『学校教育』  Oct. 31, 2006 ▲Top
 このところ、学校教育に関する色々な問題が話題になっている。切実な問題には、いじめにより 生徒の自殺者が増えていること。酷い例は、教師が関わったいじめがあった。学校側や教育委員会は 適当な調査で、真実を隠蔽し、事実の究明に消極的だったり、偽りの報告でお茶を濁している。 現在起きているのは教育現場で、必修科目が履修されないまま卒業した学生が過去にあること。更に 今の体制では卒業出来ず、大学進学も叶わない者も出かねないのだ。学校側は受験だけに力を入れて、 必修科目を授業には組み入れておらず、知らなかった生徒は必要な必修科目の単位が取れていなかった 訳だ。大学によっては過去に受験に合格したが、必修科目履修をしていないか、学校側が虚偽の内申書 を書き、推薦された生徒も、調査した結果で入学を取り消すとまで言及している大学もある。 文科省の調査では、必修科目が履修漏れになっていたことが判明した学校は、289校に及んでいる。 今後、希望大学入試までの間に、補修授業でカバーしようと、学校側と生徒が全力で取り組んでいるが 教科書がないとか、教える先生が不足している等、切実な問題が起きている。 安倍総理は、教育改革を挙げ、教員免許の更新制度を取り入れようとしている。駄目教師を増長させた 日教組は、相変わらず反旗を振っているが、不良教師を厳しくふるいにかけることは絶対必要だ。

『夜行バス』  Oct. 30, 2006 ▲Top
 久し振り東京への旅行に夜行バスを利用した。便利な事に用件がある前の夜7時50分に四国から バスで出発し、翌朝6時には東京浜松町に到着。その足で上野まで山手線に乗り換え、上野からJR スーパーひたちで水戸まで行き、迎えの車で一っ走り。水戸グリーンカントリークラブで9時半 にはゴルフが出来るのだ。関東エリアの仲間達は、朝4時に起きてゴルフ場に来たと、眠気まなこで 来ていたが、こちらは、前夜20時頃からリクライニングシートでゆったり寝て来たので、元気 はつらつだ。しかも、飛行機では、当日朝の1便でも間に合わないし、JRの寝台でも、東京着 の時間が遅いので、こうはうまく間に合わない。夜行バスは前日から当日までの無駄が全くなく しかも料金は、たった10,700円と安いのが嬉しい。但し、時間的なリスクはあり、以前の経験 では、東名高速道の事故に遭い、やむなくバスは一般道路に迂回した為、東京到着時間が大幅に 遅れ、予定の時間に到着しなかったことが一度だけあった。しかし、最近数年間は殆ど支障なく 到着している。一度バスの運転手に到着の時間を確認したら、到着時間の保障は一切出来ませんと、 にべなく断られた事がある。どんな交通機関も、途中に事故があれば到着時間の保障ができないのは 仕方ない。

『雑炊』  Oct. 24, 2006 ▲Top
 身体の調子が少しおかしいな、なんとなくお腹の具合もしっかりしないなと言うとき、 家内に頼んで、お腹に優しいお粥か、雑炊を作ってもらう。少量のご飯に、野菜や魚など 入れて、水分大目に醤油や味噌で味をつけて煮込み戴く。身体に異常がなくても、フグチリ やしゃぶしゃぶ等の鍋物を食べた後は、あくをとり、魚の小骨などを注意深く取り除いた あと、ご飯を入れて必ず雑炊にしてもらう。肉や魚のダシが効いて頃合の味がでる。 食べる直前に、卵を溶いて煮えすぎない内に食べるのがコツだ。雑炊のことを「おじや」 とも言う。雑炊のことを古くは「増水」とも言い、貧しい時代にはお米の量を少なくて 済ませるため、水で増量したことから、増水と呼んだ。その後、色々の具を入れるように なり、「雑炊」と書くようになったし、その言葉に合わせて「増炊」と書くこともある。

『電話機』  Oct. 23, 2006 ▲Top
 現代生活で電話は、人と人を結ぶコミュニケーションの方法として重要な手段と認識されている。 電話機がなくても、インターネットがあると言われるかも知れないが、それとても有線の設備が 基本に有るから可能なのである。日本に於ける電話機の始まりは、ペリーが2度目の黒船で横浜に来た時、 横浜市内に770mの電話線を引いて実験が始められたと伝えられている。今から60年ほど前の私の 中学生の頃、まだ市内の電話はそれほど普及していなかった。電気機器に大変興味のあった私は、 近所の同級生仲間と、鉱石ラジオや簡単な真空管式ラジオを作ったりして遊んでいた。 ふと思いついて、手元にあったコイルの細い銅線を解き、50m程離れた友人の家まで、垣根や植木の 上を通して、引っ張った。通行人の邪魔にならないように、苦労して2本の銅線を張り終えて、お互いの ラジオとつなぎ、マイクを付けて話をしたら、電話機の役目を果たした。数日したら途中で線が切れた らしく、通信不能になったが、自分たちの電話実験が成功したことに凄く興奮した記憶がある。 後に、簡単な無線機を作り、その友人とは無許可ながら無線通信も成功させた。その頃の体験が後に 大学進学で電子工学を専攻することに繋がり、電子技術は自分の本業になって行った。 古希を過ぎた今も、インターネット技術を中心に、通信工学には深い興味を持ち続けている。 「三つ子の魂100迄も」なのかな?

『デジカメ』  Oct. 22, 2006 ▲Top
 デジカメは現在2台使っている。デジカメに求める性能には条件があり、当初は画素数だった。 その次は持ち運びに便利な、コンパクトさを対象にした時期がある。しかしコンパクトな機種は、 特殊電池でサイズダウンしている為、電池寿命で不自由さが起きた。仕方なくスペア用に電池を 複数持つようになったが、新しい機種に買い換えると、大抵電池は全て無駄となった。また、 メモリー容量の大きなものが出てきて、画素数が多い機種も撮影枚数の制限幅が広くなり、 メモリーが引き継げることを条件に、新しいデジカメはメモリーが使い回し出来る様なカメラを 選ぶようにしている。現在手元のカメラは、1台が10倍ズームで画素数が500万画素、電池は 充電型単3を4本使うもの。旅行先などで、万一の電池切れは普通の単3電池購入で間に合う 便利さを考慮。メモリーは512MG、やや大型のボディながら、精度の高い写真を撮る時に使用。 もう一台はコンパクトサイズで3倍ズーム、500万画素、電池は専用なので、スペアー2個を持ち 歩き、電池切れ対策を考えている。専ら常時携帯が目的。現在の悩みは、撮りたい時のシャッター が遅いこと。特にフラッシュを使うときは、殆どのシャッターチャンスを失っている。次に購入 するときは、連続シャッター時の立ち上がりの早いものをぜひ選びたい。

『祭りの醍醐味』  Oct. 21, 2006 ▲Top
 今年の太鼓祭が終わって総括をして見た。今年、川西地区にとって久しぶり新参の 口屋太鼓台が加わった。完成は本当にお祭り直前で、事前のお披露目パフォーマンス も、ぎりぎり日程で別子山村まで出かけて行われた。話題の太鼓台なので、市民も好奇 の目で見ていた。かき夫の確保が十分でなかったのか、先輩太鼓台の集まる会場での かき比べは、余りにも未熟で見ていられなかった。台車なしでは十分担ぐことが出来ず、 見ていて気の毒だった。各地区ごとに行われていたかき比べで、一番優れているのは 大生院地区の太鼓台だと思う。渦井川河原と言う足場の悪い所ながら、会場に入場の 長い道中も落とすことなく担ぎ、4台が並んで差し上げる「よせがき」は、見事 なオリジナルパフォーマンスだ。昨年から、中萩地区が大生院のよせがき法を習い、 山根公園で実行しているが、まだまだ、大生院の様な華麗さは表現できていない。 川西や川東は、太鼓台に金を掛け、豪華になったはいいが、重量まで増えたか、車を 外すと重くて担げないで、他には特に特徴のある見世物はなく、太鼓祭の見せ場は 喧嘩と言う時代を早く卒業し、もっと見せる祭りを目指して改革して貰いたいものだ。

『同級会』  Oct. 20, 2006 ▲Top
 高校時代の同級会が、松山で行われたので行ってきた。高校卒業後、夫々就職や 結婚などで地元を離れ、全国に散々になっている同級生たちも、年に1度の太鼓祭 だけは、故郷に帰ってくるのを利用して、同級会を計画した。彼らにとってやっぱり お祭は楽しかったようで、太鼓の話は弾んでいた。1年ぶりで会えると楽しみにし、 事前の出欠の返事では参加を申し込んでいたはずの男二人、物故者となり出てこなかった。 少し前の情報では、元気だったと言う事だったが、残念なことだ。我々の高校同級生は、 戦後の男女共学制度で、人数はバランスしていると思っていたが、今回の参加者名簿を 見ると、男女比率は1/3と、女性が圧倒的に多いのは男子の寿命が短いことの 表れなのだろう。参加者のやもめ女性に旦那さんが亡くなられて寂しいでしょうと、 聞くと、私の思いと逆で、好きなことができて、今は最高に幸せだという。ホント 可哀そうなのは、邪魔者扱いされていた男性だと知らされた。

『新居浜祭り』  Oct. 18, 2006 ▲Top
 新居浜太鼓祭りは、大きく4つの区域に分けて統一行動がとられる習慣だ。 上部地区とは、JRの線路から南側全般を指す。JRから南側上部ながら、一番 西に位置し、昔から西条市の祭りと同じ扱いの大生院地区がある。市内を流れる 国領川から東側を川東と川東西部地区とし、残る旧市内を川西地区と分けている。 上部地区は新居浜市の発展を支えてきた別子銅山の栄えた時代、一時精錬所が 有った事や、住友関係の社宅や関連する施設などから、住宅のもっとも多い地域。 今でも、多くの市民の居住地域となっている。所有する太鼓台も18台と多い。 川東地区は、元は海岸線で塩田の盛えた地域だが、塩田の衰退と共に埋め立てが 行われて、工業団地となり、居住地としても広がって行った。太鼓台も増えて17台。 一番古い川西地区の太鼓台は、今年新造の口屋太鼓台が増えて11台になった。 お祭り2日目17日は、午前中、大生院の渦井河原のかき比べ、午後から上部山根 公園の会場へ、そして午後3時から川西地区かき比べ会場のリーガロイヤルホテル前 へと移動した。夜は多喜浜駅前の川東地区かき比べがあったが、写真の整理で 見に 行く余裕は無かった。最終18日は川西地区午前中の船御幸と、午後から川東地区 の八幡神社かき比べを観戦して終わりの予定だ。

『太鼓祭り』  Oct. 17, 2006 ▲Top
kakiage.jpg  新居浜太鼓祭りが始まった。今年は、出場を見合わせた太鼓台が、川西地区の大江太鼓台、 川東地区の白浜太鼓台、川東西部地区の宇高太鼓台と3台が休んでいるが、代わりに今年から 川西地区に口屋太鼓台が新造された。最近の超豪華な幕の傾向に比べて、ややクラシック調 だが、趣はある出来上がりだ。初日は上部の内宮神社かき上げが午前4時の花火と共に開始。 家を出るタイミングをやや外した関係で、駆けつけたときは、既に参道付近は人が溢れていて、 かきあげをする太鼓台の写真を撮るには、場所が悪かった。今年の登坂順序は中筋太鼓台、 喜光地太鼓台、北内太鼓台、新田太鼓台の順で、奉納後の下山は、その逆で、新田、北内、 喜光地、中筋の順だった。初日の日中は、各太鼓台とも地域のお花集めが主体だが、夜は 夜太鼓として、各地区とも趣向を凝らしたかき比べが行われた。

『ふぐ』  Oct. 16, 2006 ▲Top
 この季節になると「ふぐ」のうまい時期である。しかし、「ふぐは食いたし命は惜しし」 と、フグには命を落とす強い毒があるので、素人料理は危険だと言われている。専門の料理人 でも、誤ってお客さんにフグ中毒を起こさせていることもある。大抵は危険な肝を食べた場合で 普通に身の部分だけ食べるなら、よほどのことが無い限り、命に別状はない。 我が家では、家内がふぐ料理の免許を持っている訳ではないが、昔から自分で釣ってきた フグは、自分達で料理して食べてきた。大抵の場合釣に行く時、小型の出刃包丁を持っていて、 釣ったその場で、頭をはね、内臓を出して皮を剥ぎ、潮10cm程度の小さなフグを夫婦2人で70匹 程釣り、夜はフグチリにして食べた。小さいふぐなので、食べるのに面倒だが、骨と身が 離れやすく、幾らでも食べられる。今の時期は美味しいなすと豆腐を入れて煮て、ポン酢と 大根オロシにネギを刻んで食べるのがとても旨い。こんな日は晩酌の酒も進んだ。これで 料理屋へ出かけて食べれば、二人前で1万円以上は掛かるところ、掛かった費用は、餌のゴカイ 600円だけだった。食べ終わったあと、二人で顔を見合わせて、今日もふぐ毒にやられる ことも無く、無事で何よりご馳走様とニッコリ笑顔。

『出版』  Oct. 14, 2006 ▲Top
 以前から、ZENさんのホームページの前野リンク「日本中の前野さん紹介」でリンクしている 弟のブログで「今夜も一杯!」 に連載していた内容を、纏めて大人向けの笑い話やジョーク集と した本にして発行されることになった。中でも「ひろしです」シリーズはパート166を超える 収録があり、読んで思わずほくそ笑む内容でした。今回それが下記の出版社から発売されます。 皆さんぜひ買って読んでやってください。面白いし、読んだ内容を皆さんの持ちネタに使うと、 楽しい会話が弾みます。
hiroshi.jpg  ◆出版社 太陽書房
 ◆タイトル 「悩みの特効薬」
 ◆著者   前野博司
 ◆定価   1722円(税込み)
 ◆刊行日  11月15日
 ◆発売    全国の書店、アマゾンジャパンでも購入可能。
  立ち読み感覚なら次のサイトで見えます。
 http://www.taiyo-g.com/hondanajoke.html

『目黒のサンマ』  Oct. 13, 2006 ▲Top
有名な落語「目黒のサンマ」は、目黒へ鷹狩りに出かけた殿様が、農家で食べた焼き立ての サンマの味が忘れられず、城に帰り家来に用意させたが、殿様用に蒸したサンマは脂が 抜けてうまくなかった。そこで殿様は「サンマは目黒にかぎる」と言った噺だ。 漢字で書くと秋刀魚。字の通り秋を代表する魚である。細長く銀色に輝く魚体が刀を 連想させることからの当て字である。今でこそ安くて旨い魚の代表だが、 一般庶民が 食べるようになったのは江戸後期になってからとか。 元禄時代に書かれた食材に関する 「本朝食鑑」にサンマは載っていない。サンマは比較的沖合を泳いでいるので、今のような 効率的な漁法が無かった。紀州で開発されたサイラ大網による漁法が関東地方にも伝えられ、 脂の乗った旬のサンマが大量に江戸に出回るようになり、庶民の味覚として広まった。 サンマにはビタミンB12やビタミンA、DHA、EPA、良質のたんぱく質等を豊富に含み その栄養素は脂部分に多く含まれている。ビタミンB12は貧血に効果 があり、またビタミン A(レチノール)は皮膚や粘膜を丈夫にし眼精疲労を防ぎ、またガンの予防にもなる。 DHAとEPAは動脈硬化、心筋梗塞、高血圧などの予防に効果的である。 たんぱく質はアミノ酸価100と高く、効率の良いたんぱく質を多く摂取できる。

『健康管理』  Oct. 12, 2006 ▲Top
 日頃から、健康管理には非常に注意している。特に日常的な適度の運動と、食生活を中心に 体重や体脂肪、その他定期的に各種の数値管理も心がけている。以前ウイルス性急性肝炎で長期の 入院生活をした後、回復過程で体重が増加し、体脂肪、コレステロール値が上がった事がある。 退院後リハビリを兼ねてフィットネスクラブでの日常的運動を開始し、健康数値の管理も心がけた。 現在、体重65.5kg、体脂肪19.5%、総コレステロール値は187(正常値平均は190mg)、中性脂肪110 (正常値50〜140mg)と合格点である。肝臓関係の数値はGOT29、GPT35、γーGTP31は完璧 な肝臓に戻っていることを示している。コレステロールとは、肝臓で生合成され、生体内に 広く分布する脂肪に似た物質。コレステロールは、体内のすべての細胞膜の構成成分であり、副腎 皮質ホルモン・性ホルモン・胆汁酸の材料で、脳神経や筋肉の動きにも重要な役割を果たす一方、 老化に伴い血管壁に沈着し、動脈硬化症とも深く関係する。体内のコレステロールのうち、食べ物 から摂取されたものは約3割に過ぎない。残りの7割は糖質や脂肪酸を材料に、主として肝臓のほか 皮膚、腸粘膜、副腎、腎臓、卵巣、精巣などで合成されている。一方、中性脂肪は、摂取した糖質、 たんぱく質、脂質のうち、余分なものが貯蔵脂質として皮下脂肪や肝臓に蓄えられたもの。 体内のエネルギーのうち余ったものは皮下脂肪として蓄えられ、ほとんどが中性脂肪である。 血液中でエネルギー源の運搬や貯蔵、臓器や組織の維持等に機能している。糖尿病、甲状せん機能 低下症、アルコール性肝障害などのほか肥満でも高値になる。食事の影響も大きいので管理が必要。

『携帯番号持ち運び』  Oct. 11, 2006 ▲Top
 これまで携帯電話の番号は、製造メーカーが変ると新しい番号に変ることは必定で、 新型の電話機に魅力があっても、電話番号が変るとこれまでの通信先全てに連絡しないと いけない為、メーカーを変えるのに躊躇した。しかし、長い間の検討の末10月24日より 番号ポータビリティが実現し、自分の携帯番号は変更することなく、メーカーを変更する ことができるようになる。これまでの制度では、携帯の番号付与は「0A0-CDE-FGHJK」という 形式の番号の「CDE」の部分で接続先の携帯電話会社を判断することが出来た。 今後はCDEコードで接続先の携帯電話会社を判断できなくなる。携帯電話機各社はこれまで 新型開発競争で自社のシェアー獲得競争でしのぎをけづって来たが、番号ポータビリティー の実現により、顧客の獲得合戦は更に複雑になりそうだ。

『釣りの日』  Oct. 10, 2006 ▲Top
 10月10日は「釣りの日」って、何だかこじ付けみたいだが、全日本釣り団体協議会と日本釣り 振興会が1977年に制定している。どうしてこじ付けたかと言うと、10月10日はトト(魚)だとの事。 私は釣り好きで、子供の頃から何処にでも良く出かけていった。昭和の初め頃は、新居浜市の磯浦 海岸(今は埋め立てられて海岸が無い)から、西条市との境の仏崎までの海が好釣場だった。 竿は近くの竹やぶで切ってきたものか、凧糸の先にテグス糸を結び針を付け、その先に鉛の錘をつけ、 ぐるぐる回して投げて釣っていた。今のような釣り道具は殆ど無かった。餌は潮の引いている間に、 釣場近くの砂浜でゴカイを掘るか、小川でシラサえびを網で掬って使った。魚は名前も知らない 大きな魚が色々釣れていた。就職して東京で生活するようになってからは、江ノ島海岸、三浦半島、 千葉房総などが釣場だった。大阪転勤時代は、毎週のように明石海岸か和歌山近辺の海へ出かけた。 山形転勤のときは、海が遠かったので、真室川上流の鮎やハヤなど川釣りが専門で、たまに海も恋しく て鶴岡・酒田から秋田方面まで足を伸ばしたこともある。釣る魚は、大物が目的ではなく、どちらかと 言うと磯の小物類を、数釣るのが楽しかった。埼玉に住んでいた時代は、青梅の上流のニジマス釣りも 楽しかった。釣り好きの人でも、釣った魚は何故かリリースして持ち帰らない人がいるが、私の場合は 必ず持ち帰り、料理をして食べることにしている。今でも自分で釣った魚以外、魚屋で買って食べる 魚は、マグロの刺身を除けば非常に少ない。

『体育の日』  Oct. 9, 2006 ▲Top
  今日は体育の日。本来10月10日が体育の日であった。1964(昭和39)年、東京オリンピックの開会式が 行なわれた日を記念して、1966(昭和41)年から「スポーツに親しみ、健康な心身を培う」国民の祝日 になった。後に祝日法が改正され、2000(平成12)年から10月の第2月曜日に変更された。 この日は全国的に運動会を行っているところが多い。昔の日本では運動会はなじみの薄いものだった。 寺子屋の時代、武術や弓術、馬術のようなものはあったが、遠足的なものや体育全般的な行事は 行われていなかった。文明開化で西洋の文化が入ってきた頃に、運動会的な行事が持込まれたもの。 日本で初めて行われた運動会は、明治7年海軍兵学寮で行われたもので、現代の運動会の競技の ようなものが初めて行われたようだ。しかし、明治時代の運動会は軍事目的の性格を持ち、 軍事教練や、集団的訓練のようなものだったらしい。明治の終わりごろには、現代の運動会に 近いものになり、地域のお祭り的な様子に変って行った。子供の運動会といえば、必ず父兄が カメラマンとなって、走ったり、戦いぶりを記念の写真に撮ろうとするものだが、素早く動く 被写体を、ぶれずに撮るのは至難の業で、後で焼付けしてみて失敗の多かった経験は誰にも あったことと思う。晴れ渡った秋空の下、家族揃って食べるお弁当は、また格別美味しかった 思い出がある。

『入れ歯の日』  Oct. 8, 2006 ▲Top
 10月8日は入れ歯の日。人は年とともに、体の機能がどんどん劣化していくのは仕方がない。 俗に「ハ・メ・マラ」の3つは、年を取ると避けることの出来ない衰えの現象だ。歯は手入れが 悪ければ虫歯や歯周病、歯槽膿漏、歯の酷使などで消耗し、最後は入れ歯のお世話になるのは 避けられない。もし、入れ歯が発明されていなければ、歯の抜けた歯茎では噛む事も出来ず、 食べる幸せを感じることが出来なかったろう。入れ歯のお陰で残りの人生も、食べるのに苦労 なく過ごせることは何よりの発明だったと思う。入れ歯の歴史は古く、古代エジプト時代の 紀元前2500年頃のものと推定される義歯らしきものがギザの墓場から発掘されている。 現在のブリッジ義歯のような補綴物は、かなり古い時代からつくられていたようで、抜けた部分 を隣の歯や近接した歯に固定する技術は、ヒポクラテスによっても紹介されている。 日本に現存する最も古い義歯は、1978年に発見された和歌山市成願寺の尼僧佛姫(1538年没)の 木造りの上顎総義歯である。明治時代以降にはゴム床義歯、昭和時代にはドイツでアクリル系 樹脂による義歯が開発され、日本にも紹介された。このアクリル床義歯の登場は画期的な出来事で、 従来のゴム床に比べ、天然のハグキの色によく調和し利用者にも喜ばれた。 年を取って自然の歯を維持するのは難しく、弱った歯を無理に残しても、噛む力が弱くて苦労する より、いっその事入れ歯にして、快適な食生活する方が長生きできると思うが如何だろう。

『焼き物』  Oct. 7, 2006 ▲Top
 私は色々な事に興味があり、大抵のことは趣味にして首を突っ込む癖がある。また首を 突っ込むと、しばらくは夢中になり、それに凝ってしまう傾向がある。友人にも、色々な人が いるが、私にとって興味のあることは、一度も体験したことの無い陶芸焼き物の趣味だ。 粘土をこねて、色々な器や飾り物を作っている。なかなか奥が深いようで、粘土を仕入れる為に 随分遠くまで出掛けたりしている。また釜に火を入れている間は、焼き物の仕上がりが気になり 外出もしない様である。少し前に息子達が、旅行で出かけた先で焼き物にチャレンジし、、 私たちに湯飲みを焼いて送ってくれた。私の名前を彫刻したもので、良く出来ていたが 何故か、足が無い。テーブルに置くとべたに着座するので、持つとき持ちにくい。話に聞くと 陶器を焼くと、収縮して小さくなるが、そのとき底がべたで釜に着いていると底の抵抗で歪が 生じるとか。その為に通常は小さめの足をつけて変形を防ぐ物らしい。息子達のはそこまでの 知識が無かったのか、べた底のせいで、少し変形していた。批判ばかりでなく、私もぜひ一度 ビールのジョッキのような焼き物を試して見たい。

『お月見』  Oct. 6, 2006 ▲Top
 「月々の、月見る月は多けれど、月見る月は、この月の月」と歌に詠まれた中秋の名月は旧暦で言う 8月15日の月のこと。今年は新暦の10月6日(金)になる。月見の行事はどうして始まったかは分かって いないが、涼風の立つ秋の夜長を、美しい月を眺めて、風流に歌など詠んで楽しんだ名残だろう。 月見に関しては、旧暦8月13日を十三夜月、14日を待宵月、15日は15夜月、16日は十六夜月、 17日は立待月、そして20日は寝待月と、昔の人達はそれぞれ月に美しい名をつけて楽しんでいる。 中国では、月餅(ゲッペイ)をお供えして月を眺めるが、日本ではお団子やお餅などにススキやサトイモ 等をお供えしてきた。もともとはサトイモの収穫祭であったという言い伝えになっている。その後、 中国の宮廷行事として行われるようになり、それが奈良〜平安時代頃日本に入ったと言われている。

『DHA』  Oct. 5, 2006 ▲Top
 DHA(ドコサヘキサエン酸)は、どんな魚にも含まれているが、中でも背中の青い 魚の、イワシ、カツオ、マグロ、サンマ、ブリ等が特にDHAが豊富である。しかも、 特に脂の乗る旬の時期のものは、その量が倍増すると言われている。DHAは脳の機能が 活性化し、摂取すると記憶力が高まり、面白い程知識を吸収することが出来ると言う。 またコレステロールを防止したり、血栓を予防する効果があるとされ、老化防止や視力回復 さらにガン予防にも効果がある。さらに、DHAはアトピー性皮膚炎やぜんそくに対して 有効に作用し、ストレスや情緒不安定などを解消する効果も報告されている。 頭脳をよくする効果を期待する魚の摂取量は、DHA量にして毎日0.5〜1.0g程度が目安。 これはイワシ中位なら2尾、マグロのトロなら2切れ、ブリで1切れ、サバなら半身、 サンマ1尾程度だ。但し、魚の食べ方でDHAの摂取量に差が出て来る。一番効果的な 生の刺身が100%とすると、煮たり焼いたりすると80%、油で揚げると50%にまで 減少する。DHAは調理中に脂とともに煮汁や油に出てしまうので、ホイル焼きや、 ムニエルにするか、煮る場合は、煮汁も一緒に食べるようにすればDHAを無駄なく 摂る事が出来る。

『イワシの日』  Oct. 4, 2006 ▲Top
 昭和60年、大阪おさなか健康食品協議会が語呂合せで10月4日をイワシの日に制定している。 昔、大阪湾でイワシが大量に獲れたことと、水産資源の有効利用を認識させることの大切さから。 イワシの身は、食生活において主要な蛋白源のひとつである。また養殖魚や家畜の飼料としても 利用されている。食卓では新鮮なら刺身や、塩焼き、フライ、酢の物、煮付けなど。鰯は読んで 字のごとく弱くて痛みやすい魚という特性があり、干して目刺し、加工してつみれなどにされる ことも多い。ちなみに、人間の食料になるよりも、鯨の方がイワシの消費量は多いと言う。 現在では、イワシが栄養価の非常に高い魚であることはよく知られているが、特に脳細胞を活性化し、 その能力を向上させるDHAと肝機能を活性化し、中性脂肪を低下させるEPAが豊富である。 これらは、脂肪分で、たんぱく質、糖質と並ぶ三大栄養素のひとつで、人体には欠かせない物だ。 更にこれらは、豚肉や牛肉にはほとんど含まれてない、魚介類だけが持つ優れた栄養素である。 また、イワシの身に含まれるイワシペプチドと言う酵素で、たんぱく質に含まれるもの。 このペプチドには、体内で合成できない九種類の必須アミノ酸がバランスよく含まれていて 血圧上昇を制御する働きがあり、血圧を下げる力は、加熱することによって二倍になるという 優れものである。10年ほど前迄は、瀬戸内近海の何処の岸壁にも、イワシの大群がいて、 簡単なサビキ仕掛けで、短時間にバケツ一杯釣れていたが、この数年殆ど居なくなった。 海が変化したか、乱獲が原因なのか、沖で漁をする猟師も鰯が少なくなったと嘆いていた。

『登山の日』  Oct. 3, 2006 ▲Top
ishizuchi.jpg  10月3日は語呂合せで「登山の日」。先日ゴルフ仲間でもある友人から郵便が届き、 この度、日本100名山を踏破したという記録の写真と共に文章が綴られていた。 手紙には、登山家の深田久弥氏が昭和39年に日本100名山を選び、折から の中高年登山ブームに火をつけたもので、選定の基準は山の品格、歴史、個性のある ことで高さも1500m以上と言う線で引かれた山が選ばれているらしい。何故か 筑波山と言う877mの低い山もあるが、3776mの富士山まで、日本国中の素晴らしい 山々が名を連ねている。彼の手紙によれば、登山にはあまり興味も無く経験も無かった が、還暦を記念して登った富士山で山の魅力に取りつかれ、それまで夢中だった ゴルフは反省のゲームで精神的に良くなかったが、山登りで山頂からの眺めは全ての 苦しさを忘れさせ、下山後のはつらつとした心は、次の山への想いをかき立ててくれ た。山登りを通じて意気投合した素晴らしい友人も出来たとか。7年間で達成した ことに十分満足感を感じたと結ばれていた。素晴らしいチャレンジであったと思う。

『太鼓祭り』  Oct. 2, 2006 ▲Top
taikodai.jpg  新居浜人にとって10月は、1年の内で一番待ち望んだ月と言えるだろう。それは太鼓祭り の月だからである。新居浜の太鼓祭といえば男の祭りと言いきるほど、熱中のあまり喧嘩 は付き物で、つい巻き込まれて毎年のように死人・怪我人が出るのは当たり前だった。 祭りが近づくと、今年は何処とどこが、いつ何処で喧嘩すると言う噂話が流される。それは 本当の話かどうかは分からないが、当日が来ると、観衆はその噂の喧嘩を見たい一心から、 場所取りをして待ったり、目当ての太鼓台の行動に付いて回る。噂の太鼓台同士が近づくと 観衆が喧嘩をけしかける。かき夫達は観衆の煽動につられ、つい喧嘩の格好をするのだろうが、 結局はどちらも本気になってしまうところは自然の成り行きだろう。昔は太鼓祭に喧嘩は 付き物で、町中が大目に見てきたが、最近はマスコミの報道の仕方も厳しくなり、喧嘩を すれば、喧嘩両成敗で、翌年は祭りへの参加を自粛するというのが根付いてきた。昨年の 喧嘩の結果、今年は川西地区の大江太鼓台、川東地区の白浜太鼓台宇高太鼓台の自粛で出場を取りやめている。待ち望んだ祭りに出場できない地区の 自治会としては、寂しい祭りになるが、かき夫達は他所の法被を着て、応援に行き そこで鬱憤を発散することになるのだろう。

『はぜ釣り』  Oct. 1, 2006 ▲Top
hazeturi.jpg  魚釣りは夫婦で好きなので、春夏秋冬暇さえあれば近くの海岸へ釣に出かけている。 秋は、はぜ釣りが面白く、何時もは今治市の頓田川河口か、土居町豊岡の漁港へよく行くが 昨日は新居浜市の国領川河口へ出かけてみた。以前から日曜日などに、子供連れの家族が 釣りをしている姿を見かけていたので、自分でも一度試して見たいと思っていた。はぜ釣りは 干底から満ち潮に変わるころ、比較的足元に近いところまで寄ってくるので、短い竿で手軽に 釣ることが出来る。国領川河口の場合、干底では川の真ん中まで干上がっているので、長靴 を履いて、川の中ほどまで入って釣る。水深が、せいぜい50cm程度の所まで、はぜが寄って いるので、狙いを付けて竿を出す。餌のついた針がポイントに着くとすぐ飛びつくように喰って くる。手ごたえは、ぶるぶると当たりがありすぐ分かる。軽くテンションを掛けてやると 勢い良く引っ張って呉れるから、簡単に針掛りする。大きな口を開けて餌を喰うので、油断 すると、口の奥まで針を飲むが口の中は柔らかいので、少し強く引けば針は簡単に引き出せる。 はぜ釣りをしていると、フグも寄ってきて餌取りならぬ、針取りに悩まされる。置き竿を すると必ず針が無くなっているのはフグの仕業だ。結局ハゼは3時間で50匹ほど釣れた。

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