『広島風お好み焼き』  Aug. 31, 2005▲Top
okonomiyaki.jpg  広島風お好み焼は、他の地域の焼き方とは、一味違っている。小麦粉を水で溶いて薄く 鉄板の上に伸ばし、直徑20cm位に焼いていく。その上にキャベツ・もやし・豚肉 等を順に重ねていく。下の生地がパリッと焼けてきたタイミングで、一気にひっくり返す。 返すとき具が回りにはみ出したら、へらでかき寄せて形を整える。その間、別にそばを炒め、 下味をつけて形を整えておく。そばの上に、いま焼いたお好みを焼き重ねるように乗せる イメージ。更に別のところで、卵を割ってへらで広げながら丸く焼く。その上に焼き上げた お好み焼きを乗せて、ひっくり返し、上からソースをたっぷりと塗って、青海苔や 青ねぎを乗せて出来上がり。ボリュームがあるので、1人前食べるとお腹一杯になる。 戦後の食料不足の時代に、広島市民の知恵を集めて生み出した食べ物だ。大阪や東京の お好み焼きとは違った焼き方が、なんともいえない地域性を感じる。

『もみじ饅頭』  Aug. 30, 2005▲Top
momiji.jpg  先日広島に行った際、少し足を伸ばして宮島へ渡った。厳島神社は先の 台風で、大きく傷つき心配していたが、見かけ上はかなり修復されていた。 帰りのお土産には、定番ながら名物のもみじ饅頭を買うことにした。 土産屋は、フェリーで渡る宮島口と、宮島側の参道に軒を連ねるように、多くの 店が並んでいる。どこの店で買うかは好みの問題でもあるが、地元の人たちに 聞くと、ビッグ3は、藤井屋(今は藤い屋と屋号を変えている)、山田屋、 にしき堂という。饅頭発祥は明治40年頃、高津常助という人が焼き始めたのが 始まり。名前の由来は、伊藤博文公が宮島を訪れた時、お茶を差し出した娘さん の手を見て、もみじのような可愛い手と言った言葉にヒントを得て名づけたとか。 全国的に有名になったのは、昭和55年頃の漫才ブームで活躍したB&Bの洋七が 漫才のネタに出身の広島自慢をしたことに始まる。

『24時間テレビ』  Aug. 29, 2005▲Top
 日本テレビをキー局とする恒例の「24時間テレビ・愛は地球を救う」が 今年も無事終わった。話題は、チャリティーで集まった募金の総額も然ること ながら、なんと言っても59歳と言う高齢の丸山弁護士が、自らの出演している 「行列のできる法律相談所」の北村弁護士とのやり取りから、意地で100km マラソンチャレンジを決めたが、 果たして最後まで走りきれるのかと言うことにあった。そして、もし走りきれたら、 北村弁護士が、尊敬を込めて和解の握手をするというお膳立てがあった。 出走を発表してから、毎日のトレーニングは欠かさずやってはいたが、現実は 相当厳しいことが予測され、更に数日前になって、ぎっくり腰をするなど、 傍目には、絶対無理だと思われていた。それでも、痛む腰をかばいながら根性で 見事に走りきった姿は、日ごろの顔とは違った格好良さがあった。ゴールの 瞬間は、こちらも感動のあまり涙を抑えることが出来なかった。完走おめでとう。 募金総額は、約3億円だった。視聴者の皆さんご苦労様でした。

『高校野球』  Aug. 28, 2005▲Top
 今年の第87回全国高校野球選手権大会では、優勝候補の明徳義塾の出場辞退に続き、 見事優勝を果たした駒大苫小牧高校にも、暴力事件が発覚して優勝の取り消し問題まで 発展した。明徳義塾の場合、野球部員の喫煙と下級生への暴力行為が問題となり、 無関係の部員には可哀想であるが、連帯責任を問われても止むを得ない部分があった。 しかし、駒大苫小牧高校の野球部長が生徒に暴力行為をした問題は、学校側指導者の 問題で、優勝を果たした生徒達には、全く落ち度はない。その暴力行為を隠していた 学校側責任者が、優勝辞退を言うのは、明らかに間違った判断と言わざるを得ない。 日本高校野球連盟は、「指導者の行為の責任を選手に負わせるのは適当でない」 として、同校の優勝を取り消さないことを決定したのは当然である。 一般的にチームワークが必要な団体競技では、厳しい練習の為に、竹刀等で叩かれながら、 歯を食いしばって頑張るのが当然の世界と思われているが、 伝統の有名校が全て暴力的練習で実力をあげている訳ではないはず。暴力や脅迫 など、間違った指導をしていた部長こそ、もっと厳しく糾弾すべきである。

『お好み村』  Aug. 27, 2005▲Top
okonomi.jpg  広島名物といえば、牡蠣、もみじ饅頭、広島風お好み焼である。牡蠣料理は冬の 代表的食べ物、もみじ饅頭はお土産として欠かせない。今回10年ぶりで広島に行く 機会があったので、広島名物お好み村探訪を楽しみにしていた。 お好み村といっても、昔のバラック建てから、現在は高層ビルに建て代わり、2階から 4階まで同じような店舗が軒を連ねている。お好み焼の始まりは、戦前に庶民の間で 親しまれた一銭洋食。小麦粉を水で溶き、ネギや干エビ、紅ショウガなどを 入れて焼いたものが始まり。当初はおやつとして食べられていたが、原爆の空襲を 受けた戦後の復興期に、栄養不足を補うために、具としてキャベツや卵、魚介類、 そば、うどんを入れるなど工夫を重ね、今の広島風お好み焼が誕生したもの。 地元の人に、どの店が美味いか聞いたところ、行列が出来ていて少しは並んで待つ 位の店が良いと薦められた。なるほど軒を並べている割に、がらがらの店と、大勢 並んで待っている店とが極端に存在していた。中でも程々混んでいた店「たけのこ」 で本場広島の美味しいお好み焼きをゆっくり堪能した。

『六本木金魚』  Aug. 26, 2005▲Top
kingyo.jpg  久しぶり、上京した機会に六本木金魚へ出掛けた。2年前東京在住の弟達と再会した時、 六本木界隈で飲んだあと、連れられて行ったところだ。一見何の変哲もない小さな ドアから狭い階段で地下へ潜り、ロビーを抜けさらに階段を昇ると、3フロア をぶち抜いた舞台が眼前に広がる空間が目的の劇場だ。そこでは時空を超えた 踊りが小気味良いテンポで展開される。舞台は立体的に、天地が分割されたり、結合されたり、 コンベアーの様に左右に移動したり、早い動きで進行する。美男美女の踊りで1時間は あっという間のすばらしいショーである。入場料4000円とドリンクやオードブル などで6000円程度あれば十分だ。ショーが終わった後、希望すると好きなダンサーが 席に来てくれて、おしゃべりや記念撮影に無料で応じてくれる。 予約はWEBからできるので、ぜひ一度彼女を連れての観劇をお勧めしたい。 
六本木金魚のホームページは http://www.kingyo.co.jp/

『ハイウエー温泉』  Aug. 25, 2005▲Top
suwako.jpg  夏休みを四国で過ごした娘と孫を埼玉県所沢市まで、今年も私の車で送ることになった。 帰り道は、しまなみ海道を経由して、広島へ渡り、宮島の厳島神社と原爆記念館を見学 した後、名神高速道路・中央自動車道を通るルートを選んだ。道中は約1000kmに及ぶので、 運転手もさることながら、座席に座るだけの同乗者といえどもくたびれるものだ。 国内の高速道路には、何箇所かに風呂の設備のあるところもあるが、一番気に入って 居るのは、中央自動車道諏訪湖SA内のハイウエー温泉諏訪湖だ。中央自動車道は比較的 平坦な東名高速道に比べて名古屋から諏訪湖までは標高1000m近くまで上ることになるが、 この温泉で一服する楽しみがある。入浴料も500円とリーズナブルである。温泉は上り 下りの両側にある。温泉の窓から展望できる諏訪湖の眺めも抜群で、疲れた身体を温泉 でゆっくり休めることが出来る。

『かき氷』  Aug. 17, 2005▲Top
ujikin.gif  残暑の厳しい日が続いている。夏の暑い時の代表的な食べ物にかき氷がある。 子供の頃、お小遣いを貰うと赤いイチゴシロップのかかったかき氷をよく食べた。 大きくなってからは、何よりも宇治金時が気に入っている。なぜ宇治金時という 名前が付いたかと言うと、関西でお茶の産地と言えば宇治茶と、金時豆を炊いて あんこを作ったところから、つけられた名前だ。 真っ白い氷に緑の抹茶シロップ、中に甘いつぶあん金時がたっぷり入ると最高だ。 かき氷の始まりは、平安時代と言われ、『枕草子』の中で"削り氷"を口に入れた 時の素晴らしさが書かれている。昔、氷は上流階級の食べ物で、冬の氷を氷室に 保存して置き、夏の暑い時期に食べた贅沢品だった。かき氷を急いで食べると、頭が 痛くなったことありませんか。あれは氷によって口の中が急激に冷やされると、脳が 極端な刺激を痛みとして感じてしまうために起こるもの。実際に刺激を受けた 口ではなく、額やこめかみに痛みを感じるのは、関連痛といって神経が混乱を 起こす為だとか。

『終戦』  Aug. 16, 2005▲Top
 昨日、8月15日は、太平洋戦争が、日本の無条件降伏により終結した日だ。 昭和16年12月8日の真珠湾攻撃から数えて3年8カ月、満州事変からは15年にわたる 長い戦いだった。この日小学校5年生だった私は、天皇陛下の玉音放送を、聞き ながら涙を流して、日本の敗戦を悲しい結末として受け止めたことを思い出す。 日本にとって、真珠湾攻撃は、本来事前に宣戦布告の通知を、米国に叩きつけた上 で攻撃したつもりだった。但し通信の傍受を恐れ、駐米日本大使館に暗号で送った 電文を解読するのに時間が掛かり過ぎ、予定した時間内にアメリカ政府に通告する ことが出来なかった。結果的に真珠湾に奇襲攻撃を開始した事になってしまった。 あの時、日本の情報化がもっと完全であれば、真珠湾に攻撃を開始する前に、堂々 と宣戦布告状を米国政府に届け、余裕を持って攻撃を開始していたはずなのだ。 そうすれば、今頃になっても、リメンバー・パールハーバーとアメリカ人から後ろ 指を指されなくて済んだことだろう。 そして、広島や長崎に落とされた原爆こそ、非人道的攻撃だと、強く責めることが 出来たと思う。

『マラソン』  Aug. 15, 2005▲Top
 第10回世界陸上の男子マラソンは、最後までトップを維持したガリブ (モロッコ)が、2時間10分10秒で世界陸上2連覇を飾った。2位には イセグエ(タンザニア)。そして尾方が2時間11分16秒の3位でゴールした。 スタート前、それほど注目されて居なかった尾方剛の活躍には感動した。 この大会ではこれまで日本男子はあまり成績が芳しくなく、世界戦ではいつも 女子選手に目が向いていた。 今回前評判では高岡寿成が脚光を浴び、久しぶり優勝候補として、大々的に 取り上げられていた。スタートから中盤までは、アフリカ勢が先頭集団を 引っ張り日本の高岡や尾方は先頭集団の中ほどに構えていたので、力を 温存する戦法と思っていた。同じ場所を3周する起伏のあるコースで最後 まで我慢して控えていた尾方が、最後の追い込みで3位争いを競り合い、 最後は振り切って、見事に銅メダルを獲得した。165cm、体重50キロの 軽快なピッチ走法は見ていて頼もしかった。片や先頭集団から 脱落して、すっかり諦めていた高岡が、最後の力を振り絞って4位にせり 上がってきた根性は、さすがと誉めてあげたい。

『夏休み』  Aug. 14, 2005▲Top
 20年前、思い切って長らく勤めた東京の会社を退職し、我々夫婦にとって生まれ 故郷の愛媛に帰ってきた。以来、嫁いだ娘や息子達と離れ離れ、年老いた夫婦二人 だけの生活になったが、楽しみは、孫達が遊びに来てくれる夏休みの時期である。 帰省日が決まり、切符の手配が出来たと連絡があると、家内は早速カレンダーに 到着日までカウントダウンの数字を書き込み、毎日×印で消していく。今日14日は 夜行バスの到着日、早朝バス停に迎えにいく為、家内は昨夜から寝ないで待っていた。 今日から1週間は、1年ぶり家族そろって賑やかな毎日である。先祖の墓参りや孫の リクエストで広島へ渡り、広島の原爆ドームや、平和記念資料館を見学する予定だ。 都会では味わえない田舎の生活を楽しんでもらい、広島のお好み村で、名物の お好み焼きを食べるのも楽しみの一つにしている。 そして、最後は毎年の恒例で、埼玉所沢まで、私のワゴン車で連れて行く約束だ。

『お盆』  Aug. 13, 2005▲Top
 日本では、盆暮れは人の動きが多くて、忙しい時期の代名詞になっている。 この時期になると、学生の夏休みと、サラリーマンのお盆の墓参り帰省等が重なり、 日本国中、民族の大移動で、いたる所で道路の渋滞が起きることになる。 お盆の正式な名称は梵語で[盂蘭盆会・うらぼんえ]を略したものと言う。 8月13日は盆の入りで、家族そろってお墓参りに行き、夕方には迎え火を焚き、 先祖の霊を迎える。精霊が迎え火を目印に帰ってくると言われるためである。 お盆中は、灯明を絶やさず三度の食事は家族と同じものを供える。 盆中日は僧侶を迎えて、読経をして貰う。また宗教・宗派に関係なく、 親族や故人と親しい人たちを招いて、会食をすることが一般的。 お盆明け、御霊は午前中まで我が家に居るので、お供え物をし、夕方戸外が 暗くなったら、家の門口や玄関で送り火をたいて、御先祖さまにお帰り いただき、4日間のお盆の行事を終わる。

『冷奴』  Aug. 12, 2005▲Top
tofu.gif  暑い毎日が続いているが、こんな時期は、さっぱりしたものを食べたいものだ。 冷やした豆腐を大きめの立方体に切り、醤油をかけて食べる冷奴は如何?。鰹節、ショウガ、 ミョウガ、ネギ、などの薬味と共に食べるのが一般的だ。豆腐は低カロリーなのに 栄養満点で、ダイエット食品としても優れている。食材を大きく四角に切ることを 「奴に切る」といい、これが冷奴の語源であると言われている。 豆腐には絹ごしと木綿ごしがある。木綿ごしの場合は、小穴を開けた型に布を敷いて、 にがりを入れた豆乳を流し、上から重石をのせて水分を出して固める。 それで木綿ごしと呼ばれるのだが、絹ごしは、実は布を使わず、流し固めるだけ。 絹ごしは木綿ごしの豆腐に比べて舌触りが滑らかなことから、木綿に対して絹と 呼ばれるようになったのだ。絹ごしは木綿ごしより歴史が浅く、戦時下の統制で にがりがなくなり、すまし粉(凝固剤)を使うようになってからという。 にがりでは固まるのが速すぎて、絹ごしを作るのが難しいそうだ。

『焼き鳥の日』  Aug. 11, 2005▲Top
yakitori.gif  イラストを描いてくれたNORIさんによると、8月10日を焼き鳥の日と制定したのは、 今治ヤキトリ料飲組合です。平成11年8月に、今治ヤキトリ料飲組合が結成され、 8月10日をヤキトリの日と制定し、組合加盟店による趣向をこらしたサービスが 実施されているそう です。なので、今治ヤキトリ飲料組合が、勝手に制定した 焼き鳥デーです。なお、今治市は、焼き鳥屋の数が人口一万人あたり日本一だ そうです。今治の焼き鳥の特徴ですが、今治の焼き鳥は、串付き肉を網の上で 焼くという、全国的にポピュラーなスタイルとは異なり、肉や野菜を鉄板の上で 焼くという 一見風変わったスタイルが特徴だそうです。 (イラストでは、串付きの焼き鳥を描いていますが、皆さんに焼き鳥を分かり やすく見せるために描いたものです。)

『ディスカバリー』  Aug. 10, 2005▲Top
discovery.jpg  2年半前のコロンビア号の打ち上げ失敗以来、中断していた宇宙飛行も今回なんとか 成功した。発射間際の問題発生で、一旦中止もされたが、結局問題の原因を突き止め られないまま、見切り発射。しかし、何とか無事打ち上げは成功したが、今回も断熱 タイルが何枚か剥がれると言う問題が発生していた。 事前に訓練した野口さんの修理技術で、応急の修理は成功し、初期の目的でもあった、 国際宇宙ステーションへの物資輸送も完了。後は、帰路に剥がれた断熱タイルの強度が 持つか心配されたものの、昨夜無事帰着できた。但し、当初予定のケネディ宇宙センター 周辺の天候が悪く、地球の周回飛行を何度か繰り返して、天候の回復を待っていた。 最終的には、残りの酸素の限界もあり、着陸地点をカリフォルニアのエドワーズ空軍 基地に切り換えての着陸となった。剥がれた耐熱タイルの心配は何事もなくてよかった。 ただ、無事の着陸で搭乗員は一安心だが、機体は今後、フロリダ州のケネディ宇宙センター まで回送しなければならず、それには莫大な運送費が掛かると言う別の問題が残った。

『衆院解散』  Aug. 9, 2005▲Top
koizumi.jpg  小泉首相最大の悲願だった郵政民営化法案は、参議院での否決によって、公言通り 伝家の宝刀の首相権限で衆議院解散を宣言した。これで自民党は確実に真っ二つに 割れた。小泉首相を選んだときに、念願の郵政民営化は最大の公約だった訳なので、 途中で挫折するわけにはいかないのは当然である。自民党の郵政族が中心になり、小泉 潰しに奔走し、あたかも民営化反対こそが当然のように語っていたが、これで総選挙の 結果、郵政族への加担が、広く国民の賛意を得られるのか、疑問である。また、本来政治の 改革を標榜すべき野党が、与党の反対を押し切ってでも改革しようとする小泉さんを 応援するのでなく、保守的な与党の反対勢力に加担する姿勢が理解できない。 これでは、日本の政治はいつまでも保守的な、古い政治体質から脱却できないだろう。 反対者は絶対に公認しないと宣言してきた小泉さんは、やはり、厳しく対応すると言う。 小泉宣言を甘く見てきた自民反対勢力は、新たな新党を作るか、無所属で出るかそれとも 他の野党になり下るか決断しなければならなくなった。

『忘れ物』  Aug. 8, 2005▲Top
 一昨日行われた、高校の同窓会に誘われて出席するのに、デジカメ持参で出かけた。 普通飲み会等には、手軽なコンパクト型のカメラを持っていくのに、その日ばかりは、 大型のカメラを持って出た。ところが写し始めてすぐ、電池が切れ掛かっている ことに気がついた。 先日の花火大会で、電源を入れっぱなして撮影したのに、後の充電を忘れていた。 案の定、途中から電池切れでOUT、仕方なくカメラを置いて後は飲むことに専念した。 会が終わり、2次会も終わって家に帰り、写した写真をダウンロードしようとした時、 はじめてカメラを何処かに置き忘れてきたことに気づいた。 すぐ送迎してくれた運転手に、車の中への忘れ物確認をしたがないと言う。 続いて同窓会の行われた会場に電話し、探して貰ったが見つからなかった。 結局誰かに、盗まれたと結論せざるを得ないことを悟った。「酒は飲むべし、 飲まれるべからず」。高いカメラだったし・・・、メモリーは512MBもの大容量を入れて いたのに、残念ながらカメラを失い高い飲み会になってしまった。

『開設10周年記念』  Aug. 7, 2005▲Top
homepage.gif  8月6日はZENさんのホームページ開設10年目になる記念日だった。 但し昨日は、広島原爆の被害を受けた悲しい日なので、自重していた。 さっそくイラスト担当のNORIさんが、新居浜市自慢の太鼓祭り ZENさんのイラストを描いてくれた。10年前は通信速度が今と比べて格段に 遅かった時代でもあったので、画面作りはいかに軽くするかが大命題だった。 今はブロードバンドが普及して、その問題はあまり気にしなくなった。 開設時の目的は、新居浜市の太鼓祭りを全国に知らせることをテーマに、 さらに日常の出来事をさりげなく、毎日更新することを続けてきた。 平成9年に、NHK松山放送局、西條暢高ディレクターに認められ、愛媛 ダンランテレビ「インターネットで四国を見よう 」 という番組の生放送に呼ばれたこともある。 当時動く太鼓台が WEBで見られるのは珍しい時代に、生放送で自らのサイトをアクセスし、解説 しながら見せた、いい思い出もあった。アクセス数も順調でこれまで41万人が 訪問してくれた。
 

『原爆記念日』  Aug. 6, 2005▲Top
dome.jpg  60年前の8月6日は、朝からじりじりと蒸し暑い天気だった。小学校5年生の 私は、新居浜市内南東部の東田と言う地域に、母と4人の弟達と農家の納屋を借りて、 疎開していた。早朝空襲警報のサイレンが鳴り響き、近くの山裾に掘った防空壕に 避難した。 そのとき、高度10000mをB−29の編隊が、上空を北に向かって飛んでいった。 こんな光景は毎日のように見られたが、この地域の高射砲は撃っても届かないので、 B−29はいつも悠然と飛んでいた。その日、広島に向かったB−29から原爆が投下 された。翌日にはニュースで聞いたと言う原爆の恐ろしさが伝わってきた。とにかく 今までとは違う、すごい爆弾と言う以外詳しいことは分からず、ピカドンという 表現で、瞬間に何もかも地上から消えてしまったと言う。原爆の直下では4000度と言う 高熱と、風速440m/sの爆風と言うから、想像を絶する地獄のすごさである。この一瞬に 30万人の命は奪われた。その3日後には長崎にも落とされた。呪わしい出来事だったが、 これで悲劇の戦争は終わった。今六カ国協議で北朝鮮の、核兵器廃棄を最後の詰めで 難航しているが、核の悲劇は広島・長崎が最後でなければならない。

『戸締り』  Aug. 5, 2005▲Top
 マンション生活は、玄関の鍵一つで防犯が出来るのが利点である。更に7階に 住んでいると、不審な人物がこんな高い階でうろうろすることは余程でないと、 目立つので、更に用心はいいと考えている。この時期高層階でも室温が高く、 全ての窓を開けていても、風の通りが悪く、玄関の戸を少し開けておくと、 随分涼しい風が入る。昨夜は深夜まで玄関を10cm程開けていた。シャワーを 浴びて出てきたところで、妙な音がしたのでふと玄関先を覗いたら、驚いた ことに、変な男が戸の隙間から入り込み、何故か七転八倒した後動かなくなった。 慌てて大声を出そうとするがどうしても声が出ない。部屋の奥に逃げようと するが、身体は金縛りにあって全く足が動かない。どうしようかと焦っている うち、目が覚めた。なんと夢だったのだ。汗びっしょりの怖い夢だった。 寝る前に戸締りはしたはずなのに、もう一度玄関の戸締りを確認して寝直した。 潜在意識の中で、玄関の戸を開けていることを常に、気にしていたことが夢に なったのだろう。いやな夢だった。でも夢でよかった。

『箸の日』  Aug. 4, 2005▲Top
hasi.gif  8月4日はハシと読めることから箸の日と、1975年にわりばし組合が制定。東京の 日枝神社の「箸供養・箸の感謝祭」など、各地でハシに関する行事が行われている。 箸の歴史は古く、古事記にもスサノオノミコトがヤマタノオロチ退治の時、上流から 流れてくるハシを見て人が住んでいることを知った話が残っている。昔の箸は竹で作った ものが主流で、当時は一本の竹を真ん中から折ったピンセットの様な形だった。 鎌倉時代に中国から2本箸が伝わったといわれる。江戸時代には漆器の塗り文化の 発展により塗り箸が流行した。現代の平成の頃から自然回帰への重視から箸の 素材感が重宝されるようになり塗り箸は衰退してきた。最近、折れたバットから 箸を作り「かっとばし」と命名し、東京ドーム21番ゲート側ショップで売られ 巨人フアンに人気を博していると言う。

『元横綱・曙』  Aug. 3, 2005▲Top
akebono.jpg  外国から来た力士で初めて横綱まで昇進できたのは曙だった。当時大きな体で並み居る 日本人力士は体力差で圧倒される強さを誇っていた。自らの体が大きくなりすぎて、投げに 弱い面が露呈し始めて引退を余儀なくされた。引退後も格闘技に未練をもって、K−1に デビューした。しかし大きな体は、相撲とは違って、動きの早いK−1の世界では全く通用 せず、全戦全敗で、先日ハワイで行われたチェ・ホンマン(韓国)との戦いでも、全く良い ところなくノックダウンされた。試合は元横綱の名を汚すような不甲斐ない負け方だった。 試合後、谷川貞治K−1イベントプロデューサーからK−1ファイター失格を宣告された。 K−1に失敗した曙は、今度はプロレスに転向して活動の場を変えたようだ。デビュー戦は 7月2日タッグながら自ら3カウントを奪う活躍を見せている。次回8月4日に曙vsグレート・ ムタのカードが組まれているが、果たしてK−1の汚名は返上できるのだろうか。 出来れば、これ以上無様な醜態を晒すのを、辞めて欲しいと思うのは私だけだろうか。

『歩行者天国』  Aug. 2, 2005▲Top
 1970年8月2日、銀座や新宿の車道から車の通行区分を遮断し、歩行者に 車専用道路を開放し、いわゆる歩行者天国を始めた日である。その後全国的に ポピュラーになり、日曜日や祝祭日などに、商店の立ち並ぶ町並みを、歩行者が 自由に散策できるよう開放する様になった。当時銀座などでは、通りにテーブル を出すなどのサービスで、家族連れの歩行者達が、のんびりとショッピングして 過ごすことが出来て好評だった。これは、 道路交通を車優先から人間優先へ転換させるきっかけとなり、その効果として、 自動車のもたらす排気ガス、騒音等の交通公害防止に寄与することに繋がった。  東京原宿の歩行者天国は「竹の子族」のようなストリートパフォーマンスの 発信地となり、若者文化が発祥していった。しかし、騒音問題やゴミ問題など、 地元から歩行者天国に対する苦情が出されるようになり、1996年に原宿の 歩行者天国が中止。地方都市でも渋滞の原因になるとして、次々と中止になった。

『マラソンのルーツ』  Aug. 1, 2005▲Top
 数ある陸上競技の中でも好きなものにマラソン観戦がある。42.195kmの長距離を走る 間の駆け引きに、色々なドラマが生まれる楽しさがある。マラソンのルーツは、 紀元前490年のギリシャにある。そこではペルシャとアテネイの戦いが行われ、 ペルシャ軍に苦戦していたが、アテネイ市民の援護を得て、マラトンの丘の戦いで 見事ペルシャ軍を撃破した。この戦いにおけるアテネイ重装歩兵のめざましい活躍は, ペルシア軍の騎兵・弓兵に対して圧倒的な威力を発揮した。この戦いにおける戦死者は ペルシア側が6,400人であったのに対して,アテネイ側はわずかに192人であったと いわれる圧倒的な勝利だった。 伝説によれば、一人の兵士がマラトンからアテネイ市民に戦勝の報告を走って 持ち帰り、アテネイに着いて後、息絶えたという。マラソンは、この伝説にちなんで 近代オリンピックによって始められたものといわれている。ちなみに韓国語では マラソンのことをマラトンと発音し、マラソンと言っても通じない。

Home