2007年2月
『帰国』  Feb. 28, 2007 ▲Top
 2年ぶり、10日間のインドネシアゴルフツアーから、昨夜戻ってきた。この時期、 大学時代の同級生仲間と毎年、寒い冬を逃れて暖かい海外でゴルフを、と始めた企画に、 今年はその友人達を含めて12名でインドネシア膝栗毛を楽しんだ。出掛ける少し前に ジャカルタを襲った洪水のニュースを見ていたので、現地のゴルフ場の被害を心配して いたが、その影響は全く感じられず、一部のゴルフ場を除いて快適なプレーが出来た。 今回はインドネシア初体験のメンバー5名が加わり、毎日起きる失敗談に笑いの種が 尽きなかった。コースでのプレーは5箇所を巡り都合6回のラウンドを行った。流石に 雨季のこの時期、毎日午後は雨に降られたが、初日のゴルフ以外は全て雨の降り始める 前にラウンド出来た。6回のラウンド中、初日は雨の為ハーフラウンドで中止したので 競技は無とし、2日目の成績でハンディキャップを決め3日目以降は優勝3割カット、 2位2割、3位1割減のハンディ改正を行い、最終日の成績を争った。ZENさんは、1位、 6位、2位、2位の順位で迎えた最終日、グロス84、ハンディ11、ネット73の堂々1位を 獲得した。こうして楽しかった今年のゴルフツアーは終わった。

『タイガー計算機』  Feb. 16, 2007 ▲Top
tiger.gif  電子式計算機が登場するまでの計算機と言えば、何と言ってもタイガー計算機が活躍した。 盤面上のレバーをセットしてハンドルを回して加減乗除の計算をさせるのだ。設計などする 時の大まかな計算には、計算尺も使ったが、細かい端数までは無理なので、タイガー計算機 は何処の会社にも1台くらいは置いてあった。昭和30年代中頃、マイカーブームが 起き始め、一般の道路を利用したラリーが盛んになった頃がある。当時私も色々なラリーに 参加したことがある。指定されたコースを、決められた時間通り走るには、走行距離と所要 時間を計算して正確に走らなければならない。そこで考えたのが、タイガー計算機だった。 会社の備品だが内緒で持ち出し、隣に乗せたナビゲーターに、距離計と制限速度から現在時点 の正確な時間を計算させて、走行速度を割り出して走った。ナビゲーターは指定された地図の 進路の読み取りと、所要時間の計算を刻々と変る交通事情を加味してドライバーに伝えなけれ ばならない訳だから神経を使ったと思う。当時ラリーは一般道路を利用して走る関係から、 大抵は交通量の少なくなる深夜帯だから、暗い車の中で手回しの計算機を回し続けるのは大変 だった。ラリー終わると、どっと疲れが出た。タイガー計算機のない人たちは、手計算と計算 尺で割り出していたが、結果的には、外見的に格好いい計算機よりも、直感と推理に近い 手計算組も結構早かった。今なら手の平に乗る電卓で簡単に計算できるのに苦労したものだ。

『世界初の電子計算機』  Feb. 15, 2007 ▲Top
eniac.jpg  1946年2月15日、世界初の電子計算機「ENIAC」の完成式が行われている。日本が 戦争に負けた翌年の事だ。目的は軍事用の弾道計算をさせるものだった。真空管1万8800本、 重量30トン、消費電力120kWという巨大な化け物だった。当然格納する為の大きな部屋が 必要で、機械が発する熱を冷却する為に、強力な冷却装置が必要だった。10桁の加減算が 5400回/秒という計算速度は、それまでのいかなる計算機をも凌いでいたが、今のおもちゃ ほどのコンピュータにも、全く及ぶものではなかった。その後1955年までアメリカのアバ ディーン弾道研究所で、弾道計算、天気予報、原子核などの計算に利用されていた。 数字の表記はまだ10進法で、記憶量は10桁で数十個、プログラムの記憶内蔵もなかった。 英国ケンブリッジ大学がプログラム内蔵方式の電子計算機を開発し、今日のコンピュータの 原型が生まれた。構成する部品を真空管からトランジスタ、集積回路へと世代交代しながら、 急速にコンパクト化していった。1970年代前半には重量 1kg 程度で電池駆動も可能な携帯 電卓が発売され次第に普及速度が早まってきた。電卓の更なる小型化が求められ、米インテル 社がはじめて製作したi4004はマイクロプロセッサでもあり、その後、同社が製作した CPU は パーソナルコンピュータの基本的CPU としてメモリ、プログラムを格納する ROM、入力部で あるキー、出力部である電子表示装置等、システム構成で見ると、現在のパーソナルコン ピュータの基本要素を全て含んでいた。

『バレンタインデー』  Feb. 14, 2007 ▲Top
stbalantin.jpg  2月14日のセントバレンタインデーに女性が、思いの男性にチョコレートを贈る習慣は 我々が若い時代には無かった。記録では、昭和50年代頃に、チョコレートの拡販を目指し た菓子業界の宣伝目的に使われ、「女性が男性にチョコレートを贈り、愛を告白する日」 として広められたようである。昭和50年代といえば、私も40歳代で、会社では中堅の 幹部として活躍していたので、関係する各部署の女性達から多くのチョコレートを貰った 楽しい時代だった。日頃の得意先にもチョコレートを集めて回った記憶もある。女性から 男性にチョコレートをプレゼントする習慣は、日本だけのものと言われているが、欧米でも 英語版wikipediaに「バラ、チョコレート、宝石などの贈り物」という記述が見られる。 ただ、チョコレートだけを贈る習慣は日本だけなのだろう。本来の贈り物の目的は、本命に 対して贈るものなのに、義理チョコと言われるものは、職場などで渡すとき他人に知られる のを隠す為に、ついでにカモフラージュする事から始まったのではないかと思う。 現在ではチョコレートの年間消費量の、約25%がバレンタイン・セールの期間に消費され て居るという。

『便所紙』  Feb. 13, 2007 ▲Top
benjogami.jpg  現代では、何処の家のトイレでも、ロール状のトイレットペーパーが装備されている。 私たち子供の頃、60年以上前には、ロール状のトイレットペーパーは無く、普通の家 ならいわゆる便所紙と呼ぶ、B5かA5用紙程度にカットした紙がカゴに入れて置かれて いた。紙質は今のトイレットペーパーのような柔らかさとは程遠い、そのままメモ用紙に なるほどしっかりした紙か、安物の広告などに使われる、わら半紙程度のものだった。 物資不足の戦争中は、新聞紙を小さく切って使っていた。多分お尻がインクで黒くなって いた事と思う。そのままでは固くて拭く事も出来ないので、しっかり揉みほぐしてから 使わなければならなかった。今なら一度で痔が再発する事間違いない。戦後占領国の 進駐軍が日本に持ち込んだのが、ティッシュペーパーで、かすかな香りと、肌に優しい 柔らかさの文化は、瞬く間に日本のトイレットペーパーの紙質を進歩させた。便所紙は ロールペーパーに取って代わり、材質もシングルからダブルへと進化した。一巻きの長さ シングルは60m、ダブルだと長さは半分になるが、シングルが高く、ダブルが安いのは コストだけの問題ではなく、人気で売れ筋のダブルは価格競争から安売りしているのだろう。 我が家は、総合的に使用効率の高いシングルを使っている。

『メタボリックシンドローム』  Feb. 12, 2007 ▲Top
 生活習慣病とよばれている主な症状に肥満症、高血圧、糖尿病、高脂血症などがある。 これらの症状は個々の原因で発症するというよりも、肥満、特に内臓に脂肪が蓄積した 肥満が原因であることが多い。内臓脂肪蓄積による病気が引き起す状態を『メタボリッ クシンドローム』と呼んでいる。体のどの部分に脂肪がつくかによって、肥満は2つの タイプに分かれる。下腹部、腰のまわり、太もも、おしりの周りの皮下に脂肪が蓄積す るタイプを「皮下脂肪型肥満」、内臓の周りに脂肪がつくタイプを「内臓脂肪型肥満」 とよんでいる。皮下脂肪型肥満は外見で判りやすいが、内臓脂肪型肥満は外見ではわか り難い。内臓脂肪型肥満を簡単に調べる方法として、ウエスト径(へそまわり径)が男 性では85cm以上、女性では90cm以上であれば、内臓脂肪型肥満と判定できる。 メタボリックシンドロームを放置しておくと、やがては動脈硬化を引き起こすので、 動脈硬化にならないために、メタボリックシンドロームの段階で対処が必要だ。 メタボリックシンドロームを防ぐ働きがあるホルモンの「アディポネクチン」が体内で 作用するメカニズムを、東京大大学院医学系研究科の門脇孝教授らの研究チームが、 マウスを使った実験で突き止めている。将来メタボリック症候群の根本的治療法開発に つながる可能性が見えてきた。

『万歳』  Feb. 11, 2007 ▲Top
 日本では、おめでたいとき等に、万歳三唱するのはごく当たり前の行為になっている。 万歳とは、天皇や国家の長寿、長久を祝福、祈念して唱える言葉。元々日本独自の言葉ではなく 同じような場面で、朝鮮語では「マンセー」 、中国語では「ワンスイ」と言う。中国で乾杯の際 に唱える祝福の言葉だった。記録によると日本で正式に万歳(ばんざい)を三唱したのは1889年 2月11日の大日本帝国憲法発布式で、天皇を迎えた際に発したとされている。万歳の最も古い記録 は、平安時代に桓武天皇の平安遷都の際、「群臣ともに万歳と称して再拝踏踊」と史書『三代実録』 に記されている。当時は「ばんぜい」と発音していたとある。「万歳」を「ばんぜい」と読むか 「まんざい」と読むかについて、色々論議され憲法発布式で臨時編年史編纂係提案の「バンザイ」 に決定した経緯がある。太平洋戦争末期の日本軍が米軍に対して、玉砕覚悟で行った突入攻撃は、 バンザイ突撃と呼ばれた。死を覚悟の突撃は米軍将兵に大変な恐怖を与え、(バンザイアタック) と恐れられた。慣例として、衆議院解散時に議長より詔書が朗読され、解散宣言された瞬間、 失職した議員たちが「ばんざい」を三唱する不思議な儀式がある。

『梅の花』  Feb. 10, 2007 ▲Top
 この時期になると、あちこちから梅の便りが来るようになる。まだ寒さが残っているけど 春が来た事を告げるように、花が威勢よく咲き誇ることから、春告げ草とか、梅の開花を別名で 梅暦(ばいれき又は、うめごよみ)とも呼ぶ。季節の変化で最初に春を感じさせるのは、梅の開花 である。農耕時代の大昔、暦も無い頃から梅の開花と共にお百姓の稲作作業が始まっている。 梅の分類では薔薇(ばら)科、学名 Prunus mume(梅)、Prunus サクラ属、mume ウメ (江戸 時代の梅の呼び名=ムメ)Prunus(プラナス)は、ラテン古名の「plum(すもも)」が語源とある。 梅の開花時期は1月25頃から4月始め頃。1月下旬から咲き出すもの、3月中旬から咲き出す ものなどさまざまだが、桜とちがって、咲き方も散り方もゆっくりだ。 6月くらいに実が黄色くなりはじめる。花を見るために育てた品種を「花梅」、果実を食用とする ための品種を「実梅」という。 「梅」は品種が多く、中国からの渡来種のほか、日本では江戸時代 に、たくさんの品種の育成・改良が行われ、現在では300種以上あると言われる。 中華民国政府(台湾)は梅の花を公式に国花に定めている。台湾では、国民党の旗である12本の 光芒をもつ太陽と並び、梅が中華民国の紋章としても使われている。

『ふぐの日』  Feb. 9, 2007 ▲Top
fugukuyo.jpg  2月9日は語呂合わせからふぐの日。実は当地新居浜ではふぐと言わないで、福にあやかって ふくの日と読んでいる。新居浜市料飲組合関係者が毎年この日、市内の澤津漁港に集まり「ふぐ供養」 を行っている。ふぐに感謝の意を込めて玉串を捧げ、とらふぐ10匹を海に放流し今後の豊漁を 願う行事である。2月のこの時期、寒さに耐えて脂がのって、フグの一番おいしい時期と言われ ている。身の大きなとらふぐは高価な食材なので、庶民の口にはなかなか入らない。フグは、 その別名を「鉄砲」とも呼んでいる。それは、「よく当たる」ということからきた別の名前。 よく知られているように、フグの肝臓や卵巣には、猛毒が含まれている。これは一種の神経毒で、 重症の場合は、呼吸困難を起こし、死を招く恐ろしい毒である。日本人は昔からフグは 食べていたようで、古い貝塚からフグの骨が出土していることからも判る。このフグの毒は、 体内でつくられるのか、餌などによって外部からとりこまれるのか、いまだ解明されていない。

『針供養』  Feb. 8, 2007 ▲Top
harikuyo.jpg  今日は針供養の日だ。何故2月8日なのか、いわれは判らないが地域によって異なり、関西や九州 では12月8日に行われている。針仕事と言えば、昔は女性の重要な仕事だった。針にとっても普段 固い布地に刺して苦労を掛けているので、年に1度は柔らかいこんにゃくや豆腐に刺して針をねぎらった り、使っている内、曲がったり折れてしまった針などを供養するのだ。そして、裁縫が上手になり ますようにと祈ってきた。また豆腐やコンニャクに刺した針をそのまま海に流したり、紙に包んで 神社に納めたりした。但し、地方によっては色々しきたりは違ったようだ。明治の中頃まではどこの 家庭でも針供養は盛んに行われていたと言うが、私の記憶では昭和の始め頃でも、母が針供養を していたのを覚えている。さすがに今では、家庭で裁縫をする事も少なくなり、針供養の行事は 洋裁学校などが行う程度になっている。

『睡眠』  Feb. 7, 2007 ▲Top
 昨日フィットネスクラブのサウナ風呂での話題に、最近夜寝られないと言う悩みを 持つ人に会った。夜、寝床に入ってもなかなか寝付かれず、真夜中頭が冴えてしまい、 朝になってもすっきり疲れがとれたという感覚が無いのだという。確かに睡眠が充分 でないと、疲労回復は出来ない。疲れを取るとは、即ち脳の睡眠を充分とることなのだ。 日中の、さまざまなストレスなどにより「眠れない」人が増えているのと同時に、 夜遊びやゲームなどによる夜型人間が増え、「眠らない」人が増えているのだと言う。 朝起きたとき、寝不足を感じる原因に、夜中に寝返りばかり打って寝られなかったと 言うことがある。寝返りを打つときは、脳が起きている状態だという説があり、 寝返りばかり打った事を覚えていて、寝不足に感じるのだろう。人の身体は寝ている 時に同じ姿勢で寝続けると、病人の床ずれのようになるのを防ぐ為、無意識に身体を 動かし、本能的に床ずれを防いでいるのではないだろうか。私は何処でも横になれば すぐ寝てしまう性質で、横になってテレビを観るつもりでも、数分もしないで寝息を たてている。テレビを観る為には、身体を起こしていないとすぐ寝てしまうのが 悩みなのだ。

『自転車』  Feb. 6, 2007 ▲Top
jitensha.jpg  これまで乗っていた自転車は、10年ほど前に長男の嫁さんが結婚前に乗っていたと言う 古いものを、譲り受けたものだった。あちこちに赤錆びは目立つが、何とか乗れるので、 重宝してきた。いわゆるママチャリといわれる普及タイプだが、近場の買い物などには充分 走ってくれた。但し機会があれば、もう少し程度のいいものに取り換えたいとは思っていた。 たまたま数日前、日頃親しくメールのやり取りをしている知人から、新しい自転車を買ったが 古い自転車の処分について、良かったら無料で差し上げると連絡を戴いた。 丁度バージョンアップを考えていた矢先だったので、渡りに船と譲り受ける事にした。 昨日、受取り時間を約束して、伊予郡砥部町まで車で引き取りに行ってきた。譲り受けて見て 驚いたが、確かに捨てるのは勿体無いと言われる通り程度は極上で、私にしてみればこれまで 乗ったどの自転車より素晴らしい上物のマウンテンルックの自転車だった。初めて体験する ギアーチェンジを試してみると快適に切替わり、軽い力で始動、速度に従ってギアーチェンジ して行くと、軽快な走りは、何処までも乗って行きたいと思わせるドライブだった。 これで当分自転車で走るのが楽しみになってきた。譲って下さったNORIさんありがとう。 何時までも大事に乗ります。

『アポロ14号』  Feb. 5, 2007 ▲Top
 1971年2月5日はアメリカのアポロ計画の中で、3回目の月面着陸が成功した日である。 アポロ計画はケネディー大統領による宇宙開発宣言で、合計17回打ち上げられている。 計画上10号までは月面着陸を成功させる為のテストを積み上げ、11号が最初の月面着陸 に成功している。記念すべき最初の飛行にはアームストロング、コリンズ、オルドリンの 3名が乗船していた。その後7回の月面着陸をめざし、13号は飛行中の爆発事故のために 月着陸を失敗したが、NASAの努力で乗員は無事地球に帰還させた。一時中止していた アポロ計画は、改めて再開され、14号にはアラン・シェパード、スチュアート・ルー ザー、エドガー・ミッチェルの3名が乗船した。月着陸船:アンタレスにはエドガー・ミッチェル が操縦して月面に降りている。打ち上げが2月5日、地球への帰還は9日で、都合5日間の 飛行で、月面滞在は33時間30分、船外活動は合計9時間22分31秒行っている。 その後、アポロ17号をもって月面着陸飛行は打ち切られている。

『立春』  Feb. 4, 2007 ▲Top
 昨日は節分、年男で誕生日のZENさんは本日の主役とばかりに活躍した。玄関のドアー を開け「鬼は外、福は内」と豆撒きをし、年の数だけ豆を食べ、今年の恵方の北北西を向いて 立ったまま巻寿司を丸かじりした。何時もは切って食べるのを丸かじりだと少しこたえた。 巻き寿司は「福を巻き込む」ことから来ており、切らずに食べるのは「縁を切らない」と いう意味があるそうだ。別名「まるかぶり寿司」とも言う。明けて今日は立春だが、本来、 立春の前日を節分と呼んだ。24節気では各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬) の前日は、「季節を分ける」ことから節分と呼び、1年に4回あることになる。しかし特に 立春が1年の初めと考えられることから次第に「節分」といえば春の節分を指すものとなった。 立春が年の初め、すなわち新年と考えれば、昨日の節分は大晦日にあたる訳だった。

『節分』  Feb. 3, 2007 ▲Top
mamemaki.jpg  今年も2月3日、節分の日が来た。節分の豆まきは、その年の年男が主役とされているが、 我が家の当主である私が今年72歳、猪年の年男なのである。しかも2月3日は私の誕生日である。 豆まきは、年男に関係なく当然私の仕事だが、豆撒きの後、自分の年の数だけ豆を食べると、 これから1年病気にならないと言われても、72個も食べるときっとお腹を壊すのではないかと 心配だ。豆まきで重要なことは、煎り豆を使うということである。万一。生豆を使って、 拾い忘れたものから芽が出ると良くないことが起きると伝えられている。 豆まきの口上は「鬼は外、福は内」が一般的で、少なくとも室町時代にこの口上が出来ていた と伝えられている。なぜ豆を蒔くのかと疑問だが、穀物や、果実には「邪気を払う霊力」が あると考えられていて、豆を蒔くことで豆の霊力により邪気を払い、福を呼び込むと考えた らしい。豆というのは実は鬼をやっつける道具でありながら、一方では鬼そのものでもある わけで、豆まきという行為で邪気を祓う行事となったもの。

『ダイエット』  Feb. 2, 2007 ▲Top
 現代人は、食生活の間違いから肥満の道を歩んでしまい、挙句の果てついに、 ダイエットの道を探し始める訳だが、出来ることなら楽をして痩せたいと思う 心が、ついつい手軽な方法を選択することになる。先日問題になったTVの 「あるある大事典」にも度々取り上げられ、味噌汁で痩せるとか、納豆で痩せる などと放送されると、日本国中の店頭から一気に納豆が消え驚かされた。最近 流行のサプリメントも確かに効果のある方法だ。錠剤、カプセル等の形状から 見て、薬と勘違いしている人が多いが、正しくは食品だと理解していないと、 間違いを起こす。サプリメントを飲みさえすればダイエット出来ると思うのは 間違いで、あれは身体に良いとされる野菜や食物等の成分を抽出して飲んでいる だけなのだ。身体に良いからと野菜だけ食べ続ければ痩せるかと言えば、あく までも体のバランスが大事なので、正しいダイエットの為にはサプリメントの 他に、正しい食事、運動、睡眠、頭脳労働など5つの要素が組合わさっている ことが大切なのである。

『メガネ新調』  Feb. 1, 2007 ▲Top
 年とともに目の衰えが著しく、今まで普通に掛けていた遠近両用メガネは、 あまり役立たないことが多くなった。普段の生活しているときは、ゴルフ用 2.0度、テレビ視聴用2.5度、パソコン操作用3.0度の3種の100円メガネで 用を足している。本来、左目が乱視なので、既製品のメガネだと左右のバラ ンスが合わず、かけてしばらくはボケているが、時間と共にメガネの度数に 目が合って来て、ある程度左右のボケが修正されてくる。外出するときは、 色々なメガネを持ち歩くのは面倒なので、遠近両用をかけて出かけているが、 実はこのメガネは4年前に作ったものなので、最近は遠くを見るのも、近く を見るのも、中途半端で見えにくくなってきた。以前作っためがね屋から、 誕生祝いの割引券を送ってきたので、思い切ってメガネの新調を決意した。 4年前のときはフレームも新調したが、レンズ込みで15,000円で出来たのに、 今回はフレームは古いものを使い、レンズ交換だけなのに割引でも14,000円 だという。確か、このフレームだけでも10,000以上のものだと言っていた筈 なのに、今回はフレームも新調だと18,000円だという。何か納得いかない。

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