2008年1月
『年賀はがき』  Jan. 31, 2008 ▲Top
 今年もお年玉付年賀はがきの当選発表があり、お正月に届いた年賀状を集めて当選番号を 調べた家庭が多かったと思う。と言うより、今や年賀状にお年玉くじのついいない年賀はがきは、 肩身の狭い思いをしなければならないほど、その地位は確立している。そもそも年賀状にお年玉 くじが付くようになったのは、終戦後のまだ世の中が混乱していた時代の1949年当時、京都府 在住の会社を営む林正治と言う人が、せめて年賀状が復活すれば、差出人・受取人ともに消息が 分かり合えるであろうと考えついたのがきっかけだった。直接郵政大臣に面会して自分の考えを 提案し、粘り強く交渉を続けた結果採用されたものだ。当時の賞品は、特等ミシン、1等純毛洋服地、 2等学童用グラブだったが、ものが無かった時代で、庶民には大変好評だった。あれから58年、 今では生活も豊かになり、年賀はがきの景品に一喜一憂することは無くなったがそれでも、はがき の当選番号を調べるのは、胸沸かせるひと時だ。我が家には今年も400枚程の年賀状が届き、 その内、お年玉の付いていないはがきは8枚だけあった。新聞に発表された番号と照らし合わせた 結果、当選はがきは僅か4枚、しかも下2桁の4等、切手シートだけだった。当選確率は何と 1/100だ。昔はもう少し上位の当選番号も有ったことがあるが、切手シートが4枚だけと言うのは、 今年初めてだった。

『友人』  Jan. 30, 2008 ▲Top
 人間、年老いてくると、新しい付き合いが始まるチャンスは少なく、友人と言えば 若い時代の付き合いに出来た友人たちに限られてくる。僅かに趣味や道楽等で、 年取ってから仲間が出来ることもあった。生きていくうえで、話が合う仲間と過ごす 時間は、とても楽しく、とりとめも無い話にも花が咲いて、生きがいとなるものだ。 偶にしか会えない友人とは、しらふでは話題が続かない事もあるので、酒を酌み交わし ながら、くどくど昔話を言い出せば、一晩中話しても尽きなくなる不思議がある。 実は昨日、サラリーマン時代の昔仲間から、久しぶりに電話を頂いた。お互い離れ離れ の期間が長いので、最初のうちは、共通の話題を探るように話を始めたが、話して行く うちに、次々と話題が広がり、話があっちへ行ったりこっちへ来たり、収拾がつかなくなり 話の切れ目を見つけにくくなった。お互い遠距離で話しているので、電話代も気になり 無理やり途中で、話の腰を折ったが、話し相手に申し訳なく、話を終わらせるきっかけを 作る義務を感じた電話だった。しかしひと時の電話であったが、懐かしい昔を思い出し ながら、楽しい時を過ごせたことを感謝している。

『リチウム電池』  Jan. 29, 2008 ▲Top
 二酸化マンガンリチウム電池は、正極に二酸化マンガン、負極に金属リチウム、電解液には、 有機溶媒にリチウム塩を溶解させたものを用いている。負極に使う金属リチウムは、反応性 が極めて高いので、アルミニウム等との合金を用いる場合も多い。リチウムは水分と速やかに 反応して水素を発生するので、電解液に有機溶媒を使う。プロピレンカーボネートやγ-ブチロ ラクトン、ジメトキシエタン等が多く用いられる。また、電解質には、無機・有機の含フッ素化合 物や過塩素酸のリチウム塩が用いられる。特徴としてリチウムは金属のうち最大のイオン化 傾向を持ち、非常に低い電位を持つ為、これを負極として用いると、正極との電位差が開き、 高い電圧が得られる。また、その原子の大きさが小さいため、容量が非常に大きく(マンガン 乾電池の約10倍)、放電末期まで電圧降下が少なく、自己放電が少なく、寿命が10年程ある ため、コンピューターのメモリバックアップ用途に用いられることが多い。用いる有機溶媒に水 よりも融点の低い溶媒を選んで用いる為、低温でも使用可能である。 10年間電池を取り替えることなく安定した電源として使えるリチウム電池は、各種電子機器 のバッテリーバックアップなどに最も適した性能を発揮している。

『アルカリ乾電池』  Jan. 28, 2008 ▲Top
 前述の、マンガン乾電池に比べて、アルカリ乾電池はすべての点で寿命が長く、更に昔から 一般化しているマンガン乾電池の上位互換が可能なように設計されており、其の侭、差し替えて 使用できる。 但し、利用する用途によっては、確かに5〜10倍になるが、適しない用途では1.5〜3倍程度 に留まることがある。時計等ではマンガン乾電池が適していると前述しているが、近年普及 してきた電波時計では、少数・小型の電池で、時計、受信機、時刻調節機構の全ての機能 を動かす為、電流容量の大きいアルカリ乾電池の方が適している。更に、マンガン乾電池の 短所であった自己放電や液漏れの問題は、アルカリ乾電池ではほぼ解決されており、その 万能性から、非常用等の長期備蓄には最も適しているといえる。

『乾電池』  Jan. 27, 2008 ▲Top
kandenchi.jpg  昔は、乾電池と言えば、二酸化マンガン電池が主流だった。今でも乾電池の中では 価格が一番安いので、ちょっとした電気器具には、結構重宝して使われている。 構造としては、正極兼減極剤として二酸化マンガンを用い、負極には亜鉛を、電解液 に塩化亜鉛を用いている。以前は電解液として塩化アンモニウムが使われていた事も 有る。この塩化亜鉛は二酸化マンガンと混合した黒色の粘土状の形で容器の中に 充填している。なお、正極側の炭素棒は集電棒とも言い、反応には関与していない。 他の乾電池に比べて構造が簡単なため、身近にある道具を使えば簡単に分解できる。 少し高価だが出力の大きい事から、普及しているアルカリ乾電池に比べ、マンガン電池 は容量が小さい欠点があるが、しばらく休ませると出力を回復する特質を持っている。 また、市販されている価格はアルカリ乾電池の半分程度である。このため、負荷電流が 比較的小さいリモコンや時計など、また間欠的に使用するガスコンロやストーブの点火 ヒーター、懐中電灯などに用いると長持ちする利点がある。市販されているマンガン 乾電池は、通常出力用と高出力用の2種類あり、通常出力用は赤色、高出力用は黒色 をして判別している。

『羽根つき』  Jan. 26, 2008 ▲Top
hagoita.jpg  昔、お正月の子供の遊びと言えば、男の子なら凧揚げ、こま回し、女の子なら羽根つき など、寒空の下、外で遊ぶ代表的な遊びだった。最近はコンピュータゲーム系の遊びが 中心になり、室内で遊ぶものが殆どで、遊びの形態が大幅に変わり、外で遊ぶものは 完全に姿を消してしまった。お正月に羽根つきを始めたのは室町時代と言われ、当時の 「看聞御記」という書物には、永亨4年(1432年)に宮中で、「こぎの子勝負」という羽根 つきが催されたと記録されている。羽根つきは、振袖の晴れ着を着て行い、打ち損じると 顔に墨で一筆塗られるという決まりがあり、仲間に誘われた男の子も顔に墨を塗られた 姿を良く見かけた。お正月に羽子板を飾ったり、女の子の初正月に、羽子板を贈るのは、 魔除け・厄被いの意味があった。今でも田舎の方では、羽子板を贈る習慣の所が有る。 羽根つきをする羽子板は、普通の板に美しい絵の描かれた木製の羽子板を使って、羽根 (羽を付けた小さな玉)を打ち合うのだが、バドミントンに似ている。飾りを目的に布 で人物の絵を刺繍した豪華な羽子板もあり、こちらは美しい置物として歌舞伎の役者や 日本美人等の絵に、人気があった。

『サプリメント』  Jan. 25, 2008 ▲Top
 最近テレビのコマーシャルなどで、ダイエットの手法として、サプリメントの活用で減量効果を 得ようという方法が紹介されている。サプリメントはアメリカで用いられるダイエタリー・サプリメント の訳語で、不足しがちなビタミンやミネラル、アミノ酸などの栄養補給を補助することや、ハーブ などの成分による、薬効の発揮が目的の食品である。ほかにも生薬、酵素、ダイエット食品など 様々な種類のサプリメントもある。 これらは栄養補助食品とか、健康補助食品とも呼ばれている。 サプリメントは、カプセルやタブレットなどの形状をしていることから「薬だ」と思い込んでいる人が 多い様であるが、病気や体質を治すものではない。例えば、体によいと言われている食品等でも、 食べれば食べるほど、その悪い体質を治すというわけではなく、特定の食品だけ大量に食べても 栄養バランスを崩して体を壊すだけだ。サプリメントも同じ理屈である。サプリメントさえあればダイ エットに成功するとは言えません。ダイエットを成功させるには、次の5つの要素が不可欠だ。 まづは「食事」。次に「サプリメント」、それから「運動」、その次が「睡眠」、最後に「頭脳労働」だ。 正しい食事とサプリメントで、からだに負担をかけずに栄養バランスを整えた上で、それを身体と エネルギーとこころに代謝するために運動と睡眠、更に頭脳労働を組み合わせて正しいダイエット となる。

『Vサイン』  Jan. 24, 2008 ▲Top
vsign.jpg  若い女性達が、写真など撮るときにとるポーズに、二本の指を開いてVサインをする。 そして、決まって皆が声をそろえて「ピース」と叫ぶ。昔は写真を撮るときはチーズと 言ったものだ。なぜなら、チーズと言う時の口の形が、にっこり微笑んだ形からだった。 では、「Vサイン」と「ピース」という言葉との関係には、どんなつながりがあるのだろう。 そもそも、Vサインの始まりは、英国の政治家ウィンストン・レオナルド・チャーチルだと 言われている。戦争に勝利した意味としてビクトリーのVのサインと言われているが、 一説に、日本に2発の原爆が落とされて平和が近づいたことに因んで、それまで 「Vサイン」と呼んでいたのを改めて「ピースサイン」と呼ぶようにしたものであると言う。 以前テレビのコマーシャルで、井上順がアドリブでピースサインをした。それ以前に撮影 された写真にはピースサインが見当たらない事からそれが起源だとも言う説もある。 改めて、ピースと発音してみると、最後の「ス」を発音するとき、チーズのときと同じ様な 形をするので、そこから始まったと考えるのが正しいのかも知れない。最近では、韓国 など東南アジアの国でも、写真撮影の際に、ピースサインを行うことが定着している。

『こま回し』  Jan. 23, 2008 ▲Top
 私たち子供のころ迄、お正月の遊びに、こま回しがあった。こまにも地域性があり、四国の この地方で流行っていたのは、丸い木製の胴に鉄の心棒を貫き、これを中心として回転させ るが、こまの周りに鉄輪の嵌ったこまが一番人気があった。こまを回すのは、紐をぐるぐるに 巻いておき、投げ出すようにして回すのだが、外側に鉄輪が嵌っている分、遠心力がついて、 よく回る理屈だ。この、こま回しはお互いのこまをぶつけ合い、勢いのないこまは弾かれて しまい、回転が止まると負けとなる。勝ったこまは、負けたこまの一番外側の鉄輪を取ること が出来、それを貯めて行くのが、こま回しの強さ自慢になった。こま回しに勝つため、鉄輪を いかに手に入れるかが勝負で、機械工場などに勤めるお兄ちゃんがいる人が、とても うらやましかった。そしてそれを手に入れるために、いろいろ考えて手に入れたものだった。 このこま回しは何時ごろまで続いていたのか、覚えていないが、今はおもちゃ屋でも、 こまを見かけなくなった。少なくとも、外側に鉄輪の嵌ったものはない。

『新年会』  Jan. 22, 2008 ▲Top
 昨日は、今年初めての新年会だった。昨年暮れは月例の会合が、各位の年末の 忙しさのため、流会となり、年が明けて、やっと久しぶり懐かしい仲間が集まった。 いつもの通り気取ることなく、語り合い、酒を飲み交わすのは楽しいものだ。因みに、 1月は睦月と言うが、そもそも睦む(仲良く親しみあう)月という意味から来ている。 上も下もなく、老いも若きも集い合って仲良く迎える月なのだ。 昨夜の集まりは、もう20年以上続いていて、日頃の生活や仕事の上で、技術志向 の、気の合う者たちが集まり、月に一度勉強会を開き、お互いの知識向上や、技術 探求を目指す者たちテクノクラブの集まりだった。いつも会えば、新しい技術の話題 で盛り上がり、尽きることの無い議論で、時を忘れるのである。

『偉い人』  Jan. 21, 2008 ▲Top
 世の中に偉い人は色々いる。余るほどお金があって、豪邸に住み、高級車を乗り回し、 豪華な生活をしている偉い人。お金は無いけど、いつも人のために尽くしている偉い人。 その間で、生活している人の中にも、夫々の偉い人たちが一杯いる。では本当に偉い 人とはどういう人のことなのだろう。自分で偉ぶっている人には、本当の偉さは無い。 本人がそう思い込んでいるだけである。偉さを鼻にかけるようでは、鼻摘まみの最低の 偉さだろう。その人自身の偉さの価値観では偉いのだろうが、周りから見たら、大抵は 最低の嫌われ者だ。お金も無くて、貧乏な生活をしているから、自分は偉くないと思って いる人の中にこそ、意外な部分で世の中に貢献していて、世間から高く評価され、尊敬 され、真に偉い人と認められている人が居るものだ。人の偉さは、本人が価値を付ける のではなく、世間がその偉さを評価してこそ決まるものだ。

『大寒』  Jan. 20, 2008 ▲Top
 今日は二十四節気のひとつ「大寒」である。二十四節気とは一年を24等分に分けた季節区分 のことで、大寒は、毎年1月20日頃(太陽黄経が300度のとき)、及びその日から、立春までの 期間をいい、この期間は年間で最も寒さが厳しい時期でもある。大寒は『寒の内』でもっとも寒い 時期をあらわしていて、その冬で最低気温が観測されるのもこの頃が一番多くなっている。 古武道ではこの頃に寒稽古が多く行われます。また、凍り豆腐、寒天、酒、味噌など寒気を利用 した食物を仕込むのもこの時期にあたります。今年も正月を過ぎた頃から、朝起きると冷えるな、 とか、今朝は寒いなと感ずるようになったが、それにしても芯から冷える日が多くなった。 昨日から、国公立大と一部の私大・短大入試、第一関門の大学入試センター試験が始まった。 受験生の関係者が、願主となり神社等を訪れ大学入学試験合格祈願の御祈祷などが行われた。

『偽』  Jan. 19, 2008 ▲Top
 昨年の世相を現す言葉は「偽」だった。全国に公募した結果第1位に選ばれた漢字だ。多かったのが、 食品偽装問題。食肉や野菜の産地偽装、加工食品の原材料偽造、大手菓子業者の賞味期限改竄が 発覚した。歴史と伝統を誇る老舗の土産品、名門の老舗料亭にも賞味期限改ざんや仕入れ品などに偽り が発覚した。耐震偽装問題、人材派遣会社の偽装請負事件、英会話学校の偽装等もあった。年金記録の 消失、政治活動費の偽装や、官庁の裏金工作、霞ヶ関官僚のゴルフ接待疑惑も問題化した。 今、また表面化している古紙再生紙問題がある。地球環境にやさしい配慮として、古紙を回収、再利用 して再生紙にして、新しいパルプの使用を減らそうと申し合わせ、政府も中心となって、製紙業界も協力 してきた。と思っていた古紙の使用比率、実は100%とか、50%等と公表していたのは偽の数字である事が 判明した。日本製紙は古紙を何度も再利用しているために再生紙の品質が悪くなっていること、再生紙を 製造する際には化石燃料の使用量が増え、二酸化炭素排出量が増え、かえって環境を悪化させると主張。 製紙業界では「古紙100%再生紙」=「環境にやさしくない」は今や常識と言う。その半面で官公庁などが 「古紙100%の再生紙を使用」を環境配慮の象徴のようにしていることについて、同連合会は疑問を投げ掛け て来たと言うが、だからと言って、古紙100%使用と言いながら、実は古紙1%しか使っていないことの理由 にはならない偽りだ。古紙再生紙の偽問題は、製紙業界だけでなく政府の見解から見直す必要がある。

『干し柿』  Jan. 18, 2008 ▲Top
 昨年暮れに、知人から戴いた渋柿を家で干し柿にして、お正月用の保存食にしたが、 少し干し過ぎた為に、やや固めの干し柿が出来た。但し、たっぷり日光を浴びて乾燥した こともあり、甘みは十分、歯ごたえもあり、とても上手く出来た。あまり美味しかったことも あり、毎日2〜3個は食べていた為、お正月前には、殆どて食べつくしていた。在庫が 無くなってきたので、改めてマーケットで渋柿を追加購入し、もう一度干し柿作りをやり 直した。暮れの時は、少し干し過ぎたので、今回は、干し過ぎない様に、固くなる前に 早めに取り込んだ。干し具合は、ほど良く柔らかい干し柿が出来た。ただ前の柿は殆ど 種が無かったが、今回の柿は種類が違うのか、種が多く干し柿一個に5〜7個もの種 があり、一口食べる毎に、種を出すのに手間が掛かった。生の柿にはビタミンCが多く 含まれているが、太陽光を受けるとビタミンCは失われ、ビタミンAが増えることを知った。 この冬は、都合2回干し柿作りをしたので、大量のビタミンAを補給したことになる。

『確定申告』  Jan. 17, 2008 ▲Top
 毎年この時期がくると、確定申告の義務が求められ、国民の当然の務めとして果たしてきた。 昨年は、インターネットのホームページから、入力して申告書を作成し、税務署に提出した。 税務署でも、手書き時代に比べ、インターネットにより作成したものは信頼性が高いと評価して 受付もスムースだった。今年の確定申告は、e−Taxを試してみようと以前から考えていたので、 昨年のうちに市役所で、住民基本台帳カードを申請し、電子証明書の認証も済ませておいた。 e-Taxの利用に必要な、電子申告・納税に対する利用者識別番号の申請を税務署にして置いた。 インターネットから確定申告をする上で、必要なシステムに、住基カードの読み込みをするカード リーダーの端末が必要なので、インターネットで購入の手配も済ませた。e-taxのソフトはオン ラインからインストールも終えた。予め所轄の税務署に申請しておいた利用者識別番号と暗証 番号も届き、電子申告による納税システム利用の準備も順調に進み、申告に当たって必要な、 各種領収書や源泉徴収表、社会保険、医療費の領収書など1年間貯めておいたものも揃った。 初めてのe-Tax利用なので申告に当たってのトラブルを防ぐため、税務署が開催する「国税電子 申告・納税システムの講習会」が来週行われる予定なので、受講すべく準備を全て整えた。

『ひやかし』  Jan. 16, 2008 ▲Top
 最近は物余り現象で、家電製品をはじめ、趣味のカメラ、ゴルフ道具、雑貨品、衣料品、 保存食品類など、物の置き場も無いほど家の中にあふれている。毎日のように折込チラシ であらゆる商品の特売情報が報じられているが、食品以外の広告には、興味があっても、 買いたくなるほどの需要はない。それでも夫々の商品を開発している業界にとっては、 何とか買い手の目を向けようと、あの手この手の作戦で開発に凌ぎを削っている。 消費者としては、買う気はないが、新しい商品の様子だけでも見ておこうと、「冷やかし」で 販売店を覗きに行って見る。店で手にとって品物を細かくチェックする。広告に書かれている 特長を一つ一つ試してみる。するとすぐ店員が近づき、買い手に言い寄って来るが、もともと 買う気がないので、冷やかしで冷たくからかうだけだ。この冷やかしと言う言葉の語源は、 江戸時代、浅草山谷に近いところで紙を作る職人達がいて、紙の原料が冷めるまでの間 することが無いので、近くの吉原に出かけて時間つぶしに遊女をからかっていた。女を買う 気も無いのにからかうことを、冷やかしと言ったのは、原料を冷やす事に掛けた言葉だった。

『成人の日』  Jan. 15, 2008 ▲Top
 1999年に国民の休日法が変わって、昨日14日が成人の日となったが、元々1948年 に制定された当時の成人の日は1月15日だった。成人の日を1月15日としたのは、この日 が小正月であり、かつては男が成人として認められる元服の儀が小正月に行われていた事 によるものだった。しかし、その後ハッピーマンデー制度が導入され、2000年から1月第2月 曜日(その年の1月8日から14日までのうち月曜日に該当する日)に変更された。 成人式を迎えた新成人たちは、いったい誰を尊敬しているのか? オリコンで調査した 結果を見ると、親をあげる人が圧倒的に多く、1位にランクされていた。また、コメントを見ると 、男性は父親を、女性は母親をあげる傾向が多かった。父親は、いつか乗り越えたい自分に とって一番大きな存在。母親は一番身近な大人で、すごいと思う部分がたくさんあるからと、 近くにいるからこそ、親の偉大さを身にしみて感じる人が多かった。また、自分をここまで育てて くれた上、やりたいことは何でもやらせてくれたからと、感謝の気持ちがこもった意見が多かった。 2位は先生、部活のつらい練習をさせられたけど、尊敬できるような行動と言葉をかけてくれたし、 人間的にも、とても尊敬できる人だから。3位は友人、生き方を近くで見てきて、しっかり者が 多かったと言う。近年の成人式で暴れる若者も多いが、意外にしっかり世の中を見ている。

『小正月』  Jan. 14, 2008 ▲Top
 1月1日の元旦をお正月と呼ぶのに対して、1月15日を小正月と呼ぶ。正確には 1月14日の日没から15日の日没までを小正月という。昔の日本では、満月から 次の満月までを1ヶ月とし、1年で最初の満月を正月としていたのが小正月の始まり。 年神さまや祖霊を迎える行事の多いお正月に対し、小正月は農業に関連した豊作 祈願や家庭的な行事が中心となる。小正月の朝は粥を食べる習慣があり、平安時代 の、天皇家では七草粥、庶民には小豆粥とあり、一般には小豆粥を食べて来た。また、 小正月には野外で火祭りを行う風習も全国的に行われており、「とんど焼き」「左義長 (さぎちょう)」「どんど焼き」「鬼火焚き」などと呼び、正月の松飾りや注連縄や、 古いお札や、1月2日の書初め等をこの火で燃やしてきた。昔から大きな火を炊くと、 魔よけや、穢れを落とすための大切な行事とされており、小正月やお盆に燃やして きた。書初めが高く燃え上がれば、字が上達し、とんど焼きの火にあたれば、病気に ならないと言われ、この火で焼いた団子や餅を戴くと無病息災で、1年を過ごせると 言う。

『初場所』  Jan. 13, 2008 ▲Top
 昨年の7月場所の後、「左ひじ内側側副靱帯損傷、左尺骨神経障害、急性腰痛症、第5腰椎 疲労骨折で約6週間の休養、加療」を届けて夏巡業を休んでモンゴルに帰国していた朝青龍が、 そのモンゴルで休養治療をしていた筈の時期に、中田英寿らとサッカーをしている映像がTVで 報じられ、その後の巡業を拒否され、長らくの謹慎の処分を受けていた。しかし、ようやく謹慎が 解けて、この初場所から出場が認められた朝青龍が、再起をかけて 今日から大相撲初場所が 始まる。久しぶりに、両横綱が揃った初場所だ。決意を胸に新たな挑戦に向う朝青龍が、これ までと変わらぬ強さを見せつけるのか? それとも朝青龍の休場中の2場所に、飛躍を遂げた 白鵬が、その勢いで3連覇を果たすのか? 両横綱の賜杯争いから目が離せない。一方で 虎視眈々と優勝を狙う千代大海、琴光喜らの大関陣、 さらに、大関の座を狙う関脇・安馬や、 新進気鋭の豪栄道や、新入幕の市原にも目が離せない注目株だ。

『初夢』  Jan. 12, 2008 ▲Top
 年が変わるときにはじめて見る夢を初夢と言うが、必ずしも元旦の夜見る夢とは 限らない。夢は毎晩必ず見るとも限らないわけだから、いつ見た夢を初夢と言うか 色々の説がある。昔は旧暦で呼んでいたので、年の変わり目とは立春であった。 従って節分の夜に見る夢を初夢と呼んでいた。初夢にイイ夢を見るのは、神様の 啓示だと考えられてきたので、縁起のいい夢を見るために色々な工夫をしてきた。 おまじないを書いた宝船の画を枕の下に入れて寝るといい夢を見ると言う。また、 「一富士、二鷹、三茄子」、とか「宝船、富士、春駒」等の夢は、縁起のいい夢と 言われてきた。もし悪い夢を見てしまったときは、翌朝、宝船の絵を川に流せば 悪い夢を水に流せると言われている。ただ、夢を朝まで覚えていられるかは一寸 問題がある。目覚めた瞬間は確かに覚えていて、「いい夢だったから忘れない ようにしよう」と思っていても、はっきり目覚めたときには忘れていることが多い。 貴方にとって、今年の初夢はどんな夢でしたか?

『大相撲』  Jan. 11, 2008 ▲Top
 いよいよ大相撲初場所は来週から始まる。何と言っても話題は朝青龍の久しぶりの登場だ。 いろいろ問題を起こして、出場停止もあったり、モンゴルでの調整不足で稽古が不十分では 無いかと報道されてきた。朝青龍の出ていなかった場所を一人で守ってきた横綱白鳳にも プライドがあり、頼りにならない朝青龍を問題にしていなかったが、先日の横審けいこ総見で は、7番戦い2勝5敗と負け越して悔しさが残った。試合そのものの観戦結果で言えば、確かに 勝負では負けたが、取り組みの内容は互角で、7番以上戦えば、朝青龍の息の乱れから見て 白鳳の優位は見えていた。明らかに半年近く、相撲の勝負から遠ざかっていた朝青龍の スタミナ切れは、はっきり差が有ったと思う。例によって、朝青龍は早い内に勝ち越した所で、 息切れを隠して、自分勝手に練習を止めて、いいとこ取りした形で名誉を守った。本場所の 長期決戦で朝青龍のスタミナがどこまで続くのかが、初場所の見所となろう。楽しみにしたい。

『どんど焼き』  Jan. 10, 2008 ▲Top
toudookuri.jpg  私たちの住んでいる新居浜地方では、毎年1月15日にどんど焼きという地方行事が 行われている。昨日近くの海へ魚釣りに行ったとき、車を止めたところから海まで歩く 途中で、どんど焼きの準備をした所を見かけた。地域によって、その呼び名はどんど、 どんど焼き、とんど(歳徳)焼き、どんと焼きとも呼んでいる。歳徳神を祭る風習が元 であった地域でそう呼ばれて来た様だが、出雲地域の風習が発祥と考えられている。 やり方は、長い竹竿を数本組み合わせて立て、年賀に飾った門松や注連縄などの他、 書初めの書などを持ち寄り、火をつけて燃やすのだ。門松や注連飾りによってお正月に 出迎えた歳神様を、使い終わった飾りを焼くことによって炎と共に見送るという風習だ。 地域によっては、どんど焼きは子供の祭りとされ、注連飾りなどの回収や組み立て等を 子供達が行い、小学校などでの子供会の行事として、地区ごとに開催する所もある。 写真は、通りかかった広場に、竹竿を組んで準備の終わっていたどんど焼きのやぐら。

『雪の重さ』  Jan. 9, 2008 ▲Top
 昔、仕事の関係で山形と秋田県との県境にある、真室川町という所に住んだ事がある。 真室川音頭の民謡で有名だが、昔は亜炭の炭鉱で栄えた時代も有った。今は何も無い 田舎だ。ここは、積雪の多いことでも知られていて、私の住んでいた時代にも、平屋の 家が埋まってしまうほど雪が積もったことがある。南国育ちの私達にとって、最初は 雪が積もって大喜びだったが、直ぐに頭の痛い問題となった。ふんわりと見えても雪の 重さは想像以上。降り始めの雪は密度が0・1くらいだが、日が経つ毎に締まってくる。 仮に密度0・3とすると、30坪の家の屋根に50センチの積雪でも、総重量は15トンになる。 体重70キロの大人が200人以上も屋根にのった重さである。絶えず屋根の雪下ろしを していなければ、屋根は確実に潰れる。寝ていても、夜中に天井がミシミシと音を立てる のには、とても怖い思いをした。屋根の角度を急にして、積もった雪が自然に落ちる様に すればいい様だが、自然に落ちる構造だと雪崩で、家の周りをうかつに歩けなくなる。 従って、わざわざ屋根に雪止めしている程だ。我が家では箒より重たいものを持ったこと も無かった家内が、数年経つとスコップで屋根の雪下ろしをするベテランになっていた。 後に埼玉に戻った妻が、所沢市の埋没文化財発掘作業員に応募し、発掘現場で、その 腕力と技が役に立つとは考えてもいなかった。

『酒飲み』  Jan. 8, 2008 ▲Top
 日頃、家で晩酌など習慣性の呑み助ではない私でも、お正月間は、何かと御馳走や あ酒の肴に合う物が出てくるので、ついついお酒に手を出してしまった。元々体質的に 下戸ではない方で、飲み出すとあっという間にお猪口の2〜3本は空になっている。 昔から酒に強い人を上戸、飲めない人の事を下戸と言うが、どこから来た言葉か調べてみた。 そもそも、文武天皇時代の昔、大宝令による家の制度で、「下戸」「中戸」「上戸」「大戸」 の四等戸が定められ、労働力となる人数が家に何人居るかを区別した。3人以下の家を 「下戸」、4〜5人の家を「中戸」、6〜8人の家を「上戸」、それ以上を「大戸」と定め、納税 額の階級を区別していた。家で祝い事があると、当然上戸の家ではお酒を多く振舞い、下戸の 家では振舞う酒が少ないことから、酒が飲める人を「上戸」、飲めない人を「下戸」と呼ぶ ようになった。ちなみに、酒飲みを「左きき」とも言いうが、これは金鉱で働く人たちの仲間 同士の言葉から生まれたもので、金を掘る人は、右手に槌を、左手にのみを持つ。 つまり左手は「のみを持つ手」だから「飲み手」で「左きき」というシャレからきていると言う。

『七草粥』  Jan. 7, 2008 ▲Top
7kusa.jpg  「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ、これぞ七種」子供の頃に 一所懸命覚えた春の七草の名前だ。一年の無病息災を願って1月7日に春の七草を使って 作る七草粥は、厄払いと健康を祈りつつ、今年も元気で過ごせますようにと頂いてきた。 江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が 七種粥を食べる儀礼を行っていたと言う。中国でもこの日には「七種菜羹」(7種類の野菜を 入れた羹(あつもの))を食べて無病を祈る習慣があったようだ。ゴギョウはハハコグサ、ハコ ベラはハコベ、スズナはカブ、スズシロはダイコンのこと。七草粥は正月の餅腹を休ませる為、 青い物を食べる日と言われていたが、春の七草は越冬の強い植物だから冬枯れの季節に 青い物を補食する意味があったと思える。七草の日は初めて爪を切る日と言われ、セリなど を浸した水に指を入れてから爪を切れば、一年の間爪の病から逃れると言われている。 考えてみると、秋の七草はどれも見て楽しむ植物。春の七草はすべてが食用とされている というのは面白い事を昔の人は考えたものである。

『無袋リンゴ』  Jan. 6, 2008 ▲Top
azumi.jpg  お正月のお祝いに、信州安曇野産の無袋リンゴを戴いた。リンゴの味を求めて研究して 作り出した真っ赤に熟れたリンゴだ。元は青森産リンゴで有名であるが、信州長野県の、 標高が600〜700メートルの高地に広がる畑に、昭和50年に初めて栽培を始めたワイ化 栽培を取り入れた。リンゴの木の葉で作られた養分の70〜80%が果実に蓄えられるという、 美味しいリンゴを生産する栽培方法を取り入れている。通常りんごに袋かけをして育てる 理由は見た目(色づき)を良くするためや、貯蔵性を高めるためなのだが、生産者が拘って いる味の良さという点では、無袋りんごの方が格段に上等となる。津軽のりんご産地では 無袋りんごのことを「太陽の光を十分浴びて育ったおいしいりんご」という意味で「サン」を 付けて呼んでいるが、ここ安曇野のリンゴも無袋(サン)リンゴと呼んでいる。リンゴには ペクチンという食物繊維の一種で、コレステロールの増加を抑える働きをする成分が含まれ、 またリンゴ酸は精神的、肉体的疲労原因となる乳酸値を減らし、カリウムは高血圧の原因 となる余分なナトリウムを体内から排泄してくれる等、健康によい果物である。イギリスでは 「一日一個のリンゴは医者要らず」という諺がある。

『年賀状』  Jan. 5, 2008 ▲Top
 元旦の朝、最初の仕事は年賀状の確認だった。早い時間に郵便受けを覗いてみたら ご苦労なことに、ゴムバンドで止められた年賀状が既に入れられていた。昨年の25日迄 に投函された年賀状が元旦に配達されたとすると、300枚以上あったから、皆さんそれ ぞれに努力をされていたのだ。大変尊敬に値する行為だ。元旦から4日までに配達された 年賀状をあわせて総数380枚、今年も多くの友人が新年を祝って年賀状を呉れた事に 感謝した。私自身は毎年400枚のお年玉年賀ハガキを購入して対応している。この1年 の間に、新しい交流を始めた方の名簿追加と、古い友人達の中で故人となった人を名簿 から外した者及び喪中通知のハガキ等から、住所録の整理をして一覧表にしておいた。 受け取った年賀状と、名簿一覧表とを付き合わせ、出したもの、受け取ったものをマーク して行った。年末に出した年賀状には、この数年年賀状の途絶えていたところも外したが、 実はそんな考慮をして出さなかった所から、再び来た年賀状が予想以上にあり、不義理 が起きたことには早まった行為と反省させられた。

『第84回箱根駅伝』  Jan. 4, 2008 ▲Top
 今年も、恒例の箱根駅伝に釘付けだった。選抜された20校の大学生達が自らの 学校の名誉を掛けて、東京と箱根の間を2日間、往路、復路に分けて走り戦った。 チームは10名の選手が夫々の区間を担当して走り、次の走者にタスキを繋ぐのだ。 所定の時間内にタスキが渡せない場合、タスキの色が変わり繰上げスタートとなる。 チームに強力な走者がいて、15人抜きという快挙を成し遂げて順位を上げても、 残りの走者が弱ければ、元の木阿弥。絶えず上位の順位を守り続けることが、如何 に難しいかは、見る側の涙を誘うドラマを幾つも生み出した。最初の悲劇は1区で 起きた。昨年の覇者である順大の第1走者が沿道の観衆との接触でまさかの足を 痛め何と最下位でタスキを繋いだ。その遅れは中々取り戻せず、5区箱根の登りで 第5走者の小野に更なる悲劇が襲う。残り500mの手前で足が痙攣して立つ事も 出来なくなり無念の棄権となる。翌日の復路では、大東大と東海大が相次いで走者 の疲労で足が立たなくなり途中棄権、前日の順大と合わせ3校が記録無しに終わった。 勝負は、往路優勝の早稲田に対し、復路最大3分の差を追い詰めた駒大が見事な走法で 抜き返し、早稲田の追い上げを許さず大差をつけてゴール。おめでとう駒大!

『お屠蘇』  Jan. 3, 2008 ▲Top
otoso.jpg  早いもので、お正月も今日で3日目。お宅によっては、お酒に溺れた方も出たのでは? という位、コタツに入って雑煮を食べ、毎日お屠蘇を飲んで過ごした人が多いのでは・・・。 私自身もその口だったので、昨日は新年の営業を始めたばかりのスポーツクラブへ行き 汗を流して、体調を整えてきた。日本のお正月の風習としては、お雑煮を食べ、お屠蘇を 飲むという家庭が普通だろう。では何故お屠蘇を飲むのかと言うと、新年の年頭にあたって 一年間の疾病を払い、長寿を願うものとされてきた。屠蘇は、正月三が日の朝に、「」と いう悪鬼を(ほふ)り、無病息災を願って飲む祝い酒のこと。中国から伝わり、平安時代 に宮中で始まったものが民間にも広がった行事と言われている。古代中国では、山椒の花 を浸した「椒酒」が用いられていたが、随の時代になって、山椒のほかに大黄、防風、おけら、 桔梗、桂心、いたどり、とりかぶとを加えた8種類の薬を合わせて屠蘇散が造られた。 正式な飲み方は、新年の挨拶を交わしたあと、若い順に三つ重ねの杯で、各杯を1回ずつ、 三度飲み回すというのが、正式な飲み方。若い順に飲む理由は年長者を守る毒見の意味があると言う。

『狭心症』  Jan. 2, 2008 ▲Top
私には狭心症の持病があり、何かの拍子に突然発症して苦しい思いをすることがある。 昨日の早朝、突然胸を締め付けられる痛みで目が覚めた。狭心症が起きたと知り様子を見て いたが、段々痛さが酷くなり、動くのも憚るほどになったので、急いでニトロを口に入れて静かに していた。心臓は血液のポンプとして体の必要な箇所に血液を送っている。そのため常に新鮮 で酸素のある血液が心臓にも必要である。心臓の筋肉に血液を送っている冠動脈が細くなったり、 詰まったりすると、心臓への血液の供給が少なくなってしまう。このように心臓の筋肉への血の 巡りが悪くなることを狭心症と言っている。しかしこの状態ではまだ心臓の筋肉の機能は完全には 低下していなくて、いわゆる黄色信号の状態である。この時に、胸の痛みを感じ、無理な運動が 出来なくなっている。こうして心臓の負担を軽くし、心臓への血の巡りが悪いことに対応しようと している訳だ。狭心症の症状として胸に痛みを感じるのが もっとも多い症状だ。左前胸部から みぞおち辺り、あるいは左肩等にかけて痛むこともある。胸が万力でしめつけられるような、動け ないような痛みが多い。痛みは階段を上ったり、運動をしたり、風呂トイレのようにとっさに無意識 に心臓に負担をかけるような時にも起こりやすいと言う。休むと少しは楽になるが、一度始まった 発作は中々治まらないこともある。どんどんひどくなる場合は心筋梗塞になる可能性もある。 日頃持病として用心しているので、対策用にニトログリセリンの錠剤を携帯していて、狭心症 の発作が始まると急いで錠剤を一粒舌下に含ませると、数分で痛みは治まってくる。ニトロは 毛細血管を広げ血流をスムースにする働きをして、胸の痛みを抑えてくれる。

『お正月』  Jan. 1, 2008 ▲Top
 お正月の行事は、日本で一番古くから行われている行事と言われている。その年の 豊穣を司る歳神様をお迎えする行事であり、正月とは1月の別名でもある。1月1日から 1月3日までを三が日と呼び、1月7日までは松の内と言い、この期間を総称して「正月」 と言っている。我が家の伝統的なお正月行事は、夜明けと共に、一家全員が食卓を囲み 正面に家長の父親と母親が座り、後は兄弟が順番に着席する。神前の三宝の上には お供え餅の上に橙を置き、周りに、干し柿、みかん等が載せられている。最初は父親が 三宝を持ち、神様に祈りを捧げた後、干し柿、みかんを頂く。次は長男が続き、後は 兄弟の順に同じ事を繰り返していく。最後に母親で、神様への感謝の儀式が終わる。 続いて、お神酒の入った徳利から、赤い漆の大皿に数滴の酒が注がれ、神に捧げて から口をつける形をとる。当時は子供なので、当然酒を飲むわけでなく、その儀式の形 として行われた。但し、長男の私が高校生頃には、生意気にも少し飲んでいたと思う。 酒に慣れている訳ではないので、朝の儀式が終わっても、少し赤い顔をして学校へ 行ったことがあった。儀式の最後は、父親からお年玉が渡された。年の順に金額に 差が有るのだが、長男の私はいつも最高額を貰えるのがとても優越感を感じていた。 あの頃からもう60年が過ぎ、兄弟が夫々正月に使える小遣額は、現役に近い若い 順に多いと思うので、財布の中身は今は完全に逆転しているだろう。

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