『宿題』  Aug. 31, 2006 ▲Top
 子供たちにとって、長い夏休みは楽しいものだが、休みが終わりに近づくにつれ 宿題と言う現実に段々プレッシャーがのしかかってくる。好きな研究課題などは とてもはかどるが、嫌いな科目はどうしても後回しになる。残り日数が迫ってくると 未達成の宿題をとにかくやっつけで済ませることになる。私にとって苦手だったのは 日記だった。何日も溜めてしまった日記を書くとき一番困ったのは、天気の欄だった。 当時はインターネットなど無い時代だから、古新聞をひっくり返して調べたものだが、 最初からそんなこと考えていなかったので、全ての新聞が取って有った訳ではない。 結局は、先生もそこまで細かく見ないだろうと、一か八かのハッタリで書き込んだ こともある。今ならインターネットで調べれば、日本全国どこの地方でも正確な天気 を調べられる便利な世の中になった。インターネットを活用すると、殆どの宿題は 完璧な出来栄えで完成するのだ。昔の宿題は、頭を捻って答えを導き出したが、今は 頭を使わなくてもコンピュータを使えばインターネットが正確な答えを引き出してくれる。 こんなことで、子供たちの真の実力は付いていくのだろうか、いささか心配である。

『ハンカチ』  Aug. 30, 2006 ▲Top
hankachi.jpg  高校野球で優勝した早稲田実業の斎藤佑樹投手が、汗を拭うのに使った青いタオル地の ハンカチが人気になっている。本人が使ったものでもない、只似ているというだけの 使い古しのハンカチが、オークションで5000円以上の値が付いているのに驚きだ。 この青いハンカチ、どこのブランドか、フアンやマスコミの間で話題になって いたが、実は大阪のニシオ株式会社が製造販売したものと分かった。5年前に売り出され たが、現在は製造中止で在庫もなく、製造再開の予定も無いという。 ニシオの話では、中国で作らせたもので、5万枚製造された。青とベージュの2色の タイプがあり、小売価格は1枚400円程度だったと言う。ハンカチにはジョゼッペ・ フラッソンというロゴが入っているが、イタリアのデザイナーの名前で、実在の名前 だが知名度はほとんど無いとのこと。ロゴは同社の登録商標。 ハンカチは、昔は薄い綿のタイプのものが主流だったけど、最近はミニタオルも人気が あって使い勝手のいいものが増えてきた。タオルタイプは、汗を拭いた後にびっしょり になることもないし、洗濯後にアイロンをかける必要もないので、不精者には便利なもの なのだろう。西尾社長は“佑ちゃん効果”で、ハンカチ需要が伸びることを期待している。

『物忘れ』  Aug. 29, 2006 ▲Top
 最近夫婦揃って物忘れが目立ってきた。外出するときなど、鍵を掛けて家を出る間に、 財布を忘れたり、かばんを忘れたり、大事なことを思い出して、何度も部屋に戻ることがある。 戸締りや電気の消し忘れなどは、日常茶飯事であるが、近くへの買い物程度なら、わざわざ 家に戻ることもしない場合が多い。先日、1週間家を空けて埼玉へ出かける時、入念に電気、 戸締り等のチェックをして出かけたはずだった。最初の目的地、大阪へ向かうのに新居浜港 からフェリーで出航した直後、家内が心配事を打ち明けた。出掛けるまで、余りにも暑かった ので、クーラーをつけていたが、どうも消した記憶が無いこと、いつでもお湯を使えるように していた電気ポットの電源を抜くのを忘れた。しかもポットのお湯は、携帯する魔法瓶に殆ど 使い、ポットの中は空に近いと考えられると言う。このままでは心配で1週間も家を空けて 居られないとうろたえてしまった。今更船をおりる訳にも行かず、仕方なく同じマンションの 友人に電話をして、管理人が持っている合鍵を借りて、部屋に入り電源の確認を依頼した。 夜遅かったが、快く引き受けてくれて部屋に入り、調査結果はやがて電話で知らせてきた。 クーラーは確実にスイッチが切られていた。ポットの電源はちゃんと引き抜かれていた。 その他も心配ないようにと、部屋中の点検をしたが、心配の種はなかったとの報告だった。 人間って、こんな場合、意外に無意識の内に始末は出来ているものだが、後で思い返すと 記憶が薄れているだけの場合が多い。 友人のお陰で心配事が解決したので、この後、心おきなく旅行を楽しむことが出来た。

『体重の増加』  Aug. 28, 2006 ▲Top
 夏休みを四国で過ごす娘や孫と、一週間一緒に遊んでいる間に、トレーニングを 休まざるを得なかった為、昨日からフィットネスクラブへ行き、体重計に乗って、 いささか驚いている。8月初め頃の体重は、はっきりとトレーニング効果が 出て、体重は昨年暮れ頃の数値から4kgは減り、大体65kg台を維持していた。 夏休みの最後は、大阪ユニバーサルスタジオジャパンで、1日10時間も歩き回り、 アトラクションに入場する毎に、それぞれ1時間以上は立って並んでいたので、相当 身体には応えていた。多分相当のダイエット効果があったと思っていた。しかし、 全ての日程を消化して家に戻り、体重計に乗るのを楽しみにしていたが、現実は しっかりと体重が増えていて、69kg台を示していた。娘達に美味いものを食べ させてやろうと、したことは認めるが、そんなに食べた訳ではないのに、4kgの 体重増加はショックが大きかった。早速今日から厳しいトレーニングを再開し、折角 理想の体重に近づいて居たのを、再度ダウンさせることに挑戦することにした。

『覆面PC』  Aug. 27, 2006 ▲Top
 今回、里帰りしていた娘と孫との約束で、大阪のUSJ見物させた後、埼玉県所沢市まで 私の車で連れて行った。行き帰りの走行ルートは名神高速と中央道を使った。東名は定期便 のトラックが多いが、中央道の半分の行程は、諏訪湖の標高1000mまで登り一方と言うのも、 経済性を優先するトラックが敬遠する大きな理由だろう。 名神高速では、行き帰りに覆面PCに遭遇した。道路横の標識は、80kmを表示しているのに、 殆どの車は100kmを超えて走行している。パトカーは110km程度の速度は見過ごしている。 理由は分からないが、多分125kmを超えれば確実に速度違反と判定されるだろう。帰り道、 名神多賀付近で、気づくと後方に覆面PCを確認して、道を譲った。そのときの速度は周り の車と同じ110km程度だったがそのままPCは行き過ぎた。PCは5〜6台前方の車の 後ろで、赤色灯を回して、しばらく併走していた。そのうち他の車はPCを越して先に行き 、私の車の前はPCだけになってしまった。PCの後ろの窓には、パトカーの後に続けと、 表示されているので、仕方なく後方をつけて走った。しばらくして、PCは路肩に車を寄せて スピードを落とした。しかし私には取り締まられる理由が無いので、進路を右に交わして前に 出て、そのままPCの横を(速度は80kmで)走り抜けた。止まったPCの後ろにはトラック が1台付いて止まったので、それが違反車だったのだろう。一時は自分では無いかと心配した。 万一PCが追いかけて来たとき、逃げる気でない証拠を残す為10km程はスピードを抑えて 走ったが、大丈夫だった。以後は100kmを超えるスピードは控えて走った。 1ヶ月ほど前、一時停止違反で青切符を切られているだけに、慎重運転が大事な時期だった。

『USJ』  Aug. 26, 2006 ▲Top
 夏休みを四国で過ごそうと、今年も娘と孫の二人が里帰りして来た。しかしタイミング 悪く、台風10号が日本に接近し、九州の南端辺りからのろのろと北上を始め、四国滞在中 殆ど天気予報は台風情報ばかり。お陰で計画していた魚釣りも、海水浴もショッピングまで 控える結果となった。唯一楽しみにしていたのは、帰り道大阪経由でユニバーサルスタジオ ジャパン見物だった。 20日(日)オレンジフェリーに車と共に乗船、空いていたので、1等船室4人部屋をキープ。 船内の展望風呂を満喫。翌朝6時大阪南港到着後、ゆっくりと朝食の弁当を食べて下船。 カーナビを頼りにUSJに向かうが、高速道を間違え天保山に降りてしまう。すぐそこに 見えているのに渡る橋が無くて、迷い迷ってようやくUSJ到着。開園1時間前なので、 駐車場はゲートに一番近いところへ駐車出来たのはラッキー。今日1日出来るだけ多くの アトラクションを体験しようと、なるべく空いている所を選んで並び、また混んでいる所は、 ブックレットを利用して効率よく入場した。結局ターミネーター、スパイダーマン、バック トウーザフューチュチャー、ウオーターワールド、ジョーズ、ジュラシックパーク、ET、 バックドラフト、スヌーピーアドベンチャー等9つを体験した。日傘をさしているとはいえ 外は30度を越える真夏の炎天下で、1日10時間歩き通し、並び疲れた身体は、ホテルへ 着いて風呂に入るとすぐ寝ついた。楽しかったが、70歳過ぎの年寄り夫婦にはきつい1日だった。

『高校野球』  Aug. 19, 2006 ▲Top
 夏の甲子園も準々決勝が終わり、ベスト4が出揃った。どの試合も打撃戦となって、 2桁の得点争いの逆転劇も多く、最終回までの4点差くらいは簡単にひっくり返す 試合も多かった。今年は打撃戦と言われるくらい、ホームランも多く、ここまで55本 はこれまでの47本を21年ぶりに更新している。昔に比べ選手の打撃術も向上している のだろうが、それにしても良く打っている。愛媛代表の今治西は残念ながらベスト8に は残れなかったが、戦った3試合全てが2桁得点だった。準決勝進出も夢ではないと 思われた3試合目は8対8の延長13回に10点目を取り、相手チームに2点差を付けた ことで、勝利をもぎ取ったと思ったが、何とその裏逆転でさよなら負けを喫した。 打撃では、得点能力があったが、2桁の得点を覆された投手陣には、問題があった。 強いて言うならば、初回に先取点を取った後、投げさせた新居田の失った4点が大きかった。 後半から続けて投げた熊代があそこまで頑張れるなら、もっと早く交代していれば、今治西の 勝利はあったかも知れない。どの試合もそうだが、最後は投手力のあるチームが勝ち残る のは、プロ野球の世界でも同じで、打撃力が試合に勝てるとは限らないのが野球だと分かった。

『スイカ』  Aug. 18, 2006 ▲Top
suika.jpg  夏の果物で好きなのはスイカである。店頭でスイカを選ぶとき、ポンポン叩いてみて、 響きのよい音のするものを選ぶが、確かな確信があってのことではない。何となく 打てば響く感じが、実の熟れ方を感じさせるのだ。実際は買って帰って、最初の 一刀を入れるときが一番緊張する。良く熟れているスイカなら、包丁の刃先が入った瞬間、 パンと弾けるような割れ方をするスイカなら、大抵良く熟れていて甘みも多い。 欲張って大き目のスイカを選び、すぐにも食べたい気持ちを抑えて、じっくり冷やし、 思いを込めて包丁を入れて見たら、まだよく熟れていなかったり、スカだったり したときの落胆はたまらない。こんな事なら、あの時店の人が勧めてくれた方のスイカに しておけばよかったと後悔した事がある。 おいしい西瓜とは、まず甘さ、しっかりとした歯ざわり、緻密な肉質だろう。 美味しいスイカには、得てしてタネが多かったりする。50年ほど前、種無しスイカ が発明され、一時期話題になったことがあるが、いつの間にか店頭で見かけることは なくなった。聞くところによると、生産面での欠点があったりしていつのまにか消えた ようだ。スイカの美味しい食べ方は、あのタネをぷっぷっと噴出すところにあるのかも。

『すだれ』  Aug. 17, 2006 ▲Top
 夏の夕方、日が西に沈む直前は、窓を開けていても、西日の差込が結構厳しく、 大抵の家では、すだれを掛けて、風は通すが強い光を遮る工夫をしている。 最近の住宅は洋式の造りが多くなり、ブラインドやスクリーンを装備している家も 増えてきたが、和式の家はブラインドでは違和感があるので、やっぱりすだれが 一番多く使われている。昔の日本家屋は軒が深く、軒先にすだれを掛けても、奥行きの ある分、日陰を多く取れ、風通しも良かったが、最近の住宅は軒先が短いので、 窓との間の隙間が取れず、やや風通しが悪い傾向が起きている。すだれの効果は、 日陰を作るだけでなく、外からの視線を遮り、部屋の中の様子を隠す効果もある。 すだれとは、もともとは細く割った竹ひごを、糸で編み連ねたものを言い、今では 手間が掛かるので高級品となり、最近は葦を編んだものが一般的。 また、やや廉価版としてはビニール製もある。 すだれは、「簀(す)」と「垂れ(だれ)」で、すだれを単に「す」と言うこともある。 「簀」は、巻き寿司を巻く際に用いる竹ひごを並べて編んだもので、これを「すだれ」 と呼び、窓に掛けるすだれは、それを大きくしたもの。

『プール事故』  Aug. 16, 2006 ▲Top
 埼玉県ふじみ野市の市営ふじみ野市大井プールで起きた、小学生死亡事故は、 多くの監視員が居ながらその目前で、吸水口に頭から吸い込まれると言う、悲惨な 結果を招いた。調査の結果は、流水プールの水に勢いをつける循環ポンプの吸水口 の蓋が、考えられないような非常識な構造で止められていた。アルバイトの監視員は、 自身が子供たちの安全を第一に考えると言う、唯一の目的を理解していなかった。 更に全体の管理を統括すべき人たちも、この種事故が発生したとき、即座にポンプを 止める等と言う対応教育がされてなく、事故が起きても適切な処置が出来なかった ことが重なって起きている。この事件で、改めて日本中のプールのこの種施設の 総点検が行われたが、殆どのプールに何らかの問題があったと報告されている。 これまでも、プールの吸水口に足や体の一部を吸い込まれて、溺れ死んだ事故は 何度もニュースで取り上げられていた。しかしその事故が、自らのプールに置換えた 学習が全くされていなかったことは怠慢で、管理すべき市側の責任は免れない。 このことで、目の前で幼い子供が、パイプに吸い込まれて行くのを、只手をこまねいて 見ていたアルバイト女性は、気の毒だが生涯トラウマの恐怖が刷込まれたことだろう。

『終戦』  Aug. 15, 2006 ▲Top
 今日8月15日は、日本が戦いに敗れて大東亜戦争が終わった終戦記念日だ。前日迄 戦局は差し迫っていて、毎日のように土佐湾沖から四国山脈を飛び越えたB−29が、 新居浜上空を通過し、瀬戸内海を跨いで、中国地方の爆撃を繰り返していた。 私達親子は、万一予想される新居浜市内の空襲を避けて、市内南東部の東田地区 の農家の納屋を借りて、母親と子供5人とお手伝いの女性の7人が疎開生活を していた。小学校5年生の私と2年生の次男は、泉川小学校に転校手続きしていたが、 現実には2週間程度の通学で終戦となり、前田町の社宅に帰ることになった。 8月15日の朝、学校は午前中で帰され、家に帰ってラジオ放送を聞くように伝えられた。 我が家では戦況を聞く為のラジオで、何が放送されるのか固唾を飲んで待っていた。 やがて、初めて聞く天皇陛下の肉声で、日本が戦争に負けたことを知った。 耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで・・・と言う天皇陛下の玉音放送を、家族全員が ラジオの前で、直立不動の姿勢で拝聴した。天皇陛下の声は悲しく、聞きながら 何故日本が負けたのかと、子供心に悔し涙を流したことを思い出した。

『冷奴』  Aug. 14, 2006 ▲Top
yakko.gif  暑い夏の間、脂っこい食べ物は、どうしても敬遠してしまう。先日も夏の食べ物は そうめんが多くなると書いたが、おかずに何を食べるかについても何時も考えてしまう。 結局、簡単に食卓に出せるものとして、冷やした豆腐を四角に切って、鰹節や有り合せの ネギ・生姜などの薬味を乗せて醤油を掛ければ、すぐビールのつまみになる冷奴が手軽である。 我が家では、ベランダのプランターに、料理で余ったネギを植えておいて、新芽の出た ところを採取して、薬味として便利に使っている。 豆腐は低カロリーだが栄養価が高く、かつ栄養分の吸収率も高いという優れた健康食品である。 夏場は冷奴が旨いし、冬の湯豆腐も、シンプルで美味い。 豆腐は中国では2000年前から作られていたと言われている。豆腐の「腐」の字は、くさる という意味ではなく、 中国語では「固まる」とか「柔らかい固体」という意味である。 日本には奈良時代に中国からの留学僧によって伝えられ、 鎌倉時代までは主にお寺の坊さん によって作られ食べられていた。室町時代になると、一般庶民も豆腐を食べるようになり、 さらに江戸時代には色々な料理に利用されて、食卓を飾る主要な食品となっている。

『お盆』  Aug. 13, 2006 ▲Top
 今日は旧暦のお盆。全国的には旧暦でお盆の行事を行うところが多い。 お盆は、先祖や亡くなった人たちが苦しむことなく、成仏してくれるようにと、 子孫が、報恩の供養をすること。お盆は旧暦7月15日を中心に、13日を迎え盆、 16日を送り盆といい、13日から16日までの四日間が、お盆の期間となる。 お盆には、先祖や亡くなった人たちの精霊が灯かりを頼りに帰ってくるといわれ、 13日の夕刻に、仏壇や精霊棚の前に盆提灯や盆灯籠を灯し、庭先や門口で迎え火 として麻幹を焚く。それが「迎え火」で、盆提灯をお墓で灯し、明かりを持って 精霊を自宅まで導くという風習もあり、これを「迎え盆」という。 精霊棚は台の上に真菰で編んだゴザを敷いて作り、棚の奥中央に、先祖たちの 位牌を安置する。位牌の前には、なすやきゅうりで作った牛や馬を供えるが、 これは先祖の霊が「きゅうりの馬」に乗って一刻も早くこの世に帰り「なすの牛」 に乗ってゆっくりあの世に戻って行くようにとの願いを込めたものといわれている。 お盆の間は、供物や盆踊りなどで祖先の霊を慰める。こうしたお盆の行事から、 京都の「大文字焼き」や徳島の「阿波踊り」等が発展した。 本来は、仏教の行事だったお盆だが、働く人は盆休みをこの時期にとり、故郷の ある人は里帰りし、墓参りと盆踊り等をして楽しみ、生きている我々の生活に 根ざした夏の風物詩となっている。

『そうめん』  Aug. 12, 2006 ▲Top
 こう毎日暑い日が続くと、さっぱりとしたものが食べたくなり、昼食はそうめんになることが多い。 そうめんは奈良時代に中国から伝わったとされ、索麺(さうめん)と書かれた文献が残っている。 江戸時代、麺が白いところから素麺(そうめん)と呼ばれるようになったというが、そうめんは 乾燥させて作るため保存食としても有効で、当時飢饉に苦しむ人々を救ったという。 これがそうめんの始まりである。 そうめんは、小麦粉に塩水を加えてこね、更に油をつけて細く引き延ばして干した麺のこと。 そうめんはいつから細長くなったのかは、挽き臼の伝来により、小麦の細粉を製粉するようになり、 製粉過程でできるグルテンがよく熟成して麺の腰が強くなった。そしてこねた小麦粉に油をつけて 伸ばす技術が出来たことによる。一方こねた小麦粉を細く切った生麺はうどんになっていった。 奈良県桜井市、この辺りは三輪そうめんの産地として昔から知られている。夏の食べ物として 好まれるのは、主として暖めて食べるうどんに対し、冷やし素麺や流し素麺と言った食べ方にもある。

『八百長』  Aug. 11, 2006 ▲Top
 勝負事の世界で、勝ち負けに思惑が加わって勝敗が操作されることを八百長と言う。 八百長の言葉の由来は、明治時代に実在した八百屋の長兵衛さんの愛称「八百長」 さんと言うところから来ている。この八百屋の長兵衛さんは碁が強くて、何時も相手を していた相撲の年寄『伊勢海五太夫』の碁仲間であった。何時も勝ってばかりいては、 商売に差し支えるので、偶に手を抜いて相手に勝たせたりしていた。後に碁の勝負に 手心を加えていたことが分かり、相撲の世界では、勝負に手心を加えることを 八百長と言うようになった。やがて、事前に示し合わせて勝負する意味も含まれる ようになり、相撲以外の勝負でも「八百長」という言葉は一般的に使われるようになる。 マスコミの世界でも、取材の過程で作為的捏造をして、あたかも事実のように見せかける ことを「やらせ」と言うが、視聴者を騙すことにおいては「八百長」と同じことで、 よく社会問題となるケースだ。

『8月10日』  Aug. 10, 2006 ▲Top
 8月10日は、調べて見ると語呂合せで、いろいろな記念日が多い日に当たる。 【やどの日】「8」「10」やど、から全国旅館環境衛生同業組合青年部が 平成4年(1992年)に宿の日に制定している。 【帽子の日】「8」「10」を「ハッ」「ト」読んで全日本帽子協会が帽子の日と している。帽子の意義は、暑い地域では防暑、寒い地域では防寒、ほこりの多い地域では 防塵、雨の多い地域では防雨を目的としたものである。戦国時代は戦闘の際に頭部への 攻撃を防御するための兜がその役割を果たし、国家が形成される頃には、権力の象徴として 、王や豪族たちは冠を被るようになった。【健康ハートの日】8と10でハートの 語呂合せから、日本心臓財団が創立15周年を記念して、 昭和60年(1985年)の8月10日、 21世紀の明るい健康運動となるように提唱したのが始まり。同財団では夏の間に心と体の チェックをして、心臓病の多発する冬に備えてほしいと願っている。 他に語呂合せではないがこの日を【道の日】として国土交通省が昭和61年に制定している。 制定の目的は、道路は国民生活に欠くことのできないインフラ(基本的な社会基盤となる 施設)であるが、あまりに身近な存在のため、その重要性が見過ごされがちである。 そこで、道路の意義・重要性について、国民に関心をもって貰うため、8月10日を 「道の日」と制定したもの。 また、8月は「道路を守る月間」でもあるため、その期間内に設けるという意味合いも あった。

『長崎へ原爆投下』  Aug. 9, 2006 ▲Top
nagasaki.jpg  昭和20年8月6日に広島への原爆投下のあと、3日後の9日に長崎にも投下された。 アメリカ軍による2発目の目標は、当初小倉市とされていたが、上空からの視界が悪く、 何度か試みているうちに時間が経ち、テニアン島までの帰投燃料が危なくなり、急遽 目標が変更され、帰り道の長崎を標的にした。原爆による長崎市民の被害者は14万144人 であった。日本にとって、広島の原爆投下で、この時すでに戦争継続の意思を失い、 国の現状は末期状態で、2発目の原爆投下は、無意味な爆撃と言われている。しかし 米国の目的は、この時期に参戦してきた次の仮想敵国ソ連に対する国威発揚だった。 当時の原爆実験で確認されているデータから、もし東京都心をターゲットにした場合、 山手線の内側は全滅となり、現在の東京で言えば100万人の死者が出たとされる。 戦後、最初に私が広島を訪れたのは、6年後の広島国体へ出場のときだったが、すでに 広島の復興は進んでいて、爆撃の跡は記念碑程度でしか分からなかった。長崎へ行った のは戦後14年を過ぎていたので、同じく平和の像以外では全く面影は見られなかった。

『秋茄子』  Aug. 8, 2006 ▲Top
 「秋茄子(なす)は嫁に食わすな」と言う諺がある。この言葉の裏にある意味には諸説が ある。そもそも「食わすな」と言う言い方が、嫁いびりの姑の意地悪い言葉とすると、 この時期、美味しい茄子を嫁に食べさせたくないと言う思いが込められているという説。 茄子とか冬瓜は体を冷やす作用があり、茄子をたくさん食べると胃腸を冷やして下痢を 起こす。そして、子宮を痛めて子どもができなくなると家系が断絶するからという説。 たしかに、茄子に含まれるソラニンという灰汁(あく)の成分が体を冷やし、あるいは アルカロイドが子宮収縮を強める作用があることは意外と知られている。 もうひとつは、うまい秋茄子をネズミ(嫁)にとられては大変、早く収穫したほうがいい。 つまるところ、この諺は可愛い嫁の身を案ずるという姑の言い分なのだった。良い方にも 悪い方にもとれるが、嫁と姑の葛藤なんて、案外こんなものなのだろうか。 本音は、味の乗ったおいしい旬の食べ物を、嫁に食べさせると強壮になる。すると、 夫婦が仲むつまじくなって息子を取られてしまう、と思いこむ姑の嫉妬なのだろう。

『立秋』  Aug. 7, 2006 ▲Top
kumo.jpg  このところ、天気予報図を見ると、太平洋高気圧の勢力が強く、日本付近に 張り付いているので、近づいてくる低気圧は、高気圧にはじかれるように避けて 通っている。連日猛暑をふるっているが、8月7日は暦の上では立秋だ。 今日からはハガキにも残暑見舞いと書くようになる。一年の内で、最高気温は 立秋を過ぎてからの時期に記録されることが多く、実際の暑さはまだこれからだ。 一日の最高気温が30度を越す日を真夏日、最低気温が25度を越す夜を熱帯夜と言う。 今後、太平洋高気圧の勢力が弱まると、低気圧が日本列島に近づき通過していく ようになる。この頃に見られるのが、秋の雲である。この秋の雲が見られるように なると、夏の高気圧の力が弱くなったことを現している。 「秋來ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかされぬる」 藤原敏行。 アメリカでは連日の猛暑で、多くの死人が出ていると報じられている。過ごし良い 秋が早く来て欲しい今日この頃である。

『広島原爆忌』  Aug. 6, 2006 ▲Top
genbakuhi.jpg  1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分17秒、アメリカ空軍のB29(エノラ・ゲイ号) によって投下され、地上500mで爆発した爆弾は、世界で始めての原子爆弾で、かって 人類が経験したことの無い強烈な光と、4000度を超える熱と爆風を伴い、広島市民の 寝ぼけ眼を一気に目覚めさせた。爆発による被害は一瞬にして21万人余の命を奪った。 この日を忘れさせない為、毎年広島市中区の平和記念公園で、午前8時から市主催の 原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)が開かれている。 被爆者や遺族代表らが21万人余の原爆犠牲者を追悼し、核兵器廃絶と世界平和の 実現を誓い合っている。もうあれから61年が過ぎたが、当時被爆した人で命を長らえた けれど、未だに原爆症に苦しみながら、国の補償も受けられず、訴え続けている人たち がいる。戦争を始めた国の責任が逃れるはずもない。まだ裁判が続いているなんてことが 信じられない。2度と戦争はすべきでないが、一刻も早く、あの原爆の後遺症で苦しんで いる人たちを救ってあげ、被爆者にとっての戦争を早く終わらせてあげるべきだろう。

『タクシーの日』  Aug. 5, 2006 ▲Top
takkun.gif  日本に初めて自動車が輸入されて13年後の、大正元年8月5日、 数寄屋橋近くに本社を置く「タクシー自働車(株)」がT型フォードを 6台そろえて営業をスタートした。それを記念して8月5日を「タクシーの日」 と制定。また絵のようなキャラクターを使って「たっくんの日」とも呼んでいる。 当時としては画期的な、料金メーターや割引チケット制度などを導入していた。 料金は最初の1.6kmが60銭、そのあと800mごとに10銭。当時の山手線の 一区間が5銭、市電が4銭だったことを考えれば、かなり高価な乗り物だった。 6台でスタートしたタクシーも、第一次世界大戦による好況で10年後には、 1200台を超えていた。第2次大戦が終了し、敗戦の日本国内もやや落ち着いた 昭和25年頃、ガソリン税、白タクの登場など業界にとって頭の痛い問題が発生。 売上げを増やすためには営業の距離を増やすしかなくなったため、無謀運転が 一般化した。これがいわゆる"神風タクシー"と言われた時代である。 マスコミが書き立て、国会でも取り上げられるほどの騒ぎになった。この頃 東京で生活していた私にとって、タクシーに乗るのは命がけと思ったことが あった。その後、交通渋滞などで乗車時間が料金に加算される制度が加わり、 逆に、運転手が時間稼ぎにのろのろ走らせる姿も見られるようになった。

『地デジ録画』  Aug. 4, 2006 ▲Top
 いよいよ10月から本格的に始まる地上波デジタル放送は、既存のテレビや録画機が 使えなくなる事への問題もあるが、デジタル対応の録画機を使えば、信号の劣化無く コピーが出来ることから、著作権上の問題が出るとして、デジタル放送の録画を 1回限りにする「コピーワンス」の仕組みに制限されている。今迄の方式なら従来は 録画したりコピーする等、何度でも録画しコピーして見る方法が一般化していた。 デジタル放送対応レコーダーのハードディスク(HDD)に録画した番組をDVD などにコピーすると元のHDDのデータは自動で消えてしまう。しかも万一、コピーに 失敗するとデータは全て完全に消えてしまい、視聴者からは不便との声が出ている。 テレビのデジタル化は、視聴者の意向を無視して、国が一方的に方式を変更し、 それには機材に金を掛けて一新しなければならない視聴者が、従来より不便な方式を 強いられる矛盾が生じている。明らかに業界の都合だけが優先されて いることが納得できない。情報通信審議会は現行方式のままでは、視聴者がデジタル 受信機への買い替えを進める障害にもなりかねないと判断。11年に地上波放送を アナログからデジタルに全面移行する計画を円滑に進める為にも、視聴者の理解を 得られるよう、見直しを求める方針だとか。当たり前のことである。

『はちみつの日』  Aug. 3, 2006 ▲Top
 8月3日は語呂合せで、はちみつの日だ。全日本はちみつ協同組合と、日本養蜂はちみつ協会が 1985年に提唱した。はちみつは、日本では平安時代に、宮中への献上品として使われていた程、 貴重な品だった。但し、蜂蜜の採取は、スペイン北部で偶然に発見された、アルタミラ洞窟壁画 にその様子が描かれており、1万5千年前から存在したと考えられている。古い時代には、蜂蜜を 採取する時に、巣を潰して蜜を絞り取っていたので、蜂たちはその度、イチから巣を作り直すと 言う効率の悪い方法だったが、1851年に初めて巣を壊さなくても、蜂蜜を取り出す方法が発明 された。この方法は巣箱の板を、一枚ずつ取り出しては、そこに付いている蜂蜜を採取し、また 巣箱に戻すというのが基本である。この時この板を遠心分離機に掛けて、一気に蜂蜜を取る 方式で行われる。蜂蜜の中でも、女王蜂を育てる為に特別に調合されたものが、ローヤルゼリー で、ひじょうに栄養価が高い。免疫強化や老化防止などの作用があり、虚弱体質の人の体力 増進にも効果がある。蜜蜂が巣を守るために、塗りつけているニカワ状の物質がプロポリスで、 強い抗菌・消炎作用があり、飲むとウィルスに対する抵抗力を付ける力があるとされている。 癌や糖尿病・喘息などにも効果があるという説もある。

『きつねうどん』  Aug. 2, 2006 ▲Top
kitune.gif  関西を代表する食べ物はと聞かれると大抵の人は、 「きつねうどん」「たこ焼き」「お好み焼き」だと言う。東京でうどんと言えば きつねじゃなくて、てんかすの乗ったたぬきうどんだろう。むしろ東京ではうどん よりラーメンの方が好まれている。 大阪のきつねうどんには、昔は揚げが2枚入っていた。2枚には意味があって 「陰陽」「阿吽」「夫婦円満」を表していたのだそうだ。 昔、東京の人が大阪に出張してきてうどんを食べると、味が付いていないと、醤油を 掛けて食べた話を良く聞いた。大阪のうどんのダシは、上等の昆布をたっぷり使い 鰹節や鯖節など数種類の削り節を使って、こくと風味の出し汁をひいている。 味付けは、薄口醤油と塩で見かけの色は確かに薄いが、確かなうま味を出している。 うどんを食べ終わった後の汁は.基本的に全部飲ませてしまうような味を付けるのが 大阪流だ。

『けり』  Aug. 1, 2006 ▲Top
 長い間、揉め事の原因になっていた問題が解決して、一気にけりがついた。 問題は簡単なことながら、こちらが勝手な解釈をしていたのに気づかず、放置 していたのが原因だった。相手の話を冷静に聞いたら、簡単に理解でき解決した。 けりが付くとは、こんなものか思うほどすっきりした。けりをつけるとは、決着が 容易でなかった物事に結論を出して終わりにする事を言う。けりをつけるの語源は、 和歌や俳句など昔からの古典的文章で、助動詞「〜けり」を付けて終わるものが 多いことから、物事の決着をつけることが出来たという意味で、「けりをつける」 「けりがつく」と言われるようになった。また、一説には語りや謡い物等でも、 「そもそも」とはじまり、最後に「〜けり」と終わるところから来ているという。

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