2007年8月
『かき氷』  Aug. 31, 2007 ▲Top
 今年は猛暑日が長かったので、暑さしのぎに色々知恵を絞った。冷たく冷やした麦茶は 水分補給と、健康管理も兼ねて、冷蔵庫には絶えず準備していた。しかし一番気に入った のはかき氷だった。実は自家用かき氷削り器は、以前買った物があるはずなのが、冬の 間、何処に仕舞い込んだのか見つけられず、結果として近所の営業スーパーで売られてる、 一袋60円のかき氷(ビニール袋入り)を大量に買い溜めして冷凍庫に保存し愛用した。 一緒に茹であずきの缶詰も買ってあり、食べるとき、かき氷とあずきを入れて、金時かき氷 にしたり、練乳を入れて、ミルクかき氷やシロップを変化させる等の工夫をして楽しんだ。 毎日の日課で通っているフィットネスクラブのトレーニングから帰宅して、火照った身体には、 かき氷の冷たさは、全身の血液を巡って身体を冷やしてくれるのがたまらない快感だった。 今年の夏には間に合わなかったが、自家用かき氷削り器を探すか、新しいものを購入して、 来年の暑さしのぎには間に合わせよう。

『パスポート』  Aug. 30, 2007 ▲Top
 毎年海外へ出かけることから、パスポートはいつでも大丈夫なよう10年旅券で対応してきた。 それも来月にはいよいよ期限が切れることになり、再申請の手続きをした。予め外務省のHPで 下調べし、更新用に写真と返信用のハガキを準備し、西条地方局旅券窓口へ出向いた。 外務省では平成18年3月20日より新しいタイプのパスポート「IC旅券」の発給が開始されていて、 パスポート申請用の写真の規格についても変わっていた。申請用写真の顔の縦の長さ(頭頂から 顎までの距離)34±2ミリメートルとなっていたが、今回の写真は自前のデジカメで撮り、印刷 のとき外形サイズについてだけ、気を使ったが、結局顔の長さは正確には31ミリしかなかった。 旅券課の女性は、物差しで写真の顔の寸法を計り、3ミリ足りませんので、撮り直してくださいと、 返却された。隣の男性は正規の写真屋に行くのが正解ですよと言っていたが、悔しいのでもう一度 作り直してきますと、一旦家に帰った。改めて何種類かの印刷を繰り返して、顔の寸法をピタリ と適合するものを準備して、再度受付へ。ところが今度こそはと持っていった写真は、本人の人相 と少し違うとクレーム。しかし今回は色々試しに作った写真全てを持っていっていたので、机に 並べて、どれか合格のものは無いのか、調べさせたら1枚合格基準のものがあった。念の為作った 写真を全て持っていて正解だった。パスポートは無事1週間後に完成し受領出来る事になった。 これで、秋のフィリッピン旅行と、来年2月のインドネシアゴルフツアーの準備は出来た。

『皆既月食』  Aug. 29, 2007 ▲Top
gesshoku.jpg  昨夜は、3年3か月ぶりに見られる皆既月食と言うことで、とても期待に胸膨らませていた。 天体ショウが始まる時間が、夕刻からと言う事で、デジカメに三脚を準備していたが、肝心の 夕方頃の空は雲に覆われていて、月食が見られる可能性が非常に低かった。暗くなる前に夕食 を済ませ、天空の良く見える海岸に出かけた。しかし空の雲は意地悪く垂れ込めているので、 仕方なく、夜釣りに切り替え、竿と餌を入れたクーラーと、万一に備えてカメラと三脚も持って いつもの釣場まで歩いた。時々空を見上げたが、一体どの辺に月が隠れているのか、分らず半ば 諦めていた。その時、仕掛けていた竿のウキが動き、幸先よく25cmのチヌが釣れた。この頃 は、月食の事をすっかり忘れていた。しばらくして夜空を見上げてみると、何と東南の空に三日月が 見えた。釣れた魚に気を取られている間に、月食は既に皆既状態から過ぎたところだった。 一生懸命シャッターを押したが、後はどんどん月が大きくなって行くばかりであった。雲に隠れて いた間に、月食は進んでいて、雲の切れ目から月が顔を出した頃は、ショウの終わり近くだった。 最後に満月の月が姿を現した頃から、空の雲がなくなっていたが、誠に残念な結果だった。 天空ショウが終わった頃には、魚信も全く無くなり、釣りを諦め納竿して家路についた。 獲物はチヌ一匹だけだが、月食観測のおまけだった。

『チヌ飯』  Aug. 28, 2007 ▲Top
 先週は、土日の二日間久し振りの夜釣りで釣れたチヌを、家内に頼んでチヌ飯を炊いて貰った。 釣ったその日は、魚が痛まないように塩焼きして置き、翌日改めてご飯を炊くとき、塩焼きした チヌを入れて炊き上げ、炊きあがってから身をほぐし、丁寧に骨を外してから、ご飯を混ぜた。 タイ科の魚の骨は、とても硬いので、気をつけて取り除いておかないと、うっかり喉に刺さると 大変な騒ぎになる。実は子供の頃、喉に刺さってなかなか取れず、医者に取って貰った事がある。 ご飯を炊き上げるとき、香り付けに醤油を足してある為、炊き上がったチヌご飯は美味しそうな 香りに溢れていた。初日の釣果は中型チヌ1匹だったが、ほぐした身は二人分の食事には充分で、 翌日の2匹を使ってのチヌ飯は、二日掛かりの満足度だった。熱帯夜で寝苦しい夏の夜の過ごし 方としては、実益を兼ねた有意義な2日間だった。

『続夜釣り』  Aug. 27, 2007 ▲Top
chinu3.jpg  一昨日土曜日の夜釣りは途中から風が強くなり、波も高くなったので、早めの納竿で家に帰った為、 餌のゴカイが大分残っていた。勿体無いので、クーラーに大目の氷を入れてゴカイの保存をして置いた。 昨夜、残した餌を調べてみたらクーラーの冷却保存が効いて、ゴカイは元気に動いていた。早速準備して 暗くなる7時頃から、再び夜釣りに出掛けた。土曜日の釣場は、大勢の釣り人で溢れていたので、今回は 場所を変えて、川東の澤津港に出かけてみた。ここは漁船の船着場なので、幸い釣り人は居なかった。 係留された漁船の間を探り釣りしながら、場所を移動していたら、微かにウキを引き込む感じがあった 。少し誘いをかけて見ると、今度はしっかり当たりがあり、一気にウキを消し込み、23cmのチヌが釣れた。 一昨日のサイズより少し小さいが充分食べごろだ。引き続き探り釣りを繰り返したところ、次の当たりは 竿が大きくしなり、しばらくやり取りしたが、タモを用意していなかったので、結局糸を切られて取り込み に失敗した。実は明るい時間に造った仕掛けは、0.8号の細いハリスだったのが、最初のフグを釣った時、 ハリスが痛んでいたのを見逃していた。改めてハリスを2号の太めに変えて、仕掛けを作り直した。 すぐ2匹目のチヌが釣れたが今度はやや小ぶりだった。更に30分後大きな当たりがあったが、針掛りが 不十分だったのか、取り込む前に逃がしてしまった。そこで餌のゴカイが無くなり納竿する事にした。 釣果はチヌ2匹と小さなサンバソウ1匹。ゴカイは前夜の残り物だったので、餌代は只だ。まあいいか!。

『夜釣り』  Aug. 26, 2007 ▲Top
chinu2.jpg  立秋を過ぎてから、猛暑の毎日が続いている。大平洋高気圧が南に居座り、日本列島は 連日30度を超える残暑で、夜になっても気温が下る事もない寝苦しい日が続いている。 どうせ夜になっても暑いのなら、いっそ夜釣りでもと昨夜近くの海辺に久し振り出かけた。 岸壁に立っても、夕凪のせいで、海風は殆ど無く、夕日の残っている間はじっとりと汗が 滲んできた。昨夜の潮は午後3時頃が干底だったので、満ち潮にかけての時間帯に期待して 竿を出してみた。しかし、明るい間は、小魚に餌を取られるばかりで、針に掛かるほどの 魚は食いついてこなかった。暗くなった8時過ぎ頃、ウキ下1m50cm程度の深さを、探って いる時、ぐいとウキが引き込まれ、急いで竿を立てたら、見事中型の黒鯛がヒットした。 なかなか活きが良く、竿を大きくしならせながら、暫くやり取りして、一気に引き上げた。 メジャーで測って見ると、体長25cmの食べごろのサイズだった。この後も同じ場所で 何度か当たりがあったが釣れなかった。その内急に風が強くなり、波も高くなって来たので、 納竿して家路についた。土曜日の夜でもあったので、岸壁には大勢の釣り人が来ていたが、 様子では皆さん余り釣れていなかったようだった。まあ、一匹でも釣れたからラッキーと 言う事かな、塩焼きにした黒鯛はとても旨かった。

『睡眠』  Aug. 25, 2007 ▲Top
 人の睡眠時間って、標準的にはどの程度寝るのが正しいのだろう。私自身で考えると、夜の 睡眠時間は大体5時間程度で充分と感じている。この5時間が健康的に良いかどうかでは無い。 これまで72年の人生を過ごしてきて、何の違和感も無い実態だから、充分なのだろうと思う。 子供の頃、家中で私が一番早く目覚めることから、母親が目覚まし代わりに私を指名していた。 寝床に付くのは大体0時から1時頃、そして自然に目が覚めるのは午前5時から6時迄の間だ。 学生時代は、夜中まで机に向かって、勉強をするか、趣味だったラジオの組み立てや、短波帯の 海外放送を深夜まで聞くのが好きだった。夜中にする事が無く、早めに寝たときは、当然寝た 時間から5時間後には必ず一度目が覚める。それがまだ夜明け前の早い時間なら、もう一度目を つぶれば、簡単にすぐ寝られ、ほぼ1時間寝ると再度目が覚める正確さだ。60歳を過ぎてから 健康管理の上で、食後1時間程度寝るのが良いと医者に言われ、それ以来食後は横になって寝る のを習慣にしている。特に意識しなくても1時間寝ると自然に目が覚めて、寝すぎる事はない。 私の家内は、夜中は寝られないと、深夜放送のテレビ番組を見て、大抵明け方頃まで起きている。 明け方頃からやっと寝始め、大体お昼前頃迄、寝ているので、私の起床時間と丁度5時間遅れの 時差が起きている。この時差がある為、二人で揃って出かけるには、必ず午後からになるのが 困った習性だ。

『蛇足』  Aug. 24, 2007 ▲Top
 付け加える必要のない余分なものを「だそく」と言うのは常識で知っている。ワープロ で変換すると、即座に蛇足と出てくるので、何も考えずそのまま使って来た。しかし先日、 自分の手で文章を書いているとき、「ダソク」を漢字で書こうとして、咄嗟には正しい 文字が思い浮ばず漢字が書けなかった。 頭の中では、「ダソク」とは余分な付け足しの意味なので、無駄の意味から「駄足」と書く のが正しいのではないかと考えてしまった。しかし、良く見ると何となく「駄足」と言う 漢字では違和感があり、正しくは感じられなかった。すると今度はどうしても正しい蛇足の 文字が頭に浮ばなくなり、行き詰ってしまった。仕方なく「ダソク」を辞書で引いてみて、 ようやく蛇足と分った。 しかし改めて字を分解してよく眺めてみると、蛇の読み方は「ジャ」とか「ヘビ」しか 考えつかず、こんな字を「ダ」と読んでいたかと、思わずうーんと唸ってしまった。 漢字の読みは、昔から思い込みで読んでいるので、余り深く考えて居なかったのを痛感した。 恥ずかしい事だ。

『熱闘甲子園』  Aug. 23, 2007 ▲Top
 連日記録的な暑さの続く中、甲子園で行われてきた高校野球の勝者は劇的な形で決着がついた。 試合の展開は、相手のバットになかなか球を当てさせない広陵のピッチャーに翻弄された佐賀北は 7回までわずか1安打に抑えられ、得点のチャンスは全く無かった。対する広陵は2回に4安打と 四死球などで2点を先取し、更に佐賀北が救援に送ったエースの久保を、7回にとらえた野村の2点 二塁打で突き放したかに見えた。このまま佐賀北の敗北が決まるかと思われた8回、突然チャンス が訪れた。4点を追う佐賀北は、1死から連打と四球で満塁とし、押し出しの四球で念願の1点。 さらに続く満塁に3番副島が、レフトスタンドに打ち込む劇的な逆転満塁本塁打が飛び出し、5―4 と試合を一気にひっくり返した。わずか1安打に抑えられていた佐賀北が、終盤のワンチャンスを 見事ものにした。最終回、佐賀北は救援の久保が力投、確実に打者を打ち取り、悲願の全国制覇を ものにした。深紅の大優勝旗が関門海峡を渡ったのは久し振りだ。

『暑さ』  Aug. 22, 2007 ▲Top
 日中の気温がどんどん上がり、体温との差で耐えられなくなると、人間独りでに、思わず「暑い!」 とグチを発してしまうものだ。暑いと言葉を言い切ってしまうと、只我慢しているより少しでも気分的 に発散するのか、暫く我慢できる不思議さがあった。今から60年くらい前の昔と言えば、電化製品も 未発達で扇風機も各家庭にあるわけじゃなく、夏の暑さには、精々うちわで扇ぐか、風呂場で水でも かぶるか、あとは只我慢するだけだった。学校では窓を開け放って授業をしていたが、暑くて堪らず、 教室では暑い暑いを繰り返していた。そんな時、誰かが言い出して、暑いと言ったら、10円の罰金と 言うのが流行った事がある。夏は「暑い」だが、同じように冬だと。「寒い」は禁句としてお互いが 我慢しあうことで、気持ちを変える遊びであった。記憶している限りでは、実際はお互い貧乏家庭だ、 学校に余計なお金などもって来るわけが無いので、出す出さないはそれほど厳しいものでなくカウント 程度だったと思う。暑いときに「暑い!」と口にすると、黙って我慢しているよりは確かに気分的に 楽になり、しばらくの間、暑さを忘れる事が出来たのは間違いなかった。

『暑いね』  Aug. 21, 2007 ▲Top
 少し前に出されていた気象庁の長期予報では、今週辺りから真夏日も峠を過ぎる見通しと 発表されていた。確かに関東から北のほうではやや気温が穏やかになって来たようだが、 関西四国方面は、まだ真夏日が続いている。これまで多少暑い日でも、夜間は窓を開けて 置けば、クーラーを掛けなくても、適当な風が通り抜けて寝苦しいと感じる事は無かった。 大抵は我慢できていたが、今年は特にお盆の頃から、クーラーを掛けっぱなしで寝る日が 増えている。因みに「猛暑日」とは1日の最高気温が35℃以上の日を言う。1日の最高気温が 30℃以上なら「真夏日」と言い、1日の最高気温が25℃以上の日を「夏日」と決めている。 夜間の最低気温が25℃以上なら、「熱帯夜」と言う。最近、1日の最高気温が35℃以上の日が 急増し、この10年間の主要4都市(東京、名古屋、大阪、福岡)における35℃以上の日が 計335日と、10年前の3倍近くになっている。このため、気象庁では「夏日」と「真夏日」 に加えて、35℃以上の日を「猛暑日」とすることになったもの。今年はこの猛暑日が続き、 ついに最高気温の記録を更新したほど、暑い日に晒された。

『猛暑のゴルフ』  Aug. 20, 2007 ▲Top
 連日猛暑日が続いている。先週は74年振りに、日本の最高気温の記録を更新したばかりで、 今年の夏の凄さを証明した訳だが、その後も40度を超える日が続いていた。 そんな真夏日が続いている中、昨日の日曜日は、所属ゴルフクラブの月例競技日だった。 朝7時54分からのスタートながら、既に太陽は高く上がっていて、日差しがきつかった。 3ホール目を歩く頃は、既にシャツは汗でズブ濡れ状態。恐らく脱いで絞れば汗が滴る程 と思われた。日中の暑さは充分予測出来ていたので、家では前日からペットボトルに麦茶を 造りこみ、冷蔵庫で冷やしておいた。しかし家を出る直前の7時頃は、暑くなる前だった 事もあって、前日冷蔵庫で冷やして置いた麦茶の事はすっかり忘れて家を出てしまった。幸い クラブで、一人1本ずつドリンクがサービスで準備されカートに積み込まれていて、午前中 の水分補給は助かった。昼食は冷房の効いた食堂で過ごした為、午後のスタートの時、無く なり掛けていたドリンクの補充を、又も忘れてしまい、午前中に飲み残したボトルは直ぐ尽きて しまった。途中の売店には、以前はウォータークーラーが設置されていたのが、サービスドリンク を支給されるようになってから、取り外されていてコース途中での水分補給は、プレー終了 まで、我慢するしかなかった。 結局は、途中我慢できなくて、同伴競技者の魔法瓶のお茶を飲ませてもらって、なんとか 最後まで持たせた。昨日のゴルフの成績は、午前のハーフ41、午後も残り3ホール前まで 3オーバーで来ていたのに、水の切れた辺りから、熱中症を意識してイライラした動揺から、 急にダボを続発45とスコアを崩し、残念な結果に終わった。教訓、猛暑には充分な飲み物を 忘れない事だ。

『バイク』  Aug. 19, 2007 ▲Top
 週末の夜になると決まって爆音を轟かせて、街中を我が物顔で走り回る暴走族が出没する。 彼らは、何が目的なのか、何が楽しいか、凡人の我々には理解できないが、眉を潜めて見守る 住民を困らせる事で、快感を覚えているのだろ。誰も通報しないのか、取り締まる警官の姿も 全く見えない夜が続いている。2輪のバイクが誕生したのはイギリスが発祥で、エドワード・ バトラーと言うイギリス人が三輪車にエンジンを付けて走らせたのが、オートバイの始まり。 後にドイツの、ダイムラーによって初の二輪オートバイが製造されている。日本では明治42年 に島津楢蔵が手作りエンジンを自転車に付けたのがオートバイの第一号。生産が本格的になった のは昭和10年に軍用として採用されたのがきっかけとなった。私も昭和30年代は仕事で出掛け るのに当時人気のあったホンダ250CCバイクを利用していた。白いヘルメットに皮ジャンバー と半長靴、そして皮手袋に黒いサングラス。首には白い絹のスカーフを巻くのが伊達だった。 その格好は一見白バイ風で、そのスタイルに憧れて走り回っていた。しかしある時、道路上に 落ちていた、小さな小石に弾かれて転倒し、大怪我をして以来、危険なバイクに乗るのを止めた。 名誉のために言い添えて置くが、決して法を犯す暴走族ではなかった。

『バリ島の思い出』  Aug. 18, 2007 ▲Top
indonesia.jpg  大学時代の同級生仲間で毎年インドネシアへゴルフに出かけているツアーがある。そもそも 15年ほど前の話、同級生仲間に、インドネシアのバリ島へ、たびたび旅行している者が居て、 ゴルフが安くて面白いと言う話が伝わり、次回の計画にはぜひ参加したいと伝えて置いた。やがてその 話が実現する事になり、初めてのインドネシアツアーはバリ島から始まった。初体験のバリ島は、空港 からも近い、クタビーチにホテルを取り、バリ島での活動拠点とした。クタビーチには日本人観光客も 多く、地元の人の日本人に対する歓迎ぶりも心地よくて、とても快適だった。滞在初日は、早朝の 朝市見物に出掛けた。日本では珍しい果物や食べ物を物色しそれぞれ試食を楽しんだ。昼間の観光では、 バトウブラン村で上演しているバロンダンスの見学や、夜はホテル近くで人気の海鮮料理を楽しんだ。 ゴルフは、サヌールのバリビーチゴルフで9ホールながら、木陰の多い林間コースだ。また、バリ島 一の名門コースと言えば、日本人が経営するバリハンダラ廣済堂カントリークラブだ。中部山岳地帯と やや遠いが、手入れの行き届いた素晴らしいコースと、よく躾けられたキャディのサービスも最高だ。 標高が1850mと高地でもあり気温は涼しく、インドネシアでのゴルフでは最も快適なプレーを楽しむ 事が出来た。他にバリ島南端のヌサドアのバリ・ゴルフ&カントリークラブは、ゴルフ場としても 素晴らしく、西洋人向きのリゾート施設として手入れが行き届いていた。ゴルフ後に飲んだマンゴ ジュースの美味さが今でも忘れられない。この体験が気に入り、爾来、毎年インドネシアへのゴルフ ツアーが、今も続いている。

『熱中症』  Aug. 17, 2007 ▲Top
 連日猛暑日が続いているが、夏の高校野球も甲子園で熱闘を繰り広げ、我が愛媛から出場の 今治西も順調に勝ち進んで来た。暑い日差しは選手にも相当な影響を与えている事だろう。 昨日の岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市では、1933年7月に山形で記録された、過去最高気温の 40.8度を超える40.9度の新記録だそうで、熱中症で倒れた人が120人、12名が死亡している。 熱中症とは「運動などによって体内で多量の熱を発生させるような条件下にある者が発症し、 体温を正常に維持するための生理的な反応より生じた失調状態から、全身の臓器の機能不全に 至るまでの、連続的な病態」とされている。 体温よりも外気温が低ければ、皮膚から空気中へ熱が発散され、体温の上昇を抑えることが 出来る。また、気度が低ければ発汗することで熱が奪われ、体温を適当にコントロールする ことができる。しかし、気温が体温より高くなると、空気中へ熱の発散が難しくなるため、 体温調節は発汗だけに頼ることになる。ところが真夏日によくあるように、気温が高いばかり でなく、湿度も75%以上になると、汗をかいてもほとんど蒸発しなくなる。そのため、発汗に よる体温調節も事実上できなくなってしまうのだ。怖いのは、炎天下ばかりでなく、室内で 静かに過ごしていても起こり得ることで、実際、高齢者が室内で熱中症になって倒れている ことも珍しくないと言う。暑い日の熱中症対策には充分気をつける必要がある。

『ネクタイ』  Aug. 16, 2007 ▲Top
nekutai.jpg  古い衣類を片付けていたら、昔サラリーマン時代に活躍したネクタイが山ほど出てきた。 当時は、毎日異なる柄を選んでは着けていたからであろう、改めて大変な数があるのに驚いた。 40年間のサラリーマン生活で集積されたものだから当然だろうが、今は只のゴミに過ぎない。 只捨てるには忍びないので、取ってあるが何か有用な活用方法は無いものだろうか。特に暑い 夏の間は、見ただけで暑苦しいが、それもそのはず、ネクタイの元祖は300年前の英国軍隊が 着用したスカーフで、防寒用に考案されたものが始まりだと言う。日本では、ジョン万次郎が 米国から帰国した時の所持品にネクタイがあったことから、彼が日本で初めてネクタイをした 者であるとされている。明治維新後政府は洋装を積極的に推進し、官僚を中心にしてネクタイ 着用が広まっていったと伝えられている。夏の期間中は熱帯並みに暑いため、背広ネクタイを 着用して働くのは過剰冷房を招き、エネルギー浪費や健康を害するなどマイナス要因が強いと、 小泉首相の提案でノーネクタイ・ノージャケットで過ごそうと言うクールビズの動きが始まった。 しかし、最近民主党からクール・ビズ廃止案が出され、再び物議をかもしている。

『終戦記念日』  Aug. 15, 2007 ▲Top
 今日8月15日は日本の終戦記念日となっている。この戦争は、アメリカを始め、世界中を相手に 戦った戦争なので、終戦の日とは、全て同じかと思っていた。実は色々な要素があって、戦争の終結 は、日時的に幅があるのが実態のようなので、日本としては一応15日を終戦記念日と定めたようだ。 この大戦は、昭和12年の日中戦争の始まりから、昭和20年の太平洋戦争の終結を宣言する玉音放送が、 行なわれた8月15日までを指して言う。天皇陛下が御前会議での聖断によって、ポツダム宣言の受諾を 決定し連合国に通告したのが8月10日、ポツダム宣言受諾の詔勅を発したのが8月14日、軍隊へ停戦命令 を出したのは8月16日、日本政府が降伏文書に調印したのが9月2日、ソ連との戦争終結は9月4日であり、 その後も各地の戦場の部隊・兵士などによる連合国軍との小規模な戦闘は続いていたようなのだ。 アメリカでも、現在の対日戦勝記念日 は8月15日である。ただし、終戦が報道されたのは時差によって 8月14日だったので、8月14日が対日戦勝記念日になっている。当時のトルーマン大統領は、ポツダム宣言 受諾の文書に調印した9月2日を終戦の日と宣言した。結局アメリカでは、この8月14日、9月2日、両方が 対日戦勝記念日として認知されているようである。

『お盆』  Aug. 14, 2007 ▲Top
ohaka.jpg  お盆が近づくと、色々な行事が重なり、御先祖様のお墓参りも夫婦両家と、親戚関係と お参りする所があちこちなのでスケジュールが忙しい。初日の昨日は家内の実家のお墓の 草引きを予定していたので、太陽が出て暑くなる前にと、早朝6時頃から出掛けた。家を 出た途端頃からポツポツと雨が降り始めたが、本格的では無かったので、涼しくていいと 急いで草引きをした。暫く来ていなかったので、お墓の周りには雑草が生い茂っていて、 手で草引きするのは骨が折れた。家内の実家のお墓は、先祖代々お墓が一杯あり草引き だけで1時間ほど掛かった。事前にお花を買っていなかったので、草引きが終わって、 近くの花屋に買いに出かけたが、時間が早すぎて、店が開いてなかった。改めてお花を 入れに来ることにして、お墓の周りの手入れと水の補給だけして帰る事にした。全ての 後始末を終えた頃から、雨脚が強くなり、大して濡れることなくお墓の手入れを終える 事が出来た。家に帰りつく頃には雨も上がり、日差しがきつくなってきたが、暑くなく、 雨に濡れる事も無くお墓の手入れが終えてよかった。

『ドライブ』  Aug. 13, 2007 ▲Top
drive.jpg  親類の新盆供養のため、久し振りに高松まで車で行く事になった。本来、高速道路を使えば恐らく 90分で行ける筈だが、高速料金往復4000円を節約して、帰り道御馳走でも食べようと言う事にした。 お坊さんの到着時間が午後4時との連絡から、所要距離は約100Kmなので、およそ2時間半の 行程と見て、1時半に出発した。車のナビゲータに目的地を入力すると、現地到着予想時間15時45分 と出たので、余裕でスタートした。経路は一般道路の通称金比羅街道を選んで2時間半と読んだ訳だ。 しかし、予想に反して、市内を出るところで、道路工事の区間があって、僅か10km程を進むのに、 30分以上掛かり、その箇所を抜けるだけで、ナビの到着予想時間が16時を過ぎると表示されて慌てた。 急遽予定を変えて、高速道路次のインターから1区間だけ走ることにして、遅れた時間を取り戻す 事にした。1区間ではあったが、最高速で走り、次のインターで下りたときには、遅れていた時間は 完全に取り戻していた。元の一般道路を走って、順調に金比羅辺りまでは行けたが、この後から車 の通行量が増えて、到着予定時間の表示がギリギリになってきた。それまでは、交通ルールに従った 優良運転手ぶって走行していたが、残り40kmの時間が気になったので、可能な限り前の車を追い 越して走った。お陰で目的地には15分前に到着。余裕を持って仏前に座る事が出来た。久し振り 緊張した運転をしたので、帰り道はのんびりと走り、楽しみにしていた店で思いっきり食事を堪能した。

『盂蘭盆』  Aug. 12, 2007 ▲Top
 家内の兄嫁の新盆の為、高松まで出かけてきた。四十九日の忌明けの後、初めて迎えるお盆を、新盆 とか初盆と呼ぶ。お盆のことは、正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」のことで、略してお盆と言って いる。盂蘭盆とは、サンスクリット語の"ウラバンナ"を音訳したもので、「地獄や餓鬼道に落ちて、逆さ づりにされ苦しんでいる」という意味だそうで、そのために供養をするのが、盂蘭盆会なのだ。 お盆は、先祖や亡くなった人達が地獄で苦しむことなく、成仏するようにと、残された子孫達が報恩の 供養をする儀式なのだ。お盆には、先祖や亡くなった人の精霊が、灯かりを頼りに帰ってくると言われ、 十三日の夕刻に、仏壇や精霊棚の前に提灯や灯籠を灯し、庭先や門口で迎え火を焚きます。 地域によっては、お墓で盆提灯を灯し、精霊を自宅まで導くという風習もあり、これを「迎え盆」と 言っている。お盆の間、精霊は家にとどまり、十六日の夜、家を離れて帰るが、迎え火と同じ場所で、 今度は送り火を焚き、霊を送り出すのを「送り火」と呼んでいる。   新盆なので、故人が生前世話になった人や、親戚・知人・近親者を招き、僧侶を迎えて、読経して もらい、読経のあと、参会者全員で食事をするのは仏への供養の意味だ。

『豪腕投手』  Aug. 11, 2007 ▲Top
satoyuki.jpg  第89回全国高校野球選手権大会で一番の話題になっている投手が登場した。大会2日目第3試合の 仙台育英対智弁和歌山戦に出場した仙台育英の佐藤由規投手だ。 彼は小学校4年から野球を始めて、中学校時代仙台東リトルの一員として世界大会準優勝して注目を 浴びた。ロシア戦ではノーヒットノーランも達成したと言う。昨年までの試合では、常時140キロ台 (Max144キロ)の球速だったと言うが、先日の智弁和歌山戦では自慢の剛速球で、毎回の奪三振、 17三振を奪った豪腕投手だ。ネット裏で見ていたスカウトのスピードガンでは、自己最速タイとなる 155キロを記録している。その時、150キロ以上のスピードは、なんと19球を計測したと言う。試合では 最後まで球速は全く落ちることがなかった。 この1年で、平均すると5キロ以上スピードが上がっている。145キロ級の速球は、球威・スピード ともに備わっていて、外に横滑りするスライダーに威力があり、ボール球でも思わず振ってしまう 切れ味があった。右打者に対しては、外に決まる速球やスライダーも低めに集まり、打者の踏み込み を封じる内角への攻めも厳しかった。いずれにしても、秋のドラフトではきわめて最上位の指名を受ける 可能性が高そうだ。まだまだ成長途上の投手だけに、何処まで伸びて行くか楽しみだ。智弁和歌山戦で 改めて仙台育英に佐藤由規ありを印象づける試合だった。

『熱闘甲子園』  Aug. 10, 2007 ▲Top
 高校野球夏の熱戦が始まった。愛媛県から出場の今治西は、昨年の夏は日大山形との延長 13回やっと2点リードした裏、2点を返されなおも無死満塁。今治西の2年生エース熊代 の高めに浮いたスライダーを中犠飛されサヨナラ負け。今年春の選抜高校野球大会第6日目、 今治西は第3試合で常葉菊川(静岡)と対戦し、5回に4長短打を集められて一挙6点の大量 得点を許し、最後は0―10の大差で完封負けを喫している。悲願の「全国一」を目指しながら 昨年夏と同じくベスト8の達成もならなかった。今夏こそと臨んだ緒戦は34年ぶり3回目出場の 八代東(熊本)を12―1で下し、2回戦進出を決めた。今治の熊代投手は、過去の甲子園では 惜しいところで2度の負けを喫している悔しさをバネに力投・巧打した。序盤は今治西・熊代と 八代東・野田の投手戦だったが、5回裏先頭の浜元が右前に二塁打し、熊代の右前打でホームへ 返し1点を先取。尼田、武内の連打等で3点を加えた。6回裏も打者一巡の猛攻で7点を加えた。 八代東は8回裏に犠飛で1点を返すのがやっとだった。今治西・熊代投手は8回まで9奪三振の 力投だった。熊代はこれまでの春夏の経験を生かす高校生活最後の3年生、投打に活躍しているが、 3度目の正直、ぜひ日本一まで全力で頑張り通して欲しい。

『そうめん』  Aug. 9, 2007 ▲Top
 残暑の厳しい日が続いている。それほど食欲が無いわけでは無いが、やはり暑い日の食べものは、 さっぱりとした口当たりのそうめんを食べることが多い。そうめんは、中国から 伝わったものと、 考えられていて、室町時代の文献に「索麺(さうめん)」の名前が見受けられ、さうめんの発音 が訛ってそうめんになったとされている。後にそうの字に素と言う字が使われ、今の素麺となった。 そうめんは、小麦を原料に塩水を加えてこねたものに、油を塗って細く引き延ばして干した麺類で、 太さによって冷麦やうどんに分類されている。そうめんは乾燥させた麺なので、日持ちがいいのが 特徴だ。産地としては、兵庫県の「揖保乃糸」、奈良県の「三輪素麺」、香川県小豆島の「島の光」、 長崎県「島原そうめん」等は有名である。そうめんは、製造方法によって、機械麺と手延べそうめん に分けられている。日本農林規格の定義では、機械麺とは、小麦粉,そば粉に大麦粉、米粉、粉茶、 卵などを加えたものに食塩、水等を加えて練り合わせた後、製麺し、乾燥させたもの。また手延べ そうめんは、小麦粉を原料とし、これに食塩,水などを加えて練り合わせた後、食用植物油を塗布 してよりをかけながら引き延ばして丸棒状のめんとし、乾燥したものであって、製麺の行程において、 熟成が行われているものと、定義されている。

『すき焼き』  Aug. 8, 2007 ▲Top
sukiyaki.jpg  昔は、何が食べたいかと聞かれれば、普段食べたくても食べる事の少ない肉料理を一番に挙げた。 貧乏人の子沢山の諺の通り、我が家は男ばかりの6人兄弟で、家族全員で食べる料理では、すき焼き が一番の御馳走だった。貧乏なので、肉をタップリと準備できるのは、精々月に一度で、すき焼きが 始まると、全員が茶碗を持って、一つの鍋を囲み、父の掛け声を待っのがしきたりだった。 因みに、我が家では、すき焼き料理の事を、用意ドンと呼んでいた。鍋一杯の肉と野菜が煮えてきて いよいよ食べられる頃合を見て、父が一声「用意ドン」と声を掛けると、みんなの箸が一斉に動き、 瞬く間に鍋の肉は跡形も無くなる。あとに残るは野菜だけになっている。まさに弱肉強食の世界で、 兄弟の仁義も順位もなにも無い、ただ無常の世界となる早いもの勝ちだった。鍋の中のものを選んで いる暇は無い、やみ雲に箸を動かし、自分の茶碗にひたすら肉を取り込むのが命がけだった。 後に、同じ釜の飯を食い、育った兄弟の中でも順調に成長した者もいたが、育ち盛りに栄養が足り なくて背が伸びなかった次男は、下の弟達に思いやりが深く、その煽りを受けた事は間違い無い。 その食べ物の所為もあってか、6人兄弟の中で、次男だけが若い頃肺結核を患い、その時の輸血が 原因でB型肝炎を招き、60歳台の若さで命を失っている。今では私も年を取り肉より魚の方が 御馳走と思うようになり、すき焼きも長い間食べて無いが、用意ドンのすき焼き時代が懐かしい。

『立秋』  Aug. 7, 2007 ▲Top
 今日8月7日は立秋である。暦の上からは今日から秋と言う事になる。それにしても、関東地方は やっと梅雨が明けたばかりであり、これからが夏本番と言う感じで連日30度を越す熱帯夜が続いて いる。調べてみると1年の最高気温は立秋を過ぎてからのほうが多く記録されている。夏の暑さは、 まだこれからだ。一日の最高気温が30度を越える日を真夏日と言い、最低気温が25度を越える夜 を熱帯夜というが、今年はあと何日熱帯夜を過ごす事になるだろう。立秋を過ぎると「残暑」といい、 挨拶の手紙も暑中見舞いとは言わず、残暑見舞いに言葉が変わる。夏の空は、入道雲のように、縦に 上昇する雲が多いが、秋が近づくと雲は水平に流れるような動きになり、秋の雲の特徴と言える。 この秋の雲が見られるようになると、夏の高気圧の勢力が弱まってきた証拠である。昔の人に聞くと 立秋の頃になるとセミが居なくなると言うが、今日も元気なセミの声が聞こえている。

『新居浜夏祭り』  Aug. 6, 2007 ▲Top
 毎年8月、新居浜商店街連盟主催、新居浜市商工会議所後援により、昭和通りを通行止め にして、2日間の夏祭りが行われている。初日4日はコンガ踊り大会で、今年は19チーム の踊り連が参加。平成4年に始められた「新居浜コンガ踊り大会」が市民のお祭として定着、 踊りは地元のダンスグループや市内の企業など、毎年約20近くが連を組み出場している。 各連はそれぞれ工夫を凝らした、個性あふれる振り付けで踊り、審査員による採点受けて賞を 争っている。2日目は太鼓台も威勢よく参加したり、市内の商業高校生達の手作商品等の販売や、 工業高校生達の造ったバッテリーカー等が展示運行され、詰め掛けた子供たちの人気を得ていた。 また夜は、前日のコンガ踊りに続き、県外からの踊り連も参加している。今年は沖縄から、 琉球国祭り太鼓や、高知県の学生による旅鯨人等。また、ハワイアンフラダンスも色気を添え 老齢の女性から小学生まで、豊かな表現で目を楽しませてくれた。残念ながら2日目の最初の 時間帯は、小雨に降られ、踊り子たちはずぶ濡れになりながらも、頑張っていた。幸い後半は 雨も上がり、出足の鈍っていた観衆も何時の間にか増えて賑やかに、今年の夏祭りは無事終わった。

『酒気帯び運転』  Aug. 5, 2007 ▲Top
 近年酒酔い運転による悲惨な交通事故が多発する事から、飲酒運転の取り締まりは厳しくなり、 酒酔いの一歩手前の酒気帯びでも、30万円以下の罰金または1年以下の懲役+減点6という重罰と なっている。私自身今から40年ほど前、東京神田で角瓶ボトル1本近く飲んで埼玉県所沢の自宅 まで運転して帰宅途中、白山下の交番で捕まり、酷いお説教を食った事がある。私は体質的に酒に 強い様で、飲んでも酒に飲まれることは無く、その時も赤切符を切られたが、結局は警官の許可を 得て所沢まで、自分で運転して帰ったほどだ。翌日本庁へ出頭し、署長から説教を受けて免許証を 返してもらった。しかしそれ以来、酒を飲んで自動車のハンドルは握った事は無い。その代わり近く の飲み会なら自転車で出かけていたが、自転車の酒気帯びでも厳しい取締りの対象とされる様になり、 今は、必ず徒歩か、バス、タクシーを利用するよう徹底している。 先日フィギュアスケートの織田信成選手が飲酒検問で摘発された問題で、日本スケート連盟は2日、 織田選手を国際競技会5カ月、国内競技会3カ月の出場停止とし、連盟の特別強化指定も5カ月間 解除するなどの処分を決めている。織田選手は先月27日大阪市北区のサウナでビールをジョッキで 2杯と焼酎の水割り1杯を飲んだ後にミニバイクで帰宅中、飲酒検問で摘発されていた。織田選手は、 自分のつまらない行動が一生を棒に振る事になるのを考えて、涙で謝罪していたが、今後肝に銘じて、 酒を飲んだら、例え自転車でもハンドルを持たない私を見習って欲しい。

『横綱の品格』  Aug. 4, 2007 ▲Top
yokoduna.jpg  モンゴル出身の横綱、朝青龍明徳の去就が話題となっている。先場所後の7月25日腰骨の 疲労骨折が発見されたと、全治6週間と医師の診断書を出し、夏巡業の休場を決めていた。 そして、何時の間にかモンゴルに帰国していた。ところがフジテレビのスーパーニュースで、 帰国後に行われたモンゴルサッカー協会主催のサッカー試合に飛び入り参加し、疲労骨折して 腰骨の異常にも関わらず、中田英寿とサッカーをしている姿が映されていた。テレビに映って いる姿はとても元気に走り、ヘディング等でゴールを狙って活躍していた。日本相撲協会は 緊急会議を開いて、朝青龍に対し、今年9月場所・11月場所への出場停止と、11月場所千秋楽 までの謹慎、および30%の減俸(4か月間)の処分を下した。長い間一人横綱でわがまま放題に してきた朝青龍に厳しいお灸がすえられた。伝統ある日本の国技である相撲を甘く見た罰だ。 今までも、懸賞を受け取るとき左手で手刀を切るのは、土俵上の礼儀・作法に相応しくないと 批判を受けた事がある。取組みでムキになると土俵際で過剰な押し出しや、強引な張り手を すること等でも何度か非難された事もある。強い横綱と言えども負けることもある。そんな負けた 時、土俵からの帰り道、飛んできた布団を蹴飛ばすなど不愉快な顔を露わにするなど品格が問題 にされていた。今回の処分は厳しすぎると言う声も有るが、横綱なればこそ、日本の国技をこれ 以上汚すことなく反省し、立派な品格を身に着けて欲しいものだ。

『ハサミの日』  Aug. 3, 2007 ▲Top
和バサミ  今日8月3日は、語呂合せでハサミの日だそうだ。いつもハサミを道具として仕事をする 床屋さんや、美容院、洋裁店などの職業に携わっている人達が、この日に「ハサミ供養」を している。ハサミの日の提案者は美容家の山野愛子さん。山野愛子は山野美容高等学校や 山野愛子美容室をはじめとする美のコングロマリットを作り上げ、美容界をリードした人。 ハサミを世界ではじめて発明したのは、約3500年前の青銅器時代だと言われている。最初は U字型に曲げたバネを利用し、握る力で刃先を交差させて切る、今の和バサミの様な構造から 始まっている。その形は世界各地の遺跡から発掘されているが、基本的には変わっていない。 現代で標準的な形の西洋式ハサミが日本に入ってきたのは、種子島に鉄砲が伝わったのと同じ 頃といわれている。江戸時代に入って、植木屋、生け花、呉服店、髪結い屋などで、広くハサミ が使われるようになり、江戸時代後期に、播州や越後、美濃、越前などに専業のハサミ鍛冶が 生まれて、今も有名な刃物産地となって残っている。

『後の祭り』  Aug. 2, 2007 ▲Top
 周りの空気が読めない安○首相の事を書いたばかりだった。何故?、今頃?、農水大臣の 更迭や自らの辞任を投票日の前に決断しなかったのか。政治にはタイミングと言うものがある。 事が起きてしまったことは仕方ない事もある。しかしその時の処置の仕方が適切なら国民の同情や 理解は得られる場合もある。ところが、起こした本人も反省せず、上に立つものが不可解な弁解 のみで国民に理解を得られないのでは、信頼を失ってしまうものだ。その事を空気が読めないと、 言ったのだ。更に今頃、人事の更迭や自らの辞任では遅すぎなのだ。辞めて済むものではなく、 むしろ印象はやめる前より悪くなっただろう。赤○大臣のお陰で、ベテランの議員の多くが落選 と言う悲哀を舐めた訳で、今決心するくらいなら、もう少し早く決断してくれと言う彼らの気持ちに、 偽りは無い。私にしても野党に投票するという結果は変わっていたはずだ。全て後の祭りだよ。 いい加減にしろ〜!!

『茶番劇』  Aug. 1, 2007 ▲Top
 茶番劇とは、先に訪れるオチが読めるような下らない芝居を指して言う言葉。今回の参議院選挙は 投票の結果を待つまでも無く、自民党の敗北は読めていた茶番劇だった。時の空気が読めなかった 安倍首相を始め、選挙前につまらない失言や暴言を吐いた議員が、単にゴメンナサイで済ませる事が 出来ると考えていた。事務所費の不正処理を指摘されても国民を納得させる領収書を出せば済む問題 を、頑として撥ね付けた大臣がいた。国民の怒りが投票結果に現れる事が読めない議員がいても、強く 言えないリーダーは、この大敗北の結果が読めなかったと言う事が信じられない。終わった事だから告白 するが、私はこれまでの人生で、国政選挙で与党自民党以外の候補者に投票したことは無い。 自分たちの生活を安心して委ねられる正統派に投票することを信条としてきた。しかし今回の参議院 選挙では、与党自民党のやり方に、どうしてもお灸をすえたかった。衆議院ならそうは行かなかったが 全議席の半分を選び直す参議院だから、少し自民党に反省させたいと考え、初めて無所属の新人議員に 投票した。結果は私以外の投票者も同じ考えだったようで、長年勤め上げたベテラン候補者と言えども 落選した。無論初挑戦無所属の若手議員は見事当選した。全国的にみても、全ての結果は与党自民党に お灸をすえたことを証明した。落選した中には、他にも大物議員が多く居た。全て国民の考えが読め なかった自民党は、今後同じ茶番劇を演じないよう大いに反省しなければならない。

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