2008年5月
『マヨネーズ』  May. 31, 2008 ▲Top
 マヨネーズが好きだという人は意外に多いようだ。和食でも、洋食でもどちらにも 合うのが不思議なくらいだ。成分に卵や植物油などの加わった乳化製品と言う印象 から、保存には冷蔵庫に入れる人が多いと思う。いや、かく言う私もその一人だった。 ところが、実は保存には冷蔵庫に入れない方が良いと言う事を知り、愕然としている。 マヨネーズには、卵黄と酢と塩に植物油を加えて作られているが、保存の為の適温は、 通常の室温、即ち10〜30度が一番乳化状態が安定していて、それ以上でも、以下 でも安定性がなくなり、分離が始まるとのこと。実際に分離してしまうと、油、酢、卵が 別々になってしまい、酢による殺菌作用が全体に行き渡らなくなってしまうのだ。 その結果、油が酸化して痛みが早まるのだ。そんなことから、マヨネーズの正しい保存 方法は、直射日光が当たらない場所で、保存するのが最適。もし気温が高い夏場が 心配なら、冷蔵庫の中でも、温度のあまり低くない場所に、袋などに入れるなどして 保存するのがお勧めだ。マヨネーズの殺菌力は強力で、雑菌などにマヨネーズを付けると 、数時間で死滅してしまうと言う実験結果も報告されている。

『牛乳』  May. 30, 2008 ▲Top
 若い頃、技術系の職場で仕事が忙しく、毎日遅くまで残業し、食事の時間も不規則で、 毎日、神経をすり減らすような状態が続いた為、ついに十二指腸潰瘍を患ったことがある。 医者と相談して、長い間薬を飲みながらも、手術なしで完治するまで根気良く治療した。 その頃、医者に言われたことは、規則正しい食事をすること、毎日必ず牛乳を飲むこと。 仕事を離れたら、何でもいいから仕事以外で楽しめることで、神経を休めるよう言われた。 その時始めたのがゴルフと、牛乳を飲む習慣性が身に付いた。ゴルフは暇さえあれば、 熱心に練習したので、ハンディはシングル直前の10までなった。牛乳は胃酸を中和する ので、潰瘍を防止するのに役立つた。よく、お酒を飲む前に牛乳を飲んでおくと悪酔い しないと言う。理由は牛乳の脂肪と蛋白質が胃壁に壁を作り、胃を保護するのだと聞いた。 しかし、最近本で読んだ知識では、牛乳による胃壁の保護膜は、実は胃酸ですぐ消えて 仕舞うのだという。牛乳の効果は、胃ではなく、肝臓だったのだ。肝臓は飲んだアルコール をアセトアルデヒトに変え、更に酢酸に変えている。そこでアルコールを分解しているのだ。 その時、肝臓に必要なのが、蛋白質、脂質、ビタミン類だが、牛乳はそれらの栄養分を 含んでいるので、悪酔い防止に効果を発揮していたのだ。

『ビール』  May. 29, 2008 ▲Top
awa.jpg  この所気温が高くなり、冷えたビールでグッと一杯喉を潤すと、最高!と声を上げたくなる 爽快さだ。昼間の仕事で疲れた体が蘇る思いがする瞬間でもある。ビールの泡を口の周り に付けたまま思わず旨いと叫んでしまう。ビールの命は、やっぱりあの泡なのだと思う。泡は、 口当たりを滑らかにし、アルコールの刺激や、苦味を押さえる働きをするので、泡こそが ビール独特の味を作り出しているのだ。冷えすぎたビールは、泡が立たず折角のビール の旨さが発揮できない。泡の正体は、炭酸ガスだが、ビールを発酵させるときに出来る 炭酸ガスを、樽やビール瓶の中に閉じ込めて置いたものが、ビンのふたを開けた瞬間に 泡となって出てくるもの。炭酸ガスがビールに溶け込む量は温度によっても変わり、暖かいと 少なく、冷えているほど量は増えてくる。日本製のビールは10度前後で一番泡が出るように 調整されているそうだ。先日インドネシアへ旅行した時、食事した店にビールが置いて無くて 店主がビールを買いに行った。持ち帰ったビールが冷えていないと、グラスと氷を出したが ビールのオンザロックは不味くて飲めない。こんな時の対策は、氷を入れたバケツを用意し、 タオルを濡らしてビール瓶にタオルを巻きつけ、扇風機で冷やすのが短時間で、旨いビール を飲む秘訣だ。

『運動と甘いもの』  May. 28, 2008 ▲Top
 日頃から体力維持を意識している事もあって、この20年近く、フィットネスクラブには真面目に 通って来た。以前は最初1時間は足腰を鍛える筋肉トレーニングと、後1時間をスイミングで過ごし、 仕上げにサウナで汗をかいてシャワーで終わるコースだった。70歳前後の頃、酷い50肩を患い、 医者の治療を受けたが、筋肉トレーニングは痛かったので軽めにし、スイミング中心になっている。 トレーニングが終わって、家に帰りつくと、疲れた身体に甘いものが欲しくなることが多い。本来 ダイエットには甘いものが禁物と言われているのに、何故運動の後甘いものが欲しくなるのか と言うと、それは、糖質の食べ物は、エネルギー源として即効性があり、疲労回復には効果的 なのだ。人の身体の仕組みとして、筋肉疲労や頭脳労働には、エネルギーの消耗により、 その代謝の産物として、身体に乳酸などの疲労物質が溜まる。その疲れを取るのに、素早い エネルギーの補給をするには、糖質の甘いものを取り込む事で補い、代謝を活発にするのだ。 たんぱく質や脂肪の多い、腹持ちのいいものの方が、疲労回復には効果的と言われている。 運動によって、身体の機能を維持し、好きな甘いものを食べて、プラスマイナス0と言うところ。 結局体力維持が出来ているから、無理したダイエットだけより健康的と自己満足している。

『五月晴れ』  May. 27, 2008 ▲Top
 昨日はいい天気だった。近くの港に魚釣りに出かけたが、港の中を回遊していたイワシ が沢山釣れた。5月の天気がいい日をさつきばれと言うのだと思っていたが、調べてみると 本当のさつきばれとは、旧暦のさつきの事で、本来雨の多い梅雨の晴れ間を五月晴れと 言ったそうだ。昔は陰暦を使っていたので、旧暦の5月は新暦では6月のことなので、今の 五月晴れと書いた場合読み方は「ごがつばれ」と言うのが正しいようだ。国語辞典を見ても 読み仮名として、「さつきばれ」の他に「ごがつばれ」と書いてある。松尾芭蕉が読んだ 「五月雨を集めて早し最上川」の俳句は、梅雨時に沢山雨が降って増水した最上川の水の 事を言い表した言葉だった。五月晴れと同様に「五月雨(さみだれ)」も、梅雨(つゆ)の時期に 降る雨のことで、本来は5月に降る雨をさす言葉ではなかった。因みに「さつき」の「さ」は、 「田の神」とか「田植え」の意味で、「みだれ」とは「水垂れ」の意味と書かれている。 しかし、言葉は時代と共に生きているので、現代では新暦が生活の中に定着している事から、 5月の晴れた日を、五月晴れと書いて「さつきばれ」と読ませることを認めているようである。

『酒どころ』  May. 26, 2008 ▲Top
akita.jpg  昔から、美人の多いところとして、秋田美人と京美人が良く言われてきた。秋田も京都も 旨い酒どころとしても有名だ。秋田は昔から米どころとして有名で、京都といえば伏見や灘 の酒が旨いところだ。不思議と酒の旨いところは、美人の産地としても上げられているのは、 何か因果関係が有るような気がする。美味しい酒を造る要素にはお米と、水が考えられるが、 それが大きな要素と言われている。酒造りに最適の水は、ミネラル分が多く、雑菌の少ない 硬水が良いとされている。 この硬水は身体に入ると新陳代謝を促し、余分な脂肪を防ぎ、便秘を防ぐ効果もある。 また、メラニン色素が皮膚に悪影響を起こすのを防止する働きがあり、美人の要素である 色白で、つややかな肌をつくるのだ。従って、硬水で顔を洗い、入浴で身体を清めている 女性は、太ることなく、色白の美人を作っているのだという。もし、この原理が正しいとしたら 美しい女性を造り出すのは、計画的に可能となる。世の中の女性は、これを実行すれば、 今からでも何とかなると思うが如何だろう。

『記憶』  May. 25, 2008 ▲Top
 年と共に記憶力が悪くなって、少し前の話なのに思い出せないことが多くなった。 記憶と言うと、古いものは思い出せなくても新しいものは覚えているものと言いうが、 年を取ると、古い昔のことは思い出せるのに、新しいことが意外に忘れやすいのだ。 よく年寄りは昔話が好きだと言いますが、それは昔のことを良く覚えているからだ。 普通は、年を取ると脳が老化するので記憶力が減退するのは当然で、古い記憶から 失っていくと考えるものだ。実は記憶力にはパターンが3つの能力で成り立っている。 ひとつは昔のことを覚え続ける「保持力」、新しいことを覚える「記銘力」、そして必要な 記憶だけを取り出す「想起力」がある。若い内はこの3つがバランスよく働いている。 しかし年を取ると保持力はあっても、「記銘力」と「想起力」が衰えていくらしいのだ。 従って、新しいことを覚える力が無くなり、覚えているはずのことを引き出す力が弱く なってくるのだ。話をしていて、あれあれと喉元まで出掛かっているのに出てこない 記憶ってよくある。あれは「想起力」が失われてきた証拠なのだ。にも関わらず強烈な 印象で覚えている昔の出来事は、決して忘れていないものだ。

『早起き』  May. 24, 2008 ▲Top
 年を取ると朝早く目が覚めると言う。それは老化現象の現われだとも言う。確かに1日の 睡眠と覚醒のリズムが年齢とともに変わることは有るようだ。私はまだ小さい頃から朝早く 起きるのが得意だった。父親が仕事で早朝の汽車で出張するので、母親が父の食事の為 早起きしたいときは、いつも私が目覚まし代わりに母親を起こすのが役割だった。早起きの 癖は、今も全く変わらない。新生児は1日の2/3を寝て過ごし、数時間毎に睡眠と覚醒を 繰り返し、成長するに従って、睡眠時間が夜に集中するようになって行く。年齢が高くなり、 老人になってくると、また幼児期のように1日何回も睡眠をとるようなリズムに戻っていく。 しかし睡眠の質は、幼児期のような深い睡眠ではなく、浅い眠りが多くなっている。私が 夜中に何気なく目が覚めて、トイレに行って見ると、必ず先客で家内が入っている場合が 多い。多分一足先に家内が起き上がる物音気配で、自然に私の覚醒が始まり、トイレに 行きたいと思う気を起こさせるのだろう。不思議なタイミングを感じることが多い。

『かき氷』  May. 23, 2008 ▲Top
 夏が近づき、運動などすると、汗をかいて何か冷たいものが欲しくなります。 そんな時、何より食べたいのはかき氷ではないだろうか。一口口に入れると 一気に汗が引込む感じがする。最近はスーパーなどで、かき氷のパック入り が売られているので、我が家では時々纏めて買い込み、冷凍庫に入れて置き、 欲しい時には何時でも食べられる様にしている。ところで、あのかき氷を一気に 食べると、頭がキーーンと痛くなるのは何故だろう。あの瞬間は、とても痛くて 食べるの止めてしばらく収まるのを待つことになる。胃や食道にある神経は、 背骨にある脊髄の太い神経とつながっていて、それが脳まで行っている。 胃が急激に冷やされると、直ぐに「冷たいぞ」という信号が脳に伝達され、そこで、 脳が痛みとして感じるのだと言われている。その痛みは、時として額だったり、 こめかみだったり、頭の横だったり、人によって感じ方が違うようだ。また、 冷たいものを取り過ぎると、お腹が痛くなるのは、内臓の温度が下がり過ぎ、 消化器官の働きが弱って正常に働かなくなることが原因だ。そんなときは、 慌てることなく暖めれば直るという。

『ダイエット』  May. 22, 2008 ▲Top
 中年を過ぎた頃から大抵の人が自覚するのはメタボ症候群だ。生活習慣がいつの間にか 身体に脂肪が定着するようなパターンに陥ってしまっている。そこで何とか運動して体重を減らし 無駄な脂肪を落とそうと努力が始まる。しかし、一生懸命運動をしているけど一向に体重が 減らないと嘆いている人がいる。中には自分の体質は痩せない体質だと諦めてしまう人も いるようだ。メタボ解消には激しい運動が効果的だと勘違いしている人が意外に多い。 減量は身体の皮下脂肪を消費させることが目的なので、筋肉を緩やかに刺激して持続的に 続けることが必要なのだ。それなら筋肉に与える刺激が弱いので、エネルギーはそれほど 必要としません。その代わり運動することで心臓が刺激され、血液の循環が高まり、多くの 酸素が血液に送られ、皮下脂肪が自然に燃焼する仕組みなのだ。逆に激しい刺激を筋肉に 与える運動は、皮下脂肪を燃焼させるような方法では、エネルギーの供給が間に合わず、 身体の中のエネルギー源であるグリコーゲンを直接消費させるだけで、皮下脂肪の燃焼には 結び付かない。従って何時まで繰り返しても減量にはならない。本当のダイエットは、有酸素 運動と言われる、エアロビクスやジョギング、水泳、サイクリングなど、緩やかな動きを続ける ことにより、身体の皮下脂肪をゆっくり燃焼させてエネルギー源にすることになり、効果的な 減量が可能になる。

『片目』  May. 21, 2008 ▲Top
 1ヶ月前、左目の翼状片の摘出手術のとき、先生曰く手術は簡単です。目薬タイプの 麻酔薬を点眼し、翼状片を切り取るのに10分あれば済みます。2針ほどの縫合がある けど、一週間後抜糸すれば後は平常生活に戻れます。手術後30分ほどだけ、麻酔の 覚めるのを待てば家に帰れます。1日目だけ眼帯をして貰いますので、車の運転は無理 です。治療後2週間程は、2種類の目薬を1日4回点して下さい。と言うことで始まった。 眼帯は翌日外せたので車の運転も出来るようになった。抜糸が終わるまでは洗顔禁止と 入浴は出来るだけ控えるよう言われていた。約束の1週間目の抜糸は見送られ、翌週まで 伸ばされた。その代わり入浴は許可された。2週目やっと抜糸は終わったが、充血が酷く 2週間後に再度来診を言い渡された。しかしその2週間後も充血は変わらず、再度1週間 後の来診を申し渡され、その日が昨日だった。ところがやはり充血が引かないのは目薬が 効いていないと判断、もっと効果的な治療として、白目部分の血管を収縮させる注射を することになり、麻酔を掛けた上で、充血の激しい白目部分に直接注射した。注射の為 出血したので、ガーゼを当て、眼帯をすることになった。帰宅を許されたが生憎病院まで 車で来ており、眼帯を掛けた片目では歩くのさえ覚束ない。仕方なく病院の駐車場に車 を置いて、バスで帰宅した。眼帯の隅からは赤い血のはみ出しが見えるが、今は出血も 止まっている。眼帯が外せれば、運転も出来ると思うので、明日は車を取りに行く積りだ。 それにしても、眼帯片目の経験は既に1ヶ月前に体験済みだが、とても不自由だ。

『霊山寺』  May. 20, 2008 ▲Top
 四国霊場88ヶ所巡りのお遍路さんは有名だが、その出発点となるお寺が1番札所霊山寺 (りょうぜんじ)だ。今回徳島市に旅をした機会に、ここを訪れた。山門をくぐれば、弘法大師の お導きにしたがって巡る「同行二人」の旅が始まる。これから遍路巡拝を始めようとする人々 (お遍路さん)で賑わっていた。巡拝者はここで装束を整え、遍路の間に心がけるべき教え 十善戒を授けられ、大師の弟子となって旅立つのだ。十善戒とは、不殺生、不偸盗など 十の戒めのことである。金剛杖、俗にお杖は遍路をお導き下さる「弘法大師」の化身とも いわれる程大切で役立つ道具である。杖は歩くための用具であると同時に遍路行の精神的 支柱であるので心のこもった取扱いをする。この寺から時計回りに阿波国(徳島県)―土佐国 (高知県)―伊予国(愛媛県)―讃岐国(香川県)と歩くことになる。普通1番札所から順番に お参りすることを『順打ち』、88番札所から逆に廻ることを『逆打ち』または『逆さ打ち』という。 遍路旅には、大型観光バスなどで、一度に大勢の参拝者が廻り始め、正規の順番に廻ると、 何処のお寺に行っても、同じ集団とかち合うことがある。巡拝者は必ず各札所で参拝した後、 納経帳に墨書き・朱印を受けるため並ぶことになる。順打ちだと毎回同じグループと競り合う ことになるが、逆打ちならそれは避けることが出来る利点があるという。訪れた我々は巡礼 に出る訳ではないが、お遍路さんの心を知るきっかけになった。

『鳴門の渦潮』  May. 19, 2008 ▲Top
 久しぶりに鳴門の渦潮見物に行ってきた。東京の学生時代に一緒に過ごした同級生達が はるばる四国まで集まったので、何か珍しい体験をさせてあげたいと色々考えて実現した。 今は、自分の住んでいる愛媛県から東京方面へ車で出掛けるのに、橋が3本も架かっている が、橋の無かった50年位前の時代は、高松から宇高連絡フェリーで宇野に渡るか、鳴門から 淡路島に渡り、明石に抜けるしかなかった。従って、天候が悪い日は、航海の長い宇高連絡 を避け、鳴門海峡ルートを選び、安全の為出来るだけ渦潮の少ない時間帯を選んで渡っていた。 今回は、初めての鳴門海峡で渦潮の凄さを見せてあげようと考えたが、その日は、残念ながら 小潮で潮の干満の差が少なく、渦潮見物には少し物足りない日だった。本来、鳴門海峡は、 中央部が一番深く約100メートルほどあり、潮流は抵抗なく早く流れている。 この流れを本流と呼ぶ。一方、本流の両岸は浅瀬になっているため、抵抗があって流れは ゆるやかである。渦潮は、この本流と両岸の緩やかな流れの境目付近で、本流の速い流れに 巻き込まれるような形で発生している。大きなものは直径20メートルにも達し、渦が巻いている 時間は、数秒から数十秒間。渦が出来ては消え、消えては新たな渦が発生し、そして消え、 また発生している。この原理から、潮流が北から南に向かって流れている時、鳴門側に時計 の針の動きと同じ右巻きの渦が、そして、淡路島側には左巻きの渦が発生し、潮流が南から 北へと流れている時は、逆に、鳴門側で左巻き、淡路島側で右巻きの渦が見られるはずだが、 実際の鳴門海峡では、南流時は鳴門側に、北流時には淡路島側にのみ多く発生している。 つまり、右巻きの渦潮がほとんどなのだ。

『大塚国際美術館』  May. 18, 2008 ▲Top
 今回、徳島へ出かけた機会を利用して、大塚製薬が創立75周年事業として完成させた 大塚国際美術館を見学した。徳島県鳴門市に設立した日本最大の「陶板名画美術館」だ。 地上2階、地下3階の広い建物は、延床面積29,412uと言う広さに1000点を越える世界の 名画を忠実に再現した陶板焼きにしたコピー画が常設展示されている。この陶板画の発想 の原点は、大塚グループの大塚化学が鳴門海峡の砂を焼いてタイルを作る事から始まり、 最初は小さなタイルから、次第に大きなタイルが出来るようになり、ついに1m角のタイルを 歪み無く焼く技術を開発。更に信楽焼きの技術も取り込み、陶板に絵を描いて美術品を作る 技術を追求。ピカソやミロの名画などを陶磁器に、しかも原寸大に複製する事に成功した。 その頃の大塚が創業50周年であったが、大塚が後世に残せるものをと考え創業の地、 鳴門海峡に西洋の名画を残そうと美術館を設立した。工事は順調に進み、作品も1000点 を超え、陶板による世界の名画展示の国際美術館が完成した。本物の絵は、経年変化で 色を失っていくが、陶板の絵は1000年、2000年経っても色が変化することはない。 但し、本物は今後どんどん色が褪せて行くが、陶板の色は変わらないので、仮に100年後 に比較すると、色の差が出ているはずだが、今はあちらがオリジナルでも、100年後の陶板 画は、元のオリジナルの色と言うことになるだろう。3150円と言う入場料は決して安いもの ではないが、その圧倒的な規模と、世界のあらゆる名画が、オリジナル其の侭に見られる のは此処だけである。

『藍染め体験』  May. 17, 2008 ▲Top
 泊り掛けで徳島へゴルフに出かけた機会に、徳島で有名な藍染めの見学と藍染の体験 をしてきた。吉野川下流で盛んに栽培されてきた藍を用いて、布を染めたのが始まりで、 起源は平安時代と伝えられている。藍は様々な種類の植物繊維から抽出されるが、日本の 藍は日本固有の植物である「蓼(たで)」から取られ、殊に深い色合いを出すことで有名だ。 「蓼」は醗酵させると「すくも」と呼ばれる染め材料になり、その「すくも」に、「ふすま」 (麦の外側を米糠のようにしたパウダー)、消石灰と灰の灰汁とを加えて、約7日から10日 かけて自然に発酵をさせる。布や糸は、大きな甕の染料に浸しては乾かす作業を15回から 20回も繰り返すことによって、深い色合いに染め上げられている。更に鮮やかな藍の色を出す 為天日干しをすることで実現し、染料自体が布や糸の繊維の耐久性も高める効果がある。 見学者が藍染め体験をするには500円を払って入場すると、担当の女性が指導してくれ、 1時間ほどで、作品を完成させて持ち帰ることが出来る。染め方としては、準備された白い ハンカチを、希望する図柄によって、皺をつくり、染料の甕に漬けたとき、皺部分以外が染料 で色づき、更に繰り返すことで、色合いが濃くなる。染料から出して空気に触れるごとに、 色合いが濃くなる理屈だ。染料の浸漬が終わると、水で洗い、アイロンを掛けて出来上がる。

『Jクラシック』  May. 16, 2008 ▲Top
 今週は、大学時代の同級生7名を四国へ迎えてゴルフ大会を企画することになり、考えた末 これまでプレーをしたことの無い、徳島でやることになった。地元の観光会社と相談した結果 ジャンボ尾崎の設計したJクラシックゴルフクラブと決定した。一世を風靡した日本のトップ プロゴルファーの尾崎が、攻めるゴルフと位置づけてタフなコースに仕上がっていた。設計の コンセプトにしたのはプレイヤーの戦略性を問うコースの実現だったと言う。クラブハウスから 見下ろせるコースには、いたるところに大きな池が配置され、またそれを避けて狙いたい所には バンカーが待ち構えていて、安易に刻んでいくゴルフにも油断を許さないと言う風貌が見えた。 我々のスタートは、予約の関係で、池の多いインコースからだった。クラブハウスから見えた あの池の多い、又は戦略を考えないと攻める事が出来ない感じだった。難しいコース設計ながら、 慎重に狙いどころを定め、落とし所がたまたま巧く行ったせいで、池に落とすことも無く、失敗 で入れたバンカーも何とか巧く脱出できて、自分では満足なスコアーで纏まった。すっかり気を 良くした昼食後のアウトコースは、一見、池も無く優しそうに思えた。しかし午後からは風が強く なり、打った球は大きく狙いをはずれ、2度のOBと、微妙なグリーンに泣かされて、3パット の続出で、すっかりスコアーを崩してしまった。残念ながら優勝は1打差で逃がしたが、もう一度 再チャレンジしたいコースだった。

『オークション』  May. 13, 2008 ▲Top
 行列の出来る法律相談所と言う島田紳助の番組で、有名人の描いた絵を競売して、 その資金でカンボジアに学校を作ろうと言う試みの番組を見た。芸能界で、趣旨に 賛同した人達が、巧い下手に関わらず作品提供し、番組の中で一般人を対象にした オークションの模様が放映されていた。素晴らしい絵描きとしても認められている俳優や、 売れっ子漫画家などの絵に、何百万円かの値段がつくのは理解できるが、まだ幼稚な 絵しか描けないタレントの絵にも、数十万円の値が付いていたのは驚きだった。絵を 提供したタレントが、自分の未熟な絵に何十万円の値が付いて涙を流した人も居た。 高額の落札価格をつけた参加者の職業を聞くと、普通のサラリーマンも多かったのも、 カンボジアの悲惨な生活をしている子供達を救おうと動きはじめたこの活動に自分達 も積極的に参加しようと言う意気込みでもある。番組はこのオークションの模様を3回に 分けて放映される予定で、まだ全てのセリが終わっていない途中段階だが、中には 一枚の絵に480万円と言う値段の付いた作品もあり、既に合計が1500万円近い売り 上げになっていた。カンボジアでは、学校一つ作るのに500〜800万円あれば出来る と言う。この番組の3回分で一体学校が幾つ作れるのか、来週以降の続きが楽しみだ。

『看護の日』  May. 12, 2008 ▲Top
 今日5月12日は看護の日(ナイチンゲール・デー)だ。ナイチンゲールは1820年5月12日 に誕生したので、その日を記念して1965年に国際看護婦協会が看護の日(ナイチンゲール デー)と決めている。ナイチンゲールは裕福な家で生まれ看護師を志して、後に婦人病院長 となっている。クリミヤ戦争が始まると、自ら志願して戦線に赴き、スクタリ病院の看護師の 総責任者として活躍している。それまでの戦場では、兵士の死亡率が非常に高かったが、 ナイチンゲールが戦線で負傷した兵士の看護で、特に衛生面での改善で、大幅に死者の 死亡率が減少したことで評価され、「クリミアの天使」とも呼ばれていた。今では看護師を 「白衣の天使」と呼んで居るのは、ナイチンゲールに由来している。夜回りを欠かさなかった ことから、「ランプの貴婦人」とも呼ばれていた。ナイチンゲールは、赤十字活動には殆ど 関わらず、むしろボランティアによる救護活動を組織する団体の動きには反対していた。 その考え方はマザー・テレサも同じで、自己を犠牲にするような活動には、無理が出て来て 長続きしないと考えていたのである。ナイチンゲールも看護師達の自己犠牲のみに頼る 援助活動は決して長続きしないということを主義にして、「構成員の奉仕の精神には頼るが、 経済的援助なしにはそれも無力である」と考えていた。クリミヤ戦争での功績は広告塔と して扱われすぎた為か、戦争終結後はむしろ有名人として扱われるのを嫌うようになり、 遺言により、墓標にはイニシャルしか書くことを許さなかったと言う。1910年8月13日90歳 で亡くなっている。

『ゴルフクラブ』  May. 11, 2008 ▲Top
 昔私がゴルフを始めたのは、昭和32年頃の50年ほど前、今ほどポピュラー ではなく、正しい打ち方をマスターするにも、ビデオも無い時代、サムスニードや ベンホーガン等、当時のトッププレーヤーのスイング写真集を参考に練習していた。 今もドライバーのことをウッドと呼ぶ様に、昔はパーシモン(柿の木)のヘッドに、 硬くて柔軟な北米産クルミ科の樹から加工したヒッコリーシャフトのクラブでは、 今のデカヘッドのメタルウッドでカーボンシャフトのクラブのように300ヤードの ロングドライブは無理で、飛距離が250ヤードも飛べば最高だった。 昔の木のヘッドと、今のメタルのデカヘッドを容積で比較すると3倍近くある。もし 飛距離を出す為、昔の木のヘッドで大きくしたら、その重さの為にフルスイング することが出来なかったことだろう。更にその後のスチールシャフトから、カーボン シャフトへの開発が、重量軽減と、そのしなりが大きな飛距離を生み出した。 私は昔、ヘッドの質量を小さくして空気抵抗を少なくし、シャフトを短くしてヘッド スピードを上げる事で、飛距離を出そうと試したこともある。うまくは行かなかった。 今は軽量金属素材でヘッドを中空にする事により、容積の大きなヘッドの設計が 可能になり、軽量の高反発カーボンシャフトとの組み合わせで、非力な女性でも ヘッドスピードを上げて、飛距離を伸ばすことが出来る様になった。

『ゴルフ練習』  May. 10, 2008 ▲Top
 最近は年の所為も有って、ゴルフの練習はすっかりご無沙汰していた。来週 は学生時代の同級生とのゴルフ会があるので、先日は久しぶり近所の練習場 に出かけて、300発ほど打ってみた。残念ながら、年とともに飛距離も、打球の 安定性も落ちていて、最初はガタガタ。途中少し取り戻したが、後は打つほどに 疲れが影響して、余計下手になった感じがして練習を諦めてしまった。しかし やっぱり、昔仲間との競争で負けるのも悔しいので、昨日もう一度、思い直して 同じ練習場へ行った。先日は打ちすぎて、最後は疲れからいい加減なうち方に なったことを反省し、ある程度昔の感覚を、取り戻した打ち方を確認する積もりで 打ち始めた。しかし、先日あれだけ巧く打てていたスイングが出来ず、思う通り の打球が出ない。あれこれ直しているうち、やっと、思い通りの球が打てるように なったところで止めた。人の運動能力は、繰り返し練習して身体に叩き込んで、 覚えるものだが、どうやら、すぐ忘れてしまうものらしい。一流のプロでも毎回 成績が毎回良いわけでなく、波があるのだから、アマチュアが簡単な練習程度 で、完全なマスターは出来るわけではない。やっぱり、繰り返し練習するしか 技術を保つ方法はないのだろう。時間があればまた練習場へ行こう。

『アイスクリームの日』  May. 9, 2008 ▲Top
 今日5月9日は、アイスクリームの日とされている。日本初のアイスクリームは、 1869年遣米使節団のメンバーであった町田房蔵が出島松蔵から製法を教わり、 横浜の馬車道通りに開いた「氷水屋」で製造・販売したのが1869年5月9日だった 事を記念して、社団法人日本アイスクリーム協会が制定したもの。 当初は「あいすくりん」という名称で、一人前の値段は現在のお金で約8000円と 大変高価な物であった為、一般には敬遠され、なかなか人気は広まらなかった。 後に、東京銀座の資生堂が売り出して、ようやく世に広まるようになった。 アイスクリームの始まりは、古代ギリシャ・ローマの時代にも食べられていたと言う。 当時はシャーベットのようなもので、お菓子としてではなく、疲労回復の健康食品 として利用されていた。後に生乳や砂糖、卵黄をかけ、かき氷のようなお菓子として 食べられるようになり、日本でも「枕草子」に似たものが登場している。町田房蔵に 製法を伝授した出島松蔵は、このアイスは富士の氷穴及び函館の天然氷を用いて 製造したと本人が書き残しており、明治天皇に「あいすくりん」を献上している。

『世界赤十字デー』  May. 8, 2008 ▲Top
 5月8日は、赤十字の創始者であるアンリ・デュナンの誕生日を記念して 世界赤十字デーと制定された。 赤十字のマークは、アンリ・デュナンの生国であるスイスの国旗の赤と白を 反転させてデザインされたと言う。十字のマークは東洋では「福徳」を、西洋 では「仁義」を意味している。日本では戦前、ジュネーブ条約加盟の1886年 11月15日を記念して「赤十字デー」としていたが、1948年以降、毎年5月8日を 「世界赤十字デー」とすることにした経緯がある。毎年5月は赤十字運動月間 としてキャンペーンを実施し、献血活動や、各種の講習会(救急法、水上安全法、 雪上安全法、家庭看護法、幼児安全法)などを行っている。講習会の受講料は 無料で、教材費の実費のみ。特に救急法などは、人工呼吸や心臓マッサージの 方法、止血の仕方、包帯の使い方、骨折などの場合の固定、災害時の心得など についての知識と技術を習得できるので、いざと言う時のために知っておくと役に 立つ。

『抜糸手術』  May. 7, 2008 ▲Top
 2週間前に手術した左目の翼状片切除により、2針の縫合が行われ その糸の結束部分が、まぶたで擦れて、ぐりぐりと不愉快だった。当初の 予定では、一週間後に抜糸のはずが、術後の様子で、更に1週間延び 昨日が抜糸の日となっていた。診療予約の午後3時半に診療室に入り まず眼圧検査が行われ、その後点眼タイプの麻酔が時間を置いて2度 点滴された。リクライニング式の椅子に座らされて、頭の位置を水平まで 寝かせ、上から執刀医が覗き込むように手術を始めた。強い光線が目に 当てられていて、眩しいなと思うまもなく、抜糸手術は簡単に終わった。 手術前には、瞼をぱちぱちとすると、擦れて不愉快だった結束部分が 無くなり、快適になった。手術後先生から、後2週間はプールの水泳 はしない事。目薬は毎日続けることで、2週間後に再チェックとなった。 本当は、抜糸で全て終了と思っていたのに、あと2週間の自重が必要 と言われ、ちょっと期待はずれだが、仕方ない我慢しよう。

『イワシ釣り』  May. 6, 2008 ▲Top
 ゴールデンウイークは、結局毎日魚釣りに出かけたことになる。最初の日は 釣れ無かったにも関わらず、餌を買い過ぎて、余った餌で翌日も釣りに行った。 3日目は、何時もと違う場所に出かけたので、また余分に餌を買いこんだ。 これも昼間の釣りだけでは余ったので、一旦家に帰って夕食食べた後、また 夜釣りに出掛けた。夜は予想以上に風が強かったりして、魚が寄り付かず、 結局は坊主で終わった。3日間は全て一人で出かけたが、どうも釣果が良く 無かったので、4日目は、家内を連れて、昔良く釣れた場所に遠出して見た。 以前ほどは釣れなかったがそれでも、この3日間よりは種類も数も釣れた。 やっぱり家内は福の神だった。昨日は、近くの漁港にイワシの大群が来ている との情報で、餌のアミえびと、さびき釣り仕掛けを準備して出掛けた。サイズは 10cm程の小イワシだったが、さびき仕掛けのお陰で、一度の投入で、3〜4 匹は釣れるので、あっという間にバケツ一杯釣れた。家に帰ると早速唐揚げと 煮付けにして、ビールのおつまみに、美味しく頂いた。毎日では飽きるがたま にはいいものだ。

『JAF』  May. 5, 2008 ▲Top
 昨夜も、車を運転して近くの漁港に魚釣りに行った。 釣りはイマイチで、20時ごろ納竿して帰宅する為、車を動かした。 日頃あまり良く知らない場所で、真っ暗な中バックミラーだけを見ながら、後ろ に動かした瞬間、ゴトンと音がして、左前輪が深い側溝に落ちた。左前部の シャーシーが溝につかえていて、そこからは前進も、後退も出来なくなった。 周りは暗いし近くには誰も居なくて、一人ではどうする事も出来なかった。仕方 なく携帯電話の登録を頼りにJAFに電話した。状況を話しすると会員かどうか と聞かれ名前から登録者情報の確認をし、すぐ来てくれる事になった。20分程 でレッカーの装備されたJAFの青色の見慣れた車が来た。懐中電灯を照らして、 状況を観察した結果、落ちていない右前輪をジャッキアップ。左前部の車輪がある 程度持ち上がったところで、フロント下部に木の台を入れて浮かせた。エンジンを 掛けて、バックする様指示を受けた。慎重に車を後進させると、見事に溝から 脱出できた。手馴れた係員はハンディ機でサービス報告書の伝票を打ち、確認の サインを求められた。サインを済ませると、気をつけて帰るようにと声を掛けて 爽やかに去っていった。嬉しいことに休日の夜間に、これだけのサービスを受けて、 まさかの無料とは有難い事。まさに地獄で仏と言う感謝の気持ちで一杯だった。 JAFさんありがとうございました。

『みどりの日』  May. 4, 2008 ▲Top
 今日5月4日はみどりの日だ。以前みどりの日は4月29日だった時代がある。 しかし4月29日は元々は昭和天皇誕生日として、国民の祝日だった。ところが 昭和64年1月7日、昭和天皇の崩御により、天皇誕生日は、それまで皇太子 だった、今上天皇の誕生日の12月23日に改められた。そして昭和の時代が 終わり、平成に元号が改められた。それまで国民の休日だった29日の扱い が問題となり、当時官房長官だった小渕恵三の私的諮問機関に各界の有識 者が集まり検討した。その結果、昭和天皇は植物に関する造詣が深く、自然 を愛していた事から、緑に関連する名称を推挙した。その結果、29日をみどり の日と決定した。その後、更に国民の祝日法の見直しが行われ、4月29日は 昭和の日と改め、昭和天皇を称える日、みどりの日は5月4日と制定した。

『夜釣り』  May. 3, 2008 ▲Top
 目の手術後の抜糸がまだ終わっていないこともあり、連休に入っても何処えも出掛けず 自重していた。特に日中の強い日差しは、紫外線が目に良くないとも言われている事も あった。日差しを避ける夜なら問題ないと、夕方餌を買って近くの菊本岸壁へ夜釣りに 出かけてみた。夕まづめを狙った積もりだったが、釣り場に着いて見ると、予想以上に 東から吹く風と波が高く2時間ほど頑張ったがついに一度も当りがなかった。餌は殆ど 使わなかったので、そのままビニール袋に入れて冷蔵庫に保存しておき、翌日再度夜 になるのを待って、前夜の岸壁の隣の澤津漁港に出掛けた。前夜より風も収まり静かな海は、 期待をさせてくれたが、狙った漁港では全く当りが無かった。2連敗で帰るのも癪なので、 更に場所を移動して、港の外のテトラポットの堤防から未練がましく竿を出して見た。何度 か投入するうち、赤い夜光浮きを勢い良く消しこむ当りがあり、見事30cmほどの魚が 釣れた。リールを巻いてくると、テトラの間に入り、旨く上げられない。持っていた、たも網 を差し出そうとするが、テトラの足場が悪く、巧く行かない。とにかく竿を立てて、魚を手に した瞬間、手を滑らせて魚が落ちた。魚はテトラの間へ滑り落ちて、無常にも獲物は 海に・・・折角釣った魚を逃がしてしまった。暗い中で逃がした魚は、何だったかも判らず 、欲求不満のまま家路についた。

『定期点検整備』  May. 2, 2008 ▲Top
 正常な勤め先を持っていた間は、毎日通勤に車を利用していたこともあり、走行距離も 毎月相当乗っていた。当然毎日の点検も自分で実施すると同時に、月に一度はスタンド 等でチェックして貰っていた。しかし、勤め先を退職し、年金生活になってからは、毎日 車に乗るわけでもなく、たまに何処かへ出かけるのも、大抵は近くで用を済ませ、車の 使用はあまりしていなかったつもりだ。一昨日ガソリン値上げで、安い価格のうちにと ガソリンスタンドに駆け込み、燃料を満タンにした。その時、車のフロントウインドウに 貼ってあったラベルを見ていて、長い間定期点検に出していなかった事を発見。昨日 車の整備工場に連絡して、1年間の定期点検をして貰った。チェックしたら丁度1年間 整備をしていなくて、前回のオイル交換から、5000kmも乗っていたことになる。多分 エンジンの磨耗でオイルは真っ黒だったことだろう。また、ついでに、タイヤの空気圧の チェックをして貰ったが、案の定、空気圧は規定値より相当低かったとのこと。幸い高速 で走る機会が少なかったので、事故にはならなかったが、空気圧が低いまま高速道路 など走ると、タイヤバーストの危険もあったかもと反省した。

『冬物整理』  May. 1, 2008 ▲Top
 冬の間、散々お世話になったストーブや電気絨毯、湯たんぽなど、部屋の隅にまだ 始末されずに置いてあった。こう暑くなってくると、この手の暖房器具類を見ただけで 暑苦しく感じる。長い間お世話になって埃をかぶり、汚れていた部分に雑巾を掛け、 カバーをして、押入れに仕舞った。代わりに、これからお世話になる扇風機が押入れ からはみ出すように交代だ。昨年仕舞うときに埃は払った積もりだったが、やっぱり 少し汚れていた。改めて雑巾を掛けて、軸受けへの給油もしてあげた。実際にはまだ 当分扇風機を回すことは無いが、我が家ではこの作業を交替制原理と呼んでいる。 また、ついでに、冬の間使った、厚手の布団と毛布も昼のうち外で乾燥させて、湿気 を取り、収納袋に詰めて置いた。少し前から薄手の掛け布団は出していたので、厚手 の布団はストーブの更に奥に仕舞いこんだ。これで夏の準備は整った。

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