2007年7月
『参議院選挙』  Jul. 31, 2007 ▲Top
 参議院選挙の開票結果をみて与党の大敗には正直驚いた。選挙前の色々な問題は確かに与党の 不利を思わせた。社会保障制度の問題、引続く大臣の失言連発など、有権者が安倍政権に不満を 持たせる事件が続きすぎた。選挙は水物とは昔から言われてきた事だが、我々の住む四国地方は 過去から保守王国と認識し、4県の1人区には野党の付け入る隙間は無いと信じてきた。しかし 今回の自民党に対するお灸のすえ方は徹底していた。愛媛では関谷勝嗣、自由民主党所属でこれ まで元衆議院議員を8期、前参議院議員は2期務め上げ、郵政大臣、建設大臣、国土庁長官を 経験している大物議員だったが、無所属から出馬の新人、友近聡朗(32)に大差で敗れてしまった。 落選後の本人は、支持を得られず敗れた結果に納得していると語ったが、自民党に足を引張られ た事に無念を感じた事と思う。愛媛だけでなく岡山でも、姫の虎退治と揶揄された片山虎之助 の落選もこの選挙を象徴するものだった。今回全国的に見ても、保守王国を誇ってきた各地で 民主党に地盤を奪われてしまった。この選挙は政権選択選挙ではないと言われてきたが、この結果を みても、早期の衆議院解散総選挙が避けられないと思う。長年自民党の独占できた驕りが、政治 資金の不正処理問題や無能な大臣の失言等を起こしてきた。小泉首相の跡を継いだ、安倍政権に 多くの期待を掛けたが、この際人心一新が必要な時期なのだろう。

『熱中症』  Jul. 30, 2007 ▲Top
kyukyusha.jpg  一昨日は大学OB会の親睦ゴルフがあった。朝から晴れ渡った太陽は容赦なくプレーヤーを 熱し続けた。何故かスタート直後から、前を行く組のプレーが詰まり、毎ホール待たされて、 更にじりじりと照付ける熱気と共に、いらいらし続けた。動作をする毎に水分の補給をして いたが、その分、身体から吹き出る汗はポタポタと滴り落ちていた。掛けているメガネが顔の 熱気で曇り、パットの時にうつむくと、額から落ちる汗が、パターの上に落ちて、集中していた 気がそがれた。ラウンドが進んでいく途中で、近くを走る救急車のサイレンの音を耳にした。 その後も続く遅い進行で、待ち時間の途中で立ち寄った茶店で、水分の補給をしながら救急車 の話をしたら、実は先ほど新人の若いキャディさんが熱中症で倒れ、それを救急車が搬送した のだとのこと。最近のキャディーは乗用カートでバッグを運ぶとはいえ、不慣れなプレーヤーの クラブを運び、林の中のボールを探すのに必死の働きをしたのだろう。倒れたキャディーは僅か 18歳だと言うが、こんな暑さの中での経験が浅かったのだと思う。プレーの進行が滞っていた のは、そのキャディが倒れた事による原因だった。その後の情報は聞いて居ないが、熱中症の 軽い事を祈念している。

『かき氷』  Jul. 29, 2007 ▲Top
 梅雨が明けると、さすがに暑い日が毎日続いている。汗をかくので水分の補給が 欠かせない。外出先から帰って来て飲む、冷たく冷えた飲み物は生き返ったような 気分になる。そんな時、イチゴや宇治金時などのかかったかき氷が出てくると、もう 堪らない喜びだ。一口食べると、体中から一度に汗が引っ込む感じがするが、同時に、 なぜか酷い頭痛がする。冷たい氷を食べると、こめかみの辺りが、きーんと痛くなる ことがある。これは、氷によって口の中が急激に冷やされて、脳が受けた刺激を、痛み として感じてしまうものらしい。本当は口に受けた刺激なのに、額やこめかみに痛み を感じてしまうのは、関連痛といって神経に混乱を起こす為なのだそうだ。 あの痛みを経験するときは、当然舌も痺れているが、そんな時には、水を飲むと 不思議にこの症状は解消されてしまう。かき氷は平安時代には貴族の食べ物だった。 冬の間に作った氷を氷室に保存して置き、夏に氷室から取り出して味わう超贅沢品 だった。一般の人が食べられるようになったのは明治時代からという。

『夜釣り』  Jul. 28, 2007 ▲Top
 天気が続かなかったり、何かと用事が重なり、半年近く魚釣りの機会を失っていた。 ようやく今年の梅雨明けの発表を聞いた機会に、先日近場の菊本岸壁に行ってみた。 この付近は、新居浜市の最終処理施設の工事が進んでいて、一時立ち入り禁止の時期も あり、釣場に行く為には自前で梯子を用意しないと堤防を越えることが出来なかった。 最近近くを下見に行ってみると、工事現場の脇には、出入りのできる梯子が固定され ているのを確認したので、家内を連れて釣に出かけてみた。昼間の強い日差しを避けて、 16時過ぎ頃から、餌のゴカイを大目に買い込み岸壁の探り釣りを試した。 予め投げ釣り用の竿も用意して、キス狙いの置き竿を仕掛けておいたら、それにも しっかり白キスが釣れた。探り釣りは、私の竿に30cmのグレが掛かり、家内の竿には 20cm大の石鯛が釣れた。思いのほか釣果があったのと、夕方からのテレビ番組が気に なっていたので、早めに納竿して家路についた。石鯛とホゴは煮付けに、グレは塩焼き にしたが、身が締まってとても美味かった。久し振り魚の手応えが楽しかった。

『左側通行』  Jul. 27, 2007 ▲Top
 現在の日本では、車は左側通行、歩行者は右側通行と定められている。昔の日本では、車も 人も左側を通行していた。その理由として挙げられているのは、昔の武士は左腰に刀を差して、 通りを歩いていて、もし右側通行なら、腰の刀が触合うと、争いになるので、それを避ける為、 刀が外側になるよう、左側を歩いたと説明されている。私の記憶では終戦後進駐軍に占領されて 居たころ、ある日突然、左右の区分帯が変更された事を覚えている。当時は多分小学校5〜6年生 位だったと思う(この辺の記憶は何年間か前後しているかも)。その頃は道路を走る車も多くなく、 市内でよく走っていたのは、米軍のジープかトラックが多かったように思う。その車の通行量から、 歩行者の身の安全を守る為、歩行者が相対する車を認識し易い、右側にに変わったように思う。 日本に進駐してきた占領軍の自動車は、左ハンドルで、自国内では当然道路の右側を走っていた はずだが、日本では車は左側なので、進駐軍としては通行区分に混乱があったと思う。アメリカ では、車は右側、歩行者は左側となっている。車が左側を走るのは、日本とイギリスと香港だけ と聞いている。戦後の交通区分帯変更のとき、何故世界の基準に合わせて、車が右、人は左と しなかったのか不思議である。

『ハトの糞害』  Jul. 26, 2007 ▲Top
hato-1.jpg  我が家は10階建てマンションの7階に住んでいる。近所を住処にしている野生のハト にとって、彼らの巣作りに丁度適した高さなのか、以前から繁殖シーズンが来る度に、 ベランダに飛来し、各種のディスプレイによる 鳴声や羽音による騒音被害と、手すり 部分に大量の糞をするので困っている。毎年飛来するシーズン毎に、ハトの排除のために 知恵比べをしている。ハトは年4回産卵し1回に2羽ずつ年8羽も生んでいると言う。 いつも、二度と来ないようにと、懲りるほど脅しているはずなのに、毎回飛来するのは、 見かけは似ていても、同じハトでなく新しいつがいが来ているのかも知れない。 ハトの糞は建物や、ベランダに置いてある機械器具などを汚し、金属を腐食させる元に なっている。またハトの糞には、脳を犯すクリプトコッカス病、又、サルモネラ菌等の 病原が検出されている。ハトの外部寄生虫には、様々なダニ類や昆虫類が確認されて おり、その中には、人体を咬むものもある。ハトが人間の生活環境に近く侵入してきた 場合、その被害を受ける事を認識していなければならない。野生のハトは鳥獣保護法で 捕獲が禁じられている。駆除するには地方自治体に申請しなければならないし、 捕獲を許可されるだけでハトは自分で処分しなければならない。以前捕獲した事があるが、 殺すに忍びなく、近くの神社へ離したが、結局はまた舞い戻っている事と思う。

『夏氷の日』  Jul. 25, 2007 ▲Top
kakikoori.jpg  実は、今日7月25日は、語呂合せでナツゴから、夏氷の日と、日本かき氷協会が制定している。 四国の梅雨明けが宣言された途端、35度を超える夏日の暑さで、夏氷=かき氷は最も相応しい 食べ物である。今から74年前の1933年7月25日の今日、山形県では、日本最高気温の40.8度と 言う歴史的な猛暑に襲われている。当時の山形新聞によれば、街頭のアスフアルトは融け、飼鯉 は壊死し、脳病院では特別患者に神経を尖らし、荷馬車の馬が心臓麻痺でも起こしそうな酷熱ぶり、 と書かれている。測候所に聞くと明治23年に同所創立以来のもので、しかも全国測候所の歴史的 最高レコードだと言う。白熱の太陽がもう一尺でも地球に近づくなら生けとし生ける北半球の 動物が、焼死してしまうであろう。しかも40.8度という温度は測候所の「百葉箱」という特別な 気温計に現れたもので屋外の照りつく場所だったら120度まで上がってしまった、と加藤測候所所長 は答えている。因みに世界最高気温は1921年7月8日、バスラ〔イラク〕で記録した58.8℃とある。

『梅雨明け』  Jul. 24, 2007 ▲Top
 今年の梅雨も、西のほうから梅雨明け情報が伝わってきている。ここ四国地方も、晴れた 日には入道雲が見られるようになってきたので、梅雨明けの様子だ。昔から入道雲が出て雷が 鳴り始めると梅雨が明けると言われてきた。強い太平洋高気圧によって押し上げられた梅雨 前線が日本列島を北上する時に、前線の近くで強い上昇気流が起こり、雷雲が発生するのだ。 雷の発生は、強い太平洋高気圧が日本列島に張り出して来て起きるもので、夏が近づいた証拠 でもある。但し、梅雨の終わりころの梅雨前線は、かえって活発に動き、北上したり戻ったり するので、雷が鳴ったからといって、必ずしも梅雨が明けるとは限らないこともある。最近 10年間の気象庁が発表した四国地方の梅雨明けの平均期日は7月17日となっているが、早い年は 7月11日頃から遅い年は7月31日まで大きくばらついている。 梅雨という長期間雨が降る現象は、日本、朝鮮半島、中国中部・南部、台湾などで見られる。 梅雨の事を、中国と台湾ではメイユー(梅雨)、韓国ではチャンマ(長霖)と呼んでいる。

『旅行血栓症』  Jul. 23, 2007 ▲Top
 最近東京方面へ出かけることが時々あり、大抵夜行バスを利用している。夜行バスの 取り得は、夕方乗って翌朝早くに東京に着くので、寝ている間に移動が完了し、しかも 宿代が掛からずコストが安い点にある。  夜行バスは29人乗りの全席リクライニングで、ある程度ゆったり寝られるが、 慣れていないと、およそ10時間の拘束は辛いかも知れない。私はこれまで、乗る前に 必ず酒を飲み、酔った勢いで寝るようにしてきた。今回の帰り道は、酒を飲むのを 少し控えたが、夜中に足がやたらと重くなり、シートの上で度々身体を動かし足を組み 直していたが、とても辛かった。無事に家に帰り着き、重たかった足首を見て驚いた。 両足の足首が、パンパンに腫れあがっている。書物を開いて調べてみると、最近話題の 旅行血栓症 (エコノミークラス症候群)だと分った。「長い時間座り続けると足がむくみ、 血液中の水分が血管の外にしみ出てくる」為だ。水分を失った血液は濃度が高くなり、 血栓が出来るのを助長する。アルコールを飲むと尿が出やすくなるので、血中の水分の 減少に拍車をかける。このようにして血栓が出来、胚にある細い血管をつまらせる。 悪くすると『肺塞栓症』で死亡に至るケースもあると言う。私が時々体験する狭心症と 同じだ。ゆっくり冷やし足を高くして寝たら、腫れは収まった。 酒を飲んでの長距離バスの旅は気をつけよう。

『サッカー・アジアカップ』  Jul. 22, 2007 ▲Top
 昨夜のオーストラリアとのサッカー対戦は見ごたえがあった。前半戦では、ボール支配率の高い 日本が絶えず押し気味に攻めているが、惜しいところでゴールは成らなかった。しかし印象的には、 絶対日本が勝てる試合だと思わせられた。そのまま一進一退で前半0対0で終了。後半戦に入って も日本の攻撃は積極的に敵ゴールを目指していたが、コーナーキックを得たオーストラリアのキュー ウェルが低めのクロスをゴール前へ蹴り込み、手前では誰も触れず、外側に走りこんだアロイージ が右足でゴールに突き刺し先制点を取られてしまった。日本チーム一瞬の隙を突かれてしまった。 しかし、その3分後、日本側左サイドから中村俊輔がゴール前へクロスを蹴ると、巻が頭で落とし それを中央で拾った高原が振り返りざま左足でシュート。左ポストをかすめてゴールに突き刺して 1対1の同点に持ち込んだ。僅か数分前、先手を取られて嫌な空気だった日本チームも、これで 一気に気力を取り戻した。後半戦残り時間にも日本側再三のゴールは成らず決着は延長戦へ。 しかし延長戦でも双方決定的なゴールは出来ず、最後はPK戦へ持ち込まれた。オーストラリア先行で 始まったPK戦は、川口の健闘で最初の2本を続けて押さえ、反対に日本は中村、遠藤、駒野と3連続 ゴールさせ、圧倒的に日本有利とした。オーストラリアは残り3本を決めたが、日本勢は高原だけが 外したが最後の中沢が落ち着いて決め、日本が勝利を得た。試合は終始落ち着いて攻めた日本チーム を、安心して観戦する事が出来たいい試合だった。

『旧友との再会』  Jul. 21, 2007 ▲Top
pioneerkawasaki.jpg  現役時代の東京で約30年間過ごした会社のOB会が1年ぶりであり参加した。会場に選ばれた のは、本年4月新築移転した川崎市矢向駅近くの川崎事業所のお披露目を兼ねたものだった。かっては 音響機器やカーステレオの初期に活躍した所沢工場を売却し、最新技術の開発を目指して総合的な 設備を充実させたものだ。広い敷地に最新のセキュリティーシステムを取り入れた工場の中は、社員 が快適に過ごせるあらゆる配慮がされていて、昔を考えると羨ましい限りだった。工場見学のあと、 社長による会社近況報告と、OB会の関連報告を経て、懇親会が行われた。毎年多くのOBを排出 している中で、私も退職後22年を過ぎるが、ご老体のOB達には参加見合わせた人たちも多かった。 また、新しくOBとして参加してきた人たちには、私の居た時代まだ若手バリバリと思っていた人達 がもうOBとして顔を出しているのも、時代の変遷を感じた。やっぱり懐かしいのは、同年世代の 人たちで、苦労した昔話や、楽しく過ごしたゴルフ大会の話などに花が咲いた。2時間の懇親会も、 あっという間に過ぎ去り、又来年の再会を約して別れを惜しみながら散会した。お疲れ様でした。

『高下駄』  Jul. 18, 2007 ▲Top
geta.jpg  最近は下駄を履く事は全く無くなったが、昔の一般庶民は平均的に下駄を履いていた。 私の高校生時代の通学には、桐の高下駄を履いていた。当時バンカラの大学生が履いていたので それにあこがれて、履いていた。無論自分が大学生になった時も、小田急線千歳船橋駅から、 御茶ノ水駅までの通学には、高下駄を履いて通っていた。途中の駅から乗ってくる女学生から 好奇の眼差しで見られるのを意識して、歩くときはわざと下駄の音を響かせて歩いた。当時 朝の通学時の電車に乗るとき、ギューギュー詰めの満員電車では、足元の確保が難しく、高下駄 には効用があり、絶対に足を踏まれないので、とても重宝していた。高下駄の歯の間は、広い 空間が確保されるので、乗り合わせた乗客にも、足の置き場所を提供する役割が出来ていた。 高下駄の効用には、もう一つあり、下駄の歯が磨り減ってくると、自分で歯を交換する事で、 何年間も使うことが出来たので、貧乏学生にはとても便利だった。川柳に、「雪道に、二の字、 二の字の下駄の跡」と詠まれていたが、その昔、歯は一本しかなかった。下駄は平安時代、山で 修行する僧侶や修験者たちが履いたのが始まりで、山を登り降りするには一本歯の方が歩き易かった。 京の五条の橋の上、ひらりひらりと飛び回り、弁慶とやり合った牛若丸の高下駄も一本歯だった。 後に庶民の履きものになり、平地を歩き易くするために二本歯に改良され、江戸時代には下駄が 全盛となった。雨の日に履く女性用の高下駄は、薄めの歯で出来ていて、着物姿には蛇の目傘と 共に似合って、とても色っぽかった。

『蚊』  Jul. 17, 2007 ▲Top
buta.jpg  最近の家は、網戸の設備が整っているので家の中に蚊が侵入することは少なくなったが、 昔は、夏場になると家の中に蚊取り線香を炊いて、蚊に刺されるのを防いでいた。寝るときは 必ず蚊帳が必要だった。昔の人なら、夜中にあの蚊に刺されて、かゆくて寝られなかった 経験は何度もあったと思う。蚊の羽音が聞こえると、暑い夜がもっと寝苦しくなってしまう。 雄・雌ともふだんは花の蜜、果物の汁、樹液などが餌なのだが、人間の血を吸うのはメスの 蚊だけと知っていただろうか。タップリ吸血すると、それを消化吸収して卵巣を発達させ、 4〜5日後に300個あまりの卵を産み落とすのだ。卵は2〜5日でボーフラとなり、それから 7〜10日で4回脱皮してさなぎになり、さらに3日ほどで成虫になる。つまり2週間あまり でまた新しい吸血鬼が続々誕生するのだ。蚊に刺されるとかゆくなるのは蚊の唾液が原因だ。 血には凝固作用があるので、そのままではゆっくり吸うこともできないので、凝固作用を妨げる 物質を含んだ唾液を流し込みながら血を吸うのだ。この唾液が人間にかゆみを感じさせている。 血液型による刺されやすさを実験した結果A、B、O、ABの血液型のうち、O型の人を蚊が 最も好むという結果が報告されている。

『台風一過』  Jul. 16, 2007 ▲Top
 台風4号は、強い台風だったが幸いにも日本列島を少し太平洋側にそれて通過したので、 最悪の被害は避けられたのではないかと思う。古い話だが、私の幼少時代に台風一過の 様子を見るため近くの小川に溢れた水辺に出かけた。そこは大きな渦が巻いて居るのが 不思議で面白くて暫く見て遊んでいた。それは道路を挟んだ両側を流れる川を結ぶ土管が 道路の下を横断していて、その間の落差を溢れた水が反対側の川に吸い込まれていたのだ。 そこでは流れてきたゴミが渦に勢い良く吸い込まれていくのが面白く、近くにある草花を 千切っては吸い込ませ、時間の過ぎるのも忘れるほど遊んでいた。その内夢中になりすぎ 足を滑らせて川の中に引き込まれて仕舞った。周りには誰も居なかったはずが、偶然近く を歩いていた女学生が私が小川に落ち、土管の中に吸い込まれていく姿を見かけて、すぐ 手を掛けて引き止めて呉れたのだ。私の体の半分は土管の中だったが、3人の女学生達は 必死に引きづり出して助けてくれたのだ。助け出された時、まだ意識のあった私が自分の 家を教えたのか、気が付いたときは自分の家の布団に寝ていた。まさに九死に一生を得た 大変な事件だった。私の記憶では、土管の中からこの世の最後を見たのは、泥水の中から 3人の女学生が必死に助ける姿であった。その後女学生の背中に負ぶさって、何か聞かれ ながら家まで連れて行かれたのだと思う。あの時の女学生は何処の誰か、その後全く分ら ないが、もし会えるなら命の恩人として、ぜひ会ってお礼を言いたかった。

『台風4号』  Jul. 15, 2007 ▲Top
taifu4.jpg  台風は太平洋や南シナ海で発生する熱帯低気圧で最大風速が34ノット (17.2m/s) 以上のもの を言い、日本ではその年発生した順に1号、2号と名前を付けている。今回の台風は今年4番目だ。 以前、戦後の米軍占領下では、アメリカ式の女性名が台風に付けられていたが、独立回復後、 その年の台風発生順の番号名に戻った。しかし、特に災害の大きかったものについては上陸 地点などの名前を付けて呼ぶこともある。戦後、気象庁によって命名された台風は次の8つがある。 1954年洞爺丸台風 、1958年狩野川台風、1959年宮古島台風、1959年伊勢湾台風、1961年第2室戸台風、 1966年第2宮古島台風、1968年第3宮古島台風、1977年沖永良部台風。閑話休題、今年は6月中旬 過ぎ頃まで、四国地方の水がめは、何処の町も水不足で、取水制限までして大変な騒ぎだった。 望みは梅雨の雨だったが、それもなかなか充分な量も降らず、大型の台風でも来て貰わないと、 水瓶は底をつくと思われていた。いよいよ底が見える所まで来たところで、天の恵みの台風が 近づいた。今回大型台風4号が九州南端から接近し、四国南西大平洋側から雨水を運んできた。 しかし過ぎたるは及ばざるが如しではないが、近年にない大型台風だった。中心気圧は960hPa、 中心付近の最大風速は45m/sであった。早朝四国南岸を通過したが、欲しかったのは雨水だけで、 風は余分だった。でも幸い愛媛県には大きな被害は無かった様で一安心した。

『ビールの泡』  Jul. 14, 2007 ▲Top
beerawa.jpg  間もなく鬱陶しい梅雨が明けて、待ちに待ったビールの旨い季節になる。空の広がる屋外 のビアガーデン等でパラソルを開き、並々と注いだジョッキで乾杯し、喉を潤すのが、この 時期最高の喜びだ。よく冷えたビールのジョッキを一気に飲み干し、口の周りに泡をつけた まま、思わずうまい!!と叫ぶ時の幸せは、ホントに待ちに待ったこの一時と言う感じになる。 ビールの泡は、ビールに溶け込んでいる炭酸ガスに由来するもので、タンパク質や炭水化物、 ポリフェノール、ホップの苦味物質などで出来ている。 それらの成分は、ビールの旨さをひきたたせるために、重要な成分の一つとなっているのだ。 ビールの泡は、単に泡立ちだけではなく、泡持ちも重要な要素である。ビールの諸成分のうち、 泡持ちに影響する成分が、タンパク質、ホップ成分、炭水化物、無機塩類などである。 これらをバランス良く含んだビールがきめの細かい泡を形成すると、泡持ちがよくなる。 ビールサーバーのコックを開くと、圧力の低下と注ぐ際のビールの落下による撹拌によって 炭酸ガスが遊離する。それが泡となって上昇し、液面の上部に泡の層を築くのだ。泡立ち方は、 注ぐ高さ、注ぐ速度、グラスの形状、炭酸ガスの含有量によって変わるが、白く盛り上がっ た滑らかできめの細かいものがよい泡の証拠である。

『雷』  Jul. 13, 2007 ▲Top
kaminari.jpg  昔から、怖いものの代表として、地震、雷、火事、親父と言われて来た。子供の頃は親父が 一番怖かったが、その親父も亡くなったので、怖いものが減った事になる。地震は小学校6年生 の頃、南海大地震を体験した。余りの揺れに家の外に出るのに苦労し、外に出たところで目の 前の電柱が上下に揺れて、液状化した泥が、電柱の根元から吹き上げているのを見て、とても 怖かった事を今でも覚えている。雷の思い出は、30年ほど前、仕事の関係で山形に工場を作った とき、紙を扱う仕事なので落雷火事を防ぐ為、建物の傍に避雷針を建てる事になった。高さ30m のパンザマストを建て、先端の避雷針からアース用銅線を引き、10m程はなれた場所に、四角形の 深い穴を掘り、導電性を良くする為、下に木炭粉を敷き詰め、一辺が2mほどのアース銅版に接続 して埋めた。ある時、実際に雷が落ちたのを偶然目撃する事になった。重く垂れ込めた雷雲から 鋭い稲妻が光った途端、大きな音と共に、避雷用電柱に沿っている電線が赤く光り、電柱の傍に 埋めたアースまでの土を跳ね上げながら、雷が地中に吸い込まれた。落雷が終わった後の電柱と10m 離れたアースまで埋設した電線の跡は掘れて溝になり、焼け爛れたような臭いが残っていた。恐らく 近くに人が居たら、強い衝撃を受けた事と思う。幸い離れていたので、人は無事だった。後に避雷針 を建設した業者に報告したら、雷撃を受けた避雷針の交換とアース電線の張りなおしが必要だったが、 本当に雷の怖さを知った一瞬だった。

『赤の他人』  Jul. 12, 2007 ▲Top
 縁もゆかりも無い人のことを赤の他人と呼ぶのは何故なのだろう。その人が赤い顔を している訳でもない。日頃赤い着物をきているわけでもない。赤くもないのに赤ちゃん と言うのも同じ様な理由として、この「赤」という表現は、太陽が昇り始めて夜が「明ける」 から来ていて、朝日の赤さは「純粋で穢れの無い」「生まれたて」、「ものの始まり」と いうイメージと、太陽=「赤」という印象が結びついたものだという説がある。「赤」 には、「何も無い、全く無い」という意味があるので、まだ親しくも無い、これから付き 合いが始まるかも知れない、「赤」の他人と言うことか。しかし、どんなに親しくしても 他人であり、本当に他人でないのは血のつながった肉親だけである。強いて言うと他人で 無いのは親子に限定されるかも。兄弟は他人の始まりとも言う。ましてや夫婦なんて 全くの他人同士がくっついた者だ。相手が自分の事を心底考えて呉れているなんて事は 考えるだけ無駄なのだ。

『サーフィン』  Jul. 11, 2007 ▲Top
sarfin.jpg  真夏の海で、真っ黒に日焼けした男の、豪快なスポーツと言えば、サーフィンに勝るものは無い。 1966年の今日、千葉県鴨川海岸に100人あまりのサーファーが参加して、日本最初のサーフィン 大会が行われている。サーフィンの発祥は、アメリカのハワイ諸島である。サーフィンは古くから 行われていたスポーツだが、本格的に普及したのは1920年にワイキキ海岸にサーフィンクラブを 作ったのがきっかけになっている。日本には加山雄三が最初に持ち込んだと言われている。日本 でサーフィンが本格的に始まったのは1960年ころ、アメリカ人が湘南海岸や外房海岸でサーフィン をするようになってから広まり、1965年には日本サーフィン連盟が出来ている。当初日本では 「波乗り」とも言われ、幅広い年齢層から支持を得て広まった。サーフィンのルールには「優先権」 というものがある。それは波のピークにいる人だけに与えられます。 1本の波にピークが複数できる場合は、最初にその波を捕らえた人に優先権がある。これらは 1本の波に「相乗り」する事で生じる事故や、トラブルを防ぐために生まれたルールである。 サーファー同士が「譲り合い」の精神で波に乗ってこそ、無事故で快適なサーフィンを楽しむこと が出来る。

『納豆の日』  Jul. 10, 2007 ▲Top
natto.jpg  今日、7月10日は納豆の日とされている。納豆の消費拡大を図ろうと、関西納豆工業協同 組合が、7・10を語呂合せで決めたもの。しかし、もともと納豆は冬の季語とされている事や、 「納豆の時期は医者要らず」という言い伝えがあるように、納豆のシーズンは冬とされていた ことから、この設定には異論があるようだ。納豆の始まりは、奈良時代に中国から伝わったと されていて、当初は糸も引かず、塩辛い乾燥豆だった。糸引き納豆になったのは、東北地方が 起源だとする言い伝えが、東北各地に残っている。最も一般的な食べ方は、ご飯に納豆をかける 食べ方で、白米を炊いたご飯に納豆を混ぜて食べるもの。これは納豆に醤油や和ガラシとネギ等を 加えてかき混ぜ、粘りのある糸が充分現れてから食べるのがポピュラー。納豆はカルシウム補給に 優れているだけでなく、あの独特のネバネバ成分には、骨を強くする働きがある。その正体は、 ポリグルタミン酸。アミノ酸の一つでうまみのあるグルタミン酸が、約三千個もつながっている ため、強い粘りがあり、糸を引いているのだ。マスコミの宣伝では、ナットウキナーゼが直接 体内の血栓を溶かすなどという現象を主張しているが、実際はナットウキナーゼは分子量が大きい ので、そのままの状態では腸から吸収されないので、過剰な期待を寄せることは無意味である。

『携帯電話』  Jul. 9, 2007 ▲Top
 携帯電話を持ち始めて約10年ほどになる。当初は手軽なPHSだった。会社で準備して 呉れたものなので、不服はなかった。と言うよりその程度でよかったのだろう。通信範囲は 限られていて、市内でも建物の影などでは突然通話不能になったりした事もある。むしろ、 携帯電話で追い掛け回されて、自由が利かないよりは、通信圏外を言い訳に出来て良かった。 その後、会社をリタイヤする時、やっとPHSから開放され、自前で携帯を持つ事にする時、 今のソフトバンクのボーダーフォンにした。一度は路上に落としたのを、翌日探し当てたが 雨に降られたようで、駄目になり、更に買い換えた機種も、海に落として電池が駄目になり、 更に取り替えた経緯がある。その後、水気には注意して長く使ってきたが、最近電池の充電 間隔が頻繁になってきたので、暫くぶりで新しい機種に変更した。機種が新しくなったお陰で 電池の持ちが良くなり、一度充電すると4〜5日は持つようになった。前の機種は車の運転中 ハンヅフリーで通話できるように、アダプターを用意していたが、今度の機種には、接続用 コネクターが合わず、昨日やっと新しいコネクターに合う物を見つけてきた。とりあえず試験 して見たが、スピーカーの音量や、マイク感度の確認がまだ出来ていないので早く設置して、 道路交通法違反にならないよう対応しなければならない。

『質屋』  Jul. 8, 2007 ▲Top
shichi.jpg  最近は質屋の看板を見かけることは少なくなった。昔、我々がまだ学生時代には、月に1度の 親の仕送りが来るまで、小遣いが続かず、止む無く持ち物の内で金目になるものを、近くの質屋 に持っていって、金を借りて過ごす先輩がいた。貧乏学生にも関わらず、友達との付き合いや、 何かで、お金の掛かることもあり、バランスよく毎月同じ小遣いで済ませられない事は有った。 そんな時、質屋へお金を工面に行くのは、恥ずかしい事でもなく、学生としてはごく普通だった。 幸い私の学生時代には、質屋通いの経験は皆無だが、先日昔の話をしているとき、家内は質屋に 行った事があると聞き驚いた。私達の結婚は学校卒業と同時で、新入社員の私の初任給は安くて、 毎月の生活費には、とても足りなかった。家内は私に内緒で時々は親から仕送りをして貰って居た らしい。それでも給料前には金策尽きることもあり、仕方なく着物を質屋に預けて生活していたのだ と聞かされた。 考えてみると、何時の間にか家内の着物は減っていたようだ。可哀そうに 生活費に不足すると、家内は私に黙って自分の着物を質に入れ、返す事も、金利を払うことも出来ず 質流れにしていたのだった。今頃知っても、今更買って返す余裕は無い。もう質屋に入れる金目の ものもないが、若い頃のような贅沢しなければ何とかなっている。思えば若気の至りで、身分不相応 の贅沢をしていたのだ。

『七夕』  Jul. 7, 2007 ▲Top
tanabata.jpg  今日は七夕、小さい頃に弟達を従えて近くの竹薮に出かけ、短冊の飾り付けに手ごろな 笹を切ってきたものだ。そしてそれぞれの短冊に思い思いの希望を書き、棕櫚の葉を裂いて 短冊に付け、笹の枝に結び付け望みが叶うよう祈った思い出がある。 七夕の日は、1年に1度だけ天の川を渡って牽牛と織女が出会うことが出来るという伝説 で、中国から伝わったものだが、子供心には何故年に一度しか会えないのか、理由は分ら なかった。実は織女と牽牛は夫婦なのだが、お互いにあまり仕事をせずに遊んでばかりいた ので、1年に1度のデート以外は仕事、仕事の毎日を過ごしていたという儒教的なお話だ。 日本へは遣唐使などによって伝えられたと言う説があるが、正確にいつ日本に伝わったかは 定かでない。江戸時代には、書道学問の上達を願う行事となり、また、織姫星とひこ星 を引き合わせるため、たらいに水を張り、そこに2つの星を映して、わざとたらいを揺らし、 2つの星があたかも接近したようにすることも行なわれていたと言う話が伝わっている。 この日は、パソコン通信時代に、我々WEB仲間が、グループ名「みなみ風」として発足した 日に当たり、爾来毎年七夕の日は全員集まって七夕オフを開いている。恒例によりこの日は、 7月7日7時7分にオフ会が開始され、ビンゴゲームをメイン行事に皆んなが持ち寄った 景品を取り合うのが楽しみの一つとなっている。

『阿吽の呼吸』  Jul. 6, 2007 ▲Top
niosan.jpg  大きなお寺や、古い神社に行くと入り口には山門があり、その左右に仁王様が構えている。 向かって右側に大きな口を開けて立っているのが「阿形」といい、左側には口を真一文字 に閉じた「吽形」がいる。人は生まれたときの赤ちゃんの第一声で「おぎゃー」と大口を 開けて泣く姿をこの「阿形」が表し、人の死ぬときは最後に口を真一文字に閉じて終わる 姿を「吽形」が現して居るという。即ち山門の両側の仁王様は人生の最初と最後を表し、 人間の一生と万物の根源を語っているのだ。 人間関係で、お互いの微妙な気持ちや、呼吸がぴったりと合うことを「阿吽の呼吸」と言うが、 「阿」は吐く息であり、「吽」は吸う息のことで、二人の関係は問題なくうまく行っている ことを指している。

『睡眠時間』  Jul. 5, 2007 ▲Top
 人によって睡眠時間の取り方はいろいろあるようだ。1日10時間程度の睡眠時間が必要な人を ロングスリーパーといい、エジソンやナポレオンのように3〜4時間の睡眠で充分な人をショート スリーパーと呼んでいる。因みにアインシュタインは前者のロングスリーパーだったと言われている。 医学的には、何時間寝なければならないと言う法則はないそうで、眠たいときに寝て、起きていられる 時間起きていれば良いのである。私は小さい頃からショートスリーパーの方で、大体4時間寝ると 自然に目が覚めていた。父親の出張の関係で、朝早く起きて父の食事を準備しなければならない日の 母は、必ず小学生低学年だった私に、朝起こす事を依頼していた。そして期待通り目覚ましより先に 母を起こして信頼されていた。その習性は、大きくなってからも変わらず、今でも夜は4時間寝ると 自然に目が覚める。いや、睡眠時間と言うよりどちらかと言うと夜明けと共に目が覚めるという方が 当たっているかもしれない。でも満足できる睡眠時間は今も4時間あれば充分である。ただし年取って 肝臓を悪くした時期があり、健康維持のため、昼寝を1時間程度取る事を生活のパターンとしている。

『茶番劇』  Jul. 4, 2007 ▲Top
 久間防衛相の千葉県柏市での講演で「長崎に原爆を落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで 戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨む つもりはない」という発言は、とうとう辞任劇に発展した。大体あの講演を聴いていて、腹が 立つのは、戦争末期のあのタイミングで、もうこれ以上日本に残された道は降伏しかない土壇場 で、広島に続いてさらに長崎に原爆を落とす必要があったとは誰も思わない。それを、日本の 防衛大臣が自ら、「原爆を落とされてもしようが無い」とは、情けない発言だ。まして長崎に まで落とされ、悲惨な目に遭い多くの国民が死に追いやられている。あの原爆で無駄に殺された 人達を守るべき立場の防衛大臣の言うべき言葉かと疑った。多くの国民が一斉に反発したのを 受けてやっと自ら辞任の覚悟を決めたが、講演の最中も、その後の釈明のときも、へらへらとした 顔つきで、この厳粛な問題を論じている姿は、最低の茶番劇だった。こんな人を大臣に選んだ安倍 総理の任命責任は重いと思う。

『目薬』  Jul. 3, 2007 ▲Top
 先日、目の異変で病院の診察を受けた結果、翼状片(よくじょうへん)と分ったが、当分其の侭に して置く事にした。しかし目の充血だけは気になるので、目薬を処方してもらった。これまでは、 市販の目薬(対応症状は知らないもの)を適当に注していたが、殆ど効き目は無かった。考えてみれば 対処療法ではないので効き目が無いのは当たり前で、単なる疲れ目回復目的だったようだ。 今回、医者の処方で調合してもらった目薬は、消炎目的の目薬だと薬局で説明してくれたが、注し方 も丁寧に指導してくれた。普通テレビコマーシャルなどで、目薬を注した後パチパチと瞬きするシーン があるが、あれは無駄な行為で、折角注した目薬が患部に吸収される前に、殆ど外に流れてしまうので、 注した後、静かに目をつぶり、薬が目の患部に吸収されるのを待つこと。また注す薬も多くを注す必要 はない。消炎目的の薬はキツイので、1日1度、只の一滴で良いと指導された。正しい目薬の注し方で、 目の充血も殆ど目立たなくなり、今はさわやかな白目になっている。

『ZENさんイラスト』  Jul. 2, 2007 ▲Top
yellowsand.jpg  今回左上のZENさんイラストは、今までに無い大胆なシチュエーションでした。 いつもこのイラストを描いてくれるNORIさんのイメージの中に、私の口が 裂けるほど大きいイメージが有ったのかなと考えていました。でも実際のところ ZENさんの口はオチョボ口で、小さいのです。でもこんな顔を描いてくれる NORIさんの発想の大胆さは、凄いなと感心しています。ZENさんイラスト を送ってくれ始めて、もう4年が経ちますが、最近作風も少し変化してきました。 最初は、似せようと描いた時期も有りましたが、季節ごとの風物詩を盛り込んだ 画になり、最近は思い切って大胆なデフォルメを加えて、面白さが出てきました。 一時期、仕事が忙しいのか、新しい作品発表が止まった時期も有ったのですが、 このところ、また快調にストックが溜まってきました。この画は黄砂ですが、 私の判断ミスで、発表のタイミングを失してしまいました。如何にも埃っぽい、 雰囲気がよく描けています。いづれ使いますので暫くお蔵入りです。 NORIさん、頑張ってまた新しいイラスト続けてよろしくお願いいたします。

『翼状片』  Jul. 1, 2007 ▲Top
yokujohen.jpg  翼状片とは聞き慣れない病名と思う。実は数年前から、左眼の白目と黒目の間あたりから 瞳に向かって、白い腫瘍のようなものが出来て来た。目を開けて鏡で見ると眼球の表面に 若干膨らんだように白く形成され、年と共にすこしづつ大きくなっている。症状として特別な 痛みも、瞼への違和感も無いが、それが原因で、周りの毛細管が充血していつも目が赤いのが 気になる程度だ。以前他の要因で眼科に通ったとき、この異常なものについて相談した結果、 それは翼状片と呼び、白目の表面を覆っている半透明の膜である結膜が、目頭(めがしら) の方から黒目に、三角形状に入り込んでくる病気だと言われた。 原因は不明だが、高齢者に多く病気の発生には紫外線が関係しているとのことだった。 翼状片自体は悪性の組織ではなく、年寄りに多い症状らしい。特別支障がなければ放置 しても問題はないそうだ。現在は翼状片が瞳の近くまで伸びいるので乱視が発生しているが、 これ以上進めば手術が必要かも。 ただし、手術をしても再発することが多く、再発するとまた再手術が必要で、再手術を繰り 返すたびに手術が難しくなると言うので、結局は極限まで我慢する事にした。

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