、神や仏、ご先祖さまのご加護も忘れてはならない。また自然から 恵まれる食物や生物も暮らしに必要で粗末に出来ないもので、これらのもの全てに感謝 する気持ちが大切である。もし、それらに感謝する気持ちを失ったとしたら、生活は味気 ない、殺伐とした空虚なものになっているであろう。いつも素直に感謝する気持ちを持ち、 身の回りの人の立場を尊重して生きていくと、世の中は争いの無い平和な社会となるであろう。

『亀田大毅』  Oct. 7, 2009 ▲Top
 亀田家の2男坊の大毅が、2度目の世界戦登場に、内心期待してTV観戦した。 前回、2007年10月に世界チャンピオン内藤大助に挑戦したが、戦いには苦戦し、 最後は抱えあげて投げるなど、プロレスまがいの反則行為を繰り返した。結果王者 の内藤大助に大差の判定負けを喫し、更に1年間のボクサーライセンス停止処分を 受けていた。復帰後の対戦では、まずまずの試合をやっていたので、実力もマナーも 向上したものと期待していた。しかし、亀田家の血筋は変わらず試合前のコメントは、 いつもの通り小生意気な発言で終始し、聞くものを不愉快にさせた。 タイトルマッチは6日、大阪市中央体育館で行われ、チャンピオンのデンカオセーン ・カオウィチットに亀田大毅は2−0の判定で破れ、2度目の挑戦も実らなかった。 試合の解説者は、大毅が優位なような評価を繰り返していたが、私の目には迫力のない 消極的な大毅にしか見えなかった。防衛したデンカオセーンは「勝因は若さと経験の差だ」 と胸を張っていたのが印象的だった。

『中川昭一』  Oct. 6, 2009 ▲Top
 突然の訃報に驚いた。今年2月にローマで行われたG7の会議において、二日酔いのようにろれつの 回らない状態で記者会見を行った様子が世界中のメディアで放送され猛批判を浴びた。本人はグラス 一杯飲んでいないと釈明をしたが、3日後に財務大臣を辞任した。その影響を抱えたまま、8月の衆院 選挙に北海道第11区から出馬。しかし民主党の石川知裕に3万票の差で敗れ、比例復活もなく落選した。 そしてその半月程の10月4日、自宅寝室で倒れているのを夫人が発見した。しかし救急車も間に合わず 死亡が確認されている。最近は腰痛や風邪、さらに不眠症で睡眠薬の服用など健康面に問題があり、 家族は「急性心筋梗塞」と説明しているが、正式な死因判定は行政解剖と病理検査を待つ事になる。 この訃報を聞いて、かって父親の中川一郎代議士が、1983年に札幌のホテルで自殺したことを思い出し 何か因縁を感じた。中川昭一氏に関する過去の報道内容を探してみると、本質的に酒好きで、 酔ったまま初閣議,、酩酊状態で後援会の挨拶、宮中晩餐会で悪酔い騒動、演説で26ヵ所の読み間違い、 G7での居眠りと閉幕後の泥酔記者会見など、酒にまつわる失態が多かったことが分かる。憶測でもの 言うのはまずいが、酒による多くの失敗、衆院選の落選と自民党の野党落ちが原因で、自らの死を 招いた気がしてならない。

『石川 遼』  Oct. 5, 2009 ▲Top
 昨日のコカ・コーラ東海クラシック最終日のトップ争いは見事な戦いだった。予選で出遅れていた石川遼君が 3日目に猛追して逆転トップに立ち、最終日は楽勝で優勝まで行くと思っていた。ところがバックナインに入り 信じられない2度のダブルボギーで、トップとの差を−2まで広げられた。ここで、トップ争いは池田勇太と梶川剛奨 に絞られたと誰もが思ったその直後、石川はロングホールをドライバーと、7番アイアンでピン傍に2オン、見事な イーグルで、一気にトップタイに戻し、更に続くバーディで、単独トップに立った。しかし天は石川遼に試練を与え 魔のショートホールで、パットを失敗し、又も二人に逆転を許した。今年の石川遼君の凄いところは、最終ホールで 起死回生のセカンドショットは奇跡的なピン傍に付きバーディ。残る二人にもバーディチャンスはあったが、どちらも 外して、石川遼くんが優勝を手にした。それにしても、後半最後の4ホールは、何度も諦めかけるような試練を ものともせず果敢に攻めた彼のゴルフは、見ていた観衆全てを魅了した。これで今季4勝し賞金2400万円を 獲得して、今年の獲得賞金は約1億2千万円となり、2年連続の賞金1億円突破を達成した。

『鶴姫伝説』  Oct. 4, 2009 ▲Top
 昨日、グループの例会で、東温市の「ぼっちゃん劇場」で上演中の鶴姫伝説のミュージカルショーを 見る機会が有った。筋書きは約440年前の瀬戸内海で起きた出来事を題材に、瀬戸内のジャンヌダルク と呼ばれた鶴姫の活躍を歌と踊りで展開する物語である。鶴姫はしまなみ街道の大三島に鎮座する 大山祗神社の宮司の娘として戦国の世に育った。代々瀬戸内の平和を守ってきたが、周防の大内氏 が瀬戸内の制覇に乗り出してきた。鶴姫の兄が大内氏を撤退させたが討ち死にした為、鶴姫17歳 のとき一族を率いて戦場にでて、愛するクロタカの仇討ちをする伝説を脚色したもの。鶴姫の苦難と、 女の身で敵と戦う姿に感動して涙が溢れた。舞台が終わって照明が点いた時、頬の涙を拭きながら、 この劇の素晴らしさに改めて感動した。主演の鶴姫には美しい碓井涼子、その恋人のクロタカ役の 二枚目男優神敏将との愛のデュエットも良く、上演時間の2時間は満足の観劇だった。

『無料給水』  Oct. 3, 2009 ▲Top
 私の所属している滝の宮カントリークラブでは、夏の間のみだが、飲料用のお茶のボトルが サービスとして、一人一本分ゴルフカートの後部にクーラーを備えて準備されていた。 この期間以外の給水は、自分でボトルを準備するか、又は、途中に設置された茶屋の給水機で 水を飲むことが出来る。実は一週間程前ゴルフ仲間とプレーした時、スタート前に自分専用の 給水ボトルの準備を忘れていた。その日午前中のコースは、途中の茶屋で給水機から飲んだが、 その日は特別暑くてとても喉が渇き、後半も途中の茶屋まではと我慢した。そしてやがて その場所に来て見ると、以前あった給水機が取り外されていた。仕方なく傍の茶屋に入り、 水を飲ませて欲しいと頼んだところ、茶屋の女性は、ここには只の水は有りませんと言われた。 結局そのまま我慢してプレーを続けたあと、クラブハウス迄帰り責任者に強くクレームを付けた。 以前あった給水機を取り外した理由は、元々そこへは正規の水道管は繋がってなくて、簡易 水道から給水していたが、後の検査で衛生基準に外れていた為、やむを得ず取り外したとの事。 せめて無料で飲める水を茶屋に準備するよう要望し、今後の改善は約束されたが、結局、 自分の準備不足から脱水症を起こす可能性があった事は、他人事で無く深く反省した。

『影の内閣』  Oct. 2, 2009 ▲Top
 長年政権与党として絶えず国政を担当して来た自民党だが、今回の選挙で初めて野党を 経験することになった。これまで野党だった側は自民党の政策には何でも反対でも成り立った。 しかし、今は本当の意味で国政未経験の民主党が政権を担当したばかりで、過去の自民党の 後始末もしながら、新しい立場で国づくりをしようとしているのだ。今の自民党がこれまでの野党の ような、何でも反対的やり方では、国を壊してしまうし、今後もう一度国政担当を奪還するためには、 自分たち自身が反省的立場で前向きな政策を勉強し直さなければならないことに気づいたようだ。 新総裁に選ばれた谷垣禎一氏は新しい野党として、民主連合与党のすべての政策に反対する のではなく、協力できる部分は協力する意向も示した。即ち従来型の野党ではなく、与党的な野党 として、政権与党を影で支えながら、自らも前向きに国政建て直しに参加という事か。それでこそ いつでも国政を担当できる自民党と言えるだろう。めげずに頑張って貰いたい。

『コーヒーの日』  Oct. 1, 2009 ▲Top
 10月1日はコーヒーの日と、1983年に全日本コーヒー協会が定めている。 日本に飲み物としてのコーヒーが入ってきたのは鎖国時代の長崎・出島と言われている。 当時の出島は海外に開かれた唯一の窓口で、世界の情報と文化が入ってきただけでなく、 日本の情報も逆に出島から世界へ向かって出て行ったと思われる。この鎖国時代でも日本は 完全に孤立していたのではなく、特に元禄時代以降出島の役割は段々広くなり、建前は禁止 なのに外国との交流は頻繁であったようだ。コーヒーが日本人に飲まれる様になったのは、 江戸時代初期からで、本格的な普及はやはり明治以降になる。 日本で最初に開業したコーヒー店は明治21年4月頃、東京下谷区上野西黒門町に開業した 「可否茶館」と伝えられている。お店は豪華なヨーロッパ風の建物でコーヒーは1杯1銭5厘 だったと資料が残されている。私自身コーヒーは大好きで、朝のコーヒーとトーストパン食は 長年の生活習慣として今も続いている。

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