2007年1月
『人工衛星』  Jan. 31, 2007 ▲Top
 1958年1月31日、人工衛星の開発競争で旧ソ連に遅れていたアメリカが、エクスプローラ1号の 打ち上げに成功した。ソ連はアメリカの打ち上げ成功の前年、1957年10月4日スプートニク1号 の打ち上げに成功し、更に1ヵ月後の1957年11月3日にスプートニク2号も打ち上げられている。 スプートニク2号は、史上初の宇宙船として搭乗席(気密室)が備えられ、”クドリャフカ”と いう名の雌犬を乗せ、10日分だけの酸素と食料を積んで宇宙へ飛び出した。実験の為とは いえ犬にとっては可哀そうに、最初から帰り切符の無い片道旅だった。1965年にはフランス、 1970年に日本、中華人民共和国もそれぞれ打ち上げに成功している。当初の打ち上げ目的は 軍事、科学などだったが、今では航海、測地、気象、通信にも利用されている。特に通信衛星 によるTV放送は現在では生活に密着している。 衛星放送の日常的な実用化は、日本のNHKが世界初で、1987年にスタートしている。 今では車の運転に欠かすことの出来ないGPSは 1970 年代の前半頃、米軍により開発が開始 され、現在地球上空を取り巻くように周回している27個の衛星からの電波により、いつでも どこでも高精度の三次元測位が可能になっている。

『確定申告』  Jan. 30, 2007 ▲Top
 毎年の事ながら、この時期税務署から送られてくる書類を見ると、何となく背筋が寒くなる。 サラリーマンを卒業した後も、幾らか収入があった時代は、一生懸命まじめに提出書類に書き 込んでも、納付金が生じるときは骨折り損のくたびれ儲け的な厭世観があった。年は取っても 日頃は元気で、病院に掛かることも少なく、医療費控除の領収書を溜め込んでも、総額が少なく 控除の対象にならない事が多かった。今年も早々と送られてきた書類に書き込みを始めたが、 一々計算しながら書くのが手間なので、国税庁ホームページから、確定申告書等作成コーナー に入り、平成18年分所得税の確定申告書Aを画面に出し、夫々の項目毎に入力していくと、 簡単に出来上がっていく。昨年は、わざわざ指定の説明会場に赴き、大勢待っている相談者 の順番を待ち、書類を作っていた苦労に比べたら、実に簡単だった。あっという間に完成し、 結果を見たら、還付される税金は26,726円となった。嬉しいことにどうやら税金が返ってくる ことが判った。永らく年末調整のバックの体験から遠ざかっている身として、まさか計算違い では無いかと、何度も入力手順を確認したが、間違いは無いようだ。作成に利用した源泉徴収票、 医療費の領収書、保険料支払い証明書などを貼り付け、指定の封筒に入れて申告書は完成した。 これで、国民としての義務は果たしたことになる。よーしこれでOK!

『エキストラ』  Jan. 29, 2007 ▲Top
 学生時代、社交ダンスを習う為に、いくつかのダンス教室に入会した。生活の拠点は 小田急線沿線の千歳船橋だったので、一つは学校のある御茶ノ水駅への、途中乗換駅の 新宿の武蔵野館5階のダンス教室に入会し、時間の空いているときはいつもそこで教習 を受け練習していた。ある時、教室の先生の紹介で日活映画のナイトクラブのシーンで、 ダンスを踊れるエキストラの募集があり、応募して出演したことがある。撮影は京王線 沿線の日活スタジオで行われたが、数分間のシーンの為、半日以上掛けて撮影した。フロアで 踊る我々の為には、一切の音楽は流されず、ダンスミユジックはアフレコだったのだ。 それで居てダンスの動きはあたかもリズムに乗って、軽快に踊っている様に見せなければ ならず、大変苦労した。当然カメラは主演の俳優達を中心に撮っていたので、バックの我々 はどれほど写っていたかは問題では無かったのだろう。何回かのリハーサルのあと、本番も 2回ほど取り直した。映画の題名は、「学生心中」と言う題名だったが、出来上がった映画 を見る機会はなかった。以来数回、同じようなエキストラに出演したが、貧乏学生だった こともあり、何れも出来上がった映画に入場料を払ってまで見たことは一度も無い。 ちなみに、当時のエキストラの日当は確か500円位だった。

『社交ダンス』  Jan. 28, 2007 ▲Top
 少し前に役所広司でヒットしたシャルウイダンスと言う映画が、アメリカ版でも再ヒット したり、最近ではウリナリ芸能人社交ダンス部によるTV番組が人気を博している。50年位前 の私の若い時代、若者の娯楽ベスト3には麻雀、ビリヤード、ダンスがとても流行っていた。 田舎町では昼間ダンス教室だが、夜はダンスホールに変るものがあった。夜はワンドリンク 付き200円くらいで入場できた。ダンスホールには、出会いを求める男女が詰めかけ、 ラストダンスまでの間に、新しいカップルが生まれた。女性の人気を得るには、ダンスが巧い ことが必須なので、昼間のダンス教室には、毎日のように通って色々なステップを覚えた。 昼間のダンス教室は入会すれば、入場料は不要で、先生に習う時だけ料金を払った。ある程度 ステップを覚えてからは、未熟の生徒が時間待ちしている間の練習パートナーとして相手をした。 当時は、先生の順番待ちの生徒に、教室の先輩の我々が無料で補助教師を務めることもあり、 女性には重宝された。当初はダンス競技に出る位の積りで猛烈な練習に励んだ時代もあったが、 いつの間にか女性を口説く方に楽しみが移り、不純な軟派男になっていた。学校卒業後 すぐ結婚したので、軟派生活は終わり、今ではあの当時の華麗なステップは殆ど忘れた。

『続・納豆』  Jan. 27, 2007 ▲Top
 納豆ダイエットの捏造報道で、納豆の印象に悪い影響を与えた感があるが、日本人にとって 納豆は昔から健康食品として長く愛されてきたものだ。歴史的には平安時代中期の書物にも、 納豆の話が出ているし、聖徳太子が納豆を造ったという伝説が滋賀県湖東町横溝にあると言う。 整腸作用のある納豆菌は胃酸に負けることなく腸まで届き、腸内の善玉菌を活発化させている。 片や悪玉菌の増殖を抑え、発ガン物質や有害物質を減少させる働きもある。これによって便秘が 改善され、有害物質を分解する肝臓の負担を軽くして、体の機能を健康に保つ役割をしている。 体調を整える効果のある納豆を食べると、痩せる効果があるのは昔から言われていて、それを ダイエット効果の部分だけ判り易く裏づけしようと焦る余りに、勇み足でデータが捏造されたり、 有名な教授の話を理解しやすく解説しすぎたのが捏造と言われた実態なのではないだろうか。 TVで誇張された捏造データは不正だったかも知れないが、改めて納豆の本質を正しく理解し 我が家の食卓に正々堂々とカムバックして貰いたい。

『納豆ダイエット』  Jan. 26, 2007 ▲Top
nattou.jpg  関西テレビが製作し、1月7日にフジテレビ系で全国放送したテレビ番組「発掘!あるある大事典2」 が巻き起こした捏造放送内容が元で、町の店頭から納豆が姿を消すと言う椿事が起きていた。 私は肝心の放送を見ていなかったので、家内から納豆がどの店にもないと聞いた時、何事かと思った。 やがて、納豆を食べてダイエットが出来るという内容の番組を見た視聴者が、納豆を買いあさり、 店頭から納豆が消えたのだと判った。若い女性だけでなく、世間一般の国民がこぞって、楽に出来る ダイエットには深い関心を持っているが、公共の放送であるテレビで、あたかも正しい実験の結果 納豆を食べるだけでダイエットが出来ると報道されれば、誰もが飛びつくのが当然である。 お陰で、納豆の生産業者は、日頃の数倍もの需要増にコストを無視して増産体制を引いて対応した。 しかし、週刊誌の調査結果でダイエット効果のウソが暴かれ、研究者のコメントや被験者の 検査データをねつ造していたと告白した。途端に店頭の納豆は戻ったが、増産体制をとった生産者は TVのお陰で振り回された訳で、現在も痕を引いている。どうしてくれるのだ関西テレビ。

『そのまんま東』  Jan. 25, 2007 ▲Top
higashi.jpg  以前から単なるお笑い芸人だけでなく、何処かまじめな部分も持ち合わせていた。 本名東国原英夫(ひがしこくばるひでお)、それとなく高貴な名前と感じられる。故郷、 宮崎の高校を出た後、専修大学(経済学部)入学。 同大学卒業後お笑いの世界に入り、 S55年12月「笑っている場合ですよ!お笑い君こそスターだ!」でチャンピオンになり、 後にビートたけしの弟子となる。たけし軍団を結成し、その一番弟子になる。しかし、 たけし軍団フライディ襲撃事件を起こして謹慎。その謹慎中に執筆した『ビートたけし殺人事件』 がベストセラーになり、翌年TBSでドラマ化され、奇しくも女優かとうかずこと共演。 それがきっかけで、かとうかずこと結婚している。美人のかとうかずこも惚れるほどの魅力は 有ったのだろう。突然妻と別れて、政治の世界に生き方を代え、見事宮崎県知事に当選した。 フットワークの軽さは、マラソンで鍛えた身体だ。就任するや早速鳥インフルエンザの対応に 走り回っている。自らのホームページにもマニフェストを掲げ、これからの宮崎を変えるべく 頑張っている。長野県知事で役人にいじめられた田中康夫と同じく、しばらくは県の役人に 意地悪される事もあるだろう。そこで切れることなく得意のお笑いで乗り切り、初志貫徹、 宮崎の再生を見事果たして貰いたい。蔭ながら応援をしてあげたい。

『横井庄一』  Jan. 24, 2007 ▲Top
yokoi.jpg  日本軍の無条件降伏から既に28年間も過ぎて居るのに、戦争が終わったことも知らされず、 グアム島のジャングルの中で一人隠れて生活しているところを、地元の猟師に発見された のが1972年1月24日の今日だった。横井庄一さんは、戦争に行く前の洋服の仕立て屋の経験を 生かし、終戦で物資の補給が途絶えた中、木の繊維から布地を織り自らの着物を作り、究極の サバイバル生活を体験して生き延びていた。当時の軍事教育を受けた横井さんは、生きて故国 の土を踏むことは無いと決意して出征していたので、帰国の第一声は「恥ずかしながら生きて 帰ってまいりました」と言った言葉が当時の流行語になった。26歳で兵役につき、帰国した時、横井 さんは57歳だったが、美保子さんと結婚をし、遅まきの青春を楽しんだ。自身の体験を生かして 全国で講演して回り、生活評論家としても人気があった。戦争の重荷を背負っていた身体にも 関わらず82歳まで長生きされ、参議院議員にも立候補するなど充実した余生を果たした。

『ふみの日』  Jan. 23, 2007 ▲Top
 今日23日は語呂合せで、毎月23日をふみの日と呼ぶようになった。最近ではインターネット や携帯電話のメール機能の普及で、手紙を書くことも少なくなり、物書き原稿も殆ど パソコンのワープロ等で書くことが多くなった。人類に紙が発明されて以来、筆記用具には 東洋では筆、西洋ではペンが使われてきた。西洋で発達してきたペンはラテン語の鳥の羽 が語源となっているが、18世紀当時はガチョウの羽等を加工してペン先を形造っていた。 19世紀に入って金属製にとって代わり、イギリス人が万年筆の特許を取り、アメリカの ジョセフ・ウォーターマンが実用的な万年筆を売り出している。 ボールペンはアメリカ人が特許を取り、実用化した。しかし不備な点も多く、ボールペン の改良は続き、戦後アメリカ経済発展に寄与するほどに大きく成長した。 ボールペンは独特の構造により弱い力でスムーズな線を描けるが、重力でインクが先端に 送られるために、上向けで長く筆記することができない欠点がある。

『電灯』  Jan. 22, 2007 ▲Top
lump.jpg  今日1月22日は日本で初めて電灯が灯された日と言われている。電圧を加えて導体を発熱 させる実験は古くから色々行われていたが、真空式白熱電灯を実用化させたのはトーマス ・エジソンである。発光させるフィラメントには各種の素材が試されたが、たまたまエジソン の部屋にあった東洋の扇の竹骨を使ったことで話題になっている。 1876年、イギリスで初めてアーク灯が実用化されたことを知り大倉喜八郎などが、1883年に 東京電灯会社を設立。1887年1月22日、営業開始の手始めとして、鹿鳴館に白熱電灯を点灯。 1887年4月22日からは、東京銀座の夜はそれまでのガス灯にかわって電灯が灯るようになった。 当初の発電型式は火力発電が主体であった。 この時、東京電燈浅草発電所においてはドイツのアルゲマイネ(AEG)社製発電機を購入して 使用したが、たまたまこれは交流50Hzによる電気を供給するものであった。ほぼ同じ頃、関西 の大阪電燈がアメリカゼネラル・エレクトリック製の交流発電機を採用したがこれが60Hzで、 現在も続く関東と関西で商用周波数が異なる原因となっている。 国産第1号の発電機は、単相100V、周波数100サイクル、出力200キロワットという仕様で、 石川島造船所で製造されている。

『挨拶』  Jan. 21, 2007 ▲Top
 先日の朝、ごみ捨ての為にエレベータに乗ったとき、たまたま乗り合わせた小学生位の子供が、 私の顔を見て明るい笑顔で、おはようございますと挨拶して来た。こちらもすかさず返したが、 こんな日は、朝からとても気分が良い。マンション生活をしていると、同じ建物の中で 生活しているのに、たまに合う顔には見ず知らずの人も居る。そんな時こちらからは必ず 会釈して挨拶をするようにしているが、中にはよそを向いて知らぬ顔をする人が居る。 今から30年位前、初めてアメリカへ行ったことがある。ホテルの部屋を取り、エレベータ に乗った時、見た目怖そうな巨漢の黒人が私の顔を見て笑顔でモーニンと挨拶してきた。 それまでの日本の生活習慣では、エレベータの中で見ず知らずの人に挨拶することは殆ど 無かったが、多民族国家のアメリカでは、相手に対し自分は敵ではないことを表す上で挨拶が 基本だと体感した。さらに、街の道路を歩いてみて感じたことは、人とすれ違うときには必ず 相手から先にエクスキューズミーと言葉を発して道を空けていることだ。前方から来る人には 、先に道を空けてぶつかることの無い様に気遣っている事を知った。日本でならすれ違いに肩が 触れ合うくらいでは、知らぬ顔でも危害を受けることはない。多民族国家アメリカではこの位 気使いするのが最低限度のエチケットなのだ。単一民族だけで育った日本人には他人に対する 礼儀に欠ける点が多いが、外国人の様な気遣いをもっと学ぶべきだと思う。

『大寒』  Jan. 20, 2007 ▲Top
 今日は二十四節気の内の一つで大寒と言う。1年の内でも最も寒い頃をあらわしている。 全国的に見て、この時期がその地域の最低気温を記録する時期と重なっていることが多い。 武道では、人の気力体力を鍛えるのに、この時期を選び「寒稽古」とか「寒垢離(かんこり)」 のように、寒さに耐える厳しい修行をしたり、苦しい稽古をしたり、冷水を浴びるなどして、 心身の鍛練をする。昔から「寒中に汲んだ水は腐らない」とか「寒餅は長もちする」という ふうに、大寒には何か特別な霊力を持っているように言われている。 また、酒、味噌、凍り豆腐、寒天など寒気を利用した食品を仕込むのもこの時期にあたる。 寒省、寒ぶり、寒ぼら、寒かれい、寒ぶな等と寒の時期にうまいものはいろいある。 食べ物の少ない寒いときだけに、美味い食物やうまい酒に生きがいを強く感じるのであろう。

『その後の体重』  Jan. 19, 2007 ▲Top
 毎年お正月を過ぎると、基礎体重が少し増えているのが普通だった。寒い時期でもあり、運動量が 落ちること、忘年会、新年会など、ご馳走を食べ、酒を飲む機会が多いことなどが原因だと思う。 調べてみると、ここ数年の正月明けの体重は大体70kgを記録していた。しかし今年は、年末年始の 飲む機会が少なかったことから、体重は67kg程度を推移していた。日によってはフィットネスの トレーニングをした後、65kgを切っている日があり、ダイエット効果よりも、体調を心配した。 普通の生活をしている限り、66kg台であれば、体調は良好と考えているのに、特別ダイエット生活で 無いのに、体重が減りすぎても心配なもの。何年か前、ある事件でとても気使いして夜も寝られない 日が数日続いたときは、急激に体重が減り、64kg台になった事があった。その時のストレスが体調に 影響したものだろうが、これは過激なダイエットより影響があると感じた。それも心配の原因が 解決したら、あっという間に元の70kgの体重に戻った。人間の体調って、いかにストレスが大きな 影響を与えるかの結果だった。

『ハードディスクムービー』  Jan. 18, 2007 ▲Top
hdd.jpg  DV式ビデオカメラは、昔ながらのDVテープ式のものと、昨年買ったハードディスクタイプ の2種類を持っている。テープ式は、撮影途中で撮り終わったシーンを見た後、元の場所まで 巻き戻さないと、次に撮影するとき重ね撮りになってしまう不便さがある。その点ハードディスク タイプは、ランダムアクセスが可能だし、撮影するときはいつでも新しい領域に記録するので、 重ね撮りは自動的に回避されている便利さがある。ハードディスクの記録媒体は500円玉大の ディスクを回転させているが、衝撃にはとても敏感らしい。昨年末ゴルフコンペの様子を撮影 した後、ディスクを取り出し、カードリーダーに差込む時うっかり落としてしまった。 カメラに装填してある状態では問題なく録画されているのを確認していたが、カードリーダー に挿した状態からは認識されなくなった。落下の衝撃でディスクに障害が起きたようで、以後 すっかり駄目になってしまった。メーカーに送り、ディスクの記録画像の再生が出来ないか 時間を掛けてトライしてもらったが、ついに駄目だった。ディスクは新しいものに取替え、 落としたディスクは廃棄するしかなかった。小さくて軽い小型ディスクなので、無造作に扱うが 結構微妙な構造なので、丁寧な扱いが必要だと悟った。

『阪神淡路大震災』  Jan. 17, 2007 ▲Top
 丁度12年前の朝、午前5時頃には起きてパソコンの前に座っていた。毎日の日課になって いるホームページの更新を始めたところだった。5時46分突然大きな揺れを感じ始めた。 目の前のパソコン類を載せたラックから、機械が飛び出しそうになり、慌てて抑えたが、 揺れはしばらく続いた。長い時間に感じたが揺れが収まると直ぐテレビを点けた。 暫くすると淡路島北端を震源とする地震が発生したと字幕スーパーが出た。終戦直後 南海大震災を体験している事から考えて、あれに匹敵する強さと感じたが、ニュースで 伝わってくる報道は、じれったいほど情報が乏しく、その内容だけでは、大した被害に 感じられなかった。発生した時間帯が早朝だったことから、TV局も殆どがコンピュータ でコントロールした放送で、スタッフが居なかったことから情報の収集が遅れた原因だ。 夜が明け、時間が経ち人が動き始めてやっと、被害状況が判ってきた。 淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震で、マグニチュード7.2で震源の深さは約14キロ。 神戸市・芦屋市・西宮市と淡路島の北淡町ではじめて震度7の激震を記録したことが判明。 数日たって判明した被害状況の死者は、震災が原因で亡くなった人を含めると約6300人。 負傷者は約42,000人、倒壊家屋は約40万棟。被害総額は10兆円にのぼった。政府はこの日を 阪神淡路大震災記念日と定めて防災の意識高揚を図った。

『脳みそ』  Jan. 16, 2007 ▲Top
 私の兄弟は男ばかり6人の兄弟だが、長男の私を除けば皆んな学校の成績は良く、 夫々の学年で上位を争っていた。中でも3男は、父方の祖父に特別可愛がられ、幼稚園に 通うようになる頃までは、殆ど祖父の家で生活していた。他の兄弟とは離れて生活して 居る間に、祖父から色々教わる教育が優れていたのか、兎に角物覚えも良くて、何でも 良く知っていた。ある時、何故そんなに頭が良いのかと本人に聞いたことがある。 彼曰くは、祖父の家では、毎日脳味噌を食べていたからだと主張した。彼は小さい頃から 好き嫌いが多かったが、毎日の食事に出てくるみそ料理の事を、これは脳味噌の元なので、 食べると頭がよくなると祖父から洗脳されていたのだと思う。 本人の先入観で、毎日脳味噌の元を食べているので、自分の頭もよくなっていると 思い込むのは自然の摂理だ。我々の知らないことを、博識の祖父から教わり、次々に 覚えて帰るので、それが本人の何よりの自信にもなったのだろう。 小学校に入ってからも、他の生徒より常識的に知っていることが多く、それを ベースに更に勉強が好きになり、中学・高校・大学と成績は良かった。祖父に洗脳 された秀才教育は見事に成果を出し、他の兄弟にも影響を与え6人兄弟全員が落ち こぼれることなく大学卒業をしたのは、こうした祖父の仕掛けだったのだ。 その3男も、今はフィリピンで事業を起こし、息子2人と共に大成功している。

『狭心症』  Jan. 15, 2007 ▲Top
 私の狭心症の場合、意識して考えてみると7年くらい前から起始めている。 もしかすると、それ以前から起きていたかも知れない。実は痛みを感じても 我慢して過ごした可能性があるのだ。狭心症が起きたときは、必ずしも心臓とか、 胸とかに症状が出るのではない。何となく身体に異常を感じるが、何処が痛いと 確定できない痛さで、数分間我慢すると自然に治ってしまう。その結果その間、 何が起きていたか分からないままで過ぎた可能性はある。狭心症とは、心筋が 必要とする酸素量に見合う量の血液が供給されず、心筋が虚血に陥り、胸痛が 現れる状態を言う。血液の流れが止まると心筋が壊死する。これが心筋梗塞で ある。以前内科医に相談したことがある。この状態は心筋梗塞になる可能性は 無いのかと聞いたら、今の心電図の状態からは大丈夫という。狭心症が心筋梗塞 に移行する危険性は、原因や症状によって異なる。走ったり階段を登ったりして 心臓の仕事量が増えると、心筋が多くの酸素を必要とする。しかし、動脈硬化に よって冠動脈が狭くなっていると、心筋が虚血になって胸が痛む。これは労作性 狭心症と言われる。一方、冠動脈のケイレンによって、血管が狭くなり虚血を 起こすのは、安静時狭心症という。睡眠中や起床時などに起きやすいが、心筋 梗塞への移行は少ないらしい。私の場合、安静時狭心症と言うことになる。

『年賀状2』  Jan. 14, 2007 ▲Top
nengajo.jpg  今年のお年玉年賀はがきの発信合計は約360枚、受け取った年賀状310枚。返信率86%だった。 中には、年末ギリギリに喪中ハガキが来たところや、新聞に葬儀の記事を発見したもの もあり、それらの事情を勘案すると、返信率は90%近いものだった。今年受け取った 年賀状をチェックしていた中で1枚、前代未聞 驚きのハガキを発見した。住所が全く 書かれていないものだ。宛名書き表面に記載しているのは、私と家内の名前だけで住所が無い。 多くの年賀状を処理しなければならない忙しい年末に、よくこんな不備なハガキを配達 したものだ。住所の手がかりは、不備ながら、郵便番号だけだ。差出人は、住所を書くとき、 郵便番号を書き間違えた痕がある。本来なら792と書くべきところ、797と書いてしまった後、 間違いに気づき、797の後ろの7の下にーを書き足して、Zの字に近い2 に直している。 それにしても直し方が曖昧で、しかも埼玉県所沢市からの投函だが、取り扱った所沢郵便局が、 良く愛媛県新居浜市と判断したものと感心する。郵便番号から新居浜市若水町まで判るとしても、 丁目番地情報が全く無いのに、良く私宛ての住所を判断したと思う。 恐らく、あて先住所の書かれていない年賀状が、お正月3が日の間に正しく届いたのは、 日本全国でもこのハガキだけではないかと思う。私自身この町内でそんなに著名な訳ではないのに、 ここまで探し当てて配達してくれた郵便局の素晴らしい推理判断に改めて御礼を言いたい。 この他に、差出人の記載が全く無い謎の年賀状も1枚あった。誰だろう?

『不二家事件』  Jan. 13, 2007 ▲Top
 ぺこちゃんで親しまれ、洋菓子業界で長く支持されてきた不二家が、大きな問題を 起こして話題になっている。発端は賞味期限切れの牛乳を使って、シュークリームを 生産したという。シュークリームと言えば、典型的な生菓子であり、購入しても早く 食べることを義務付けているくらい、痛みの早い食べ物と認識されている。その生菓子 が、既に製造過程で期限切れの材料を使ったとは、信じがたい話だ。昔、雪印乳業大阪 工場で製造された低脂肪乳を飲んで下痢などの症状を訴えた人が、近畿2府4県と 広島、岡山両県で計6000人以上、入院者数は100人を越え、死者1人と言う事件がある。 この結果、雪印のブランドイメージは最悪となりグループ解体・再編を余儀なくされた。 不二家の場合も、社内調査の結果2カ月前に問題点が報告されていたにもかかわらず 「発覚すれば雪印の二の舞い」などと公表を先延ばししていたことが判明。人の命に 関わる食品を扱う業者として、あるまじき経営体質には、大きな責任がある。

『心臓発作』  Jan. 12, 2007 ▲Top
 数年前から持病のようになった狭心症の発作が、今年も正月明けに起きた。 朝起きて朝食の雑煮を食べ、安楽椅子にゆったり寝そべってテレビを観ている時、 左肩から胸の辺りにかけて、異様な感じを受け始めた。何時ものことで分かるが 狭心症の始まりはいつもそうだ。左肩から先が異様な感じに痛み始めて、その後 胸の辺り全般が重苦しく、非常に不愉快な気持ちになる。時に気分が悪くなる事も ある。いつもそうだが、狭心症状が近づくときは、決まって静かにしている時だ。 そんな時、慌てず騒がず、ニトログリセリンの舌下錠を口に含むと5分で静まる。 狭心症とは、心筋が必要とする酸素量に見合う量の血液が供給されず、心筋が 虚血に陥り、胸痛が現れる状態だそうだ。狭心症発作はここ数年続くものの、症状が 一定で余り変化がない場合を安定狭心症といい、心筋梗塞を起こす危険は少ないらしい。 行きつけの内科医で時々心電図をとるが、特別処置を必要とするほどの欠陥は 見当たらないとのことなので、処置はしていない。万一狭心症が起きたときの 為に、ニトロールの舌下錠だけは肌身離さず携行している。

『ポチ袋』  Jan. 11, 2007 ▲Top
 お正月に、子供たちに用意するお年玉には、普通に使う祝儀袋では大げさなので、 お札を小さく畳んで中に入れる程度の可愛いポチ袋が使われる。和紙を素材に木版画等 をあしらったぽち袋が、文房具屋や最近では100円ショップ等に多数売られている。 なぜポチ袋と言うようになったのかと言うと、「これっぽっち」という言葉から来ていて、 「ほんの少し」という意味らしい。ポチ袋と祝儀袋の違いはどこにあるかと言えば、 祝儀袋は御札を折らないで入れるのに対し、ボチ袋は小さく折りたたんで入れるところ。 昔はお座敷で芸者と遊ぶときに心づけを渡す時や、ちょっとした心付けや、お礼などを 渡す際に使われたもの。小さく折りたたんだお札をそっと渡すのに適当なサイズで、 デザインも小粋なものが多かった。最近ではパソコンが普及しているし、非常に簡単な 仕組みなので、手作りで個性的なデザインのポチ袋を作るのも流行し始めている。

『お年玉』  Jan. 10, 2007 ▲Top
otosidam.jpg  子供の頃、お正月の楽しみは何と言ってもお年玉だった。我が家は男6人兄弟で、 年齢差は大体3歳違いで続いている。年末になると、父が用意したぽち袋に名前が 書かれ、6枚が神棚に貼られる。中には年齢差に応じた金額が入れられているが、 正月までの間は、中身が明かされず、幾ら入っているかを予測する楽しみがあった。 お年玉を貰うまでは、兄弟喧嘩をして親に叱られないよう猫を被り、罰を受けて 中身を減らされないよう気遣った。家の中では親の言うことをよく聞き、お使い、 片付け、掃除など率先していい子ぶった。元旦の朝は、一家揃って炬燵を囲み、 三宝に鏡餅、みかんを載せて神様に祈りを捧げて、兄弟順に祝いの言葉を言うと お年玉が貰えた。家での行事が終わると、親戚回りが始まる。毎年のことなので、 行きつけの親類では我々兄弟が揃って出かけると、用意していたお年玉が貰えた。 長男である私が高校生になる頃は、お年玉を貰う為の親戚回りは恥ずかしくて、 弟達に行かせて、分け前だけ取り上げていた。結果は頭を下げて貰って来た弟達より 中身が多いことから、随分憎まれたが、そこは兄貴の特権で有無を言わせなかった。

『ローソク』  Jan. 9, 2007 ▲Top
 ローソクの起源は紀元前に始まっている。最も原始的なローソクはミツバチの巣で 作られた蜜ローソクだったとされている。蜜ローソクの原料は蜂の巣の材料となる蝋であり、 蜂の分泌液である。日本には奈良時代の仏教伝来とともに、中国から輸入され、日本の ローソクの始まりは蜜ローソクであった。蜜ローソクはキリスト教でも古くから使われて きており、宗教的な歴史をもったローソクであるといえる。 一般に照明器具として普及しはじめたのは江戸時代に入ってから櫨(はぜ)の実を精製 した木蝋製法が広まり、大量に生産され始めてからと言われている。今でも愛媛県の内子町 で木蝋生産が続けられている。我々に馴染みの乳白色のローソクはパラフィンから作られた もの。パラフィンは石油を精製する過程で作られるもので、19世紀にヨーロッパで発明され、 日本では明治時代に製法が輸入されている。明治時代、大正時代はローソクの火は生活に 欠かせないものとなり、パラフィンローソクの登場により、より安いローソクが供給される ようになった。現在は、石油精製で得られる高品質パラフィンワックスを使用して点火中に 油煙の出ないローソクが安定に大量生産されている。

『線香』  Jan. 8, 2007 ▲Top
senko.jpg  小さい頃、家の中の不浄の臭いを消すのに線香がともされていたことがある。蚊取り線香も含めて 線香の香りは何となく心落ち着き、好きな臭いである。最近では花の香りや香水調などさまざまな香り をもつ新しい線香も増えており、部屋のにおい消しや芳香剤的な使用方法も一般化している。 線香の歴史は、現在でも中国や台湾で使われる、竹を芯とした竹芯香に始まったとされている。 江戸時代には時計の代わりとしても使用され、禅寺では1本の線香が燃え尽きるまでの時間(約40分) を「いっちゅう」と言い、禅行を行う時間の長さとしていた。また遊郭などでは1回の遊びの時間を、 線香の燃え尽きるまでの時間としていた。香木の多くは中国から入ってきたが、聖武天皇の時代、 東大寺正倉院に納められた有名な香木「蘭奢待(らんじゃたい)」もそのひとつである。 のちに足利義政、織田信長などにその一部が切り取られている。この時代に唐の鑑真和上が、仏典と ともに香木と薬を多種持ち込み、各種の香料を練り合わせて作る製法を伝えている。

『大腸がん検診』  Jan. 7, 2007 ▲Top
 毎年一度、現役時代に勤めていた会社が契約している日本メディカル総研から送られてくる検便用具で 大腸ガンの検査をしている。方法は「免疫便潜血反応検査(2日法)」で、今回は昨年12月はじめ頃、 検便用具が2個送られてきたので、添付されている説明に従って夫婦で採取して返送しておいた。 結果の知らせがなかなか来なくて心配していたが、12月29日の年末ぎりぎりに返送されてきた。 今回は二人とも結果報告書には陰性のマークがついて返ってきてホットした。 実は、数年前の検査のとき、家内の検査結果には陽性のしるしが付けられ、要精密検査の指示があった。 以前から行きつけの外科医に相談して、内視鏡を入れて大腸内を検査した結果複数のポリープを発見。 すぐ摘出し、検体を精密検査に出したところ、後日良性と判明、以後何事もなく経過している。 内臓内に出来るポリープは、日常生活のストレスなどで簡単に出来ることがあるようで、放って置くと 悪性に転化することもあるので、出来るだけストレスを残さぬよう、生活態度に留意している。 大腸ポリープの増加は、食生活の欧米化により動物性脂肪や糖分の摂りすぎ、そして食物繊維の摂取が 少なくなり、大腸への負担が大きくなったことと密接な関わりがあるとされている。また、排便時の 硬い便の刺激がさまざまな刺激となり、ポリープを発生させる原因になると考えられている。しかし、 はっきりした原因はまだ解明されていないので、定期的に健診を受け早期に発見することが重要だ。

『鈴』  Jan. 6, 2007 ▲Top
suzu.jpg  初詣等で、お寺や神社にお参りするとき、拝殿台に立つと賽銭箱の真上に鈴が吊るされていて、 綱が下っている。拝礼する時にはその綱を引いて鈴を鳴らしたあと、手を合わせて拝んでいる。 具体的には、お賽銭を投げ入れたあと、鈴の綱を両手で思い切り引き鈴を鳴らす。そして、 その音に込められた神霊の力で、自分の罪穢れを祓い清めているのだ。このことを「鈴祓え」 とも呼んでいる。古来から鈴の音には魔除けの霊力があるとされ、それが転じて、神事のとき に鈴を鳴らすようになったと言う。祭礼の際、巫女(みこ)が神楽舞(かぐらまい)を舞う ときに、神楽鈴(小さな鈴を山型に並べた鈴)を手にもって鳴らす、その音には神さまを招く 役割があり、神前で鳴らす鈴も、この神楽鈴に由来しているとされている。神さまを拝礼する にあたり、鈴のその清らかな音色で神さまをお招きし、これから祈願を申し上げるという、 一種の合図のような役割を果たしている。鈴の材質には、金や銀、青銅や鉄といった金属が 用いられ、響きのいい音を出すようにしている。

『お賽銭』  Jan. 5, 2007 ▲Top
 普通、神社やお寺にお参りする時には、拝礼場所手前に備えられた賽銭箱にお金を入れるのが慣わしだ。 何気なく通りがかりにお参りするようなときには、ご縁がありますようにと、5円玉を投げ入れる。 特別な祈願をするときは、その願い事に応じて、少し大目の金銭を入れてお願いをしている。 お賽銭は、もとは祈願成就のお礼参りの際に、「報賽」として神仏に奉った金銭のことをいい、 何時の間にか参拝のときに奉る「幣帛(へいはく)」の代わりとしての金銭を意味するようになった。 従ってお賽銭は“神様仏さまへの感謝を込めて捧げる”という事は紛れもないことなのだ。 神仏に祈願のお礼をするのに、お金を投げ入れるのは、お金を粗末に扱うことになるのではと、 抵抗がある。しかし、お金は俗世間のシンボルでもあり、不浄なものと考えられる。そんな汚れた お金を神様に渡すのは無礼であり、両手で直接手渡しなどするのは冒涜行為と考えられていた。 そこで、神様にお金をあげるのは放り投げるしかなかったということのようだ。 お賽銭を投げ入れることは、これに自分の罪穢れや災厄を託して祓い除いてほしいという意味も 込められているらしい。

『御神籤』  Jan. 4, 2007 ▲Top
kame.jpg  今年の初詣は、東予市にある伊予の名刹として知られた、世田薬師梅壇寺に厄除け祈願のお参りを した。今年、私の運勢は厄年に当たり、東方に厄があり、西方の寺社に厄除け祈願するのが良いと言 われた為である。地元の人々からは、世田薬師という愛称で呼ばれているが、正式には山号を世田山、 院号を医王院、寺号を栴檀寺という。『きうり封じ』という、年一回夏の土用丑の日に胡瓜に病気を 封じ込める(胡瓜を身代りにして病を治す)ご祈祷が全国的に有名なお寺だそうだ。ここで引いたおみ くじは大吉で中に入っていたのは亀型のお守りで、金運、長寿のお守りだった。また、運勢は「冬枯 れて、休みし時に深山木(みやまぎ)は、花咲く春の待たれけるかな」と書いてあった。意味は、 「何事も心を正直に強く持ち、物事に退屈せず信心怠らず努めれば、時至りて後には大いに幸せよく なるので騒がず時を待て」と解説されていた。今年はこのおみくじを信じて、心静かに過ごすのが 良いようだ。

『年賀状』  Jan. 3, 2007 ▲Top
 お正月の朝、楽しみなのは年賀状の配達を待つ気持ちだ。大勢の知人友人ながら、年賀状以外には 会う機会もなく、年賀状だけの付き合いも多いのは事実。昨年も早々とお年玉年賀はがき400枚購入し、 発送先名簿を作成して準備を整えていた。文案内容のデザインは、干支の猪をデフォルメした絵を決め 年頭の挨拶文を加えたレイアウトで、取りあえず360枚をプリント。残りは予備に残した。 年末20日までに来た喪中はがきで名簿を修正の上、確定した宛書の印刷を済ませた。 印刷文面だけでは相手に対する気持ちがこもらないので、一枚一枚のあて先を見ながら一言、手書きの 添え書きをしてポストに投函した。しかし年末ぎりぎりまでに更に数枚の喪中はがきが来たが遅かりし ・・・出した後だ。また、折角出したが、あて先見当たらずで、早々返ってきたハガキが5枚程あった。 どうやら移転通知が来ていなかったのと、調べてみたら昨年の年賀はがきの時に住所が変っていたのを チェックし忘れたのもあった。書き直したはがきをすぐ出し、住所の分からなかったものは、元旦に 来たはがきで住所録を修正し出しなおした。 受け取った年賀はがきの住所を、出した名簿の住所と比べると、明らかに違っていたのも数枚あったが、 それが返って来ていなかったのは、郵便局で移転先に転送されたのだろう。直ぐに名簿の修正はした。 結局出した年賀はがき342枚に対し、2日までに来たはがきは222枚、回収率65%だった。 多分松の内までにはもっと返却率は上がることと思う。中には昨年まで数年間返信の無かった方の名簿を 抹消し、出さなかったら、なんと今年は来ていた。慌てて名簿を復活させたが、ゴメンナサイ。

『お屠蘇』  Jan. 2, 2007 ▲Top
toso.jpg  お正月の朝を迎えた我が家で最初の儀式がお屠蘇酒だ。お神酒に入れる屠蘇は毎年奈良の談山神社 から取り寄せる延壽屠蘇(えんじゅとそ)だ。屠は邪気を屠り、蘇は人魂を蘇生せしめると古くから 伝えられている。あの独特の風味は、「屠蘇散」という約5種類の生薬を配合したもの。 屠蘇の効用には健胃・鎮痛・発汗・解熱・鎮咳去痰作用などが上げられている。一般に正月にお屠蘇 を飲む習慣は、中国から伝わったものと言われ、酒に和して元朝これを飲めば一家の健康を寿ぐ、新年 の縁起物といわれ、わが国では嵯峨天皇の御代に四方拝の儀式として行われてきた。江戸時代には、 武家や町民達の上流階級にも広く取り入れられて、一年の家内平安と幸福を願って、広く飲まれる ようになったもの。一年の無病息災と延命長寿を願う薬酒なので、年少の者から順々に盃を回し飲み、 家長に盃を納めて一家の幸福を祝うのが正式な流儀。幼い子供にも飲みやすいように清酒に少量の味醂 を入れる事もある。酒とご馳走攻めで疲れた胃腸をいたわり、風邪を予防しようという先人の智恵の ようだが、三が日に屠蘇を飲んだだけでその医学的な効用を期待するのは無理なようだ。

『初詣』  Jan. 1, 2007 ▲Top
 初詣とは、新年が明けて初めて寺社(神社・寺院)に参拝し、一年の平穏と無事とを祈る行事である。 ところによっては、初参りと呼ぶところもある。昔は氏神またはその年の恵方の方角の寺社に詣でるのが 慣わしだったが、最近はそんなことは無関係に、有名な神社仏閣へお参りするのが多くなってきた。 特に、私鉄関係の利用者を増やす目的で、深夜早朝の運転を売物に沿線の寺社を宣伝し、本来の恵方では ない神社仏閣に詣でるようになり、恵方の意味が薄れているようだ。初詣は寺社へ参拝をし社務所でお守り、 破魔矢、風車、熊手などを購入したり、絵馬を買い願い事や今年の目標を書いたりする。又おみくじを引いて、 今年一年がよい年であるよう祈る。お参りの際、去年のお守りや破魔矢などを寺社に持参して焼いてもらう。 また境内では甘酒やお神酒が振るまわれ、飲むと厄除けになるとされるが、最近は飲酒運転の罰則が厳しく、 取り締まりが厳重なので、従来のような感覚で、お神酒を飲んでの運転は絶対に避けなければならない。 一般的に、正月三が日に参拝するのを初詣といっているが、1月中に参拝すれば特に問題はないという。

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