2007年9月
『旅の用意』  Sep. 30, 2007 ▲Top
 来週は、昔の東京時代の会社で、ゴルフ仲間と毎月のように続けてきたゴルフ会が、 長野県の蓼科高原で2日間のプレーが予定されている。今回が記念の第150回大会で 会社のゴルフ会としては、一番長寿の実績である。途中メンバー達が転勤で離れ離れに なりながらも、幹事役の若手メンバーが、名簿を引継ぎ、成績表を残し続けてきた お陰でこうして続ける事が出来たのに、誠に頭の下る思いである。今回記念大会として 1日目が三井の森蓼科ゴルフクラブ、2日目が蓼科高原カントリークラブとなっている。 宿泊は会社の厚生年金基金保養所を予約したので、安く利用でき、参加者は22名が エントリーされている。私も会社を退職して22年になるが、名簿に登録しているお陰で こうした区切りの大会には、わざわざ案内を受けている。2年前140回大会にも参加した。 既に、往復の切符の手配と、前日東京に宿泊するホテルの手配も済ませてあるが、今日 旅行の為のボストンバックの中身を吟味した。10日ほど前の下拵えの時は、まだ気候が 暖かかったので、薄着の着衣が主体だったが、急に冷え込みが厳しくなったので、改めて 厚手の衣類に入れ替えた。ゴルフバッグの準備も終えて、宅急便の引取り予約も済ませ 準備は整った。あとは4日後のプレーを楽しみにしている。

『クリーニングの日』  Sep. 29, 2007 ▲Top
 今日9月29日は、929の語呂合せからクリーニングの日と、全国クリーニング環境衛生同業 組合連合会が制定している。クリーニングには、大きく分けて、ドライとランドリーとがある。 ドライとは「水を使わない」 洗濯という意味で、水の代わりに有機溶剤を使って洗濯する方法。 ドライクリーニング法発見のきっかけは、フランスの某家のお手伝いが、テーブルクロスに ランプの蒸留油をこぼした時、クロスの色が落ちて白くなってしまった。これを見た、この家の 主人が始めた洗濯法だ。この方法はまたたく間にイギリスにも伝わった。日本に入ったのは 明治時代で、フランス人から技術を学び、横浜に初のクリーニング店を開業。その後、明治40年 に東京・品川で白洋舎が開業している。一般に広く利用されるようになり、昭和25年には 「クリーニング業法」が制定されている。しかし、油に水は溶けないので、汗などの水溶性の汚れ については、ドライクリーニングだけでは落すことが出来ない。そこで活躍するのがランドリーだ。 ワイシャツやブラウス、シーツなどの木綿やポリエステル混紡製品は、高性能の自動洗濯機で 洗い上げる。ワイシャツは衣類本来の色合い・風合いを最大限に生かし、糊付けも「固のり・普通 ・うすのり・のりなし」等の4段階に仕上げていく。 他にデリケートな毛皮や皮革のクリーニングもあるが、素材の持ち味を生かした仕上げの 「レザークリーニング」、最新のパウダーに独自のノウハウをあわせ、毛皮を傷めず、 つややかに仕上げる「ファークリーニング」などもある。

『BB』  Sep. 28, 2007 ▲Top
bb.jpg  我々の年代でBB(「ベベ」と読む)と言えば、ブリジット・バルドーのこと。 1934年9月28日生まれのフランス人女優だ。私の一歳上になるが、その魅力にはとても 憧れたものだった。当時アメリカの女優にもMMと言われたマリリンモンローも居たが、 モンローの妖艶さに対し、小悪魔的バルドーは、とてもキュートで素敵だった。彼女は幼い 頃からバレエを習い、その後、雑誌のカバー・ガールを経て、映画界入りしている。 愛称の「ベベ」とは「赤ん坊」という意味の「bebe」を意味していて,彼女の小悪魔的な 魅力を象徴していた。彼女は「woman-child」、すなわち、体は大人だが、心は子供と いったイメージで世の男性のハートをとりこにしていた。 1956年のロジェ・ヴァディム監督「素直な悪女」では、全裸で横たわるシーンが鮮烈な 色気で一大センセーションを呼び、"ベベ"の愛称でフランスの"セックス・シンボル" となった。「素直な悪女」はカンヌ映画祭にも招待され、町ではバルドーが浜辺を裸足で 歩く姿が世界中の話題になった。

『中秋の名月』  Sep. 27, 2007 ▲Top
tsuki.jpg 「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」と、歌に詠まれた中秋の名月のことだが、 その月とは、旧暦の8月15日の月のことだ。旧暦(太陰太陽暦)は、月の満ち欠けで日付を決める ものなので、現行の太陽暦(グレゴリオ暦)とはシステムが異なっている。従って両方の日付には 全く関連が無く、旧暦の8月15日は年によって一定していなかったとは知らなかった。ちなみに、 2005年は9月18日が旧暦8月15日、2006年は10月6日、2007年は9月25日、2008年は9月14日なのだ。 旧暦の8月15日(今年2007年は9月25日)を「十五夜」と呼び、この日は月の見える場所にすすき を飾り、月見団子、お餅、里芋、お神酒等を供え、月を見ながら歌を詠み、お酒を酌み交わす 慣わしがある。この月見は元々、中国の「中秋節」が起源とされ、中国ではこの日に月餅を食べ ていたものが、奈良〜平安時代初期頃、日本に伝わった時に、只のお餅に変わっていたようだ。 旧暦の8月15日は「十五夜」と呼ぶが、旧暦8月14日の月は待宵月、16日は十六夜月、17日は立待月、 そして20日は寝待月と、それぞれの月に美しい名をつけて、風雅なお月見を楽しんで来た。

『台風被害』  Sep. 26, 2007 ▲Top
 昔から、台風は立春から数えて210日目又は220日目に多く来襲していて俗称「二百十日」 又は「二百二十日」と、暦に印をつけて注意してきた。 しかし、それは昔の事で、近年の大きな台風被害は、9月26日が日本の台風史上特筆すべき 「台風の日」となっているようである。昭和29年9月26日の洞爺丸台風が、函館港沖で青函 連絡船洞爺丸を座礁転覆させている。この遭難では1,139名の犠牲者を出し、これは1912年 の北大西洋における「タイタニック号」、1865年のミシシッピ川での「サルタナ号」の事故に 次ぐ、世界海難史上3番目の規模であった。またこの台風は岩内町では3,300戸を焼失させる 大火を引き起こすなど、北海道を中心に多数の犠牲者を出した。昭和33年9月26日に狩野川 台風が神奈川県に上陸、この大雨のために、半島の中央部を流れる狩野川では上流部の山地 一帯で鉄砲水や土石流が集中的に発生した。天城山の山崩れは4,000ヶ所とも5,000ヶ所とも 言われる。そのため山沿いの集落は壊滅。同時に、所によっては深さ12mにもなる洪水が起り、 これが狩野川を濁流と化し、伊豆半島と関東地方に大きな被害を与えた台風。翌年の 昭和34年9月26日には、伊勢湾台風が日本列島に襲い掛かり、死者・行方不明者は5,098人、 負傷者39,000人にのぼり、明治以来最大の被害を出している。こうして見ると、昔の「二百十日」 又は「二百二十日」より実際には半月ほど遅くなっているようであるが、その原因はよく 分かっていない。一説では地球の温暖化によって昔より夏が長くなり、秋が半月ほど遅れて くるようになった為ではないかと考えられているようだ。

『10円カレーの日』  Sep. 25, 2007 ▲Top
gril3.jpg  今日は何の日と調べていたら「10円カレーの日」という話題が出て来た。
場所は東京日比谷 公園内にあるレストラン松本楼だ。創業以来今年は104周年目だと言う。1971年に火事で消失 した店を、1973年(昭和48年)のこの日再建したのを記念して、9月25日は松本楼名物のカレーを、 10円以上の任意の料金で提供し、その感謝をこめて始まったのがこの「10円カレーチャリティー セール」という企画。 いまでは日比谷公園に大行列ができるほどの人気イベントとなり、その売上金をすべて交通遺児育英 基金に寄付する事にしてきたと言う。現在では、日比谷の秋の風物詩として現代俳句の秋の季語にも なっている。今年この日は35回目に当たり、アグネスチャンが日本デビュー35周年、そして日中 国交35周年と記念日が重なる事から、アグネスチャンを招き、松本楼シェフとのコラボレーションで、 先着1,500名限定で通常735円(税込)のピースフルカレーが10円で食べられるのだ。 今日は日比谷公園散策のついでに松本楼の名物カレーを食べるのが風流かも。何時も通り11時からだ。 覚悟しないとちょっと並ぶかもね・・・

『純銀加工』  Sep. 24, 2007 ▲Top
silver.jpg  先日、所属するクラブの勉強会で、純銀を使ってペンダントを作る実験をした。 素材の純銀の粒子を素焼きの皿にいれ、ガスバーナーの炎で熔かす作業から始める。 バーナーの温度を上げていくと、大体950度Cで、銀は溶け始める。真っ赤に溶けた 純銀の塊は、お皿の中で真ん丸く集まってくる。完全に溶けたところで、お湯を入れた ボールの中に、少し小さな器に布を張ったものを沈めて置き、その中に溶融した銀を落とす。 水中に沈んだ溶けた銀は、やがて冷やされて、丸いボタンのような形で固まり、最後に 大きな泡を出して固体となる。固まった銀の塊を、金床の上に乗せ金槌で叩いて伸ばす。 最初の内は、割合いに簡単に伸ばせるが、暫くすると硬くて伸び難くなる。無理して 叩きすぎると、焼きが入って割れてしまうので、少し焼きなますと、楽に伸びる様になる。 程よい薄さと形に延ばせたところで、作業を終える。純銀のペンダントには、その証明を する為、純銀の文字のポンチを軽く打ち、印を打刻すると完成だ。ドリルで小さな穴を明け、 鎖金具をつけると出来上がる。こうしてキーホルダーにつけた、自作の純銀製ペンダント は一寸した自慢の作品だ。以前、銅板に他の金属を蝋付けして、靴べらを制作した事もあるが、 偶には、こうした非日常的な遊びも楽しいものだ。

『納豆』  Sep. 23, 2007 ▲Top
 子供の頃、甘納豆は大好きだったけど・・・納豆は食べられなかった。と言うか我が家 では、両親が食べなかったのか、大学に入って東京の寮生活のとき始めてお目に掛かった次第だ。 無論最初は、あの糸を引き、しかもやや臭いのする腐った納豆を見るだけで嫌だった。しかし、 嫌でも毎日の朝食にはその納豆と味噌汁に漬物しかないのだから、やがて仕方なく食べざるを 得なかった。でも意外に慣れてしまえば食べられたが、美味い食べ物と思わなかったように思う。 やがて社会人となり、女房を貰ってからは、納豆が嫌いとも言えず、何時の間にか気持ちよく 食べている自分に気づき始め、今では納豆は身体にいい物だと理解して好きになっている。 納豆の原料となる大豆は、昔から米・麦・粟・稗とともに五穀のひとつに数えられ、「畑の肉」 と呼ばれる良質な植物性タンパク質で、8種類の必須アミノ酸をまんべんなく含んでいる。 これを納豆菌で発酵・熟成させて作った納豆の栄養成分は、大豆そのものよりビタミンB群が 増加していて、中でもビタミンB2は、大豆の5倍も含まれている。また煮豆では約65%の 消化吸収の割合が、納豆菌による発酵によって90%まで改善されると言うから効果的だ。 さらにあのネバネバ成分にあるナットウキナーゼは、これまで血栓を酵素で溶かすのに18時間 かかっていたものが、2時間で約1.5倍もの血栓溶解作用を示すこともわかってきた。 この血栓溶解、血液サラサラ効果が長時間持続することが、高血圧、動脈硬化、心臓病の予防に 効果があり、納豆を好きになっていてよかったと思っている。

『ゴルフ練習』  Sep. 22, 2007 ▲Top
 45年ほど前の職場で、愛好者が集まって始めたゴルフコンペは、当初の会社名が福音電機(株) と言っていた関係で、ゴルフ会の名称を福和会と名づけて続けていた。爾来、組織が変わって も、それなり新しいメンバーを加えながら継続していたのも凄い事だが、今回150回目になる と言う記念大会に誘いの案内が来た。普通の職場のゴルフ同好会としては記録的な長寿の歴史だ。 しかも現在の見込み参加者は30名近く集まると言う。2年前の140回大会にも参加したが、 既にその会社を退職してから22年を過ぎるので、昔の仲間に会える事は誠に懐かしい。今回の 開催場所は長野県の蓼科高原に2泊3日の予定で行うと、書かれていたので参加する旨の連絡をし、 往復の切符の手配も済ませた。昔仲間にみっともない姿は恥ずかしいと、昨日は久し振りゴルフの 打ちっ放し練習場へ行ってきた。何年か前なら打ち放題で700発位は打っていたが、昨日は300発 打った所で、へとへとになってしまった。着ていたTシャツはぐっしょりなるほど汗をかいていた。 家に帰ってすぐシャワーを浴びたが、余りの疲れの為ベットに転がったら、3時間も寝ていた。 いつもの昼寝なら精々1時間程度で目が覚めるのに、よほど応えたのだろう。やっぱり年なんだ。

『業務スーパー』  Sep. 21, 2007 ▲Top
 以前、我が家の前にあった大型家電店が閉店し、しばらくは空き家になっていたが、 1年ほど前から、業務スーパーと言う看板が上がって営業が始まった。主として冷凍 食品類が多く、兎に角安い事が特徴の店だ。どうやら全国に展開しているチェーン店 で、扱われている冷凍食品には、輸入された物が多いと言える。はっきり言えること は普通の店で扱っている品物とは仕入れから異なるのか、安売りと言うのではなく、 3割4割は安いものを仕入れていると言うのが正しい。今年の酷暑に良く買ったもの と言えば、アイスクリームがある。普通のコンビニで100円のメーカー製アイスが 60円程度なので、いつも買い置きしておいて、フィットネスクラブから帰ると、必ず 食べていた。他にイチゴシロップの、かき氷の袋詰め60円に、あずき金時の缶詰を 買い置き、家で器に移して、氷金時にして良べた。朝食のパンなども、常時新鮮な 食パンや菓子パン等も98円以下と安いので、良く買った。最近店頭に並べられたものに 肉類や生鮮食品が増えたのは、当初の主客はスナックなど商売の関係者が本命と みていたが、最近の来店客は家庭の主婦が多くなり、生ものでも商品の回転が早く なったのだろうと思うが、更に便利になったと喜んでいる。

『100円ショップ』  Sep. 20, 2007 ▲Top
 相変わらず、何か必要なものがあると。まず100円ショップへ探しに行ってみる 癖が付いている。最近は、時々100円だけでなく、200円以上の価格設定をして 置いているものも有るので、注意が必要だが、こんな物までと思うほどバラエティに 富んでいる。一番安く感じるものは電池類だ。家の中の小物には電池で動くものが意外に 多く、当然電池が切れていれば動かないので、買い物に出たついでに、いつも余分に 電池は買い込んでいる。電気屋の電池は100円以上の値札が付いているものなのに、何故 100円ショップの電池はあんなに安いのか不思議な気がする。あと良く買ってくる物に 袋物と言うか、小さな入れ物・かばんの類だ。デジカメや携帯電話をちょっと入れて腰に 下げるタイプの物は、家の中に何個も転がっている。買うときはデザインや、色等が 気に入って買い、暫く使っているうち直ぐ飽きて、他の入れ物に取り替えている。 押しピンや、マグネット式で、金属の面に紙等貼り付ける小物。クリップ、蛍光ペン、 マジックペン、ハサミ、ナイフ等、机の周りで使う文房具ものも、探す前につい買っている。 後で引き出しを開けてみると、幾つも同じものが出てくるのは、必要だから買っている のではなくて、思いつきで買っている証拠だ。まあ、同じものを一杯買ったからと言って 生活に苦しむ訳ではないので、人にはこの程度の無駄遣いはストレスの解消に役立って いるのだろう。

『大根』  Sep. 19, 2007 ▲Top
daikon.jpg  昨日は、かいわれ大根の日だったが、ついでに大根について調べてみた。大根はどんな 食べ方をしても、当たらない(中毒しない)事から、へたな役者のことを大根役者と言う のだそうだ。しかし実は、大根は生でよし、煮てよし、漬けてよし、葉から根まで捨てる ところなしで、どんな料理にも対応できる優れた食材なのだ。大根の原産地はコーカサス 地方からパレスチナを中心とする地域で多く栽培され、シルクロード経由で日本に渡来して きた外来食物だ。日本の気候風土に合わせて交配を繰り返しているうちに、世界でも類の ない進化を遂げて、太さ、丸さ、長さ、大きさなどで、色々な種類の大根が作られるように なり、主に根の部分を食するようになっている。個人的には葉の部分を漬物にしたものが 大好きで、あのピリッとした辛さが、お茶漬けには何杯もお代わりする最高の漬物だ。 大根の辛みの成分は、イソテオシアナート類で、この成分はおろし金で、おろすとき、 細胞組織を破壊すると辛みを生じる仕組みになっている。この辛みは大根の上部には少なく、 根の先端ほど強い。おろし金に垂直に大根を当てて、力強くおろしたほうが、より細かく 破壊されるので、辛み成分が増すと言う仕組みだ。大根に含まれるビタミンCの肌に対する 働きには、肌のハリを保ち、しみや小ジワを防ぐ上に、コラーゲンの生成がある。 美容以外にも、ウィルスや細菌に対する抵抗力(免疫力)を高め、カゼや感染症を予防し、 ストレスを和らげ、血中コレステロールを下げる効果がある優れた食材で、発ガン物質の 生成を抑え、鉄の吸収を助けるなどの優れた働きをしている。

『かいわれ大根の日』  Sep. 18, 2007 ▲Top
kaiware.gif  今日も、ひと言に書くタネが無かったので、何かの記念日が無いか調べてみた。 そしたらあったあった。なんと今日は「かいわれ大根の日」だって。昭和61年9月に 日本かいわれ協会が開いた会合で、無農薬野菜である「かいわれ大根」をもっと親しんで 貰おうと、9月18日を「かいわれ大根」の日と決めたのだという。では何故18日かと言うと 1と言う数字の上に8の数字を横向きにして乗せると、「栴檀は双葉より香ばし」では 無いが、双葉のカイワレの姿になるところから来ているという。語呂合せではなく形から 来た決め方のようだ。かいわれ大根は、種から双葉の段階まで育ったところで、食べて しまうが、そのまま育て続けたら大きな大根になるのかと言う疑問が湧く。 何年か前にフジテレビの「めざましテレビ」でそんな実験をしていたことがあるらしい。 結果、その多くは成功しなかったものの、ある家庭ではかなり立派な大根になっていた らしく、発芽状態の良いものを畑の土に植え替えると、立派に大根として育った事例が あるという。

『総理の椅子』  Sep. 17, 2007 ▲Top
 今回、安倍総理が突然辞任すると言う番外編が起き、その報道を聞いたとき、最初は誰もが 耳を疑った。国会の所信表明演説が終わり、これから代表質問が始まると言う所で突然自ら 身を引く事に決めたって、それでは全く敵前逃亡で、手ぐすね引いて待っていた野党にとって、 土俵際の肩透かしもいいところだ。直前まで「職を賭して取り組む」と言っていたが、頑張る どころか、職を投げ出して逃げてしまった。本当は体調が万全では無かったのかも知れないが、 その程度の事なら、誰にもあることで、少し休養を取れば済むことである。それが当初の言い 訳に、テロ特措法の期限延長問題で、野党代表の小沢さんが話し合いに応じてくれないのは、 私が首相に座り続けることが障害で、この先このままでは問題が解決しないので、辞める事を 決意したと言っていた。辞める理由は、あたかも小沢さんが原因のような印象の言葉だった。 そんな簡単に総理の椅子を下りるのなら、総理大臣になるべきではなかったと思う。以前小泉 政権の官房長官時代、北朝鮮の拉致問題に対して、毅然とした態度で、横田めぐみさんを何と しても取り返すと、言っていた時は、頼りがいのありそうな政治家と写っていたが、いざ総理 大臣になってからの演説は、文章言葉を変なところで区切り区切り話し、意味の通じない話が 多く、全く期待はずれだった。結果的にこんな早く辞任するとは予想しなかったが、続ける にはやっぱり器が小さすぎたのだ。ポスト安倍で、麻生対福田で総理の椅子争いが行われて いるが、もうこれ以上の二番煎じはないようやってほしい。

『マッチの日』  Sep. 16, 2007 ▲Top
match.gif  今日はマッチの日。太平洋戦争が終わってからの昭和23年、それまで配給制だった マッチの自由販売が許可された事を記念してマッチの日が設けられた。私が中学1年 生の時代の話だ。当時はまだそんな時代だったのだ。マッチの歴史は、今から180年 程前、英国の薬剤師ジョン・ウォーカーが初めて木のマッチを作っている。 当時のマッチは黄リンを使ったもので有毒ガスを発生するうえ、きわめて発火し易いので 火災の危険も高かった。日本のマッチは、フランスに留学していた清水誠が1875年(明治8) に東京・三田で製造を始め、翌年には政府の補助を受けて本格的なマッチ工場が誕生した。 現在のようにマッチ箱の摩擦面に擦って着火するマッチは、その4年後頃から、安全マッチ として製造されていて、その翌年後には輸出するまでになっている。マッチと言えば、 アンデルセン童話のマッチ売りの少女の悲しい物語を思い出す。

『夜釣りの釣果』  Sep. 15, 2007 ▲Top
chinu4.jpg  一昨夜の電池切れ事件で、暗闇の釣に見切りを付け、早々に釣場を放棄して帰宅したのを、 リベンジーと意気込んで昨夜も夜釣りに出発。釣場の近くで車を止め、前日買い込んだゴカイ の餌は冷蔵庫で保存していたのを、車の中で腰につけるタイプの餌箱に入れたうえ、竿を 手にいつもの岸壁まで歩いた。さて餌を付けようとしたら、餌箱は空っぽだ!。何と車の所で 餌箱にゴカイを入れて腰につけたあと、蓋を閉めて無かったようである。慌てて車の 近くまで戻ってみると、途中の道に点々と餌が落ちている。幸いまだ誰にも踏み潰されて なかったので1匹ずつ拾い上げて餌箱に入れて釣場に戻った。電気ウキのランプをつけて、 浮き下を1.5mに設定し、岸壁の際を探りながら釣り歩いた。午後6時頃が干底だったので、 8時頃から当りが来始め、結局9時までに2度の当りで2匹のチヌを釣り上げた。サイズは 22cmと25cmの中型だったが、まあまあ食べごろサイズの釣果だった。

『ヘッドランプ』  Sep. 14, 2007 ▲Top
headlamp.jpg  夜釣りに出かけるときの必需品は、仕掛けを直したり、餌をつける時や、釣った魚を 取り込むときなど、真っ暗な釣場ではヘッドランプが必需品だ。昨日夜釣りに行く為、 明るい内、夜釣り用の仕掛けを作り、夜光のウキの準備など怠り無かった積りだった。 仕掛けを作る段階では、格納するベストの各ポケットに忍ばせる小物入れなども点検 していた。肝心のヘッドランプは、最近殆ど使った記憶は無かったので、電池の確認 の為、点灯実験は充分して置いた。確実に明るく点灯していたのは間違いない。そして 夕方、準備を整えた上で、餌のゴカイを買い込み、釣場に出掛けた。明るい内に釣場 を充分下見し、場所を決めて仕掛けを降ろした。やがて暗くなったので、ヘッドランプ を点灯しようとしたが、何故か暗い。電池の接触不良かと、外してみて、良く確認 すると、ほんの薄暗くランプが点灯しているのは判った。何と、昼間チェックした時、 スイッチが入りっ放しだったようで、夕方までに残り電池を殆ど使い切っていた様だ。 ヘッドランプは、もう1セット持っていたので、それを使おうとしたが、こちらも 電池の残りは殆ど無く、スイッチを入れても、暗くて使い物にならなかった。生憎、 スペア電池は持ってなかったので、結局、真っ暗な釣場で、一切の照明が無いのでは 何も出来ず、仕方なく納竿して帰宅した。備えあれば憂いなしとは言うが、夜釣りに 電池を持たなかったのは大失敗だった。帰宅後、忘れぬ内すぐ電池を購入してきた。

『釣り道具』  Sep. 13, 2007 ▲Top
 魚釣りは好きな趣味と言うだけでなく、夫婦で一緒に楽しめる遊びと言う事で毎週の様に 近場の海岸へ出かけることが多い。そもそもは、新婚旅行で淡路島を経由して神戸・大阪と 周遊したが、淡路島で、船をチャーターして船釣りを楽しんだのがきっかけになった。 以来釣り情報を聞くと、何処へでも仲良く夫婦で釣に出かけている。これまで集めた釣竿は 50本近くあるが、時代とともに素材は竹からカーボンに進歩したり、竿の多様性もあり、 その時代とともに何時の間にか増えてしまった。竿の種類も、関東に住んでいた時代は友人 に誘われて船釣りの機会が多かったので、船竿が増え、大阪転勤時代は和歌山方面に出かけ 投釣り用の竿が主体だった。仕事を引退して四国へ帰ってきてからは、家近くの岸壁からの 釣りが多くなったので、今はチヌ竿やメバル用の竿など、軽くて柔らかい竿を愛用している。 釣に出かけるときは、専用のベストを着ていくので、日頃暇さえあれば、目的の釣に合わせた 仕掛けを作っておくのが楽しみだ。近くの釣り道具屋に出かけて、針や錘、ハリス等の材料を 買ってきては、思い入れを込めた仕掛けをつくり、小さな短冊に切ったダンボールに巻込み、 数多くあるベストのポケットに仕舞って、いつでも出かけられるよう準備してある。

『君が代』  Sep. 12, 2007 ▲Top
 日本の国歌は誰が何を言おうと明治時代から『君が代』である。歴史を調べてみると、 始まりは明治2年当時薩摩藩兵の将校だった大山巌により、日本の近代化の為に大英帝国等 に見習って国歌を制定するべきだと提唱し、制定したとされている。歌詞は「古今集」の 読み人知らずの和歌に、イギリス軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンが曲を作ったが、 メロディが日本語の歌詞に合っていないと言う事で、後に宮内庁雅楽課の林広守が現在の曲 を作曲している。以来、『君が代』は国歌として慣例的に用いられてきたものである。 後の明治36年にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で『君が代』は一等を受賞した名曲 である。戦後、各方面から君が代に対する批判が激しくなり、天皇制自体に批判的な層から、 『君が代』から天皇讃美の意味を読みとり批判の対象とされ、日教組などの反対派は憲法が 保障する思想・良心の自由に反するとして、国旗掲揚と『君が代』斉唱に反対した。国の方針 と日教組の板挟みになった広島県立世羅高等学校では、卒業式当日に校長が自殺した事件もあり 『国旗及び国歌に関する法律』が成立した。愚かな戦争は2度とするべきではないが、だから と言って国旗や国歌の無い国家なんてありえない。事実上の国歌として歌われてきた明治以来 の伝統を重視して国歌は『君が代』として認めるのは当然である。今日は「君が代制定記念日」 だ。因みに、天皇が公の場で『君が代』を歌ったことは一度もないそうだ。

『水洗式トイレ』  Sep. 11, 2007 ▲Top
 我が家を一歩離れて、大を催したとき、トイレを探すのにパニックになることがある。 昔、痔を患って手術して今は昔のような痛い痔はない。但し昔のようなしっかりしたもの では無く、やや弱い組織になっているので、硬い紙を使うと、昔のように切れて傷になる のはとても怖い。絶対にウオシュレットでないと駄目だ。幸い最近は公衆トイレでも水洗で ウオシュレットの設備の完備しているところが増えていて、見つけたときは正直ホットする。 日本の下水道整備状況は、欧米に比べてまだ遅れていて、総人口普及率は50%程度らしい。 下水道未整備の田舎では、最近浄化槽式ではあっても、トイレの水洗化はかなり進んできた。 実は調べてみたら、水洗式トイレは紀元前3800年ころに、すでに存在していたという。 古代ローマ時代に、家の中に下水に通じる大理石のトイレが存在した事が発見されている。 戦後、食糧難だったころ、家の周りの空き地を見つけては野菜や穀物などを栽培したとき、 肥料として、家の汲取り式トイレの下肥えは貴重だった。小学4年生だった私は、毎日ドラム 缶に下肥を天秤棒で担いで、畑に撒いていた。あの頃、水洗トイレでウオシュレットだったら、 全て下水道に流されて、下肥は調達できなかった事だろう。

『病気腎移植』  Sep. 10, 2007 ▲Top
 宇和島徳州会病院の万波医師による病気腎移植の是非について、医学会が問題にしている。 現在腎臓疾患患者は日本国中に大勢いる。私の回りにも同級生の一人と、家内の義兄が 毎週人工透析に頼って生活している。先日透析後の腕をまくり注射針の跡を見せられたが、 これ以上腕には針の刺す所が無いのではと、思うほど傷跡だらけで、本人曰く針の刺さる所を 探すだけでも大変だし、やっと見つけた場所は、とても痛いそうで、死にたくなる程とか。 透析から逃れる為には、健康な腎臓移植しない限り、解決できない。しかも移植の為の腎臓の 提供を期待できるのは、親族だけだが、年老いた連れ合いから貰うわけにも行かず、ただ善意の 提供者の現れるのを待つのみである。長年腎臓疾患患者と接してきた万波医師は、一方で悪性の 病的腎臓と判断して患者から取り出した腎臓も、摘出後に良性腫瘍と分かり、手術した患者に、 戻すには更に7時間の手術が必要だし、捨てるには勿体無いと、移植を待つ患者に移植し両方の 患者が助かったと言う例があった。医学会の反対理由は、世の中に大勢の移植希望患者がいるのに、 万波医師一人の判断で、移植者を決定した事に不満を言っているようだ。確かに、世の中全体から 考えれば、選ばれなかった患者にとって不公平感は否めない。医学会では、病気の腎臓を移植する ことにも反対しているが、移植を待つ患者にとっては、たとえ欠陥のある腎臓であっても、毎週の 透析の苦しさから見れば、少しぐらい病気の腎臓でも良いと言っている。医学会の見解は、自分達 の立場だけで論じているが、本当に悩んでいる患者の立場を考えれば、真剣に患者の事を考えて いる万波医師はもっと評価されてもいいのではないだろうか。

『呪われたポスト』  Sep. 9, 2007 ▲Top
 日本の政治家はどうなっているのだろう。安倍内閣は農林水産大臣のポストに、何人の 大臣を指名したら問題の無い清廉な人を見つけられるのだろう。国民の政治不信をどうすれば 払拭できるのか、泥沼状態に陥っている。過去にも2001年に就任した武部勤大臣はBSE問題を 巡る失言騒動で国民の強い批判を浴び、翌年の内閣改造では事実上更迭され、後任の大島理森 も続出する疑惑から退任に追い込まれている。2004年に就任した島村宣伸は翌年の郵政解散に 反対して罷免された。そして安倍政権で大臣に就任した松岡利勝は、何とか還元水問題を国会で 追及され、言い逃れが出来なくなり自殺。後任の赤城徳彦は、顔に貼った絆創膏が説明できず に辞任。そして、8月27日に発足した安倍改造内閣では、期待されて遠藤武彦農相が就任したが、 置賜農業共済組合掛金不正受給問題などを追及され、9月3日に辞任。在任期間が8日間と言う 稀に見る異例の短命大臣となった。そして後任は、若林正俊氏。ところがこの人にも問題が。 関連している政治団体の代表者に、農水省の補助金を受けている団体の会長が在任していることが 判明。若林事務所によると、この人物は若林農相の別の関連政治団体に計12万円の献金をしている。 若林農相は報道陣に「法律上の問題はない。不適切とは全く思っていない」と言い切っている。 この辺までのやり取りは、既に退任に追い込まれてきた歴代大臣と同じ様相を呈している。 この所、与党も野党も政治資金がらみの問題指摘が続発している。果たして本当に国民の信頼 出来る政治家は何人いるのだろうか。そして呪われた農林水産大臣のポストは何時納まるのか。

『Yahoo!ゆうパック』  Sep. 8, 2007 ▲Top
 お金の使い方は、知らないと損することが一杯あることは判っている。日頃身の回りで、 例えば買い物でも、チラシなどで食料品、日用品、家電品など毎日隅々まで調べて買い物に 出かけている。時に同じ店でも、特売日か普通の日かで、相当の差がある場合があるので、 気をつけている。以前オークションに出展した時、落札後の荷物を送るとき、何も考え ないでゆうパックで送っていた。それでも普通の宅急便より安く送れたと思っていた。 最近、Yahoo!ゆうパックと言う制度があるのを知り、初期登録して利用してみた。それは ヤフオクに関係ない通常の荷物発送だった。我が家のパソコンから宛先住所氏名を入力し、 必要な料金もクレジットカードで支払いも済ませた。後は近くのローソンへ持ち込み、端末 から受付番号を入力すると、発送伝票が打ち出されるので、荷物に貼って店員に渡せば 手続き終了だ。しかも今まで気づいていなかったが、従来のゆうパックなら、同じ荷物が 郵便局持込でも900円掛かっていたのが、Yahoo!ゆうパックでは僅か550円で済んだ事だ。 しかもYahoo!ゆうパックを続けて利用する事によりポイントが増え、別のサービスが受け れらることも知った。世の中知らないと損すると良く言うが、これは大きな事だった。

『くさふぐ』  Sep. 7, 2007 ▲Top
hugu.jpg  先週西条地方局でパスポートの更新手続きをしていたが、昨日、新しいパスポートの 受け取り日と言うことで、受取りついでに、家内のリクエストもあって、同じ方角の 今治市まで足を伸ばして魚釣りをする事にした。潮の加減が正午干底と言うこともあり、 満ち潮になる午後からを狙う事にした。途中昼食の弁当をコンビニで買い込み、正午前 釣場に到着。途中買い込んだ弁当を食べて腹ごしらえを済ませて、早速仕掛けを準備。 餌は、出掛けに我が家近くの釣り道具屋でゴカイ1000円分を買っておいた。いつも、 満ちこみにベラがよく釣れた場所に竿を出したが、ベラの数よりフグの方が良く釣れた。 後ろで釣っていた家内の方が、調子いいようなので、見に行ってみると、大きなクサフグ が結構釣れていて驚いた。結局、釣果はフグが36匹、ベラが6匹だった。家内の釣ったフグ は最大17cmあったが、船釣りならともかく、陸地からの投げ釣りではこれまで最大サイズ の形のいいものばかりだった。釣り終わってすぐ、釣場でフグの腹を割いて内臓を取り、 全て調理して氷詰めにした。帰り道コンビニでフグチリ用の大根、白菜、ネギ、茄子、 スダチ等を買い、家に帰ると早速ちり鍋を作り、ビールの肴にした。 自分で釣ったフグは良く食べるが、今回ほど大型のフグがこれだけ釣れたことは無いので、 大変な御馳走だった。最後に鍋の出汁で炊いたふぐ雑炊は最高の味だった。

『プール』  Sep. 6, 2007 ▲Top
 泳ぎ始めたきっかけは、20年前ほど前、急性肝炎で生死を彷徨った挙句、無事この世に 生還したが、半年は仕事を休んで療養したことからである。その後仕事の現場に復帰したが 体力の衰えはひどく、リハビリのためにプールに通う事になった。現在通っているFITTA の プールは7つのレーンがあるが、子供の練習で2〜4レーンが専用に取られる時間帯があり、 成人が使えるレーンは少なくなる。その時レーンは、休み無く長距離をお泳ぐ人の為と、 50mと、25mを休みながら泳ぐ人、全く歩くだけの人向けに分けて利用する。私はいつも 長距離のレーンを使っているが、最近このレーンに、まるで丸太棒が浮いている様に太った 女性が来て泳ぎ始めた。彼女は確かに休み無く長い時間泳いでいるが、欠点は速度が遅く、 彼女が1往復する間に、こちらは2度から3度追い越さないといけない状態で困っていた。 昨日もその女性が、長距離レーンで泳ぎ始めたので、我慢しきれず途中で呼び止め、別の レーンに行って欲しいとお願いした。彼女は事情を判ってくれたが、他のレーンはあまり 泳げない人で溢れていて、大きな身体の自分が泳ぐと、まるでレーンが塞がってしまうので 迷惑かけると思っていたらしい。言われる通り、彼女のスピードで泳がれると、追い越す程 スピードが出せない人たちは詰まってしまうだけで、コース内は混乱し、泳ぐのを止める人 が多かった。しかし、長距離を泳ぐ人たちは全員が速い速度で泳いでいる訳で、お互い一定 の距離を保って泳げるが、その女性がいる限り途中で何度もレーンの中で避けなければなら ない訳で、勝手ながら仕方ない事だったと思っている。でもこれパワーハラスメントかな?

『食欲』  Sep. 5, 2007 ▲Top
 今年の夏は、格別暑い夏だったと言う印象である。8月までの気候は天気も不順で 気温もそれほど高くない日が多かった。しかし立秋を過ぎた頃から、大平洋高気圧が 日本列島を覆い、連日30度を越える日が続いた。9月に入っても関西以南の気温は 相変わらず猛暑日が続いている。暑い日は食欲も何となく進まず、相変わらず昼食に ソーメンを選択することが多い。振り返ってみると8月中の昼食の80%はソーメン をリクエストしていた。他のメニューを選んだ記憶がないから間違いない。 最近は年の所為か、肉類を余り食べたいと思わず、どちらかと言うと魚の方がいい。 野菜は、毎食大きなお皿に山盛りのキャベツ、ピーマン、トマト等をマヨネーズや ドレッシング、たまにソースをかける等、日によって変化をつけて食べている。 他に、夏場は身体の体温を下げる効果があると知り、自然栽培のきゅうりに味噌を 付けて食べるのが好きで、毎食2〜3本はかじっている。オクラの刻んだのも好きで 花かつおを乗せて醤油をぶっ掛けたのを大きなサラ一杯平らげている。フィットネス へ行くと、必ず体重をチェックしていて、食欲の無い分少しは痩せるかと期待したが、 体重の減少は全く見られず、どうやら夏ばてはなかったようだ。

『世界陸上』  Sep. 4, 2007 ▲Top
 日本国中が期待を膨らませてテレビ観戦していた世界陸上は、各選手の奮闘も叶わずメダルに 届かぬ競技が続いた。そして最後の女子マラソンで、我が愛媛県出身の土佐礼子が、見事悲願の 銅メダルを獲得した。後半疲れからメダル圏外に落ちていたが、最後の力を振り絞り、みる者を 感動させる粘りの走りで、日本人最高位の3位でテープを切った。出場直前の練習中不運の負傷 で、出場も危ぶまれていたのに、根性で治しての参加だった。この大会で唯一のメダルだった。 気の毒だったのは、男子競歩50キロで、後半フラフラになりながらも、8位の入賞争いしていた 山崎勇喜選手が、競技役員の誘導ミスにより周回数を誤ってしまった。他の選手は未周回のコース に誘導されていたが、山崎選手だけを係員は半ば強引に競技場内へ誘導した。本人も怪訝な顔をし ながら場内へ入った。間違いに気づいた実況中継のアナウンサーは、山崎選手に引き返せ引き返せ、 今ならまだ間に合うとマイクに向かい大声で叫んだが、走路の選手に聞こえる訳も無く、ゴールして しまった。電光掲示板に一瞬、表示された「5位」は、北京五輪内定を意味するはずだったが、 周回不足は途中棄権と判定され、入賞は幻と消えた。 それでもけなげな山崎選手は、間違えたのは役員だけの責任ではなく、自分にも非があると潔く 「この悔しさは北京で晴らします」と言ったとか。偉い!!ぜひ次回は自力で頑張って欲しい。

『ひと言』  Sep. 3, 2007 ▲Top
 ひと言を毎日書き始めて5年を過ぎる。最初の頃は、色々ネタもあり、楽な気持ちで 書き始めたが、長く続けてくると、毎日とても苦しい思いをしながら書くようになってきた。 苦しいなら書くのを止めれば済む事なのだが、やはりこれまで続けてきたのにと言う思いは、 捨てきれない。振り返ってみると、毎年繰り返しているだけに、季節感や記念日的な事は 同じ時期に題材が繰り返されているのは仕方が無い。しかし、同じ題材でも書くときの視点 が異なるのか、生活の環境が変化してきたのか、内容が充実してきているのは、それなりに 立派に書く努力をしているのだなあと自己満足している。 特別立派な事や、ウンチクを語るほど物知りでもないし、学があるわけじゃない。ただし、 ネタを書き始めて自分の知らなさを感じると、一生懸命調べてみることは、自分の為でも あるし、恐らく読んでくれた人にも、その貴重な発意的気持ちが伝わっていると思っている。 私は無理だが毎日ブログに長い文章を書いている人を見ると、とても私にはない凄い 能力だと感心する。ただ読む人に何を伝えるかの要点だけが重要で、長い文章は読む 人に無駄な時間を使わせていることになる。如何に簡単明瞭に自分の思いを伝えるかが、 ポイントだと思っている。

『いも炊き会』  Sep. 2, 2007 ▲Top
imodaki.jpg  昨夜はWEB仲間「みなみ風」のいも炊き会だった。毎年この時期になると、新居浜市料飲組合 が、市内の中心を流れる国領川河川敷に、炊飯用のコンロにガス管を引き、場所を提供している。 材料の芋や野菜、肉類を1人前1500円程度の手ごろなセットにしてにして販売サービスが行われる。 夕方になると、学生や仕事帰りの仲間や、家族連れなどが三々五々輪になっていも炊きが始まる。 いも炊きとは、書いて字の如く、秋の月見を兼ねて、屋外で「いも」を「炊き」それを肴に大勢で 宴会する慣わしで、今では全国何処にも見られる風物詩になっている。いもは里芋が使われ、肉は 地域により、鶏肉や牛肉、豚肉などさまざまのようである。主材料にサトイモが使われるのは、昔、 江戸時代、米の不作に備えてサトイモもつくられていたが、サトイモの収穫時期に合わせて各地の 農村部でこのいも炊きの原型と考えられる行事が行われていたのが残っているようだ。 35年ほど前、仕事で山形地方に住んでいたことがあるが、山形県や宮城県では「芋煮」と呼び、一般の スーパーマーケットや生協などは、具材の販売はもちろん、芋煮に必要な鍋の貸し出しなどが行わ れていた。中には、指定した場所まで宅配サービスを行う業者もいた。小学生だった子供たちは、 地域の学校の課外授業の一つとして芋煮会を取り入れ、リヤカーに道具や材料を積み、近くの山や 河原へ出かけて行っていた。

『防災の日』  Sep. 1, 2007 ▲Top
 大正12年9月1日(1923年)正午少し前、関東地方を襲った大地震により死者9万1802人、行方 不明者4万2257人、倒壊、焼失家屋13万軒余の大被害を蒙った。政府は、この日に起きた関東 大震災の教訓を忘れないという意味で、昭和35年(1960年)防災の日と定めた。更にこの日は 立春から数えて210日目となり、昔から「二百十日」と呼びこの時期に多い台風への心構えの 意味も含めて防災の日に制定されている。毎年9月1日を中心として「防災週間」として、全国 各地で防災訓練や、防災施設の点検などが行われている。我々一般家庭でも、防災の日を利用 して、いざと言うときの非常持ち出しとして、電池やミネラルウォーター、当座の非常食として 保存食や缶詰などの内容点検と、地域指定の避難場所の確認など、家族で行っておく事が必要だ。 またいざと言うとき、非常持ち出しは不可能でも、震災が収まった後、戻ってきて使用できる 水やインスタント食品、加熱可能なコンロや野外で利用できる飯ごう、鍋類等も準備しておくと 役に立ち安心である。阪神淡路大震災では、家具や家電の転倒による被害も多く見られたので 、不安定な家具の固定、また危険なものがないかなど、この機会に今一度家の内外の点検を 勧める。更に、避難の時、割れたガラス等で足を怪我しない為、身近に履物を準備しておく事も 忘れぬようにしておこう。

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