『世界禁煙デー』  May. 31, 2006 ▲Top
 今日(5月31日)は世界禁煙デー。これはWHOが1989(平成元)年に定め、喫煙者 には24時間喫煙を控えるように訴え、喫煙と健康について考えるよう警告している。 日本では、この日から一週間「禁煙週間」としている。 たばこの煙には、ニコチンやタール、など数多くの有害物質が含まれており、心臓病、 脳血管疾患、呼吸器疾患などの原因や死亡に深く関わっている。 また、歯周病や低体重児の出生、流・早産の危険因子でもある。さらに、たばこを吸わ ないのに、たばこの煙を吸わされている受動喫煙による健康被害も含まれている。 喫煙者が吸うたばこの煙は「主流煙」と言い、たばこの火から立ち上る煙を「副流煙」 という。副流煙は、フィルターを通過しないで、直接空気中に漂うので、体に悪影響を 与える物質が、主流煙より2〜4倍も多く含まれている。 現在、世界中の喫煙者は10億1000万人も居て、約5人に1人が喫煙者と言うことになっている。 毎年世界中で300万人が、喫煙が原因とみられるがんや心臓病で亡くなっており、このまま では2030年代初頭には、喫煙による死亡者が年間1000万人に達するとWHOは警告している。

『亀田興毅』  May. 30, 2006 ▲Top
 亀田興毅の次回挑戦相手が決まった。ライトフライ級1位のファン・ランダエタ(27) ベネズエラの選手だ。試合会場は横浜アリーナなので、大勢の見物客が入れる。 この試合で、亀田家では、小さな子供や家族連れにもボクシングを楽しんでもらおうと、 特別に500円の席も数千枚発売していると言う。反面リングサイド席は10万円と 幅の広い価格を設定しているのが面白い。亀田にとって世界戦は初挑戦だが、何時もの 小憎らしいコメントで、チャンピオンベルトの奪取談話を撒き散らしている。 これまでの戦績は11戦11勝(10KO)で、でかい口をたたくだけのファイトは しているが、世界戦は話は別だと思う。亀田興毅の通常ウエイトはフライ級なので、 ライトフライ級は5kgの減量が必要となる。本人は5キロくらいの減量は簡単に落ちる と豪語しているが、8月2日までに体調を整えて、口先だけでないファイトを是非見たい ものだ。

『ジャワ島中部地震』  May. 29, 2006 ▲Top
 27日未明に起きたインドネシアジャワ島中部のジョグジャカルタ地方を襲った地震で 5000人以上の死者が出ていると報道されている。都市部の人口は約60万人と言われているが、 まだ相当の被害者が倒壊した建物の下に居ることが予想され、死者の数はまだ増えるかも。 ジョグジャカルタには5年前の2月に、学生時代の仲間と、訪れたことがある。 ここには有名な仏教寺院ボロブドール遺跡や、プランバナン寺院群といった世界遺産があり、 今もスルタンの末裔が知事として住んでいる王宮も残る、インドネシア最大の観光地として 知られている。今回の地震でボロブドール遺跡の被害は無かったようだが、 ブランバナン寺院群は相当の崩落があったと報道されている。近くにムラビ山と言う活火山 があり、いつも噴煙を上げている。今回の地震で活動が活発になり、火砕流による被害も出ている。 もともと、19世紀はじめ、この遺跡は火山の溶岩と密林に埋もれていた。それをヨーロッパ 人が発見し発掘したもの。しかし、だれが何の目的でつくられたのかわかっていない。 8〜9世紀頃に建てられたものらしいが、寺院とは言いがたい仏教遺跡だ。 ブランバナン寺院群も、謎が多い。

『ゴルフの日』  May. 28, 2006 ▲Top
 今日5月28日はゴルフの日である。スポーツ用品専門メーカー・ミズノの直営店 ・エスポートミズノが1994(平成6)年に制定している。 1927(昭和2)年、第1回全日本オープンゴルフ選手権大会が横浜の保土ヶ谷ゴルフ場 で開催され、17名の参加者で争われ、アマチュアの赤星六郎が2位以下の プロゴルファー達に10打以上の差をつけて優勝している。 アメリカのプリンストン大学に留学していた赤星六郎氏は、1924(大正13)年 パインハーストスプリングトーナメントにも優勝している。彼には兄、赤星四郎が いて、彼自身も日本アマに2回勝った一流ゴルファーだった。この赤星兄弟は、 日本ゴルフ界草創期のプロを指導し、近代ゴルフの礎を築いた大功労者である。 赤星六郎は日本のゴルフコース設計の歴史で、はずすことの出来ない一人で 「相模カンツリー倶楽部」の設計を手掛けた事は有名で、芸術的といわれる名作。 他にも名門、「我孫子ゴルフ倶楽部」がある。兄、赤星四郎の代表作にはカナダ カップが行われた霞ヶ関カンツリー倶楽部東コースがある。  1979年(昭和54年)日本ゴルフ協会は、創立55周年記念事業の一つとして、ゴルフ ・ミュージアムを設立し、昭和57年(1982)5月21日には開館式が挙行された。 ここには日本のゴルフ界に活躍した先人たちの記念品や遺品を展示し功績を讃える 傍ら、ゴルフの発展進化に不可欠なクラブ、ボール、文献等を収集しゴルフ文化の 啓発に貢献している。

『海軍記念日』  May. 27, 2006 ▲Top
 明治38年5月27日(1905年)、日露戦争中の対馬沖で日本帝国海軍連合艦隊と ロシアのバルチック艦隊が、ついに遭遇。東郷平八郎元帥率いる日本帝国連合艦隊は、 当時世界最強と言われたロジェストウェンスキ−提督率いるロシアバルチック艦隊の 3隻を残しすべて撃沈。残る3隻もすべて捕獲するという前代未聞の大勝利を挙げた。 この結果、ロシア海軍は事実上崩壊し日露戦争は一気に終結に向かう事になった。 戦争前これを記念して5月27日は海軍記念日となったが、敗戦とともに廃止された。 あれから101年も経ったのだ。現在の海上自衛隊も、この日の前後に基地祭などの祝祭 イベントを設けている。この海戦に勝った我が帝国艦隊を勝利に導いた東郷 平八郎は、 明治・大正期の日本海軍の司令官として、日清・日露戦争の勝利に大きく貢献し、日本 の国際的地位を引き上げ「黄色人種が初めて白色人種に勝利した」として世界の注目を 集めた。日本海海戦での敵前回頭戦法(丁字戦法)を編み出した世界的な名提督と評価 され、日露戦争の英雄として乃木希典と並び称された。 東郷平八郎元帥を祭神として東京都渋谷区の東郷神社が建立されたが、東京大空襲に よって社殿が焼失し、昭和39年に再建されている。

『物損事故』  May. 26, 2006 ▲Top
 新潟県で起きた珍しい事故のニュースを見て、地元警察のとった処理に驚いた。 深夜の事、駐車中のトラックに、乗用車が追突事故を起こした。駆けつけた地元警察 は単なる物損事故として処理したと言う。駐車していたトラックは、放置車と思われた のか追突した加害者側の事故処理だけ済ませて、警察は帰ったらしい。4時間後の明け方、 通行人が、被害にあった車の下に人が倒れているのを発見して、救急車で病院へ運んだが 搬送先病院で死亡が確認されたと言う。改めて調査したら、追突の直前、トラック の所有者が車の前に立っていたらしいが、追突の弾みで、車の下敷きになっていた。 事故現場は暗くて、状況は良く分からないまま、無人の車と勘違いしたうっかりミス。 事故処理をした署員は車体の下をよく確認せず帰ってしまったが、もし直ぐに病院に 搬送していれば、助かった可能性はあったろう。珍しい事故だが、軽率な警察の処理 には、被害者も死に切れなかった事だろう。

『もったいない』  May. 25, 2006 ▲Top
 古い時代の我々は、もったいないと言う言葉は、絶えず身の回りの出来事の中で 使われてきた。辞典では、もったいないとは、「惜しい」「おそれおおい」とある。 戦争中に育った私達は、戦後の混乱で食べ物が不足し、米粒一つ残さず食事をする ことを母親から厳しく躾けられた。ものを粗末にするとバチが当たると戒められた。 学校に持っていく弁当箱には、何一つ残さず食べることが勿体無いの精神からだった。 最近聞いた話に、日本語の「もったいない」を英語に翻訳しようとしたら、適当な 単語が無かったと言う。まさに「もったいない」は日本独特の文化なのだろうか。 戦後、アメリカの文化が日本に奔流し、使い捨て、消費経済が定着し、日本文化の もったいないが、いつの間にか忘れ去られ、消費することが経済発展を支えてきた。 しかし、世の中の消費文明は、確実に資源を無駄に使い、森林資源、石油資源、 生物資源等を失ってきた。いま、若い人達が忘れている「もったいない」文化を 見直し、ものを大切にする文化を取り戻さなければならない。

『日本初のゴルフ場』  May. 24, 2006 ▲Top
 日本初のゴルフ場がオープンしたのが、1903年5月24日兵庫県の六甲山に出来た 「神戸ゴルフ倶楽部」だった。日本最初のゴルフ場は4ホールだった。当時はホール 毎のマッチプレーだったので、ラウンドが18ホールにこだわる必要性はなかった。 初期の設立で中心になったのは六甲山頂に住んでいた英国人アーサー・ヘスケス・ グルーム氏で、私財を投じて作った。2年後の2月に創立総会を開き、9ホールに 増設して5月24日に開場式。翌年、はじめて18ホールとなった。 当時のグリーンは「サンドグリーン」と呼ばれる特殊なものだった。これは粘土を 固めた上に薄く砂をまいたもので、風の強い日にはボールが動いてしまうほどの 速いグリーンだった。また、円型のグリーンは周囲のフェアーウェーよりも30cmほど 下がっていて、今のようにグリーンに球が「乗った」とはいわず、グリーンに球が 「入った」と言っていた。 ゴルフの起原については、スコットランド説と、オランダ説があるが定かではない。 1608年に設立したロイヤル・ブラックヒースゴルフ場が世界最初のゴルフクラブ といわれ、スポーツとしての形態が整えられたのはその前後らしい。

『福西崇史』  May. 23, 2006 ▲Top
fukunishi.jpg  先日W杯サッカー選手として、ジーコジャパンの日本代表に選ばれた福西 崇史は、 愛媛県新居浜市民が自慢する地元出身のサッカー選手である。 現在ジュビロ磐田に所属しポジションはMFである。小さい頃からのサッカー少年で 神郷小学校4年のとき、地元のサッカー教室で活躍をはじめた。川東中学校を経て、 新居浜工業高校へ進学。高校時代の活躍に目を付けられれていた磐田の石井知幸 スカウトに引かれて、高校卒業と同時にジュピロ磐田に入団した。 兄の影響で幼年期から器械体操の選手として活躍していた。そのことが現在の福西の 身体能力の高さを維持しているのだろう。ボランチ福西の最大の武器は、得点力に ある。常にゴールを狙う攻撃的なボランチであることは、国際Aマッチ通算57試合 7得点の記録が証明している。 ジーコ監督の日本代表チームでは、ボランチのポジションの有力候補の1人と思う。 甘いマスクで女性フアンが多いが、既に結婚していて、子供が二人もいることは 意外に知られていない。

『ハットトリック』  May. 22, 2006 ▲Top
 サッカーを観戦していて、一人の選手が1試合に3点得点を取るとハットトリックと 言うのは、なんとなく知っていた。しかし、何故そう言う言い方をするのかは疑問だった。 そこで、いろいろ調べて見てた。元々はイギリスでさかんなクリケットで使われた用語で、 連続して3人の打者をアウトにした投手に、名誉を賛えて帽子が贈られたことに因むもの。 競技のルールにこの言葉の明示は無いが、選手にとっては実力を示す証明でもあり、世界 に通用する言葉となった。国際試合などレベルの高い試合では、得点することが難しく、 ましてや、ハットトリックの達成は大変な偉業である。日本の中山雅史(ジュビロ磐田)が、 1998年にJリーグで4試合連続ハットトリックの偉業を達成し、世界記録としてギネスブックに 認定されている。因みに1試合に6得点することをダブルハットトリックと言う。 W杯での1試合個人最多得点は、1994年の米国大会でロシアのサレンコが挙げた5点で、 ダブルハットトリックはまだ記録されていない。 なお1試合9得点はトリプルハットトリックと言う。

『福神漬け』  May. 21, 2006 ▲Top
 カレーライスのつけ合わせと言えば、福神漬けとラッキョウーが定番である。 福神漬けの人気は圧倒的だが、スパイシーなカレーに、コリコリとした食感と 独特の甘酸っぱさのラッキョウも、絶対に欠かせないアイテムには違いない。 福神漬けは、明治時代の初め頃、東京上野の酒悦創業者「野田清左衛門」が考案 した漬物で、大根、ナス、レンコン、カブ、ウリ、シソ、ナタ豆の7種類の材料 を使って、味醂醤油で下漬をしてから、水飴などを加えて、再び煮つめた味醂 醤油に漬けたもの。福神漬けと言う命名は"酒悦"の登録商標だが、今では一般的 名称となっている。福神漬けの名称の由来は、7種類の材料で出来ていることと、 酒悦のあるお店が上野不忍池に近く、弁財天に因み、七福神の連想から福神漬け と命名されたというわけ。では、なぜカレーライスに福神漬けかといえば、大正 時代に、日本郵船の欧州航路の一等船客に出されたカレーに添えられたのが評判 で、広く普及したと言われている。

『東京国際空港開港記念日』  May. 20, 2006 ▲Top
 1978年5月20日、千葉県成田市に新東京国際空港(成田空港)が開港した日だ。 1966年に千葉県三里塚に空港建設が閣議決定されてから12年かかっての開港だが、 当初予定していた開港日の4日前に空港建設反対の過激派ゲリラが、管制塔に突入し、 内部の機器類を破壊したため、この日まで開港を延期せざるを得なかった。 2004年4月1日、成田国際空港株式会社法が施行され、空港を管理する新東京 国際空港公団が成田国際空港株式会社と名称を変え民営化(特殊会社化)された。 これに合わせて、空港の名称もそれまでの新東京国際空港から一般的に呼ばれていた 成田国際空港へと改称された。 成田国際空港の敷地面積は940ヘクタール(計画1,080ha)で、東京国際空港(羽田)の 約2.6倍の規模である。 成田国際空港は,航空輸送需要の急激な増大と航空機の急速な進歩に対処できる国際 空港として1960年代に計画され、66年にその位置が千葉県成田市三里塚地区に 決定された。以来、その建設は新東京国際空港公団(現成田国際空港株式会社)により 進められた。 開港にとつて大きな障害となつたのは、航空機燃料輸送のほか設置反対者等によつて 4,000メートル滑走路の延長上の、場外に建設された反対派のシンボルタワー2基の 鉄塔であった。

『焼酎』  May. 19, 2006 ▲Top
 我が家では、お茶を入れたり、ご飯を炊くときに使う水は、水道水ではなく、隣の西条市に 出掛けて、打ち抜きの湧き水を汲んできてそれを使っている。水の入れ物には、2リットルと 4リットルの空ペットボトルに入れて普段は台所の隅に置いてある。数日前、東京からの来客が 家中の酒類を全て飲んでしまったので、一計を案じた家内は、4リットルの焼酎を買ってきた。 さすがに大きなペットボトルの焼酎は、飲み残したまま、お客は帰った。昨日朝ゴルフに出掛 けるため、一人で朝食のパンを焼き、インスタントのコーヒーをコップに入れて、ポットの お湯を注して一口飲んで驚いた。一瞬何が起きたのか分からなかったが、飲んだコーヒーが、 何時もの味では無かった。思わず台所へ走って飲みかけたコーヒーを吐き出した。少し喉を 通ったコーヒーは、食道を焼けるような熱さで通り、焼酎の味がした。思い出して足元を見る と昨日までなみなみと入っていた焼酎のボトルは、底に僅か残っているだけだった。ポットの 水は、間違って焼酎のボトルから入れたのだった。無色透明な焼酎と、汲み置きの水と間違えた 事は明らかだった。寝ていた家内を起こして、沸騰しているポットの焼酎は、冷まして元の ボトルに戻すよう指示して、ゴルフに出掛けた。危なく焼酎割りコーヒーで、朝から酔っ払い 運転をするところだった。

『ことばの日』  May. 18, 2006 ▲Top
 5月18日は、語呂合わせで、ことばの日である。言葉は大事で、自分の思いを正しく 相手に伝えるためには、正しい言葉で話さないと、正確に伝わらないばかりか、喧嘩や 戦争さえ引き起こす元になる。日常的な会話に現れる言葉にも、最近の若者の言葉は、 とても理解できないようなものが多いのに驚く。もっとも言葉の乱れは、最近の事だけ でなく、古くは清少納言の『枕草子』の中でも若者の言葉の乱れを嘆いているように、 いつの時代にも「言葉の乱れ」を憂慮する声はある。 文学博士の故金田一春彦氏も、言葉は時代とともに進化するものと認めており、進化を 止めることは出来るものでなく、それは、乱れでなく「変化」であろうと思っている。

『刺身のつま』  May. 17, 2006 ▲Top
 デパートやスーパーの鮮魚コーナーでは、大抵おいしそうな刺身のパックが 売られている。そして刺身の側には、野菜や海藻等のつまが添えられている。 つまり、刺身のつまである。「つま」の語源は、料理のそばに置かれることから、 夫婦の関係における「妻」を語源とする説と、料理の端に置かれることから 「端(つま)」をあてた説もある。側に置いても必要の無いものの喩えでもある。 かつおのたたきなどに、にんにくや生姜、ねぎなどがつまとして添えられるが、 これは、魚の生臭さをとる目的と、殺菌効果により食中毒を防止し、消化吸収 をよくする消化液の分泌を促す効果がある。サバなどの魚に寄生するアニサキス と言う寄生虫を撃退する働きもあると言われている。刺身などのタンパク質は 鮮度が高いほど、かたい性質を持っている。そこで、「つま」となる大根や 海藻に含まれるタンパク分解酵素が、消化の助けとなる訳だ。

『酒』  May. 16, 2006 ▲Top
 この4日間、東京から昔の友人が2人遊びに来てくれた。20年前まで働いていた同じ会社の 仲間だが、私が退職して四国に住むようになってからも、何度か遊びに来てくれた。今回は彼らも リタイヤした事から、ゆっくりと四国でゴルフや魚釣りをしてみたいと言う事だった。 生憎、滞在中の天気は不安定だったが、雨の合間を縫って、目的のゴルフと魚釣りは何とか達成した。 しかし、天気の所為で家にいる時間も多かったので、退屈しのぎに、家にあるアルコール類の在庫 を出したところ、見事に全てを飲みつくした。私は普段、晩酌の習慣は無いので、もらい物の酒類しか なかったので、余り飲めない一人には冷酒2合と、もう一人用に4リットル入りの焼酎を買い足した。 2日間で冷酒は無くなっていたが、さすが焼酎は相当量残してあった。最初に出した酒が、飲みかけ の瓶で、清酒、焼酎、冷酒等が4〜5本だったので、何とか片付けてやろうと言う気持ちが 働いたのか、瞬く間に、飲みきった。それでも相当量はあった積もりだった。余りにも簡単に 飲まれてしまったので、思い切って大きなサイズにしたから、簡単に飲みきれないと諦めて、飲む ペースが落ちたことは間違いない。大酒飲みにはこの手が一番良かったのかも・・・。 酒とは、アルコール分を含み、人を酔わせる飲み物の総称だが、まさに彼らは、滞在中殆ど酒酔い 状態で、家中、酒の匂いに満ち満ちていた。

『ストッキングの日』  May. 15, 2006 ▲Top
 1940年5月15日にアメリカのデュポン社が初めてナイロン製ストッキングを発売したのを 記念して、5月15日はストッキングの日となった。1920年代、薄手の絹靴下が流行りだし、 当時は日本製の絹が高価で人気が高かった。アメリカのデュポン社の化学者ウォーレス ・カローザスが、合成ゴムの研究をしていて、ガラス棒の先端についた真っ白な細い糸が よく伸びる性質を持っていることを発見。実用的な合成繊維「ナイロン」の発明になった。 そして1940年5月15日、ナイロンを使った最初の靴下が発売された。 日本では、戦後アメリカの進駐軍からナイロン製のストッキングを手に入れ、流行が始まる。 当時のナイロン製ストッキングは、絹のストッキングより高価だったが、何より丈夫で 長持ちするので、それでも売れた時代だった。1951年現東レが、翌1952年に現グンゼが生産を 始め、国産のナイロン製ストッキングを発売をした。それまでのストッキングはシームが 当然だったが、ナイロン製のストッキングから縫目の無いシームレスが当たり前になった。 考えてみるとシームレスの方が、縫目をまっすぐに履く面倒がなくて楽だと分かった。

『母の日』  May. 14, 2006 ▲Top
hahanohi.jpg  5月第二日曜日の今日は「母の日」だ。この日は、日頃世話になっている母をいたわり、 母に感謝する日としてカーネーションを送る慣わしがある。由来には色々な説があり、 古代ギリシャ時代、神々の母リーアに感謝するための春祭りから発祥したと言う説。 17世紀頃の英国で、復活祭の40日前の日曜日に、家を離れて仕事をしている人が、家に 帰って母親と過ごすことが出来るように、主人が使用人に許した日が始まりと言う説。 最も有力と言う説は、20世紀の初め、アメリカ・ウェストバージニア州で教師をしていた アンナ・ジャービスが、 母親の3回忌にあたる5月8日に、「母の日」をつくって国中で 祝うことを提案したと言う説。日本では明治の末期頃の1915年に教会で始まり、徐々に 一般に広まっている。昭和に入ると3月6日を母の日としていたが、この日は当時の皇后の 誕生日であったようで、現在のようになったのは、戦後しばらくしてからだと言われている。 因みに、父の日は6月の第3日曜日で、今年は6月18日である。

『松井骨折』  May. 13, 2006 ▲Top
 12日のスポーツニュースで、松井選手の左手骨折の場面を見ていて、凍りついた。 試合開始の1回表無死一塁、2番ロレッタの打ったライナーがレフトめがけて飛ぶと、 全力で前進した松井選手の左手グローブが、グランドの芝に引っかかるように、後ろに 反り返り、一度は入ったボールは力なくこぼれ、グローブは手からするりと抜け落ちる ように、左手が見えた。松井はボールを即座に拾って内野に返球したが、左手は だらりと下がったまま、そこに蹲り、手首を押さえて痛みに耐えていた。その様子を 見てたチームメイトがすぐさま集まり、松井の状態を確認していた。結局救急車で ニューヨーク市内の病院に搬送され、手首の専門医師の診察を受け、骨折と判明。 患部を固定する手術を12日午前中に行い、13日にも退院の見通しと報じられた。 これで、松井選手の連続試合出場記録は日米通算1768試合でストップしてしまった。 93年8月22日の横浜戦から始まった巨人時代の1250試合、ヤンキースで 518試合積み重ねてきた連続試合出場記録は、5月11日の1768試合で終わった。 誰よりも怪我に強い男と思われてきただけに、このアクシデントは、世界中から残念 と言う声が聞こえてくる。

『海賊版』  May. 12, 2006 ▲Top
 少し前のことだが、映像処理ソフトの良いものを欲しいと思い、オークションで 有名ブランドのソフトをせり上げて、ゲットした。出展者の表現では正規品のような 書き方であったので、それを信用しての事だった。落札後、最初のコンタクトの時、 こちらの住所氏名を明記したことから、落札金額の振り込み前に商品を送ってきた。 しかし、受け取ったディスクは真っ白のコピーものだった。実際のところ、正常に 使用できるものではなかった。即座に発送先に送り返したが、数日後受取人不在で 郵便物は戻ってきた。メールを発信したが、エラーで戻ってきた。結局この取引は 正常に終わらなかったが、私の評価欄には、非常に悪い落札者と書かれてしまった。 そしてこの出展者は、その後自分のIDを抹消して一切の繋がりを消してしまった。 残ったのは、海賊版のソフトと、私の評価欄に最悪の評価点を残したことだった。 海賊版とは、著作権者に無断で複製された書籍やソフトウエアなどを言うが、この場合 詐欺にあい、私自身海賊版に騙されたが、料金を支払う前なので、実害はなかった。 従って、訴えるまでのことはなかったが、この手の海賊版取引は注意が必要だ。

『お酒』  May. 11, 2006 ▲Top
 昭和40年代初め頃までの酒の席と言えば、お座敷で、粋な芸者か仲居さんが 席に加わり、熱燗の酒を酌み交わし、三味線で都々逸や小唄・端唄を聞くのが 普通だった。芸者は、踊りの一つも披露した後、次の席へ移動したものだ。 いつの頃からか、カラオケが主役になり、酒を飲むより歌う方が 主力になり、酒の飲み方も変わってきたように思う。日本人の飲む酒は、 温めて飲むという世界でも珍しい習慣が、江戸時代中期頃より一般的になり、 長く続いて来た。燗酒は体を温め、まろやかな味わいが楽しめる。 またアルコールの吸収が早いため、飲み過ぎる心配が少ないのも特徴である。 お燗にしておいしいお酒は、乳酸などの温旨酸を多く含むものがいいようで、 吟醸酒や生酒に多く含まれるリンゴ酸などは温めるとぼけた味になり、熟成不足 の新酒や合い酒(新酒と古酒のブレンド)等はお燗すると刺激臭を感じる様だ。 最近は、お燗を嫌う世代を対象に、冷酒で飲む種類も増えてきた。私は、 安い酒でよいから熱燗にして、するめか目刺を齧りながら飲む酒が好きだ。

『コットンの日』  May. 10, 2006 ▲Top
jcm.jpg  5月10日は五・十(コッ・トー)の語呂合わせでコットンの日だ。嘘のようだが、 日本紡績協会が制定している。趣旨は綿製品の需要喚起の為のキャンペーンなどを 行うことが目的。木綿は、絹やウール素材に対して、安価で肌にも優しく、古くから 我々の生活に密着している繊維である。日頃身につける肌着や作業着など、余りにも 身近すぎて、特別な意識を持っていないかもしれないが、ウールに「ウールマーク」が あるように、コットンにも「コットンマーク」があるのは知らなかった。 良いコットンの目印である「コットンマーク」には、綿100%の「ピュア・コットンマーク」 (写真)と、綿50%の「コットン・ブレンド・マーク」の2種類がある。 いずれも一定の基準をクリアした、品質のよい繊維に付けられるマークとなっている。 ちなみに、オーガニック・コットンというのは、綿花を育てるときに、合成肥料や薬を 使わずに、有機栽培で育てられた綿花からとったコットンのことを言う。

『アイスクリーム』  May. 9, 2006 ▲Top
 五月晴れの日が続くと、汗ばんだ身体には、アイスクリームが食べたくなる シーズンだ。5月9日はアイスクリームの日である。これは明治2年(1869)の 5月9日に日本で初めてアイスクリームが製造販売されたことを記念するため、 日本アイスクリーム協会が昭和40年に制定したもの。1人前の値段は現在の 価値で言うと8000円相当の高額であったと言う。 最初に発売したのは横浜の町田房蔵と言う人。町田はアメリカで酪農技術を 学び、明治元年に帰国した出島松蔵にこのアイスクリームの製造方法を学んだ。 資生堂や風月堂などがアイスクリームを作り始めたのは明治10年前後のこと。 人類がアイスクリームを食べ始めたのはかなり古い時代の、紀元前後のローマ の文書にもアイスクリームのレシピが残っている。当時のものは雪や氷を砕いた ものに乳や蜜を掛けた、今ならさしずめ、氷菓やかき氷のようなものと思われ、 この手のものは日本の平安時代の『枕草子』にも登場している。 その後、アイスクリームは中世のイタリアやフランス等で発達。主として 上流階級に流行した。さらにイギリスでの普及を経てアメリカに渡り、こ こで手動式のフリーザーが発明され、庶民にも一般化することになる。

『キーホルダー』  May. 8, 2006 ▲Top
 マンション生活の我が家では、家の戸締りは、玄関のドアーに鍵を掛けるだけで 全ての戸締りは確保される。玄関ドアのキーは2個あり、家内と私が一つずつ キーホルダーにつけて常時持っている。出掛けるときは 玄関の鍵を外から締めた後、ポケットに入れるのだが、時々持ち方が悪くて落とす 事がある。以前のことであるが、道路の側溝に蓋をかぶせているグリーチングの間に 落とし、溝の中に入ってしまった。そもそもグリーティングを見た瞬間から、落とすと やばい事になると感じていたが、その通りになったとき、一瞬頭が真っ白になった。 キーホルダーは狭いグリーチングの間からは取れず、重たい鉄の蓋を揚げてやっと 取り返すことが出来た。以来、グリーチングには気をつけている。最近エレベーター に乗るとき、入り口のドアの下に隙間があり、落とすとまずい感じがして、とに角 気をつけていた。先日その不安が的中して、鍵を落とした。幸いホルダーには他の鍵も 付いていて、結果はみぞに落ちる前に押さえることが出来たが、いつかエレベータの底に 落としてしまうのではと妙な恐怖感を感じている。

『羊羹』  May. 6, 2006 ▲Top
 ゴールデンウイークを利用して、3日間里帰りしていた息子夫婦が、次の旅行先 九州鹿児島へ出発した。滞在中は、ばたばたとして、ゆっくりと会話する暇が無く、 居なくなってから、いろいろおみやげ物など置いていったものを前にして、改めて 賞味している。日頃家内が作ったクッキーを、他の生活物資と共に息子に送るとき 同梱して、勤め先の社長にも届ける様にしていたので、先方の社長からだと、お返しに 羊羹が届けられた。静岡の名物と言うことで食べて見たが、この辺で言う、「ゆべし」と、 名古屋の「ういろう」に似た食感で、甘過ぎず、やや粘りのある歯ざわりで、 美味しかった。普通、羊羹とは餡に砂糖を加え、蒸したり寒天を入れて固めたもの で、蒸し羊羹とか、練り羊羹。水羊羹などの種類がある。由来は、鎌倉時代以降に 禅宗の伝来と共に中国から伝わったとされているが、中国で日本の「羊羹」と似た 食べ物は、羊の肝に似せた小豆と砂糖で作る蒸し餅の「羊肝こう」「羊肝餅」がある。 昔は「蒸し羊羹」であったが、茶道の繁栄に伴い、寒天を加えた「練り羊羹」が 作られるようになった(水羊羹は、寒天を多くして冷やし固めたものをいう)。

『端午の節句』  May. 5, 2006 ▲Top
 5月5日は端午の節句と言って、昔から男の子の誕生の祝としてきた。端午の節句は、 中国から伝わった五節句の一つ。もともと「端午」とは毎月の初めの五の日のことで、 その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったもの。 男の子の行事となったのは鎌倉時代から。端午の節句に鯉のぼりを揚げるようになった のは、中国の故事からきたもので、昔、戦国時代の楚の国で、高名な詩人、屈原は国王の 側近としてつかえ、人々からも慕われていた。しかし陰謀のため国を追われることになり、 屈原は、ついに汨羅という川に身を投げてしまった。屈原の死を悲しんだ人々は霊を 慰めるために、紙の鯉を作って奉ったのが始まりとある。鯉のぼりをたてるのは、鯉は 「竜門を上がれば化して竜になる」いう伝説から縁起のいい魚とされ、晴れた空を悠々と 泳ぐ鯉のぼりに、男の子の健やかな成長と立身出世を願う気持ちを託したもの。武者人形、 魔除けの鍾馗さま等も飾り、健康で無事に育つことを願った。 季節の花、菖蒲に尚武という字をあてて飾るのは、強い男になれという願いから。 この日は、邪気を払うため、菖蒲や蓬を軒に挿し、粽や柏餅を食べる風習が残っている。

『三文判』  May. 4, 2006 ▲Top
 三文判とは、出来合いの安い印判のこと。三文とは、江戸時代以前の通貨で、 一文銭が三枚のこと。時代により価値観は変わるが、三文は安い価値の代名詞。 何処の家にも、三文判は大抵2〜3個はあるもの。重要なハンコは普段使わない 代わりに、郵便や宅急便などの受け取りの認印や、簡単な契約書程度には良く 使われている。日頃は、実印と比べて三文判を押すことを何となく軽く考えて いるが、たとえば我々が誰かと契約を交わし、三文判を押したとする。この場合、 三文判だからといっても、その契約には重大な意味があり簡単に破棄は出来ない。 一般的にハンを押すことは「本人の最終的な意思表示」を表わしており、例え 三文判も実印も法的効力は全く同じである。但し実印の持つ重要な意味は、 間違いなく本人が押したと言う証明が出来る事にある。 欧米ではサインが一番重要視され、重要な契約を結ぶときも、小切手を切る時も、 全てサインをするのが日常的。日本では署名と捺印を併せて行うことで、証拠 として最高の効力を持つことになる。ちなみに、普通はハンを押すことを押印 と言うが、署名に合わせて押す時は特別に捺印と言う。 記名とは本人の氏名を自署以外の方法、例えばタイプ、ワープロ、ゴム印、或は 他人によって書かれたものを言い、記名だけでは署名の代わりとしては認められず、 記名の後にハンを押す、いわゆる「記名押印」をすることで初めて署名と同じ 効力を持つ事になる。

『憲法記念日』  May. 3, 2006 ▲Top
 日本が連合軍相手に戦った太平洋戦争に負けて、まだ戦後の混乱期、連合軍総司令官 マッカーサー元帥の命令で作られたのが、世界に類を見ない現在の日本国平和憲法だ。 それまでの大日本帝国憲法を改め、前文と11章103条の本文で構成、「国民主権」 「戦争放棄」「基本的人権の尊重」を基本理念とする内容に改められた。 天皇を象徴とするこの憲法は、ポツダム宣言に基づいた連合国の占領下の国会において 定められたもののため、連合国から押し付けられた憲法となっているのは否めない事実。 しかし戦後60年を過ぎたが、現在まで一度も改正されたことはない。 平和憲法と言われる由縁は、憲法前文の記述および第9条にあり、条文は「戦争の放棄」 「戦力の不保持」「交戦権の否認」の3つの要素から構成されているところにある。 現在の国際情勢のなか、この憲法の下で隣国との平和を保っていくのに、問題点も多く、 改憲を望む声も多くなっている。 1947年5月3日に、この日本国憲法が施行されたのを記念して、 国民の祝日と定められた。

『ストレス』  May. 2, 2006 ▲Top
 人間だけでなく、この世の生命体は、全て何らかのストレスの影響を受けている。 強いストレスを受けると、生命体は障害を起こし、生命の異常を生じてしまうのだ。 生命は、絶えず変化する体外の環境に対して、安定した状態を維持しようとする 働きをしているもので、それをホメオスタシス(恒常性)と言う。 これに対し、外界の刺激に対する生体の反応を「ストレス」と言う。生命体は 心配事があったり、強い恐怖を感じると、血液中のカテコールアミンという物質が 通常の倍以上の量になる。 カテコールアミンには血小板を凝固させる働きがあり、脳梗塞や心筋梗塞の原因となる。 カテコールアミンだけでは、ストレス性の胃炎や胃潰瘍などには至らないが、ストレス で胃壁に傷がつくのは実は活性酸素なのだ。ストレスを感知した交感神経がカテコール アミンを放出し、血管が収縮する。血管の収縮で変化した血管壁の細胞は性格が変わり、 赤血球から与えられた酵素を活性酸素に変えてしまう。その活性酸素が血管壁を傷つけると、 本来は細菌を撃退するための攻撃力で胃潰瘍、脳出血などが起きてしまうのだ。 ストレスをため込むと無気力になり、重ければ、脳卒中や心臓病、軽くても肩こりや 腰痛といった疾患を生じる。病気や体の不調に表れなくても、怒りを溜め込めば、 結果として感情の起伏の乏しい、無気力な人間が出来上がってしまう。

『メーデー』  May. 1, 2006 ▲Top
 メーデーの始まりは、100年以上前のアメリカ合衆国の労働者が、8時間労働制を求めて ゼネストを行ったのが最初と言われている。1日12時間から14時間労働が当たり前だった そのころ、8時間は仕事のために、8時間を休息のために、そして残りの8時間は、自分達の 好きな事に、を目標に要求が行われた。日本では、1920年に第1回メーデーが開かれたが、 「治安維持法」により労働運動自体が弾圧され、メーデーも昭和11年から「禁止」され、 再開は戦後までお預けになった。戦後の昭和21年になって復活。昭和27年のサンフランシスコ 講和条約発効直後には、政府が皇居前広場の使用を禁止したため、デモ隊と警官隊が皇居前で 衝突。死者2人と負傷者多数を出すメーデー事件(血のメーデー事件)が起きた。 イギリスでは「メーデー」というと、労働者の祭典の日であるとともに、「春の花祭」の日 でもある。日の出前に若者たちがいろいろな花を手折って冠を作り、村一番の美しい少女に かぶらせて1日中踊ったり歌ったりして遊ぶ。これはゴート民族の風習ともローマ花祭の移植 ともいわれる古くからの行事だそうだ。

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