『ビキニ』  Jul. 31, 2006 ▲Top
vikini.jpg  うっとうしい梅雨が明けて、いよいよ本格的な夏が到来した。夏の楽しみは何と言っても 海に繰り出し、思う存分砂浜で太陽を満喫することこそ夏の醍醐味だ。日焼けが嫌な人は、 日焼け止め、オイルマッサージ等で、肌の保護は必要だ。男性にとっての楽しみは、海辺で 開放的な肢体を見せてくれる女性たちだろう。中でもビキニ姿の女性軍は特に魅力的に見える。 ビキニとは、胸と腰をわずかに覆うだけのセパレーツ型(ツーピース型)の女性用水着を言うが、 その名の起源は、何と原水爆実験に由来している。 ビキニとは、中部太平洋マーシャル諸島共和国の北西部に位置するビキニ小環礁のことで、 1946〜58年にアメリカの原子爆弾・水素爆弾の実験が、このビキニ環礁で行われていた。 丁度その頃、フランスのデザイナー『ルイ・レアール』が、大胆なセパレーツ型の水着を 世界で初めて発表した。その水着は、身に着ける布の面積が、これまでのどの水着よりも 小さく、物の大きさを現す最小の単位の分子原子のようなものと言うことにひっかけて、 同じ年に原爆実験がビキニ環礁で行われたことから、その衝撃をなぞらえ、「ビキニ」と 呼ばれるようになったもの。最初にビキニの水着姿を見たときは、相当の驚きを感じたものだが、 いつの間にか、見慣れてしまい、今ではそれほど胸がときめく事も無くなったのは、年の せいかも。

『さじを投げる』  Jul. 30, 2006 ▲Top
 一昨夜の花火大会の写真は、昨年の失敗を繰り返すまいと、昼間のうちから、 カメラの取説を読み返して、花火の写しかたを研究。場所取りも日中の明るい 時間帯から下見して、良い場所を確保しておいた。花火の打ち上げが始まると、 三脚に据えたデジカメのシャッターを押し続けた。512MBのメモリー一杯 撮り、家に帰ってパソコンに落とした写真を見て、さじを投げた。昨年の失敗は オートフォーカスが闇夜の中で花火に焦点が合わず、ピンボケだったが、今年は 無限大の固定焦点にしたところまでは良かったが、絞りを開いて、しかもスロー シャッターにセットしたから、露出オーバーだったのだ。昼間はレンズの絞りを 相当絞っていたが、いざ暗くなってからは、写した写真が真っ暗に見えたので、 つい絞りを開いてしまったのが失敗だった。さじを投げるとは、前途の見込みが ないと断念する。諦めることとある。さじを投げるの「さじ」は、医者が薬を調合 する匙のことである。患者の治療方法が見つからず、医者が匙を投げ出すことから、 これ以上の治療はないと見切りをつけることを「さじを投げる」と言ったのだが、 今回の写真は、露出が過大で手の施しようがなく「さじを投げた」残念!!

『アマチュア無線の日』  Jul. 29, 2006 ▲Top
hamvention.jpg アマチュア無線の日とは、1973年に日本アマチュア無線連盟(JARL)が制定した記念日で、 毎年7月29日である。太平洋戦争勃発で禁止されていたアマチュア無線が復活した事を 祝うもので、戦後初めてのアマチュア無線局予備免許が、1952年7月29日、全国の30人に 発給されたことに因んでいる。記念日が制定された頃、関東を中心に超短波帯FM無線で、 遠距離通信の活動を活発にやっていた我々関東VHF36会仲間が、JARLの原会長に 働きかけ昭和50年4月12日、第1回全日本ハムベンションを、富士山麓で開催した。 初めての試みだったが、全国から多くのアマチュア無線局が集まり、常陸宮殿下ご夫妻も ご臨席頂き盛大に行われた。私も、この企画の当初から、参加、各所への交渉や、会場の 選定、設営、業者への協力要請などに事務局長として東奔西走し、後にJARL原会長から 感謝状も頂いた。 写真は、その時の期間中クラブ局を運用した証明書である。その後、ハムベンションは、 場所を変え、名称を変える等して、ハムの祭典が毎年行われるきっかけになった。

『極楽とんぼ』  Jul. 28, 2006 ▲Top
 極楽とんぼの「極楽」とは、安楽で何の心配もない場所や境遇を言い、「とんぼ」 は昆虫のトンボのことで、のんきに生活している者を、極楽で飛ぶトンボのように のんきに暮らしている者を揶揄していう言葉。 17歳の少女に酒を飲ませ、みだらな行為をしたとして、吉本興業を解雇された 元極楽とんぼの山本圭一だが、極楽ならぬ地獄に転落だ。彼が所属していた、 萩本欽一さんの率いる野球チーム茨城ゴールデンゴールズは、彼の起こして事件で、 警察の事情聴取を受けた事を理由に、一度は解散すると言わしめた。日本国中から、 解散しないでと懇願されて、何とか思いとどまった。だが、話の成り行きでは、まだ表面化 していない仲間も居て、またもや解散風が漂っているらしい。山本はこれまで、 テレビの番組の中などで、43階建てタワーマンションの40階に住んでいると ネタにし、家賃は月50万円などと発言していた。しかし、吉本興業を解雇され、 事実上無職となり、現実には定期収入が途絶えるため、早々に高級マンション からの退去を余儀なくされたようで、まさに極楽から地獄への転落だ。 軽い乗りから起こした事件だと思うが、人間些細なことにも、日頃から気を許さぬ 心がけが大切だ。

『パター』  Jul. 27, 2006 ▲Top
2bolpater.jpg  先日、友人とゴルフの話をしていて、何とか今よりいいスコアを出す方法は無いか と言う話題になった。年齢とともに落ちてくる飛距離回復の話で、ドライバーに ついては、ウッドドライバーと言われる由縁になった、昔のパーシモンドライバー から、良く飛ぶチタンヘッド時代になり、更にロングシャフト、デカヘッドは、 昔とは比較にならない飛距離を実現した。ドライバーとボールの進歩で、グリーン までの打数は確かに減ってきたが、スコアメイクの最後の決め手はやっぱりパット であると結論付けた。プロの世界でも、色々な新しいパターを生み出し、パットの アベレージを上げている。最近宮里藍や尾崎将司、海外ではソレンスタムなど一流 選手が使って評判になった、オデッセイの2ボールパターに話が及び、試しに我々 も使ってみようと言うことになり、早速ゴルフドゥへ視察に出かけた。 パターの上面にゴルフボールと同じような白いマークが印刷されていて、アドレス したとき打球面からボール3つが直線状に並んで、ホールに向かって狙いやすい との思惑だが、実際打ってみると、確かに入りやすい事は認められた。 早速店に注文し、明日取り寄せて貰うことになった。さて、これで果たして本当に スコアが縮まるのか。楽しみなことになってきた。

『カキ氷』  Jul. 26, 2006 ▲Top
kori.jpg  暑い夏の太陽を浴びて、汗びっしょりになったあと、食べるカキ氷は何と言っても、 最高の食べ物だ。一口食べると、体中の汗が一気に引いていくのが分かる感じがする。 好きなのは、抹茶金時だ。抹茶の緑と、中に入っている小豆の甘みが疲れを取って くれる。昨日7月25日は、かき氷の日だった。「な(7)つ(2)ご(5)おり」 の語呂合わせから、日本かき氷協会が制定していた。またこの日は、日本最高気温の 40.8度が山形で記録された日にちなんでいる。山形盆地特有のフェーン現象により、 1933年のこの日、山形県で日本の最高気温が記録されている。カキ氷の歴史を調べて 見ると平安時代に清少納言の『枕草子』に、金属製の器に氷を刃物で削った削り氷(けずりひ) に蔓草の一種である甘茶蔓(あまちゃづる)・甘葛(あまかづら・あまづら)の甘味の ある樹液である露をかけたとして、「削り氷にあまづら入れて、あたらしき金鋺(かなまり) に入れたる」と記されている。カキ氷の作り方も地域によって方法が違っていて、 大阪では氷の上にタレをかけ、東京ではタレを先に入れて氷を上から乗せている。また、 東北ではタレの上に氷、そしてその上から更にタレでサンドするとか、いろいろだ。

『名刺』  Jul. 25, 2006 ▲Top
 サラリーマン生活に終止符を打つと、会社から支給されていた名刺が無くなり、 初対面の人に会うとき、名前を名乗っても記憶してもらえるのかどうか不安になる。 日本人には、初対面の人と会うとき、どうしても名刺は必需品だったと思う。 最近は、パソコンで自分の名刺をデザインして印刷し、持ち歩くようにしている。 昔、外国人がビジネスで日本に来たとき、初対面の相手でも名前を名乗ると、即座に こちらの名前を覚えて、会話の合間に名前を入れながら、話をしていた。当時彼らは 名刺交換等の習慣はなかったようで、名刺を貰えなかった我々は、相手の名前を 聞いても、慣れない横文字の名前は簡単には覚えられなかった。 後には、彼らは学習して、日本に着くと、すぐにビジネス用にカタカナ名前の名刺を 印刷させて、我々に差し出すようになった。多分、名乗っただけではなかなか名前を 覚えてくれない日本人と、スムースな商談するための生活の知恵だったのだろう。 名刺の出し方は、必ず目下の側から、目上の人に差し出し、目上の人が自分の名刺を 受け取るのを待ってから名刺を頂くのが礼儀だ。名刺を頂いたら、一応全てを良く見て 読み方などを確認しておくのが正しい貰い方。なお、初めての人から名刺を貰った場合 忘れないうちに、何時どんな方だったか特徴的なことを書き込んでおくと、次に会った 時に、すぐ話題を切り出せるので便利だ。

『浴衣』  Jul. 24, 2006 ▲Top
浴衣の写真  最近は浴衣を着る機会が本当に少なくなったが、夏の代表的な衣類と言えば、やっぱり 浴衣が一番だろう。浴衣の由来は、安土桃山時代頃から、湯上りに着て肌の水分を吸い取らせる ための「湯帷子」(ゆかたびら)という衣類が、ひろく用いられるようになり、これが江戸時代に 入って、庶民の愛好する衣類の一種となった。浴衣とは、木綿で作った単衣(ひとえ)の着物を言う。 浴衣は生地が薄く、開放的で風通しがよいことから、外出用の他、寝巻きとしても愛用され、 寝苦しい夏の夜を、快適に過ごす衣類としても人気がある。 夏の蛍狩り、花火見物、盆踊りなどには、浴衣が代表的な外出着となる。今でも、旅館等で 出される浴衣は、寝巻き代わりだけでなく、外出するときに着用すると、旅館毎に異なる 浴衣の紋が目印となり、土産店等での買い物の際、特別扱いされることに繋がったりする。

『手紙』  Jul. 23, 2006 ▲Top
 インターネットが普及したお陰で、最近は殆ど手紙を書くことが無くなった。 偶に、荷物など送るとき、中に挨拶を含めて、近況を書いた手紙を入れること はあるが、殆どが電話か、メールで済ませてしまう。相手によっては電話やメール では失礼もあるので、手紙に限られるケースもあるが、今では1年に数回もない。 一番書いたのは、50年位前の学生時代だが、遠く離れた恋人と母親には、毎週 1〜2度は書いていた。何を書いていたか今は覚えていないが、毎回便箋10枚位は 書いていたから、良くそんな話題があったと思う。たぶん、今なら退屈な日常生活を 細かく報告していたのだろう。当時はテレビも無く、日常の娯楽と言っても精々 ラジオを聴くぐらいだったので、手紙を書くのは、暇つぶしの娯楽みたいだったの かも知れない。電話で話せば1〜2分で済むような内容でも、お互いの間で、何度か 手紙をやり取りして、初めて話が伝わる訳だから、内容も膨らんだ事だろう。 結婚したばかりの頃、お互いの荷物の中に、その頃の手紙を仕舞っていたが、 引越しの度に、整理したのか、いつの間にか全て分からなくなった。きっとまだ 何処かに仕舞い忘れたものがあると思うが、出てきたら懐かしいだろうな。

『切腹』  Jul. 22, 2006 ▲Top
 唐突な話題だが、究極の責任の取り方に、『男なら腹を切れ』と言う台詞が出てくる。 人にはプライドと言うものがある。昔は、高い地位にいて、尊敬され、 人を支配するような立場の者は、死ぬ間際まで、そのプライドを失わず、 誰からも敬われるような最後を全うすることを、生きざまとしてきた。 日本の武士道は、西洋の騎士道にも通じるが、人の尊厳にはそのプライドが 大きくかかわっていた。騎士道では相手から侮辱を受けたら、例え敵わぬ相手 でも潔く決闘を申し込み、命を掛けてプライドを守った。武士道でも、同じ様な 決闘の儀式はあった。武士が辱めを受けたとき、最後の手段は切腹で自らの命を 絶つことにより威厳を保った。小説の中にも、人に受けた辱めを返す為に、 相手の目の前で腹を切り、自らのはらわたを相手に投げ付けて、逆に 相手を辱めたと言うくだりもある。切腹は男にとって、最後の威厳を現したもの だった。武士は戦闘員だから、戦場で死ぬのは当たり前、日常から死に対する 恐怖心など乗り越えている・・・というのが建前であった。どうせ死ぬなら、 華々しく散りたい、その方法論として切腹があったのであろう。切腹しろとは 言わないが、最近自らの責任の取れない人間が多い。

『二枚目』  Jul. 21, 2006 ▲Top
 最近は美男子のことを、「イケメン」と言う呼び方が定着しているが、昔は映画等で、 いい男役を演じる俳優を「二枚目」と呼んでいた。男前、美男子、ハンサム等は全て 二枚目と呼んできた。二枚目の語源は、江戸時代の芝居小屋では正面に役者名の書かれた 看板が掲げられていて、一枚目に主役、二枚目に美男役、三枚目に道化役の名前が 書かれていた事による。二枚目の美男の役者には、男女の愛のもつれを演じる「和事師」、 男女の濡れ場を演じる「濡事師」等があり、「濡事師」は「色男」の語源にもなっていた。 「二枚目」のいい男に対して、「三枚目」は人を笑わせるコミカルなキャラクターを指していた。 「二枚目」とか「三枚目」という呼び方は、この芝居の世界から始まったもの。 では実際に、今の歌舞伎の世界で「二枚目」「三枚目」という言葉がひんぱんに使われて いるかというと、必ずしもそうではなく、むしろこの言葉は映画の華やかなりし頃の流行語で あって、古くから使われたものではなかった。今では笑いを取れる役者を「三枚目」 と呼ぶことがあっても「二枚目」と言う言葉はほとんど使われていないようだ。

『地球温暖化』  Jul. 20, 2006 ▲Top
 人類の進歩は、地球上の化石燃料を消費し尽くし、その結果地球温暖化を促進し、 大気の汚染を続けている。今後100年かけて気温は更に1.4〜5.8℃上昇すると予測 されている。この現象は、海水面の上昇、降水量の変化やそのパターン変化を引き 起こすと考えられている。このような変化は激しい気象現象を増加させる可能性も ある。考えられるものとしては、洪水や旱魃、酷暑やハリケーンの増加、農業への 影響、生物種の絶滅等がある。 温暖化はこれらの発生頻度を増加させ、その規模も大きくすると考えられる。 今年に限ったことだけでなく、この数日間の天候も、明らかに過去の記録を超える ような、異常な降雨量で各地に河川の氾濫や堤防決壊、土石流災害を起こしている。 この自然災害は、日本だけでなく、アジア全土、ヨーロッパ、アメリカ大陸に おいても起きていて、個々の現象を温暖化と直接結びつけるのは、現在のところ 非常に難しい。しかし、その将来への影響が大きいならば、地球温暖化はより深刻に 検討するべき重要な問題である。

『弁慶の泣き所』  Jul. 19, 2006 ▲Top
benkei.jpg  昨日、いつものフィットネスへ出かけた時、自転車のペダルに足を乗せ損なって、 思いっきり向こう脛をペダルにぶつけた。この向こう脛は、皮膚のすぐ下、骨(脛骨) のすぐ上を神経が通っている場所。弁慶ほどの豪傑でもここを打てば、涙を流すほど 痛いとされる非常に痛みの強い急所である。 弁慶は、平安時代末期の僧兵で、本名は武藏坊辨慶。五条の大橋で源義経と出会って 以来、義経に最後まで仕えたとされる。講談などでは義経に仕える怪力無双の荒法師として 名高い。弁慶ほど強くも無い私では、ぶつけた瞬間、息もできないほどの痛みで悶えた。 ぶつけた脛は、あっという間に大きなこぶが出来た。内出血が始まったことを示している。 しかし、今はとりあえず何とか家までたどり着かなければならない。痛い脛を庇いながら ペダルを漕いで家路を急いだ。泣きべそをかきながら、家にたどり着くと、家内が傷口に 消毒のオキシュールを付けてくれたが、傷痛みより、薬のしみる方がもっと痛い!! 大声あげて痛みを堪えた。傷口にガーゼを当てて、上からシップ薬を貼って包帯したが、 既にこぶは大きく腫上がっていた。幸い手当てが良かったか、今日は腫れが引いている。

『メバル』  Jul. 18, 2006 ▲Top
メバル  メバルは、体色が黒っぽく、魚体はそれほど大きくないが、目玉が大きくその分 目がいい魚と言われてる。眼が大きいから"眼張"とそのまま付けられた名前に 違いない。ハリスが太いとすぐ見破られて餌の食いが悪くなる。 とくに浅場のクロメバルではハリスは出来るだけ細くし、針なども刺さりのいい メバルバリを使う。メバルは針がかりしても、それほど暴れないので、細いハリスでも 切れる心配は少ない。沿岸の浅い岩礁地帯が生息地で、海藻や岩の壁面に頭を水面 に向け、立ち泳ぎする姿を良く見かける。根魚と思われている魚だが、普段は海底 から若干浮いて生活している。実際の釣り場ではウキ下1.5mくらいで釣ることが多い。 旬は冬から春で、春告げ魚とも言われている。釣りえさは生きたシラサエビなどを よく使うが、夜釣りでは生きのいいゴカイも有効だ。メバルは普段群れを作っている ので一旦釣れ始めると続けて釣れることが多い。強力な毒こそないが、エラや背びれ の棘が鋭いので、扱う時は手袋やタオルなど用意したほうが安全だ。うっかり刺され るとしばらくは痛むのを覚悟しなければならない。食べ方としては、塩焼き、から揚げ、 醤油で煮付けても美味い。若干小骨が多くて手間は掛かるが、脂肪分が少なく淡白な 白身魚として人気がある。

『魚釣り』  Jul. 17, 2006 ▲Top
チヌ  魚釣りは、夫婦で好きなので、潮の加減を見て、月に3〜4度は出掛けている。 気候の良い時期は、昼間の釣りが多いが、夏の暑い時期は夜釣りがいい。今の時期の 昼間なら、キスがねらい目だ。キスの当たりは、餌を食ったとき、大きく引き込み、首を 振るように餌をとるので、分かりやすく針に掛けやすい。チヌや青ベラが釣れた時の 力強さは、釣り上げるまでのファイトが楽しい。昼間の釣りは、外道のふぐが 多くて、油断するとすぐ針を噛み切って持って行かれて、針の交換が忙しい。 夜釣りでは、食べて美味しいメバルが狙いだが、無論チヌでも文句は無い。 メバルは普段、立ち泳ぎのような格好で海の中層に待機していて、餌を降ろして 行くと、一気に飛びつくように食って、ウキを引き込むので、当たりは分かりやすい。 そんな時慌てずゆっくり合わせてやると、簡単に針掛かりする。 昨年までの夜釣りはチヌが多かったが、幸い今年はメバルが良く釣れ、まだチヌの 姿は見て無い。この20年ほどの釣り日誌を付けているが、よく釣れる場所と、 釣れる魚は大きく変化している。 昨年迄釣れていた場所でも、今年は釣れなかったり、魚種が変わっているのは、 台風などの影響で、海岸の地形が絶えず変化しているのが原因と思う。

『胃潰瘍』  Jul. 16, 2006 ▲Top
 神経質な人は、胃潰瘍になり易いといわれている。潰瘍が起きる原因は 弱った胃の中が自分の胃液によって溶かされて、炎症を起こすからである。 胃液は塩酸の一種で、鋼鉄でも溶かすほど強力な液体なのだ。胃の粘膜は その強力な酸から胃壁を守る為、神経を張り巡らし、更に粘液の幕との協同 作業で、ガードしているので心身が正常な限り、胃酸から守られているのだ。 しかし、胃壁を守る神経が、強いストレスや酒やたばこ、薬などで弱ると 自分の胃液によって、胃・十二指腸の粘膜を自分で消化してしまい、部分的に 組織が犯されてしまう。胃潰瘍は、中年以降に多く、十二指腸潰瘍は、青年 ・壮年に多く見られると言う。食後に腹痛が起きる場合は胃潰瘍、食前に 痛む場合は十二指腸潰瘍である場合が多い。また、慢性胃潰瘍はピロリ菌の 感染が原因の場合もある。日本人の中高年の7〜8割の人がピロリ菌に感染 しているが、そのなかで慢性胃潰瘍にまで進行するのは約2〜3%、胃がんに なるのは0.5%程度と言われている。ピロリ菌の感染経路はよく分かって無い が、感染すると、むかつきや胃の不快感、軽い上腹部痛などが起こり、1週間 ほどで治まり、その後は何の症状もないので、気づかない場合が多い。

『お盆』  Jul. 15, 2006 ▲Top
bon.jpg  お盆の明確な起源は分からないが、1年の春と秋の満月の日に、先祖の霊が子孫の もとを訪れて交流すると言う行事があったが、初春のものが祖霊の年神として神格を 強調されて正月の祭事となり、初秋のものが盂蘭盆(うらぼん)と習合して、仏教の 行事として行なわれるようになったといわれている。盂蘭盆とはサンスクリット語 「ullambana(ウラムバナ)」を音写した言葉。そしてその盂蘭盆は、本来陰暦の 7月15日に行われてきた仏事をさしてきたが、最近では国民的な夏休み休暇を取るため の手段として、8月13日から15日にお盆の仏事を行うことが多くなってきた。しかし、 今でも7月に仏事を行う地方も多い。盆のしきたりとしては、13日の夕方に迎え火を焚き、 先祖の霊を迎え、僧侶によりお経や飲食の供養をする。16日の夕方、送り火を焚き、 先祖の霊を送り出す。「盂蘭盆」を「お盆」や「盆」と省略して呼ぶようになった のは、先祖の霊をもてなすためにお盆に供物などを盛ったことからきたもので、平らな 形状の器のお盆が元である。

『土用のうなぎ』  Jul. 14, 2006 ▲Top
unagi.jpg  暑い夏がやってきた。暑さでバテた体力を回復するため、昔から栄養価の高いうなぎを 食べる習慣がある。今では土用の丑の日は、誰もが精力の付くうなぎを食べている。 土用の丑の日にウナギを食べる習慣は、江戸時代「平賀源内」が、知人の鰻屋に頼まれ 「土用の丑の日」と書いて店頭に張り紙をしたところ、うなぎの人気が高まったことが 土用の丑の日とうなぎが結びついた理由らしい。 テレビ等の報道によると、年々うなぎの価格が上がっていると言う。理由は近年うなぎの 稚魚が獲れなくなり、生産量が落ちているらしい。これまでスーパー等では中国産のものが 安く売られていたが、今では中国も生活が豊かになり、自国内の消費量が増え、出荷が少なく なり、価格がやや高めになっているようだ。 嬉しいニュースは、今年うなぎの稚魚が大漁だったので、来年以降はうなぎが安くなるかも。 今年の土用の丑の日は7月23日だが、当日は品薄で価格も高くなるかと先読みして、 昨日中国産のものを安く買ってきて食べた。 念を入れて山椒をたっぷり掛けて食べたが、柔らかくて味も十分美味しかった。 これで気分的にも少しは夏ばて対策になったに違いない。

『新居浜コンガ踊り』  Jul. 13, 2006 ▲Top
conga-1.jpg  7月に入ってから、夕方になると各地区の自治会の広報塔から案内放送が流れてくる。 この時期お決まりの新居浜コンガ踊りの練習の始まりだ。今年は8月5日(土)18時〜21時に 行われることになっている。職域連のほか各サークル連や自治会連など、様々な踊り連が その日のために練習を繰り返していて、夜遅くまでコンガの曲が流れている。コンガ祭りは 平成3年、新居浜市の商店街連盟が、年々寂れ行く街を活性化させようと生まれたもの。 新居浜市には秋の行事として有名な太鼓祭があるが、新居浜コンガ踊りも新しく夏の風物詩として 育ってきた。今では市外からの観光客も増え、四国最大の踊りである阿波踊りや、よさこい踊り とも並ぶ踊りへと大ブレイク中である。現在コンガ踊りにはオリジナル曲の他に、アレンジ された曲も誕生している。また踊り方にも、それぞれの連が創意工夫を凝らし、新しい 振り付けも加わり、見せる新居浜コンガ踊りとして市民に受け入れられて来た。 年々踊りの参加者も増え、今年も2000人以上の踊り連が競宴し躍動する予定だ。

『アクセス数』  Jul. 12, 2006 ▲Top
 ZENさんのホームページも、開設以来来月で満10年になる。その間の訪問者数も、 まもなく50万人になろうとしている。毎日の訪問者数を計算して見ると、10年間 3650日として、50万人を割ってみると、一日平均137人の訪問者があったことになる。 開設当初はまだインターネットが始まったばかりで、アクセス環境は未整備だったので、毎日の 訪問者は一桁か二桁の下のほうだったと思う。このホームページの特徴は、新居浜の太鼓祭り が売物だったので、毎年お祭り前後の一時的アクセス数は、いつもの日より極端に多く数十倍に なっていた事もある。また近年は海外からのアクセス数も増えているなど、訪問者の 居住地も広がっている。因みに日本国内6月のアクセス解析ベスト10は、
1位 愛媛県 495  48.05%    6位 埼玉県 40  3.88%
2位 東京都 105  10.19%    7位 千葉県 25  2.42%
3位 神奈川県 83   8.05%    8位 兵庫県 20  1.94%
4位 香川県  79   7.66%     9位 広島県 19  1.84%
5位 大阪府  61   5.92%    10位 滋賀県 12  1.16%
そして、今週中にはいよいよ50万人目を達成する日が来るようだ。果たして誰が記念する 50万人目の訪問者になるのか、もし申告があれば、何か記念を考えるべきかな。

『がんば亭』  Jul. 11, 2006 ▲Top
 愛媛県内にお住まいの方なら、写真のような看板のお店を見かけたことがあると思う。 ファーストフードのうどん屋で、愛媛県内に11のチェーン店を持っている。店は朝10時半 から深夜2時頃まで営業していて、国道に面した十分な駐車場と共に展開している。 メインのうどん、そばのほか、いなり・おにぎり・わかめごはん・ちらし寿司、ドリンク類も 充実、店内ではお茶、水および後始末も全てセルフサービスに限られている。無論その分 価格は安く、好みのトッピングの選択にもよるが、二人で500円程度あれば十分食べられる。 店に入ると、お盆を手にして好みのうどんまたはそばの選択と量(小or大)を注文すると 1分程度で出来上がる。後はお好みのトッピングとして、揚げ物類を選択し、無料のねぎ 等乗せて、カウンターで勘定を払う。後は好きなテーブルへ運んで頂く。食べ終わると 洗い場の棚にお盆ごと戻せば食べ終わりとなる。入店から出るまで僅かに10分ほどで 食事が終了と、超ファーストフードで、満腹感を味わえるお気に入りである。

『ホタルの生態』  Jul. 10, 2006 ▲Top
hotaru-1.jpg  ホタルとは、ホタル科の甲虫の総称で、世界中には約2千種類が生息分布している。 日本では、よく知られている小型のヘイケボタルと大型のゲンジボタルのほかに約40種 ほどが発見されている。ホタルは腹部に光を発する組織を持ち、青白い蛍光色を発するが、 発光しない種類もある。主に熱帯から温帯の雨の多い地域に分布し、日本では本州以南の 各地に生息するが、南西諸島にはより多くの種類が見られる。 オスとメスを比べるとメスのほうが大きい。メスは翅が退化して飛べない種類もあり、 さらには幼虫のままのような外見をした種類もいる。 成虫は異性を求める交信に発光を用いる種類は、より明るく光るものの、そうではない種類 では光らなかったり、微弱にしか光らないものも多い。 普通ゲンジボタルの成虫は初夏に発生するが、必ずしも夏だけに出現するものではない。 たとえば朝鮮半島、中国、対馬に分布するアキマドボタルは名前のとおり秋に発生する。

『ホタル』  Jul. 9, 2006 ▲Top
yochu.jpg  ホタルのシーズンがやってきた。小学生の頃、疎開先の家の近くの田んぼに、近所の子と うちわを手に、ホタルを取りに行ったことがある。田んぼの近くで、すいすい飛んでいる ホタルは、足元が暗くてなかなか思うように取れなかったが、あぜ道に止まって光って いるホタルは簡単に手で取ることが出来た。何匹か光っているホタルを虫かごに入れて家に 帰り、明るい部屋の中で見たものは、全て気持ちの悪い姿をしたホタルの幼虫だった。 まだ羽化していない幼中なので、簡単に取れたわけだが、真っ暗な田んぼでは姿まで は気がつかなかった。幼虫でもお尻の発光体は光を出していたので、ホタルの成虫と 思い込んで、捕ってきたものだった。初めて見たホタルの幼虫は、グロテスクで気持ち 悪い虫にしか見えず、あわてて田んぼに捨ててきたことは言うまでもない。 青白い光を放つホタルは夏の可愛い風物詩だが、子供の頃のこの思い出は、今でも忘れる ことができない。

『体感温度』  Jul. 8, 2006 ▲Top
 梅雨も終わりに近づき、嫌でも本格的な暑さが続く毎日になってくる。気温が30度を 超えてくると、体には耐え難い暑さとして感じるが、同じ30度の温度でもお風呂に 入ったときの湯温が30度なら、決して熱いとは感じなくて、むしろ、冷たいとか ぬるいとか感じるのはなぜなんだろう。同じ30度なのにどうして感じ方が違うのだろう。 それは「熱の伝導率」の問題で、空気は熱の伝導率が悪く、皮膚の表面には30度の気温 よりも高い温度の空気の層が常にまとわりついている。逆に水の場合は、伝導率が空気の 20倍以上もあるので、皮膚はダイレクトに温度を感じる事ができるのである。 従って、人は外気中では気温以上の温度を、皮膚に感じているという事になる。 逆に、風が吹くと涼しく感じるのは、まとわりついてる空気の層が体の表面から蒸発して 温度が低くなったと感じるわけだ。 湿度が15%増えると気温が1〜2度上昇した感じになるといわれる。我々の体は、暑くなると 皮膚の血管が拡張し、血液が体の表面付近に集まり汗を出して体温の調節を行っている。 このとき湿度が高いと、汗の蒸発が妨げられ、熱が体内にこもって暑く感じるが、 逆に湿度が低いと、汗をかいてもすぐに蒸発するので、皮膚表面もサラッとしてそれほど 不快感を感じにくくなる。周りの環境から上手に除湿できるかどうかで、快適さの度合いは 大きく異なってくるものである。

『七夕』  Jul. 7, 2006 ▲Top
sendai.jpg  7月7日は「七夕の日」。七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、 年に一度のこの日に、天の川を渡って、織女と牽牛が出会うと言う伝説が元に なっている。本来旧暦の7月7日の夕、七夕(しちせき)が、布を織る機(はた) の名である「たなばた」と呼ばれるようになったと言う説と、古くから農村 地域では、豊作を祈り種を撒く「種播祭り(たなばたまつり)」が存在して いたため、宮中で行われていた「しちせき」が民間に広まった時に混同され、 「たなばた」と呼ばれるようになり、日本固有の行事となったとされている。 中国では七夕に、女子は色糸を結び、7本の針とウリを供えて、手芸・裁縫の 上達を祈るという。日本では機織りだけでなく、字も上手になるとされ、 朝露ですった墨で短冊に詩や歌を書き、笹に吊して、織女星に供えてきた。 七夕の飾りは、5色の色紙短冊に願い事などを書き飾りつけ、翌日には飾り付けた 笹を川原に流すと言う風習が残されている。

『寝る子は育つ』  Jul. 6, 2006 ▲Top
 昔から、健康優良児と言われるような子供を見かけると、寝る子は育つと よく言った。確かにすくすくと健康に育っている子供は、規則正しく生活し、 正しい睡眠をとる生活をしていた。正しい睡眠は健康に育つ根拠があるのだ。 人は浅い眠りと、深い眠りを繰り返して睡眠している。眠り始めの深い眠り とその次の深い眠りの時に、脳下垂体から成長ホルモンが多量に分泌される。 このホルモンが身体の成長や疲労回復などを促進させて、健康維持にこの 適度な睡眠が不可欠なのだ。特に子どもの健康な心身の発育のためには、 良質な睡眠をとることが大切なのである。 しかし、最近の傾向としてテレビゲーム等で、睡眠時間が不足している 子ども達が多くなっている。今の日本社会はあらゆる面で夜型となっており、 このため多くの子ども達が睡眠不足により、多彩な心身の異常や変調を 来していると言われている。昔に戻って「早寝早起き」といった忘れ去られ た習慣をもう一度見直す必要がある。

『馬鹿力』  Jul. 5, 2006 ▲Top
 普段より数倍の力を発揮する馬鹿力は現実に起きる現象で、俗に言う火事場の馬鹿力だ。 人間の筋肉構造は筋繊維で出来ていて、脳からの指令で筋繊維の収縮作用が行われている。 筋繊維の働きで体の動きが制御されているが、普段は持てる力の50%程度の能力で 働いている。それは、日ごろからフルに筋繊維の能力を発揮していると、筋肉に余裕が なく、簡単にダメージを与えてしまう恐れがあるので、自然に抑制されているものだ。 しかし、緊急時にはそのリミッターが外れ、運動神経と交感神経が筋肉に対して 直接働くようになり、俗に言う「火事場の馬鹿力」が発生する。年老いた老婆が、 火事場に取り残された、自分より大きな病人を担ぎ出したなどという話を聞いたことが ある。緊急時には特別のアドレナリンが出て、日ごろには考えられない程の力を発揮しても 不思議はないのである。

『梨の日』  Jul. 4, 2006 ▲Top
 七月四日は、語呂合せで梨の日とし、久見にある二十世紀梨「百年樹」前で 「梨の日」制定行事が行われた。これは、鳥取県に二十世紀梨が導入されて 百年になることにちなんだもので、東郷町二十世紀梨を大切にする町づくり 委員会が語呂合わせで七月四日をナ(七)シ(四)の日としたもの。 又現在市場に出回っている梨の品種の八割は、二十世紀梨の血を引き継いでおり、 赤梨の代表的な品種である幸水梨も、二十世紀梨の孫にあたる。 梨は、数少ない日本古来の果物とされ、今から1300年くらい前に書かれた 『日本書記』に、梨の栽培が奨励されたと書かれている。 『万葉集』以降にも、梨の花が読まれた歌が数多くあり、古い書物にも 度々出ている。二十世紀梨は、明治21年千葉県松戸市で松戸覚之助という13歳の 少年によって松戸市内で偶然発見された。それまで梨といえば果皮が茶色の赤梨 であったのに対し、「色は淡緑色で肉質がやわらかく、水分が多くて口の中に 入れるとあまさが広がり、とけるような美味しい梨」として注目を集めた。 この梨は、発見者の経営する果樹園で栽培され、いくつかの品評会でも高い評価を 受けることになる。偶然発見した梨の樹は、1898年「二十世紀梨」と命名され、 後に鳥取県へ導入され広まった。 今では20世紀梨は鳥取県を代表する果物として全国一の産地となっている。

『隠語』  Jul. 3, 2006 ▲Top
 かって民主党の永田議員が、偽メール問題で国会を混乱させるきっかけになった時、 小泉首相は、メールはガセネタだと決め付けた。後にガセネタと言う言葉について、 いろいろな解説が行われて、ガセとは元はテキ屋の隠語として使われていた言葉。 ガセの語源は「お騒がせ」の「がせ」で、本物ではないのに人騒がせということで、 「偽物」の意味となったと知った。同じような隠語で、インチキ、イカサマ、デマ等が あるが、インチキも、明治時代の賭博打ちの隠語で、不正手段を使う詐欺的賭博の ことを意味する。インチキという語が一般化したのは昭和に入ってからで、それまでは 「イカサマ」という言葉が広く使われていた。インチキの「イン」は「イカサマ」の 「イカ」から変化し、「チキ」は「高慢ちき」や「とんちき」など人の状態を表す 接尾語「ちき」からとされている。デマとは、根拠のない、いい加減な噂話のこと。 デマは、扇動・扇動政治を意味するドイツ語「デマゴギー(Demagogie)」を略した 言葉。こうしてみると、彼らの使う隠語がいつの間にか我々一般人の間で、ごく普通に 使うようになった背景は、やはりマスコミの影響なのだろう。

『うどん』  Jul. 2, 2006 ▲Top
 日本人は本来麺類が好きな国民性がある。麺類にも和食文化のうどん、そばの類と、 西洋系文化のパスタがあるが、今日は和食文化のうどんそばについて書いてみたい。 うどんは、もともと奈良時代に中国から伝わったもので、日本に伝来したころは、今の ようなものではなく小麦粉を練って皮にし、肉や野菜等を包んで煮た「こんとん」 と呼ぶ団子状のものだった。小麦粉をこねて切るという現代のような形になったのは 室町時代以降といわれ、呼び方も「こんとん」から「うんとん」、「うどん」へと 変わってきた。その後、食文化として大きく開花してきたのは江戸時代中期のこと。 面白いのは、関東ではうどんよりそばの人気が高く、関西ではうどんが中心に伸びた。 最近では、讃岐地方のうどん文化が、同じ関西圏でも少し違った文化を持って発展し、 腰のある独特の讃岐うどんとして人気が高く定着している。人気の高い讃岐うどんの 食べ方には、店は素うどんをどんぶりに容れてだし、客が適当に出し汁やねぎ等の他、 好みのトッピングを加えて食べるスタイルの店が流行っている。当然店側の手の かからない分、安い価格で食べられるメリットが受けているのだろう。

『文月』  Jul. 1, 2006 ▲Top
 光陰矢の如しとはよく言ったもので、今年もはや半年が過ぎて今日から7月だ。 昔から、旧暦7月を文月(ふみづき、ふづき)と呼び、現在では新暦7月も別名として 使っている。文月の由来は、七夕の日に短冊に歌や字を書き、笹の葉に結わえて、書道の 上達を祈った七夕の行事に因み、文月というようになったとされる。もともと七夕の行事は 奈良時代に中国から伝わったもので、古来の日本にはなかったもの。そこで、稲の穂が含む 月であることから「含み月」「穂含み月」の意であるとする説もある。 7月の行事としては、7月1日の海開き、富士山の山開き、7月15日博多祇園山笠(博多)追山 7月17日祇園祭(京都)山鉾巡行などが行われる。また、年によって異なるが、7月中旬は 日本列島の梅雨が一斉に明ける。一般に、南の地域ほど梅雨の到来は早く、沖縄は5月中旬 から6月下旬、東北・北陸では6月下旬から7月下旬頃となるのが平均的である。 梅雨明けの直前は豪雨になることが多く、逆に梅雨明け後から8月上旬くらいまでは 「梅雨明け十日」と言って天候が安定することが多い。

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