【巨人】  Oct. 31, 2002

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 今年の巨人は強かった。日本シリーズを四連勝で終わらせたのは史上初だろう。 パ・リーグに於けるペナントレースでは、西武も早々とマジックをつけて勝ち抜いたので、 いい勝負になると予想したが、こんなワンサイドゲームで決着するとは思わなかった。 確かにカブレラ選手のホームランはペナントレースで見せた実力そのものだったが、 肝心の松坂がここまで巨人に叩かれるとは予想していなかった。4戦とも巨人は中盤までに 大量点を取って西武を圧倒し、隙を与えず戦いきった試合は素晴らしかった。原監督率いる 巨人軍の勝利を心から祝福したい。

【マレーシア】  Oct. 30, 2002

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 日朝国交正常化交渉が行われているクアラルンプールはマレーシアの首都で、私も2年前に IT視察をしたことがある。国土は日本とほぼ同じ位の面積で、人口は2300万人と東南アジア ではもっとも人口密度の低い国である。1996年マハティール首相が2020年には先進国入りを 目指すと言う目標を定め、その一環として「マルティメディア・スーパー・コリドール(MSC) 」構想を打ち出しクアラルンプールの特定地域にインターネットの高速通信網を巡らし、世界の TOP企業進出を歓迎する政策や、マルティメディア大学では9000人の学生を対象に1枚のスマート カードで身分証、キャッシュカード、鉄道のパス、学食、運転免許証等々、生活上の全てに対応 出来るカードを目指しての実験を進めていた。今、日本でも同じような計画を推進し始めた。

【初雪】  Oct. 29, 2002

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 まだ10月だと言うのに、東北や北陸地方での積雪が報道がされていた。 寒冷前線が上空にあるので、まだ寒さは続くと言う。 つい数日前まで、半そでのTシャツで過ごしていたのに、急の寒さで 震え上がってしまった。慌てて長袖のトレーナーを着たり、厚めの 掛け布団を出したり、夜遅くまで起きている家内は電気ストーブを 抱えている。今年の夏は大変暑い日が多かったが、こんな年の冬は 暑さ寒さがバランスするのできっと寒いに違いない。風邪を引かぬよう 気をつけよう。

【ふぐ】  Oct. 28, 2002

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 ふぐ料理と言えば、高級料理店で食べるものと考えている人が多いと思う。 我が家では昔から、自分達で釣ったふぐは家内の手料理で鍋にして食べるのが習慣だ。但し種類は 「くさふぐ」と「なごや」に限る。間違って「きたまくら」を食べると、そのままお棺に入って北枕となる。 元々外道で釣れる魚なので、数が少ないときは料理した白身の部分だけ冷凍しておいて、数が纏まったとき 食べるようにしている。ふぐ料理では、フグ毒による死亡事故がマスコミをにぎわすことがよくある。 自分達で料理したフグを食べるときは、いつも最初の1箸目は、夫婦同時に食べることにしている。 万一運悪く毒に当たった時は、一緒に死のうって申し合わせであるが、今までの所、運良く全て成功している。

【魚釣り】  Oct. 27, 2002

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 我が家では、家内と良く釣りに出掛ける。先週は香川県の病院に入院していた家内を迎えに行った帰り道、 久しぶりに仁尾町の海岸で二人で竿を出してみた。潮時は満潮から1時間ほどの引き潮だったが、手の平台の チヌ10匹、型のいいキス12匹、ふぐ30匹程釣れた。チヌは塩焼きにして3倍酢に、キスは3枚に開いて 天ぷら、ふぐは釣り場で頭を落として皮を剥ぎ、身だけにして持ち帰り鍋チリにして食べた。この季節、 釣り場では皆に嫌われる外道のフグだが食べて一番旨い。無論油の乗ったキスの天ぷらも旨かったが、 やはりフグには敵わなかった。さて今日の釣りは本命「はぜ」の天ぷら狙いだが、外道にフグが釣れると 鍋もいいな。昨夜の強い風も収まったようだ。では、これから出掛けるかな。

【同級生】  Oct. 26, 2002

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 学生時代の同級生って気が置けなくていい。特に大学時代の同級生は全国区で生活 文化の異なる仲間の集まりといえる。小中学校時代の同級生とは顔を合わせば挨拶 くらいはするが、それほど親しみが感じられないのは、まだ子供で付き合いが浅かったのだと 思う。高校時代の仲間は、やや大人に近い付き合いなのだが、受験勉強などでは お互いがライバルだった。ところが大学時代の仲間は完全フリーな大人として 懐の深い付き合いをしていて、仲間としての親しみが一番強い。 卒業後社会人になってからお互いの立場は、大学の教授から平まで社会的上下格差の 激しい関係があっても、お互いが話すときは同じ目線になり、学生時代そのままの 「おい」、「お前」で済まされる気楽さが何ともいえない解放感である。

【デジカメ】  Oct. 25, 2002

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 お祭りの間は、2台のデジカメ(SANYO DSC-SX150とOLYMPUS C-200 ZOOM) を腰にぶら下げ、静止写真はオリンパス、 動画はサンヨーと使い分けて撮影した。サンヨーはレンズの蓋を開けてから撮影準備が整うまでが早いのと動画・ 連続撮影などのあと、メモリーへ書き込みし、次の立ち上がりまでも早いので便利であるが、オリンパスの方は、 レンズの蓋を明けシャッターを押せるようになるまでと、シャッターを押し、次の撮影準備までの時間が掛かり (特に電池が弱ってくるとすごく時間が掛かる)撮影のタイミングが狂うことが多い。シャッターチャンスに ボタンを押して、撮影終了するまでの間に、人ごみが入って邪魔されることが何度もあった。 オートフォーカスの弱点かな?

【銃の恐怖】  Oct. 24, 2002

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 今アメリカで狙撃銃による無差別殺人が市民の恐怖を呼んでいる。既に13人の犠牲者が出ているが、 まだ犯人の影すら掴みえてない。開拓時代からの歴史で、身を守るために銃を持つと言う考え方は昔も 今も変わらない。国を守るための抑止力に核爆弾を持つというのも同じ考え方だが、個人の持つ銃とは 明らかに違う。ましてや見えないような遠くから狙撃されるのでは、身を隠すことも出来ない。 安全を確保するためには銃の規制を厳しくする以外にないのだが、アメリカはそれを何時実現出来るのだろう。

【住めば都】  Oct. 23, 2002

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 5人の拉致被害者達の北朝鮮への帰国を巡って、彼らの心情に揺れ動いているものを感じた。 最初は理不尽と思っていたかも知れないが、24年間を過ごす間に、いつの間にか周りと同化し、 貧乏でも生活の安定を得て小さな幸せを感じてしまったと思う。今回突然日本へ帰り、文化の差にきっと ショックを受けたことと思う。そして果たして今後日本に永住しても生活は保障されるのか不安を感じ、 北朝鮮へ残した日本語の出来ない家族を考えたときあのままの生活に戻ったほうが幸せと考えたのではないか。 住めば都、小さな幸せでも24年間の積み重ねは重たいのではないか。

【早起徳三文】  Oct. 22, 2002

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 毎月所属ゴルフクラブの月例コンペ出場だけは続けている。だけはと言う裏は、年と共にゴルフへの 情熱もさほどなくなって、あまり練習もせず、成果のほうも期待できなくなったせいである。いつも同じ 組み合わせでプレーする仲間を代表して私が月例の申し込みをするが順番はいつもトップスタートと決めている。 これまでのトップスタートは7時46分と決まっていたが、今月から7時32分と早くなった。 今回のトップスタート後、天候が悪くなり、我々の競技終了後はついに雨が降り出し後続組とは大きなハンディ が付いた。私の成績は久しぶりに−1のアンダースコアだったが、この程度では優勝など望み得ないと思っていた。 帰宅後クラブからの連絡で優勝だという。これは、雨に降られる前に競技を終了したお陰、まさに早起きは 三文の徳である。

【続・トラフィック】  Oct. 21, 2002

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 安いサーバーだと思って契約してきたけど、トラフィック問題では考え込んでしまった。 サーバーがアメリカにあるということで、費用を安く出来るが特にトラフィック問題に関しては考えて 見なかった。当HPの場合、太鼓祭りなど容量の大きい写真が多いので、人気サイトになるのは嬉しいが、 トラフィックで表示制限されては困るので、長い将来を考えて、トラフィック制限の心配ないローカルの サーバーを借りることに決めた。これでいままでのサーバーはメインに使い、大きな容量の画像やVTRは こちらに載せることで、トラフィックに関しては問題解決できるとことになる。これで早めにVTR関係も UPできるだろう。

【祭りあと】  Oct. 19, 2002

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 新居浜の太鼓好きにとって1年間待ち望んだ太鼓祭りもあっという間に 3日間が終わった。好きな人は市内4箇所に分かれて行われる地域毎のかき比べ会場に タイムシェアリングで回って見るのだから、祭りが終わるとどっと疲れが出る。 とにかく朝から晩まで歩き続けるのは、無論好きでなければついていけないのだが・・・。 見物客の多くが女性であり、子連れが多いのも驚きである。小さな子供に法被を 着せて、一緒について回っているのだが、この子らが親のDNAを受けて、次世代の 太鼓好きを生み出しているのだろう。 鬼に笑われるかも知れないが今日からまた、指折り数えて来年の太鼓祭りを楽しみにしよう!

【祭り最終日】  Oct. 18, 2002

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 新居浜太鼓祭りも18日は最終日。太鼓祭りの総仕上げでもあるので気合が入る。初日からの2日間、 各地区でのかき比べで、見劣りしたと思われる太鼓台は、かき夫を動員して、恥ずかしくないかき方を 披露する訳だ。見事なのは差し上げを更に大きく放り上げるさし方や、如何に長く差し上げ続けられるかを 競うもの。各太鼓台にも大きさ、重量にはそれぞれ差があるので、重たい太鼓台はかき夫の確保が勝負になる。 最終日は船御幸も見ものである。精々楽しんで最後の祭りを過ごしたい。3日間で大変な量の写真を撮ったが 内容を厳選するのでUPは少し時間が掛かることを予めお断りしておきたい。

【祭り気分】  Oct. 17, 2002

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 新居浜太鼓祭り初日は、内宮神社のかき上げで明けて、夜太鼓で暮れた。 昨年イオンがオープンして初めての夜太鼓が行われたが、生憎の雨模様で、 ビニールを被った太鼓台は気分がいまいちだったが、2年目の今年は、天気にも 恵まれて、広い会場一杯に集まった観衆に、6台の太鼓台が華麗なかき比べを 堪能させてくれた。17日は、山根グランドの上部太鼓台のオンパレードが 見ものとなり、18日は、川西太鼓台の船御幸と見所は多い。今年もけが人の 出ないお祭りで終わることを祈念している。

【祭り初日】  Oct. 16, 2002

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kakiage.jpg  新居浜太鼓祭りがいよいよ始まった。幕開けはなんと言っても上部、内宮神社のかき上げだ。 朝3時半に起き、手早く身支度して山根に向かう。既に大勢の見物客が参道に場所を確保して待っている。 4時半打ち上げ花火と共に参道のかき上げが始まる。山の中腹にある内宮神社までは約400mの登りの 階段が続くが、若者達の威勢のいい掛け声と共にかき上げて行く。喜光地を先頭に、新田、北内、中筋の 4台が30分程で登り終えると神殿前で、3日間の無事故を祈願してから、また階段を下るのだ。 登り始めた頃は暗かった参道も、下り終える頃には空も明けてきて華やかな祭りの最初のイベントが終了した。

【バリ島】  Oct. 15, 2002

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 バリ島には、7年前行ったことがある。イスラム教徒が9割近いといわれるインドネシアで、唯一バリ島は 敬虔なヒンズー教徒が殆どを占める平和で穏やかな国であった。人懐っこいビーチボーイが、顔を合わせると 気軽に声を掛けてくる。しかしお目当てはお土産の品を買ってもらおうと、千円、千円と傍に付いてくる。 バリ島を訪れる観光客の7割近くが日本人、それも女性が多い。一番近い外国としてオーストラリアからの 観光客も次に多いが今回の標的は不幸にしてオーストラリアからの観光客が多かったという。これで、 バリ島の平和伝説が覆ってしまったのは残念だ。

【シカゴマラソン】  Oct. 14, 2002

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 シカゴマラソンを見ていて興奮した。前半は女子期待の渋井選手がラドクリフにどこまで食いついて いけるかに、焦点を絞って見ていたが、やはり体力的に段違いの差を感じるラドクリフは、頭を大きく 振りながらの走り方は最後までスピードが落ちず、ついに世界最高タイムで優勝してしまった。渋井は 惜しくも2時間20分台は切れなかったが自己記録を大幅に上回るタイムで3位は立派な成績であった。 一方男子は当初期待していなかったが、後半高岡が健闘して世界新を出すかと言う勢いでトップを走り、 40キロ辺りで、惜しくもハヌーシに競り負けたが、これも日本最高記録を1分半上回る見事なタイム で3位。結果は男女共に健闘したことを褒めてあげたい。

【お祭り】  Oct. 13, 2002

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 新居浜市のお祭りもあと3日後に迫ってきた。毎日あちらこちらから練習のために太鼓を叩く音が 聞こえてきて、段々お祭りのムードが高まっている。昨年の喧嘩が災いして今年は出場できない太鼓台が あるのは寂しいが、一方では今年も喧嘩を予想する噂話もいろいろ聞こえてくる。昔から喧嘩太鼓で 有名なだけに、平和運行を唱える陰で喧嘩を期待する観衆がいるのも事実である。日本全国何処のお祭り にも喧嘩が話題になるところがあるが、盛り上がった気分で小競り合いは仕方がないとしても、計画的で 危険な喧嘩だけは避けたいものだ。

【ノーベル賞】  Oct. 12, 2002

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 受賞者が若いので驚いた。まだ43歳と言う若さの田中耕一さんが受賞するとは 誰も予想しなかったことだろう。無論受賞の対象になった研究成果は大したものと 思うが、これまでの常識では、長年の研究成果を判断されるのだから、博士号を持ち、 大学の教授以上の資格があって、しかも相当の年齢にならなければ縁が無いものと思っていた。 一躍町の有名人となっても爽やかな人柄が何とも心地よい。会社では研究することが 好きなので昇進を望まなかったと言う。会社はこの受賞によって一躍有名会社になり、 株価が上昇している。しかし、会社内での評価はこれまでそんなに高くなかったそうだが、 これからも自由な研究の出来る環境が与えられることを望みたい。

【ラリーその4】  Oct. 11, 2002

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 昭和30年代のラリー競技に目的地までの最短コースを競うものがあった。スタート時点で 初めて目的地が知らされ、地図が渡されるが、どのルートを走れば一番最短かを見つけるのが 一苦労。地図だけで最短と思う道路を走っていくと一方通行だったり、刺し違えも出来ない 道路だったり、走ってみなければわからない道路も結構あった。秘訣は、貰った地図上に、 スタート地点と目的地に向けて定規で直線を引き、その線に一番近い道路を走るのだ。 なまじ日ごろ道路をよく知っている人は、単に信号機の無い道路とか、渋滞の少ない道路は 詳しいが必ずしも最短道路ではないので、ゴールするのは早かったが、走行距離は長かった と言う結果が出ていた。

【ラリーその3】  Oct. 10, 2002

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 昭和30年代のラリー競技には色々なバリエーションがあって、エコノミーラリーも結構流行した。 スタート前にガソリンタンクは満タンにして、オフィシャルが封印。目的地までの地図は渡されるが、 適当な所にチェックポイントを設けて、ルートの誤走は失格となる。走り方としては、信号は相当 手前から意識して止まらず抜けるように速度を調整。万一信号で止まるときはエンジンを切る。 エンジンブレーキは絶対使わないで、ギアーを抜いてエンジンも止める。ブレーキしないで出来るだけ 惰力走行する。スピードを戻すときにはアクセルはゆっくり踏み込む。参加する時は、車内の椅子、 スペアタイヤなど余分なものは外し可能な限り軽量にした。無論タイヤの空気圧は最高にすることも ポイント。ゴール地点で再度満タンにしたときのガソリンの量が少ない者が勝利者となる。

【ラリーその2】  Oct. 9, 2002

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 昭和30年代後半ころは交通量もまだ少なく、ガソリン代もリッター30円台と安かったこともあり、 各地のカークラブ主催で色々なラリーが企画された。その中の一つに買い物ラリーがある。ゴールまでの 途中のチェックポイントは、神社、お寺等を指定しお札やおみくじ等購入することでチェック、必ず その地点を通過することを義務付けた上で、指定された品目を買い揃えてゴールするまでのタイム トライアル。マイカーに家族揃って参加して楽しい一日を過ごすことが出来ると人気があった。 コースの取り方に工夫が必要で、地図を広げてルートを考えるが、日ごろ通勤やビジネスで走りなれた ルートが途中に含まれたときは、その力量が発揮された。買い物の品目も一ひねりあり、それがどんな お店で売られているのかを考えつくことも大きなポイントだった。

【ラリーその1】  Oct. 8, 2002

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 昭和30年代後半から、庶民のマイカーブームが始まり、地域や会社単位で同好の 集まりが盛んになり、クラブ同士の付き合いなどで、ラリーとかジムカーナなど、 運転技術向上を目指した競技等が盛んに行われた。当時はまだ 道路事情も今ほどで悪くはなかったので、深夜等の条件はあったが、一般公道でのラリー も走行ルートと条件を申請すると警察の許可を得られた。 当日はチェックポイント毎にボランティアの係員を置き、設定ルート間を規定の スピードで正確に走ることが条件。速すぎても遅すぎても減点なので、計算機を 持ち込み、走行区間の距離と法定速度とスピードメーターと睨めっこ、何処にあるか判らない チェックポイントを想定してスピードを調整する駆け引きが面白い。 一般公道なので、交通違反を問われれば競技失格である。賞品はメーカーに 頭を下げれば相当の物が集められ、メーカーのステッカーを車に貼らせることで宣伝に貢献した。

【太鼓台】  Oct. 7, 2002

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 新居浜と言えば太鼓台、太鼓祭りとえば新居浜というぐらい昔から有名だが、昔は地区毎に お祭りの日程がまちまちだったので、今のように一度に多数の太鼓台を見られることは無かった。 また、昔に比べて全てが豊になったのか、太鼓台の飾りも年々豪華さが増している。1台数千万円も 掛かる制作費に地域部落の負担金も大変なご苦労があると思うが、折角作るなら他所に負けたく ないという思いから豪華さ競争が起きているのだろう。伝統ある飾り幕はそれなりに古さが価値かと 思いきや、最近では古い飾りを安く売却しても前より豪華な幕にするところが増えているのは、 やはり見栄なのか。

【バドミントン】  Oct. 6, 2002

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badmington.gif  昭和24年と言えば第二次大戦後の復興からようやく立ち直りかけた頃、 新居浜市のフクヤ運動具店の店頭に、初めてバドミントンラケットが置かれた。 店は昭和通り3丁目辺りにあり、父が会社の帰りに見つけて買ってきた。 この競技は当時まだ広く知られていなかったが、スポーツ好きの父が、戦争中の 上海で体験したことがあったということで、最初は正確なルールもよく知らずに 家族や仲間で楽しんでいた。高校2年の時四国で始めての大会が松山であり、新居浜西高から 仲間の男女2チームでエントリー、男女共、見事に優勝し1951年の広島国体に出場した。 その年、新居浜市バドミントン協会設立、市民に広く普及し以来50年の歴史を刻んでいる。

【スイミング】  Oct. 5, 2002

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 50歳代後半ごろ、近くのフィットネスクラブに通っているうち、不用意に65kgのバーベルを 差しあげた時に肩を痛めてしまった。それが50肩という症状になり、いろいろな治療を試みたうち 針治療が効果的だった。3ヶ月針に通ったが最終的治療には医者の勧めでスイミングを始めることになった。 以来現在まで10年近く泳ぐことを日常化してしまった。当初は平泳ぎしか出来なかったが、 指導を受けてクロールを覚えると、楽に1km泳ぐことが出来るようになり、今は毎日泳ぐことを 楽しみにしている。針治療で50肩の痛みは無くなったが、肩の回りの悪かったのもスイミングの お陰で完治することが出来た。

【続・WEBサーバー】  Oct. 4, 2002

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 ホームページを開設してから満6年を過ぎたが、その間毎日更新するというポリシーを貫いてきた。 時には海外など長期に日本を離れたときは、さすがに仕方がなかったが、それでもひとたび国内へ戻れば、 何処からでもサーバーにアクセスして更新の作業を続けてきた。色々な出来事に関与する毎にデジカメと メモは忘れず、溜まったアルバムも大変な量になっている。太鼓祭りの写真も、年を追う毎に充実して いるので、サーバーの容量も大変な勢いで増え続けている。1年前の状態で一時80MBを超え、 過大の料金請求に驚き、それまでの写真サイズを全て縮小したり、省エネ型に改善して容量を49MB まで減らした。しかしそれから1年、やっぱり容量は確実に増えているので、思い切って150MBまで 契約をUPした。次は250MBの契約か?折角ここまで積み上げてきた記録を消すには忍びないので、 容量を増やし続けるしかないと考えている。

【WEBサーバー】  Oct. 3, 2002

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 最近太鼓祭りのビデオを載せ始めたところ、契約容量の問題とアクセス数が増えて、トラフィックが 許容量を超える増大で、より大容量への契約移行に迫られ、急遽サーバーを移しました。サーバーの 設定条件が従来のものと異なるためCGI関係が、うまく作動していません。現在作業中ですがしばらく 掲示板、カウンター関係が正常に動いていないことをご了解下さい。

【台風】  Oct. 2, 2002

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 久しぶりに大型台風が東海から関東地方へ上陸した。茨城では高圧鉄塔が何本も倒壊したという ニュースを聞き私も苦い体験を思い出した。20年ほど前、当時アマ無線に夢中だった我家の庭にも 20m余のタワーを立て、144MHZ帯の7エレメント4列2段の大きなアンテナを載せて、日夜DX通信に 夢中だった。大型台風襲来の日の昼ごろ家内から突然会社に電話があり、折からの強風の為、 庭のタワーが倒れて、隣の屋根にアンテナが突き刺さっているとのこと。大変だ!取り合えず知人の クレーン車を手配して倒れた鉄塔の撤去と、大工さんを呼んで隣の屋根を修理してもらった。お隣さんは 突然の事で大パニックであったが、素早い処理で大きな騒ぎにしないで許してくれた。幸い怪我人も無く 保険で修理代と陳謝の慰謝料は処理できたが、それ以来恐怖のアンテナは立てられずアマ無線を止める ことになった。 でもそのおかけで趣味がパソコンに、そしてインターネットへと宗旨を変えて現在に至っている。 これなら台風でもご近所に迷惑を掛けることもない。

【女子マラソン】  Oct. 1, 2002

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 高橋尚子選手がベルリンマラソンで2度目の優勝した。前回の記録を上回ることは出来なかったが、 終始トップグループを維持し、25kからは独走をして見事優勝。直前に足を痛めて出場すら微妙な 判断のなか、アテネオリンピックを目指す前提で、試しに走った程度ながら、走り出したら、結果を 出してしまうところがやっぱりプロだ。ベルリンのコースはほとんど高低差が無く、スピードの出し やすい条件だけに次は世界記録を狙いたいと言っていた結果、2時間20分を切れなかったのは残念 だろうが、次を頑張って、またQちゃんスマイルを見せて欲しい。

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